無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 大岳山   

d0183387_23085389.jpg

大岳山
多摩・八王子境の松が谷トンネルの下り道、
真正面に「キューピーちゃん」が望めます。
特長があるのですぐわかります、いい山ですね~。


大岳山
東京都西多摩郡桧原村、奥多摩町の境界、奥多摩山域にある標高1266.5mの山。標高はさして高くないが、個性的な山容を備えた奥多摩の名峰である。日本二百名山及び花の百名山の一つに数えられる。山頂付近の特徴的な山容により同定しやすいことから古くは江戸湾の漁民からも目印にされ、鍋の蓋を伏せたように見えることから「鍋割山」「鍋冠山」と呼ばれた。また、東京都多摩地域、所沢市、相模原市付近でも、地域での通称がつけられていることがある(キューピー山、茶魔山(漫画「おぼっちゃまくんの主人公:御坊茶魔より)など)。Wikipedia


# by Twalking | 2017-12-17 23:14 | ○たま-2017

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 『多摩センターイルミネーション2017』02   

d0183387_19593019.jpg

『ウインターコンサート』
多磨センターパルテノン十字路/多摩市落合
木枯らしがビュ~ンですが、
ここは若人の熱気が溢れんばかり、
落合中吹奏楽部のみなさん、
楽しかったよ~、ありがとう~!

# by Twalking | 2017-12-17 20:03 | ○たま-2017

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 鎌倉街道上道(8)西大家~鳩山01-市場   

日時 2017.12.14(木)
天気 晴れ


風は冷たいですがいいお天気です。
ウオーキング行事が続き、おまけの腰痛で
自重してましたが、治まったので出掛けました。

電車を乗り継いで西大家から笛吹峠を目指しますが、
ここは鎌倉街道の遺構が多く残るところなので、
じっくりと見てみたい所、楽しみたいと思います。



・・・大家(村)(おおや)/坂戸市


埼玉県入間郡に存在した村。村名の由来はかつてこの地が『和名抄』において「大家郷」の在った所であるという伝承による。現在の坂戸市の南西部に位置しほぼ村内を高麗川が貫流、北東から南西にかけて長い形の村であった。現在の坂戸市厚川、萱方、成願寺、欠ノ上、森戸、四日市場、多和目及び鶴舞、けやき台、西坂戸がほぼ旧村域にあたる。現在は旧村内を東武越生線が通り、西大家駅が設置されている。県立坂戸西高校、城西大学、明海大学が現在ある所も旧大家村内である。
Wikipedia

d0183387_10270855.jpg
街道の風景① 踏切横の水路が鎌倉道の遺構でしょうか?右手の森が神社です/西大谷駅

d0183387_10324514.jpg
国渭地祇神社(
くにいちぎじんじゃ)鳥居/森戸


d0183387_10325067.jpg
国渭地祇神社
当村は高麗川の南岸に位置する。ここは川沿いが低地で南にいくほどゆるやかな台地状になっている。当社はこの村の鎮守として鎮座し、社前の往来は旧鎌倉街道であると伝える。社名は「クニイチギ」と読み、これはおそらく水と関係あるものといわれる。延喜式内社国渭地祇神社の伝承地については、従来、所沢市吉野に鎮座する北野天神社であることが定説となっている。しかし、当社の社殿から鎌倉期とおもわれる古瓦が出土していることや、樹相などが古いということを考えると、古社であることはまちがいない。もと、当社は国一熊野大権現と称していた。この社名の国一美称で国で一番すばらしい社であるという意味が込められこれが後に国渭地祇に転化されたものと思われる。このため社の創立は、越生の本山派修験山本坊と直接結びついていた別当三宮山大徳院の活動にかかわるものではないかと考えられる。社記には、延歴年中、坂上田村麻呂が東征の帰途、奉賽のため社殿を再営し、下って奥州藤原秀衛が再建したと伝えている。(埼玉の神社)

d0183387_10351046.png
森戸の獅子舞
秋になると豊年を祝う獅子舞が市内の各地で行われます。竹で作った「ささら」と呼ばれる楽器を使って獅子舞を踊るので「ささら舞」とも言われ、昔から地元の人々によって受継がれてきました。森戸の獅子舞は江戸時代に始まったと伝えられ、国渭地祇神社と周辺の神社のお祭りに舞われます。獅子は悪霊払いの霊獣として崇められ古来、祭りの主役として獅子舞が全国各地で行われてきました。森戸の獅子舞は江戸時代の安永6年(1777)に始まったと伝わっていますが記録などは残っていません。国渭地祇神社と周辺の神社へ毎年1015日に奉納されます。獅子舞の演者は雄獅子、雌獅子、中獅子の三頭でこれに山の神の天狗、軍配を振って舞いを盛り上げる配追い、花笠をかぶったささら子、これにほら貝、笛吹き、唄うたいが加わります。演目は「すり違い」「竿がかり」「花すい」「秋葉社の舞」「宮まいり」があります。獅子舞の当日はほら貝の合図で社殿を一周する「宮まいり」から始まり、境内で「すり違い」を舞います。四日市場、森戸の秋葉社へ行列を組んで行きそれぞれの神社に舞を奉納します。神社への行き来の間、国渭地祇神社の境内にもどり「竿かがり」を舞い、最後に神社境内で「花すい」を奉納して舞納めとなります。行列の先頭を行く万燈には天下泰平、五穀豊穣、風雨順調、氏子繁昌との願いが記されています。祭の当日に立てられるのぼり旗の文字は巌谷修(児童文学者巌谷小波の父)の書によるものです。(坂戸市教育委員会)


d0183387_10374617.jpg
万葉遺跡大家が原歌碑/坂戸市大字四日市市場
万葉集 巻14に『入間道の大家が原のいはゐづら ひかばぬるぬる吾に絶えそね』と歌われるごとく大家は古い歴史をもつが、和名抄所載入間郡の郷名に大家(於保也介)と見えている。しかしこの大家郷が現在の越生から坂戸の一部大家付近と推定されるだけでいまだ確かな論証はされていない。この歌は入間野に生うるいはゐずらが引けばぬるぬると続いて切れないように、私とあなたの間柄もいつまでも続いて欲しいと率直にその愛を表現したのであろう。この入間道こそ武蔵と上野の国府を結ぶ官道で中世以降は鎌倉街道として重要な役割を果し、新田義貞・畠山重忠ら名将武将もこの道を鎌倉へ上ったのである。なおいはゐずらについては水生植物のジュンサイ説スベリヒユ説があるが定説はない。(坂戸市教育委員会)

d0183387_10422630.jpg
入間郡
7世紀ごろに武蔵国のとして成立。交通路として古代の官道東山道武蔵路枝道入間路」が整備されていたほか、入間川及びその支流の水運も使用していた模様である。『万葉集』巻14東歌(あずまうた)・3778番に「伊利麻治能 於保屋我波良能 伊波為都良 此可婆奴流奴流 和尓奈多要曽称」(入間道の 於保屋が原の いはゐつら 引かばぬるぬる 吾にな絶えそね)がある。現在「入間」は「いるま」と読むが古くは「いりま」と発音していたことが知られる。郡衙は現在の川越市にあったものと見られ、同市大字的場字地蔵堂の霞ヶ関遺跡が郡衙跡であろうと考えられている(所沢市・坂戸市内の別の遺跡を郡衙跡に比定する説もある。またこれらの遺跡は古代の駅家跡であると見る意見もある)。716、朝廷が駿河など7ヶ国に居住していた旧高句麗の遺民1799人を武蔵国に移し高麗郡を設置。この際に入間郡域の西側の一部を高麗郡域に当てたものと見られる。高麗郡は律令制下では小郡に分類され、二郷のみであったものの中世以降高麗郡域が東側に拡大し、江戸時代には入間川が入間郡と高麗郡の境界となっていた。また758朝廷は帰化新羅僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵国の空いた場所に移した。その場所が後に新羅郡、更に新座郡となる。同郡の郡域は入間郡の東辺の一部を割いて設けたものと見られ、郡内は志木郷と余戸のみの小郡であった。833年、多摩郡との境に悲田処が設けられた。中世以降「入間路」は鎌倉街道上道の本道となったWikipedia

d0183387_10550951.jpg
川の風景① 秩父の山を借景にして滔々と流れます、長閑ないい風景ですね

d0183387_10572618.jpg
高麗川/森戸橋
埼玉県南西部から中部にかけて流れる荒川水系の一級河川である。越辺川の支流。埼玉県飯能市、秩父郡横瀬町、比企郡ときがわ町の境である苅場坂峠(かばさかとうげ・818m)付近に源を発し、南川と北川が合流して高麗川と呼ばれるようになる。飯能市、日高市、毛呂山町を流れその間に長沢川、宿谷川などの支流を合わせ坂戸市越辺川に合流する。かつて高句麗からの亡命者を受け入れた高麗郡(現在の日高市周辺)を流れることからこの名がある。日高市の中心部にある高麗川駅の駅名も高麗川に由来する。(Wikipedia

d0183387_11100706.jpg
街道の風景② 道端にぽつんと庚申塔、高麗川の低地湿地から台地へ上ります/市境付近


・・・市場/毛呂山町

新編武蔵風土記稿の大類村「鎌倉道」の小名の状に『西方川角村の境をい云う、ここに古道あり(省略)南方大久保・市場二村の間に通ぜり、今は尤も小径となれり、是は鎌倉治世の頃、上下野州より鎌倉への往来なり、今も此細径を北へ往ば、越辺川を経て児玉郡本城宿へ通ぜり、南の方は市場・大久保の境を過、高麗川を渡りて森戸・四日市場村の間をつらぬけり』と記されており、道幅はほそくなるものの本庄宿(本庄市)や森戸村、四日市場村(坂戸市)へ抜ける道として用いられてていた江戸時代の鎌倉街道の様子を知ることができます。(「鎌倉街道と苦林野」/毛呂山町歴史民俗資料館刊より)

d0183387_11185890.jpg
鎌倉街道遺構① 台地への上りにある切通し、市場と西大久保の境を北へ進みます/市場

d0183387_11200972.jpg
d0183387_11201563.jpg
二差路を左に入ると切通し       県道(川越越生線)にでます

d0183387_12202514.jpg
市場神社鳥居(迷いましたので地元の方に訪ねました、県道の手前を左折ですね) 

d0183387_12204012.jpg
d0183387_12241303.jpg
本殿                  参道入口にお地蔵さん

毛呂山の「鎌倉街道」点描
高麗川を渡河した「鎌倉街道」はかつて九日市場と呼ばれた大字市場と大字西久保の境を進みます。街道西側には大正4年(1915)に三島神社から改称した市場神社があります。(「古道と宿の景観」/毛呂山町歴史民俗資料館刊より)

d0183387_14271996.jpg
街道の風景③ 葛川の先左手の森が「掘割遺構」、ここへの道は消えてますので川沿に左折して県道から迂回します

葛川(くずがわ)
坂戸市・毛呂山町流れる荒川水系の一級河川。入間郡毛呂山町の毛呂山総合公園付近に源を発する。概ね北東方向に流れ、坂戸市の葛川水門付近で高麗川に合流する。西大久保地区(旧県立毛呂山高校付近)に高麗川に放流する流路延長0.91kmの葛川放水路が2009年に設けられている。(Wikipedia


d0183387_14303896.jpg
d0183387_14304270.jpg
この畦道でしょか?         地元では「鎌倉街道入口」というそうです

d0183387_14421082.jpg
街道の風景④ 伺って正解、右手が「遺構」、樹の先に標柱が立ってます

d0183387_14491339.jpg
鎌倉街道遺構② 「鎌倉街道A遺跡」です、素晴らしいですね

d0183387_15021001.jpg
奥側から見た景観、堀割状態がわかります

鎌倉街道遺跡
ここの前を南北鎌倉街道上道が通っていた。この標識に向って、右手の林道の道をに行けば葛川・高麗川を越えて日高町女影ヶ原古戦場へ行く。は北方の越辺川に出る。すぐ右手の林道の凹道は県下でも珍しく良く旧態を残して、昭和57年県立歴史資料館によって試掘調査が行われた。堆積土の下に5旧道面があり両側には排水溝もあった。低湿のため長い間使用されず今は旧道に大木が生えている。(標柱/毛呂山町教育委員会)

女影ヶ原古戦場(おなかげ)/の関連記事はこちらへ(
http://teione.exblog.jp/26141261/


d0183387_15285654.png
「鎌倉街道A遺跡」
市場・西久保境の掘割遺構は南北120m東西70mの範囲で、4mの道幅とその両端に約1.5mの高まりをもつ「掘割」の形状を良好に残しています。昭和56年の埼玉県教育委員会の掘割遺構の調査の結果、現在の地面から30cm掘り下げたところから幅1m、深さ20~50cmの溝跡が道の両側から発見され、掘割は路面の両側に側溝を持つことがわかりました。さらに平成23年に毛呂山町民俗資料館により実施した確認調査では、ドロで埋まった側溝を数度に渡り直す道普請の様子が確認され、鎌倉街道の本来の姿とともに道の改修の様子が分かってきました。

d0183387_15443324.png
また、明治14年の陸軍「迅速側図」を見ると、鎌倉街道は村道より狭い騎小径(一本実戦:馬が通れる程度の幅)として描かています。しかし、掘割遺構の地点は道ではなく雑樹林や草地と表現されており明治時代には道としての役割を終えたことがうかがえます。(「鎌倉街道と苦林野」/毛呂山町歴史民俗資料館刊より)


d0183387_16555688.jpg
街道の風景⑤ 雑木林の中を進みます、「鎌倉街道」の案内板が立ってます

d0183387_16560182.jpg

d0183387_16560470.jpg
林の先は畑地の径&秩父の山並みを見ながら歩きます


d0183387_17164194.jpg
街道の風景⑥ 街道は県道を横断して進みますが、右折して資料館に寄り道します

d0183387_17185669.jpg
d0183387_17192173.jpg
県道角に案内板            街道は直進します

d0183387_11105332.png
高麗川渡河地点の周辺の景観/(「古道と宿の景観」/毛呂山町歴史民俗資料館刊より)

d0183387_11455757.jpg
高麗川渡河地点の景観 
「北条役帳」の「河越筋 森戸」は、国渭地祇神社の社頭で「鎌倉街道上道」と川越道が交差します。川越道に沿って街村形態が見られ「宿」「宿頭」の地名があります。宿の中ほどにある西光寺は毛呂山町市場の大林坊が移転したとあり、山号を大林山と称します。対岸の市場との行き来がありました。(「古道と宿の景観」/毛呂山町歴史民俗資料館刊より抜粋)

# by Twalking | 2017-12-17 11:47 | 鎌倉街道(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 西大谷駅   

d0183387_16210165.jpg

東武越生線西大谷駅/坂戸市
やっとスタート地点に到着しました。
天気は上々、コンビニがあるから
コーヒーでも飲んでから、いこうかな~。


西大家駅

坂戸市大字森戸623番地7にある東武鉄道越生線の駅である。駅名は当駅開設当時の村名「大家村」による。ただし、1945年(昭和20年)までは隣に大谷駅が存在しその西隣だったため「西」が付いた。単式ホーム11線を有する地上駅。ホーム・駅舎は線路の北側にある。駅のすぐ東側に鶴ヶ島市との境界があり、日高市との境界も駅南西400mほどのところにある。駅の西側にはかつて鎌倉街道上道が通っていた遺構が残っている。(Wikipedia


# by Twalking | 2017-12-16 16:26 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 坂戸駅   

d0183387_14004881.jpg

東武東上線坂戸駅
ここで左側の越生線に乗り換え、
多摩からはけっこう遠いですね・・・
のんびりといきましょうか。


坂戸駅
坂戸市日の出町にある東武鉄道の駅である。東上本線と越生線が乗り入れており、越生線の起点となっている。島式ホーム24線を有する地上駅で橋上駅舎を持つ。ホームは1面を東上本線が使用しもう1面を越生線が使用している。東上本線と越生線との間の乗り換えは駅舎併設の跨線橋と若葉寄りの跨線橋を経由する。(Wikipedia

# by Twalking | 2017-12-16 14:07 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 鶴ヶ島駅   

d0183387_20260068.jpg

東武東上線鶴ヶ島駅/鶴ヶ島市
つられて降りちゃったけど、違うみたい??
あ、坂戸だった、行っちゃったな~・・・、
土地勘がないので仕方ないですね、記念に一枚。


鶴ヶ島駅

埼玉県鶴ヶ島市大字上広谷にある東武東上線の駅、池袋-寄居間のほぼ中間に位置する。鶴ヶ島市と川越市との境界に位置し駅の北西が鶴ヶ島市、南東が川越市である。市名を駅名としており、市の代表駅であるが市中心部である脚折地区や市役所のある三ツ木・藤金地区からは離れており、市役所へは隣の若葉駅または2駅先の坂戸駅の方が近い。相対式22線を持つ地上駅で橋上駅舎を有している。(Wikipedia

# by Twalking | 2017-12-15 22:10 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり『高浜運河沿緑地』   

日時 2017.12.12(火)
天気 晴れ

天気がいいので品川から運河沿いを歩いてみました。
学生の頃、芝浦の倉庫街でバイトをしてましたが、
すっかり様変わりして、いい街になりましたね~。

天王洲は品川沖ですから歩いても近いですよ。
行き交う船やカモメが飛んで、海を感じられる
お手頃な散歩コース、「シーサイド」はいいですね!



・・・港南/港区


港区南部の東京港に面した沿岸に位置する。ほぼ全域が埋立地であり「隅田川口改良計画」の東京湾埋立3号地、「東京港修築事業計画」の埋立9号地、品川埠頭埋立地からなる。北で芝浦および海岸、南で品川区北品川および東品川、西で高輪、東で東京港を挟んで対岸に台場と隣接する。嘉永
61853)ペリー来航により危機感を抱いた江戸幕府が、江戸防衛のため現在の港南にあたる地区に台場(品海砲台)を建設する。1912年(明治45年)隅田川口改良工事が始まり、そのとき浚渫された土砂を使って芝浦一帯(現在の港南)の埋め立てが開始される。1933年(昭和8年)高輪海岸埋立地高浜町が起立され東京市芝区の所属となる。Wikipedia



d0183387_23154425.jpg
インターシティーの高層ビル群、再開発ですっかり変わりましたね/品川駅港南口

d0183387_23160514.jpg
御楯橋方向の景観です。高浜運河の両岸には遊歩道が付いています/楽水橋

d0183387_23222464.jpg
楽水橋から旧東海道の北品川宿は近いですよ/遊歩道

d0183387_23161880.jpg
d0183387_23162254.jpg
右岸のモニュメント                モニュメントから覗いてみました


・・・東品川
(ひがししながわ)/品川区

品川区東部に位置する。北部は港区港南に、東京港になり品川区東八潮になる。南東部一体は京浜運河に接し八潮になる。東品川は旧来の陸地と新興の埋立地からなっており住宅、オフィスビル、港湾関連の施設、工場、商店などが見られる。東品川二丁目天王洲アイルと呼ばれており1990年代以降、先端的なオフィスビルが次々と登場した区域として知られる。東品川五丁目は北部の港区港南とともに品川ふ頭の一角を担っているところで港湾関連の施設や発電所が見られる
。(Wikipedia

d0183387_23440514.jpg
天王洲運河が区界、前方はかつては旧目黒川の河口だった所です/天王洲橋



・・・天王洲アイル/品川区

東品川
東品川二丁目に東京モノレール羽田空港線・東京臨海高速鉄道りんかい線の天王洲アイル駅がある。シーフォートスクエアの北半分にあたるシーフォートタワー付近は、江戸時代末期に江戸防衛のため築造された第四台場の跡である。また、ボードウォークの護岸は旧第四台場石垣を再利用したものである。天王洲は海中の土砂が堆積してできたで、1751年(宝暦元年)江戸前の海であった頃に、船人が牛頭天王の面をこの海域から引き上げたという。この面は南品川の天王祭において神輿の屋根につける「神面」となっているが、この謂れが「天王洲」の地名の由来となっている。また、アイル(isle)とは英語で「」を意味する言葉で、この地が東京湾のウオーターフロントの良き景観に恵まれたロケーションであるためこの名前がつけられた。1925年(大正14年)から埋立が始まり1939年(昭和14年)に完成。第四台場は埋もれ品川と陸続きとなり埋立地は工場や倉庫の用地として利用が始まるWikipedia

d0183387_23384716.jpg
天王洲ふれあい橋を渡ると天王洲アイルになります


d0183387_23351076.jpg
遊覧船の船着場があります、奥が天王洲水門&天王洲橋です/天王洲運河

d0183387_11080120.jpg
d0183387_11083476.jpg
首都高羽田線                       りんかい鉄道天応洲アイル駅

d0183387_11014826.jpg
運河沿いのテラスでランチ&おしゃべりもいいですね~

d0183387_11035796.jpg
waterline(ウォーターライン)
天王洲アイルにある水上ラウンジである。現在はT.Y.HARBOR River Loungeに改称している。東京都では初となる民間による水上利用の開発プロジェクトとして2006年に完成した。内部は併設するレストラン(TYハーバーブルワリー)とあわせてラウンジ船となり、レストラン内で醸造された天王洲エールを飲むこともできる。また、隣接する天王洲ふれあい橋とあわせてドラマのロケ現場やイベント会場となることも多い。Wikipedia)
d0183387_11154917.png
港区ベイエリア 安心お散歩カナルコース


・・・・・
資料ファイル

d0183387_11472253.png
左が明治39年、右が現在の品川沖です(今昔マップ/埼玉大学教育学部・谷謙二氏を参照)
(赤:旧東海道 緑:中原街道 青:目黒川 赤丸:第四台場・第六台場)

明治維新後の品川 
嘉永6(1853)のペリー来航後、黒船を迎え撃つために急遽築造された品川台場(品川砲台)は、海上に浮かぶ第一から第七までの7でしたが、第四第七の台場は未完成のままであり、なかでも第七は海面を埋め立てただけでした。他に陸続きの台場「御殿山下砲台」が造られました。しかし、幕府の開国政策によって、完成した台場の大砲を使うことなく終わったことは、江戸庶民だけでなく品川宿周辺の村々にとっても幸運なことでした。明治維新後の品川台場は明治6(1873)に第一師団の中に設けられた海岸砲隊が管理にあたり、同8(1875)以降大正3(1914)までは陸軍省が管轄していました。第四台場は維新後に払い下げられ大正元年(1873)には東京府から緒明菊三郎に払い下げられて造船所となりました。陸軍省によって管理されていた品川台場は大正3年、4年の2回にわたって処分され、第三、第六台場は大正4(1915)74日に東京市に払い下げられ、同13(1924)に東京府によって史跡に仮指定され、同15(1926)1020日に史跡名勝天然紀念物保存法によって国の史跡に指定されています。このうち第三台場は関東大震災によって破壊されたため復旧工事が行われ台場公園として一般に公開していますが、第六台場原型を残していたため貴重な史跡として保存されています。その後、東京湾に浮かぶこれら六つの人工島は、史跡として指定された二つの台場を残し埋立地に埋没したり航路の支障になるということで撤去されたりしてきました。第四台場は大正14(1925)に埋め立てがはじまった旧天王洲町(東品川二丁目)の北側につながって陸続きとなり昭和30(1955)に港区から品川区に編入されています。第一、第五台場は品川埠頭の埋め立てで昭和37(1962)に撤去埋没してしまいました。第二台場は東京港整備の一環として昭和37年末に海上からその姿を消したのです。(品川区教育委員会)

d0183387_11560944.jpg
歌川広重『名所江戸百景』

地域内の往時の様子。画中の神社は現在の利田(かがた)神社(東品川)。手前の水路(当時の目黒川河口)は今では一部を除いて道路になり、背後の海も一部水路を除いて沖まで埋め立てられている。左下の遊郭は有名な相模土蔵を描いたものだともいう。Wikipedia

品川猟師町(旧目黒川河口)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/25840234/


# by Twalking | 2017-12-15 19:13 | 東京散歩(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 天王洲アイル駅   

d0183387_23304234.jpg

りんかい線天王洲アイル駅/品川区東品川
電車ですと新宿から直行なので
ここまでは意外と近いでんすね。
品川から運河沿いに歩くのもお勧めですよ~。


天王洲アイル駅

品川区東品川二丁目にある東京モノレール・東京臨海高速鉄道の駅である。りんかい線は島式ホーム12線を有する地下駅でホームの東京テレポート寄りは大きくカーブしている。当初、りんかい線は東京テレポート-大崎間の一括開業を予定していたが、当駅から大崎までの工事が大幅に遅れたため20013月に当駅まで先行開業した。当駅が設置される前は雑多な倉庫が並ぶ地区だったが三菱商事、第一ホテル(現・阪急ホテルマネジメント)、宇部興産による再開発事業「シーフォートスクエア」のオープンに伴い、駅を設置することになった。東京モノレールの駅自体がJTBビル(当時のUBEビル)内に設置されている。再開発完了後も周辺には倉庫などがありオフィスビルへの通勤客の他にも周囲の倉庫や品川埠頭への倉庫・通関地区への通勤客も利用する。(Wikipedia



# by Twalking | 2017-12-14 23:45 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 特急『小江戸』   

d0183387_21034730.jpg

特急『小江戸』
西武新宿線本川越駅/川越市新富町
お~、かっこいい!
やっぱり川越にはお似合いかな、
いずれじっくりと歩いてみたい街です。


小江戸

西武鉄道が西武新宿駅-本川越駅間を西武新宿線経由で運転する特急列車の名称。2011年現在は南入曽車両基地所属の「ニューレッドアロー」10000系電車によって運転されている。愛称の「小江戸」は、江戸時代は旧武蔵国であった埼玉県川越市の「江戸の文化が真っ先に伝わる繁栄した町」および「江戸時代の町並みを残す町」という意味合いな比喩的表現に由来する。(Wikipedia



# by Twalking | 2017-12-14 21:30 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 アロエ   

d0183387_19580838.jpg

高浜運河沿緑地/港区港南
アロエでしょうか??
冬の陽ざしに輝いて、美しいこと、
公園の下段に咲いてました。


アロエ

ツルボラン亜科アロエ属の多肉植物の総称。現在までに500種以上が知られている。南アフリカ共和国からアラビア半島まで広く分布するが、とりわけアフリカ大陸南部およびマダガスカル島に集中し分布する。古くはアロエの「ロエ」を漢字で音訳(当て字)した「蘆薈」の読みを変えた「ろかい」と称した。日本には鎌倉時代に伝来したとされ、現在はキダチアロエが九州、瀬戸内海、伊豆半島、房総半島などの海岸に逸出し帰化している。葉はふつう肉厚でロゼット状であるがしばしば扇状であったり肉厚が薄いものも存在し、CAM型光合成を行う。花被は6弁が合着し管状で朱色ないし黄色。雌蕊1つに対して雄蕊は6つある。花序は総状花序で花茎は数cm1mに伸びる。(Wikipedia


# by Twalking | 2017-12-13 22:37 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 『平山広一 x SLOW HOUSE ART Exhibition... - TSUNAGARI 』   

日時 2017.12.12(火)
天気 晴れ


息子の作品展示を見に出かけてきました。
北欧家具のお洒落なお店ですね~、
いろんな商品に囲まれて展示されています。

「小人が20人いるんだよ」
よくみると、ちょこんといますね・・・
この子たちがみなさんを繋げてくれますよ~。

お昼はお隣のSOHOLM」でランチ、
ここ、美味しいですよ!
久し振りで家族で寛いだひと時を過ごしました。
どうも、ありがとう~。


・・・

d0183387_14034842.jpg
展示風景

d0183387_14054446.jpg
d0183387_14053019.jpg
作品①                         作品②

d0183387_17114717.png


・・・小人たち

d0183387_14151897.jpg
可愛い小人たちがみなさんを繋げてくれますよ~

d0183387_13515418.jpg

d0183387_13520368.jpg

d0183387_13514619.jpg


・・・・店内

d0183387_14215338.jpg
作者に説明してもらいながら見て廻りました

d0183387_14275582.jpg
d0183387_14275983.jpg
d0183387_14555609.jpg
テラス風景



・・・・・・

d0183387_17134808.png


平山広一 x SLOW HOUSE ART Exhibition... - TSUNAGARI

期間:2017.11.23 thu - 12.25 mon.
時間:11:00~20:00
会場:スローハウス天王洲
   住所:東京都品川区東品川2-1-3 問合:03-5495-9471
   (りんかい線、東京モノレール・天王洲アイル駅より徒歩約5分)
   http://tokyo.slow-house.com/

# by Twalking | 2017-12-13 19:53 | さんぽみち

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 雲鷹丸   

d0183387_22413961.jpg

雲鷹丸/東京海洋大学(港区港南)
3本マストの帆船、かっこいい!
世界の海を航海して来たんですね~
お疲れさま~。


雲鷹丸
(うんようまる)
日本の船舶であり、漁業練習船および漁業調査船として使用された3本マストの帆船である。1909年(明治42年)5月から1929年(昭和4年)8月まで20年間にわたり33回の航海を行うとともに、捕鯨実習をはじめ漁業調査、学生実習、漁撈技術・漁具開発等に貢献をし、漁獲物処理では船上でのカニ缶詰製造に成功し、後の大型蟹工船の先駆けとなった。1962年(昭和37年)に東京海洋大学品川キャンパスに移設され、1998年(平成10年)に国の登録有形文化財として登録された。建造当時一世を風靡し世界の海を駆け巡ったパーク型米国式捕鯨船を型どった船であり、この型としては現存する最後の一隻である。国産鋼製船舶としては現存最古である。(Wikipedia

# by Twalking | 2017-12-12 22:51 | ○石像&モニュメント

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

d0183387_20330762.jpg

『TSUNAGARI』
スローハウス/天王洲アイル(品川区)
ほのぼのとした作品ですね・・・、
ほっこりします。

# by Twalking | 2017-12-12 20:37 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 さざんか   

d0183387_21240552.jpg

さざんか/豊ヶ丘南公園
う~ん、眩いばかり・・・
純白のさざんか、美しいですね!

# by Twalking | 2017-12-11 21:28 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 つつじが丘駅   

d0183387_11160688.jpg

京王線つつじが丘駅/調布市
各駅から快速に乗り換え、帰りは早い方がいいですよね~。
北は深大寺、南は成城学園行のバスが出ています。
国分寺崖線に沿った「野川緑道」がいいですよ~!


つつじヶ丘駅
調布市西つつじヶ丘三丁目にある京王電鉄京王線の駅である。島式ホーム24線ホームを有する。京王八王子方面に引き上げ線1線があり新宿方面への始発・終着列車も設定されている。元々の駅名である「金子」はのちに合併して神代村を構成する「金子村」(のちの調布市金子町)から発している。現在の駅名の「つつじヶ丘」は京王帝都電鉄による宅地開発の計画名称が「つつじヶ丘」であったことと、当時の国鉄八高線に金子駅があり連絡運輸の取扱上混同する虞があったことから改称された。(Wikipedia


# by Twalking | 2017-12-11 11:24 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02   

d0183387_22245088.jpg


奈良ばい谷戸/町田市小野路
谷を伝う風にゆらゆらと
青空に映えて美しいですね~!


ススキ
(芒、薄)

イネ科ススキ属の植物。尾花ともいい秋の七草の一つ。また茅(かや。「」とも書く)と呼ばれる有用植物の主要な一種。 野原に生息し、ごく普通に見られる多年生草本である。高さは1から2m。地下には短いがしっかりした地下茎がある。そこから多数の花茎を立てる。葉は細長く根出葉と稈からの葉が多数つく。また、ケイ酸を多く含むため堅く、縁は鋭い鉤状になっているため皮膚が傷つくことがある。夏から秋にかけて茎の先端に長さ20から30cm程度の十数本に分かれた花穂をつける。花穂は赤っぽい色をしているが、種子(正しくは穎果・えいか)には白い毛が生えて穂全体が白っぽくなる。種子は風によって飛ぶことができる
Wikipedia

# by Twalking | 2017-12-10 22:30 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 鎌倉裏街道   

d0183387_19170026.jpg

鎌倉裏街道/一本杉公園(多摩市南野)
南野から小野路への下り坂、
「よこやまの道」の公園園路にあたりますが、
「愛宕切通」を抜け関戸へ向かう裏道です。


# by Twalking | 2017-12-10 19:33 | ○たま-2017

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 VITAの富士   

d0183387_19115240.jpg

VITA市民ラウンジ/関戸公民館(多摩市関戸)
西陽が落ちて富士の姿がくっきり、
頭だけですが、なかなかの眺めです。
帝京大の校舎、ちょっとお邪魔かな・・・。

# by Twalking | 2017-12-09 19:31 | ○たま-2017

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 多磨のもみじ03   

d0183387_15092599.jpg

ロケット公園/多摩市愛宕
小春日和のいいお天気、
気持のいい朝ですね~。

# by Twalking | 2017-12-09 15:10 | ○たま-2017

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 玉川上水リバーサイド(中流域-02)三鷹~下高井戸   

日時 2017.12.2
天気 晴れ

東京Wで井の頭公園まできましたので
帰りがてら桜上水辺りまで歩いてみました。

井の頭公園は、三鷹に住んでいた頃は散歩道、
世田谷に戻ってからは子供と一緒にサイクリング
思い出の一杯詰まった懐かしい緑道です。

久し振りに歩きましたが紅葉もまだ盛りでしたし、
玉川上水の跡も見応え十分、面白かったです。
ついでに高井戸宿もちょっと寄ってみました。


・・・下連雀
/三鷹市


三鷹市の北部に位置する。北部は武蔵野市御殿山、同市中町、西部は上連雀、南部は野崎、新川、東部は牟礼にそれぞれ接する。武蔵野台地にあり玉川上水の流れに接している。名は1657年(明暦3年)1月の明暦の大火による神田連雀町(現在の千代田区神田須田町・神田淡路町付近)の被災者の移住地として1658年(万治元年)に神田連雀新田として開墾されたことに由来する。「連雀」とは小板を使った背負子(しょいこ)のことで、江戸神田のその職人仲間が住んでいた町を連雀町と呼んでいたことが連雀の名の由来とする説もある。1700年前後に新田開発の進捗とともに、連雀新田が連雀村と称され、京都(朝廷)に近い方を「上」と称し、江戸方に近い方を「下」と称す慣習により上連雀村に対して下連雀村となった
。(Wikipedia

d0183387_18391613.jpg
上水はJRの下を潜って井の頭公園へ続きます/三鷹橋(風の散歩道/三鷹駅)

d0183387_18420911.jpg
国指定史跡玉川上水/三鷹橋
江戸・東京の水道に果たした役割玉川上水は羽村取水口から四谷大木戸までの約43kmにわたる水路で、承応31654)年に完成しました。これにより多摩川の水が江戸市中の広い範囲に供給されることになり江戸が大きく発展することが出来ました。その後、明治31年(1898)年に完成した淀橋浄水場(今の新宿区)への水路として昭和401965)年に同浄水場が廃止されるまで利用されていました。現在も羽村取水口から小平監視所までは現役の水道用の水路として都民の生活を支えています。

d0183387_18402397.png
貴重な土木施設・遺構としての歴史的価値
玉川上水は約43kmの区間を焼く92cmの標高差(100mでわずか約21cmの高低差)を利用して水を流すように設計された長大な土木設計・遺構です。特に小平監視所から浅間橋までの中流部には開削当時の素掘りの水路・法面が多く残され、往時の姿を今日に伝えています。玉川上水は近世の水利技術を知る上で重要な土木施設・遺構であることから平成152003)年、開渠区間約30kmが国の史跡に指定されました。(説明板)


d0183387_18450808.jpg
風の散歩道
玉川上水沿いの道(都市計画道路3413号線、三鷹駅万助橋区間)は、以前は幅員が5m程度しかなく快適な道路空間とは程遠いものでした。市では市民のみなさんと話し合いを続けご協力をいただきながら用地の取得を進めて平成6年度に築造工事に着手しました。約8年をかけて今回完成した道路は幅員が10mに広がり玉川上水沿いに1.5mの散歩道を、住宅側には3.5mの歩道を設けています。整備にあたっては江戸時代の貴重な歴史的遺構である玉川上水に配慮し、全体として落ち着きのある高品質の道路づくりをめざしました。歩道は天然の御影石を使ったブロック舗装、照明灯や車止めは色調をこげ茶色に統一し、桜や若葉の季節には玉川上水の樹木をライトアップする装置も設けています。道沿いには歴史的、文化的に貴重な文化財や施設も数多くあります。三鷹のシンボルともいえるこの道の完成を記念し「愛称名」を公募しました。愛称名募集には文化財や玉川上水にちなんだものや山本有三や太宰治などゆかりの文学者をイメージしたもの、三鷹の森ジブリ美術館(三鷹市立アニメーション美術館)に関連したものなど614通、総数1002件もの作品が集まりました。応募者のみなさんの説明文に散歩道としての素晴らしさを綴ったものが多く、この道にふさわしい新しい感覚を持つ呼びやすい名であることから「風の散歩道」が選ばれました。(三鷹市)

d0183387_19162473.png
太宰修碑
『四月なかばひるごろの事である。頭を挙げてみると、玉川上水は深くゆるゆると流れて両岸の桜はもう葉桜になっていて、真青に茂り合い青い枝葉が両側から覆いかぶさり青葉のトンネルのようである。・・・』(太宰治「乞食学生」より)


d0183387_18551169.jpg
むらさき橋
この橋は三鷹市と武蔵野市を結ぶ都市計画街路の一部として両市により昭和3011月に建設されました。現在の橋は平成103月に旧橋の老朽化に伴い架け替えられたものです。橋名は旧橋完成の際両市民の公募により応募総数594通の中から選定されました。橋名のいわれは「古今和歌集」より『紫の ひともとゆへに 武蔵野の 草はみなから あはれとぞ見る』(巻第17 雑歌より よみ人しらず)とあるように、昔はこのあたり一面に咲きほこっていた紫草で染め上げた「むらさき染め」にちなんで命名されたものです。(三鷹市・武蔵野市)

d0183387_19082852.jpg
中を見学したかったですが「長期休館中」でした/山本雄三記念館

d0183387_19123678.jpg
建物
大正末期に建てられた洋風の住宅で、当時流行していたフランスの建築家・フランク・ロイド・ライトに影響された意匠が取り入れられ、様々な建築様式が融合している。個性的な意匠を施された3つの暖炉や、自然風に大谷石が積み上げられた煙突が見所である。希少な建築物として1994年(平成6年)に三鷹市有形文化財に指定された。建物の南側には有三記念公園があり四季折々の緑と花を見る事ができる。
Wikipedia


d0183387_19124369.jpg
名作を記念する『路傍の石』
小説「路傍の石」執筆当時の昭和12年、有三は中野旧陸軍電信隊付近の道端でこの大きな石を見つけ、この家の裏庭に運び込んだと伝えられています。この石は作品の名に因みいつしか「路傍の石」と呼ばれ親しまれるようになり、その後東京都に寄付された山本邸から昭和33年有三青少年文庫として開設された時に現在の位置に移されました。山本有三記念館の開館にあたり、有三の名作「路傍の石」を記念するものとしてこの石の由来を記します。(三鷹市)


・・・井の頭
(いのかしら)/三鷹市

三鷹市の北部に位置する。「井の頭公園」の名で知られる井の頭恩賜公園が地域内にあり地域の多くは閑静な住宅街からなる。歴史的には井の頭の池を中心に古くから集落の形成が見られ、江戸時代は鷹狩場もあった。1965年(昭和40年)にそれまでの牟礼から独立し井の頭として住居表示を実施。井の頭の名は德川家光が鷹狩りに訪れ、湧水がほとばしるように出ているのを見て「井の頭」と命名したとされている。神田川源泉であり江戸市民の行楽地として親しまれてきた井の頭池の歴史にちなんでいる。Wikipedia


d0183387_21314927.jpg
玉川上水の風景① 井の頭公園の森の中を流れます、紅葉が見事です/万助橋


d0183387_21444851.jpg
萬助橋/吉祥寺通り
玉川上水に架かる橋のひとつ、三鷹市下連雀1丁目・2丁目と武蔵野市御殿山1丁目の境に架かっている橋で、吉祥寺通り(都道114号武蔵野狛江線)を通す。橋長は16.5m、幅員は16.8m。橋名はその創架した人物の名前に由来する。安政年間に下連雀村地主であった渡邉萬助が、近く大盛寺境内の杉の木をふたつに割って架けたものだったという。また明治時代に編纂された「下連雀村皇国地誌書上」には、当時の橋が長さ23尺、幅9尺の木橋であったとの記述がみられる。ちなみに「萬助」とは渡邉家の世襲名で8代目の渡邉萬助は第2代三鷹市長を務めた。現在の大きさの橋に改架されたのは19633月。その橋も老朽化のため、19948月に架け替えられている。Wikipedia

d0183387_21525004.jpg
井の頭恩賜公園
武蔵野市と三鷹市にまたがる都立公園である。1917年(大正6年)開園。三宝字池(石神井公園)・善福寺池と並び武蔵野三大湧水池として知られる井の頭池を中心とした公園である。井の頭公園はその中心に井の頭池(約43,0002)を擁している。井の頭池は北西-南東方向に延びる細長い形の池であり、北西端は二つに分かれ、南東端からは井の頭池を源とする神田川が流出している。井の頭池の西側には御殿山の雑木林があり、吉祥寺通りを挟んで井の頭自然文化園が位置している。雑木林の南側には玉川上水が東南方向に流れ、そのさらに南には「西園」が位置している。この西園には400mトラックと三鷹の森ジブリ美術館、玉川上水の下流側の脇には小さな広場のある「東園」がある。Wikipedia

d0183387_21492696.jpg
三鷹の森ジブリ美術館三鷹市
にある三鷹市立のアニメーション美術館。式名称は三鷹市立アニメーション美術館。設計者は日本設計。宮崎駿による断面スケッチを元にデザインされた。2001年に開館した美術館の運営と2007年から三鷹の森ジブリ美術館ライブラリーとして世界のアニメーション映画の配給やテレビ放送を行っているWikipedia

d0183387_22120403.jpg
d0183387_22121049.jpg
新橋                 井の頭橋

d0183387_20093377.jpg
玉川上水のの風景② 右岸は左岸より小高く、雑木林が続きます/法政大高裏

神田川(井の頭)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/24056043/


・・・牟礼
/三鷹市

三鷹市の東部に位置する。武蔵野台地にあり地域は玉川上水の流れに接している。北部は井の頭に、西部は下連雀に、南部は北野、新川、世田谷区北烏山に、東部は杉並区久我山に接する。歴史的には北多摩郡牟礼村であり、隣接する井の頭にも含まれる部分があった。その後三鷹村を経て三鷹市に編入されて現在に至る。
Wikipedia

d0183387_20185579.jpg
牟礼神明社鳥居/牟礼

d0183387_20190131.jpg
牟礼神明社
天照皇大 神合祀:倉稲魂命この神明社は牟礼の開祖・北條常陸之介康種(牟礼の開村は天正18年・西暦1590年)の父・北條治部少輔綱種(本氏高橋将監種政、北條早雲に養育され軍師多目氏に従学し伊豆韮山城に住んだ。北條左京大夫氏綱の時、大道寺方に配属され江戸城を攻略した。戦功あって御猶子に准ぜられ家号を賜い、北條常陸之介綱種と改め相州甘縄の城代となる。北條氏康の命あって治部少輔と進んで武蔵国の鎮衛の司として江戸城主となる)大永4年正月上杉修理大夫朝興を攻略した。上杉氏は河越に敗走、天文64月河越城に没した。五郎朝定は父の遺志を継いで江戸城を復さんと図る。天文67月老臣難波田弾正を以って深大寺城に出陣。主命あって綱種は江戸城を進発し深大寺城に対峙して砦を築く。天文61115五日(1537)綱種は陣内鎮護のために飯倉神明社の御分霊を勧請し高番山(現在地)に祀る。合祀された稲荷神社は往年村人の結衆に依って稲荷山(高山)に祀られていた。明治元年太政官布告神仏判然令に基き、氏子の総意によって合殿された。以上が牟礼の鎮守と崇められて今日に至るを略記する。(牟礼郷土史研究会)(境内掲示板)

石燈籠(巳待講)
井の頭辨財天への道標を兼ねて牟礼村の巳待講が建てた常夜灯である。以前は高井戸から連雀への道と井の頭道の分岐する角(現在の牟礼2丁目交差点付近)にあった。幕末期、嘉永3年(1850)の建立であり、竜の浮彫は見事である。寄進者名に江戸講中の人名があることから江戸市中の信仰が厚かったと思われる。(三鷹市教育委員会)

d0183387_23301536.jpg
玉川上水の風景③ 川辺のモミジが綺麗に紅葉しています/長兵衛橋

d0183387_23361224.jpg
玉川上水の風景④ 人見街道を横断、この先は杉並区になります/牟礼橋

d0183387_23394306.jpg
d0183387_23401396.jpg

どんどん橋             どんどん橋道標&石橋供養塔(宝暦7年) 

どんどん橋/人見街道

三鷹市と杉並区の境を流れる玉川上水にかかる橋で、変わった名前は「橋の上を歩くとドンドンという音がしたから」とも「橋の下を水がどんどん流れていたから」ともいわれています。(三鷹市)

d0183387_23482090.png
蛇行する玉川上水
井之頭公園からどんどん橋付近にかけては直線が多い他の区間に比べて蛇行する箇所が多くなっています。これはこの地域が入り組んだ複雑な地形をしており、その中で少しでも高い地点を選んで水路を引いたためです。このことからも玉川上水がわずかな高低差を利用して水が流れるよう設計されていることがわかります。(東京都水道局)


d0183387_23515399.jpg
人見街道
府中市八幡と杉並区大宮の大宮八幡宮を結ぶ古くからの街道である。別名「大宮街道」「下総街道」「府中道」「八幡通り」。人見街道の名は、江戸以前にあった「人見村」を通る道であった事に由来するもので地名に「小人見」の名称がある。さらに、北にある浅間山の別名が人見山である。一説には浅間山の別名人見山(小高い丘から敵の情勢を見る意味)からとも。Wikipedia

大宮八幡宮(善福寺川)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/24090782/


・・・久我山
/杉並区

町域内を
神田川玉川上水が流れその両岸にあたる。玉川上水には上水を挟んで両側に未舗装の土の遊歩道が見られ、上水の水と緑とあいまって区部有数の貴重な武蔵野の原風景を形成しているが、東京都がすすめる大規模な放射5号線道路計画の対象となっている。また、当地域内を人見街道が横断している。
くが」とは空閑地や陸地のことであり、武蔵野の新開地の意と推測される。古くは久ケ山とも。江戸時代から1889年までは江戸幕府領久我山村であった。文化文政時代は64戸、水利は玉川上水、鎮守神は久我山稲荷神社であったWikipedia

d0183387_00075405.jpg
玉川上水の風景⑤ 左岸は放射5号線の工事中ですが両側に緑道が続きます/牟礼橋

d0183387_00081195.jpg
d0183387_00082475.jpg
岩崎橋                中央道の先は暗渠になります/浅間橋

d0183387_23202149.png
玉川上水緑道マップ(三鷹橋~浅間橋)


・・・高井戸/杉並区


杉並区の最南部に位置する地域。現在の町名では上高井戸、高井戸西、高井戸東、下高井戸の4
地域に分かれる。京王井の頭線富士見ヶ丘駅から京王線下高井戸駅、八幡山駅の範囲の地域である。
地名の由来については諸説あるが、かつて村内の小高い所にあった堂の傍らから水が湧き出ていて、高いところから出ていた井戸なので「高井戸」と呼ばれたという説と地域内の宗源寺にある高井戸不動が江戸時代までは高台に祀られていて「高いお堂の不動様」と呼ばれるようになり「高井堂不動」という名が生まれた。そこから高井戸の名が生まれたという説などがある。実際には高低や井戸とは無関係でありかつて高井家が代々宮司を務める神宮司があり、目印となるお堂に「不動様」が祀られていたことから通称「たかいどう」と呼ばれ、周辺を指す地名で使われるうち転じて「たかいど」となる。跡地は団地となっているが高井家15代までの墓が残されているWikipedia


d0183387_23255906.jpg
玉川上水の風景⑤ 浅間橋からは暗渠となり、中央道の下を流れています/環八交差点

d0183387_00120901.jpg
d0183387_00120577.jpg
中央道下               20号手前から明大前まで緑道が続きます

・・・
高井戸宿

かつて甲州街道にあった上高井戸宿および下高井戸宿の合宿。現在の杉並区高井戸にあった。通行大名が少なく脇本陣は置かれなかった。当初は、甲州街道の一番目の宿場であったが、後に内藤新宿が設置され、次第に素通りするものが多くなった。周辺住民は農業を主としており、一宿で継ぎ立てを勤められず月初から15日までを下高井戸宿、16日から月末までを上高井戸宿が勤める合宿としていた。
下高井戸宿:日本橋から4里。宗源寺(下高井戸4-2-3)の左隣の「富よし」に本陣が置かれた。本陣前が高札場、本陣向かい側の少し日本橋寄りが問屋(細淵家)跡となる。

上高井戸宿:日本橋から41240間。上高井戸一丁目信号(環八通りとの交点)の北東角にあった並木氏の「武蔵屋」に本陣が置かれた。問屋は篠弥惣治。Wikipedia

d0183387_00264722.jpg
かつての下高井戸宿の中心部ですが、面影はありません/宗源寺門前

d0183387_00265425.jpg

宗源寺
叡昌山宗源寺は十界諸尊を本尊とする日蓮系の寺です。当寺の壇家であった有名な地理学者志賀重昂が記した「宗源寺開基碑」によると、当寺開山光伯院日善の祖先は畠山重忠の一族江戸遠江守太郎判官重永で甲斐国(山梨県)吉田郷に住した吉田宗利であり、宗利が法華宗に帰依して法名宗源」と称したのにちなみ、末孫の日善がこの地に一寺を開いて寺名としたと伝えます。そしてその時期は慶長(1596-1614)初年の頃とされています。境内の不動堂はもとこの近くにあった修験道の本覚院(明治5年廃寺)のものでしたが、明治44年に現在地に移し、昭和42年に改築したものです。なお、この不動堂はかつて高台にあったため「高井堂」と呼ばれそれが高井戸という地名の起源になったとする説もあります。当寺蔵の文化財としては、南北朝初期の板碑や滝沢求馬(1713没)の筆になる釈迦涅槃図が保存されています。(杉並区教育委員会)

d0183387_00283418.jpg
覚蔵寺/下高井戸
清月山覚蔵寺は日蓮宗の寺で本尊は十界曼荼羅・宗祖日蓮聖人像です。当寺はもと真言宗の寺でしたが、慶長年間(1596-1614)に日蓮宗に改宗、中興開山は実成院日相と伝えられています。当寺に安置されている鬼子母神像日蓮聖人の直刻と伝えられています。このことは「江戸名所図会」にも記載されているもので、丈永8年(1271)聖人が龍ノロ法難にあわれる前、馬に乗せられ鎌倉の町を引きまわされて刑場に向う途中、一老女からごまのぼた餅を供養され、そのお礼として手渡したものであるといわれています。この像は江戸時代の中頃に鎌倉の妙法寺から当寺に安置され、それ以降開運鬼子母神として人々の信仰を集めるようになり、寺運も大いに栄えたといわれています。境内の日蓮聖人五百遠忌塔は天明元年(1781)頃に建立されたもので、昭和56年(1981)は聖人七百遠忌の年にあたりそれを記念して銅像を建立しています。また、開山日相聖人塔は三百五十遠忌の年(昭和41年)に建立されたものです。なお、当寺は大本山池上本門寺の末で、現本堂は昭和31年に改築されたものです。(杉並区教育委員会)


d0183387_00290136.jpg
甲州道中一里塚跡
江戸時代、五街道のひとつであった甲州道中(街道)は江戸日本橋を基点とし内藤新宿、高井戸、府中、八王子、甲府を経て上諏訪に至り、つぎの下諏訪で中山道に合するようになっていました。この街道を利用した諸大名は信州高島藩、同高遠藩、同飯田藩の三藩でした。また甲府には江戸幕府の甲府勤番がおり幕府諸役人の往来もありました。この場所の前方、高速道路下に日本橋から数えて4里目(約16km)を示す「一里塚」がありました。当時の旅人はこの「一里塚」を見て道程を知り駄賃などの支払いをしました。塚は五間(約9m)四方、高さ1丈(約3m)を基準として土を盛り上げて築き、榎を植えてありました。(杉並区教育委員会

d0183387_00545221.jpg
玉川上水緑道ルートマップ(三鷹~高井戸)


神田川(久我山・高井戸)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/24061274/



・・・・・・・
資料ファイル

江戸東京博物館(江戸上水関連)

d0183387_23365671.png
玉川上水ジオラマ/
江戸東京博物館

d0183387_23384370.jpg
小金井橋と玉川上水
玉川上水は江戸の人口増加に対応するために新たに設置された上水で、1653年(承応2)から翌年にかけて玉川庄右衛門・清右衛門によって羽村から虎ノ門までが開削されたとされる。玉川上水の特徴はその測量技術であり、羽村から四谷大木戸までの開渠部分の距離約43kmに対し標高差約100mであった。これは100m流れて20cmほど下がるというもので測量技術の高さがうかがえる。小金井橋は開渠部の中流域にあたり、この一帯は水の便が悪く江戸中期までは大きな開墾は行われなかったが、玉川上水の生活用水としての分流が認められたことによりこの一帯が定住できる場所に変わっていったのである。開拓した時期に植えられたという上水沿いの桜並木は江戸後期になると桜の名所として江戸市中に知られた。(説明板)

d0183387_23410373.png
武蔵野小金井桜順道絵図(複製)/1851年(嘉永4以降)/江戸東京博物館

小金井周辺の玉川上水沿いに桜が植えられたのは享保期から元文期にかけての武蔵野新田が開発されたころとされるが、名所として知られるようになるのは寛文年間以降のことである。本図中には観光名所となった小金井周辺の名所、旧跡が記され、江戸や近隣からの里程、碑文なども載せられた一枚の観光案内図である。(説明板)

d0183387_23431088.png
江戸上水図/江戸中期(複製)/江戸東京博物館
江戸市内における上水道ごとの配水分布図を示した図。本所・深川地域に配水された本所上水を除いた五上水が記されている。図からは江戸の北部に神田上水が、南部に玉川上水が配されていたことがわかる。このうち玉川上水から分流する青山上水・三田上水・千川上水は1722年(享保7)に上水道としての使用を幕府により禁止された。(説明板)

d0183387_23445160.png
江戸府内上水分布図

江戸の上水道はおもに北部が神田上水を、南部が玉川上水の水を利用した。

玉川上水(上流域)はこちらへ(http://teione.exblog.jp/20693841/
玉川上水(中流域-1)はこちらへ(http://teione.exblog.jp/20674257/
玉川上水(下流域)はこちらへ(http://teione.exblog.jp/20780418/

# by Twalking | 2017-12-09 09:09 | リバーサイドウオーク(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 上北沢駅   

d0183387_17150986.jpg

京王線上北沢駅/世田谷区上北沢
20号の「鎌倉街道入口」を確認し、
「下高井戸宿」に戻りながら着いたのがこの駅。
車窓の風景は馴染みがありますが、乗るのは初めてです。


上北沢駅
世田谷区上北沢四丁目にある京王電鉄京王線の駅である。島式ホーム12線を有する地上駅だが、駅舎は地下にある。下り線が直線、上り線は曲線となっている。次の駅である八幡山駅とは600mしか離れていないため当駅から高架上にある八幡山駅ホームが見える。武蔵野台地の中で特にが多かった地域の流ということを受け「上北沢」と名づけられる。(Wikipedia

# by Twalking | 2017-12-08 17:21 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 豊ヶ丘スクールロード   

d0183387_18082294.jpg

豊ヶ丘スクールロード/多摩市豊ヶ丘
風は冷たいけど、いいお天気です。
だいぶ透けてきましたね・・・、
落葉を踏んでぶらりと、気持いいですね。

# by Twalking | 2017-12-07 19:18 | ○たま-2017

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ツキヌキニンドウ   

d0183387_18341181.jpg

愛宕下通り/多摩市愛宕
きみも黄葉するんだね~、ニンドウさん
風が冷たいから辛抱かな・・・、
がんばれ~!

# by Twalking | 2017-12-06 18:42 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 第6回『遊彩会水彩画展』   

日時 2017.12.5(火)
天気 晴れ


「続けること」て、難しいですよね。
みなさんに励まされて続けてきたんでしょか、
偉いな~、おふくろさん、頭が下がります。

年末恒例の『遊彩会』作品展、始まります。
丹精を込めて描いた53作、どれも力作ぞろい、
みなさんの個性がカンバスに滲みます。
よろしかったら、どうぞ、ご覧になってくださ~い。


d0183387_22371347.jpg
すべて手作りです/会場入口

d0183387_22375665.jpg

d0183387_23003722.jpg
d0183387_22421000.jpg
みなさん力を合わせて会場づくり、準備完了です

d0183387_12394185.jpg
ラウンジで一休み、富士も望めますよ~


・・・・

d0183387_22484109.png
作品-1 「一寸お澄ましの私たち」
お洒落な題名をつけましたね・・・、テーブルに花があると憩えますね。


d0183387_22490318.png
作品-2 「バラの季節」
バラのスケッチに行った時の作品でしょうか、ほんのりとします。


d0183387_22483033.png
作品-3 「紅葉の散歩道」
「そよかぜの道」のモミジバフウ、風景画は珍しいですが、お気に入りの場所なんですね~、きっと。



・・・・・・・・・・・・・・・

第6回『遊彩会 水彩画展』

会期  2017.12.6(水)~12.9(土)
    10:00~18:00(最終日は16:00まで)

会場  多摩市関戸公民館ギャラリー
    (京王線聖蹟桜ヶ丘駅西口 ビータ7階)

# by Twalking | 2017-12-06 12:50 | さんぽみち

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

d0183387_19334989.jpg

橋の風景-ゆうやけ歩道橋
八王子市別所
小春日和のいいお天気でしたね。
静かな夕暮れ、ここからの夕日、
いいですよ~!


# by Twalking | 2017-12-05 19:43 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 三鷹駅   

d0183387_10321781.jpg

中央線三鷹駅/三鷹市下連雀
三鷹に住んでいましたが、吉祥寺に出てましたので
ここはもっぱら休日の散歩コース。
玉川上水の緑と落ち着いた街並がいいですね!
楽しませてもらいました。


三鷹駅

三鷹市下連雀三丁目にあるJR東日本中央線の駅である。当駅に乗り入れている路線は中央本線のみであるが、一般列車の運転系統としては当駅以東(新宿駅方面)で急行線を走る特急列車と中央線快速電車および緩行線を走る中央・総武線各駅停車(地下鉄東西線直通列車を含む)が停車する。島式ホーム36線を有する地上駅であり橋上駅舎を有している。駅の真下には玉川上水が流れておりほぼこれに沿って三鷹市と武蔵野市の市境が走っている。(Wikipedia


# by Twalking | 2017-12-05 10:55 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

d0183387_10075447.jpg

池の風景-井の頭池
朝の井の頭池、美しいですね~・・・
光の加減でいろんな表情を見せてくれます。
ほんと癒されす、ありがとう~!

# by Twalking | 2017-12-04 21:18 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 狛犬-牟礼神明社   

d0183387_12574337.jpg
阿形


d0183387_12574705.jpg
吽形

牟礼神明社/三鷹市牟礼
いずれも子連れの獅子、
逞しいですね~、昭和8年の奉納、
なかなかの見応えです。

# by Twalking | 2017-12-04 18:35 | ○石像&モニュメント

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 聖蹟桜ヶ丘駅   

d0183387_18261797.jpg

京王線桜ヶ丘駅/多摩市関戸
多摩市の玄関口、「耳をすませば」のモデルになった駅です。
多摩線が開通する前は、ここからバスでニュータウンへでした。
今は多摩線を使うので余り乗降はしませんが、多摩川に面して
風光明媚な、いい駅ですよ~。


聖蹟桜ヶ丘駅

多摩市関戸一丁目にある京王電鉄京王線の駅である。相対式ホーム22線を有する高架駅であり、全ての営業列車が停車する。新宿-京王八王子間の特急運行開始時からの特急停車駅でもある。ホームは2階に改札口(東口と西口の2か所)および駅事務室は1階にある。中2階のコンコースが各ホームと両改札とを結んでいる。駅開設当時の「関戸」は駅所在地の地名から。現在の「聖蹟桜ヶ丘」は駅周辺が桜の名所であることに由来する地名「桜ヶ丘」(当駅南部)と、明治天皇の御狩場が連光寺付近にあったことに由来する「聖蹟」(天皇が行幸した土地のこと)を合わせたものである。(Wikipedia


# by Twalking | 2017-12-03 18:37 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 『TOKYOウォーク2017』-井の頭公園   

日時 2017.12.2(土)
天気 晴れ


『TOKYOウォーク』の手伝いに行ってきました。
温かな小春日和の好日、歩くには最適ですね。
沢山のウオーカーのみなさんが参加されました。

ここは子供の頃に住んでましたし、所帯をもって
6年間暮らした土地、思い出が一杯あります。
お子さんたちと一緒に落葉を踏んでわいわいと、
面白かったですね~、ありがとうございました。



・・・スターティング風景

d0183387_12174883.jpg
メイン会場(井の頭公園西園)


・・・ウオーキング風景

d0183387_12200032.jpg
さ~、がんばろうね~!一番最後に『子供ウオーク』スタートです/メイン会場


・・・井の頭公園

d0183387_12235767.jpg
武蔵野の森、この森でうちの子供たちも育ったんですね・・・/西園

d0183387_12272080.jpg
春は桜、秋は紅葉、四季折々の美しさがあります/ボート池

d0183387_12305567.jpg
いろいろな表情をみせてくれます/ひょうたん池

d0183387_12523934.jpg
落葉を踏んで湖畔の散策路を歩きます/井の頭池

d0183387_12544806.jpg
川としての神田川の源流ポイントです/水門橋

d0183387_12594053.png
『子供ウオーク』コースマップ(5km)

井の頭公園&神田川の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/24056043/

# by Twalking | 2017-12-03 14:55 | DogWarkig&セミナー(新規)