日光街道(1) 日本橋~千住宿
天気 曇り
まずまずの日和のなか、日光道中の初回がスタートしました。
日本橋、伝馬町、浅草橋、浅草寺、南千住とこの初回コースは
ひとつひとつの界隈をじっくりと見てみたいくらい名所・旧跡が
一杯のところです。
大伝馬町の問屋街を歩いてましたら“べったら市”に出会いました。
毎年10月19日・20日が宝田恵比寿神社の例祭なんだそうですが
門前にたくさんの露天が軒を連ねて朝から賑わってました。
有名なお祭りなんでご存知の方もおられましたが、
“聞いたことはあるけど、見るのは初めて・・・”なんですね。
グットタイミング!
“偶然の出会い”は街道歩きの面白さのひとつだと思います。
みなさん、如何だったでしょうか?
べったら漬け、美味かったですね!
べったら市/宝田恵比寿神社
駒形堂
浅草寺
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記録
人数 21名
歩数 21600歩
時間 5時間20分
行程
東京駅10:00・・・常盤公園10:25・・・一石橋・・・日本橋・・・十思公園(三縁の碑)・・・
関東郡代屋敷跡(WC)11:50・・・浅草見附・・・蔵前・・・駒方堂・・・浅草寺12:45(昼食)
13:45・・・待乳山聖天・・・山谷堀・・・小塚原処刑場跡・・・千住回向院15:40・・・
すさのう神社・・・千住大橋・・・隅田川テラス16:20・・・千住大橋駅16:40
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資料ファイル
《聖観音寺総本山 金龍山 浅草寺 (あさくさかんのん)》
時は飛鳥時代、推古天皇三十六年(628)3月18日の早朝、檜前(ひのくま)浜成・竹成
の兄弟は江戸浦(隅田川)に漁労中はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得した。
郷司土師中矩(はじのなかとも 名前は諸説あり)はこれを拝し、聖観音菩薩さまである
ことを知り深く帰依し、その後も出家し自宅を改めて寺となし礼拝供養に生涯を捧げた。
大化元年(645)勝海上人がこの地においでになり、観音堂を建立し夢告によりご本尊
をご秘伝と定め、以来今日までこの伝法は厳守されている。
広漠とした武蔵の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかった浅草は参拝の信徒が
ますにつれ発展し、平安期には慈覚大師円仁(えんじん)さま(794~864 浅草寺
中興開山 比叡山天台座主三世)が来山されお前立のご本尊が謹刻された。
(説明版)
広小路 風雷門 仲見世 隅田川(上)
仲見世 伝法院(下) 仁王門 五重塔
江戸名所図会 金龍山浅草寺 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)
《雷門(風雷神門)》
天慶5年(942)平公雅(たいらのきんまさ)によって創建されたのが始まり。
門の向かって右に“風雷”、左に“雷神”を祀る、このことから雷門(風雷神門・
ふうらいじんもん)と呼ばれる。ともに鬼面蓬髪、風袋を担いで天空を駆ける
風雷と虎の皮の褌を締め連鼓を打つ雷神の姿はおなじみのものである。
また、門の裏側には向かって右に“金龍”、左に“天龍”の龍神像が祀られ、
これらの神は浅草寺の護法善神として伽藍守護、天下泰平、五穀豊穣の
守り神とされる。(説明版)
現在の門は昭和35年に松下幸之助氏の寄進により復興されたものです。
《べったら漬》
べったら漬(べったらづけ)は、大根の麹漬の一種で、東京を代表する名産品と
言われている。表面についた甘酒の麹がべとべとしていることからこの名がついた。
歴史は古く、江戸時代の宝田恵比寿神社例祭の市に遡る。
毎年10月19日の夜(えびす講の前夜)には、日本橋本町の宝田神社を中心とした
日本橋、大伝馬町、堀留町、人形町近辺の通りで「べったら市」が開かれ、
べったら漬が売り出される。(Wikipedia)
by Twalking | 2011-10-21 17:37 | 日光街道(完)