人気ブログランキング | 話題のタグを見る

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 御坂峠・天下茶屋   

天下茶屋、一度訪ねてみたかったんです。
ここは、甲斐九筋の主要路である鎌倉往還の御坂峠にある茶屋で、
井伏鱒二や太宰治が滞在(昭和13年9月13日~11月15日の三か月余)
して執筆活動をした所として知られています。

宿の夕食には早かったので、思い切って足を運んでみました。
太宰治が滞在した天下茶屋から三代目の建物(昭和58年開店)になる
そうですが、風情があって味わい深い雰囲気でしたね。。

冬季はトンネルが交通止になりますが、御坂山や黒岳への登山口にもあたり
“登山のお客さんがよく来ますよ・・・”と茶屋のご主人から伺いましたが、
なるほどね、それもまた面白そうだなぁ~ていう感じがします。
今回は車でしたが、いつか歩いて“峠越え”してみたくなりました。


御坂峠・天下茶屋_d0183387_1527378.jpg

天下茶屋

御坂峠・天下茶屋_d0183387_15251082.jpg
御坂峠・天下茶屋_d0183387_15315464.jpg

御坂隊道(396m 昭和6年完成)     “風呂屋のペンキ画””ねぇ~・・・。

当時、滞在中の太宰治にほうとうを出した所、「僕のことをいっているのか」と不機嫌に
なったとの事。「甲州の食べ物である」と説明し、これを食しましたら、大変気に入った
様子で、次からは「ほうとう、ほうとう」と食べたがったそうです。ちなみに太宰は「ほう
とう息子」と間違っていたようです。(パンフより)


御坂峠・天下茶屋_d0183387_16134744.jpg
御坂峠・天下茶屋_d0183387_15274217.jpg


富嶽百景(抜粋)
甲府からバスにゆられて一時間。御坂峠にたどりつく。御坂峠、この峯の頂上に、
天下茶屋という、小さな茶店があって、井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、
こもって仕事をして居られる。私は、それを知ってここへ来た。
ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞえられているそうであるが、
私は、あまり好かなかった。まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも
注文どおり景色で、私は恥ずかしくてならなかった。
三七七八メートルの富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんというか、
金剛力草とでもいいたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草は、よかった。
富士には、月見草がよく似合う
(太宰治天下茶屋記念館資料)


御坂峠・天下茶屋_d0183387_1665969.jpg
御坂峠・天下茶屋_d0183387_169188.jpg

看板料理はほうとう鍋だそうですが、夕食が待っているのでお茶にしました。
コーヒーうまかったですね! それと峠のいもだんごとみそ田楽、これも手作りで
ほんと美味ですよ。。

2011.12.25


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
資料ファイル
《御坂峠》
御坂峠(みさかとうげ)は山梨県南都留郡富士河口湖町(旧・河口湖町)と笛吹市(旧・東八代郡御坂町)にまたがる峠。鎌倉往還御坂路のルート上にある。御坂の名は日本武尊が東国遠征の際に越えたことに由来するとされる。
富士吉田側と甲府盆地側にまたがる御坂山地の御坂山(1596m)と黒岳(1793m)との中間付近に存在する(1520m)。御坂隧道(後述)開通まで、富士吉田側と甲府盆地側の行き来は徒歩により御坂峠を越えなければならなかった。

御坂隧道(笛吹市側)
旧道路法により旧峠より2kmほど東の位置に1931年(昭和6年)、御坂隧道(延長396m)を含む旧・国道8号(現在の国道20号)が開通した。後に御坂隧道を通り甲府と富士吉田を結ぶ路線バスも運行され交通の便は飛躍的に向上した。1952年(昭和27年)、新道路法制定に伴い旧・国道8号が国道20号に変更された際に御坂峠越えから笹子峠(大月市・甲州市)越えにルート変更される。1953年(昭和28年)には現在の国道137号として指定された。以後、「御坂峠」の呼称は御坂隧道の富士吉田側入り口地点(標高1300m)付近を指すようになる。また、古道の峠を「旧御坂峠」、御坂隧道の峠を「新御坂峠」と分けて呼称する場合もある。 1994年(平成6年)11月20日に後述の御坂トンネル有料道路が無料開放・国道指定されたのに伴い、国道指定を解除され、山梨県道708号に移管された。(Wikipedia)

by Twalking | 2011-12-27 15:26 | 富士五湖レイクサイド(完)

<< 駆け足で富士五湖 田貫湖 12月 >>