無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 隅田川リバーサイド02 桜橋~駒形橋   

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桜橋上流/桜橋


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左岸墨堤/言問橋


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駒形橋下流/駒形橋

第2回スマ歩「東京スカイツリーウオーキング」(9月27日開催)下見


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資料フィル

d0183387_15173785.jpg《桜橋》
台東区と墨田区の姉妹提携事業として1980年に創架が始まり、1985年に完成した隅田川唯一の歩行者専用橋で、両岸の隅田公園を結ぶ園路の役割を持つ。形状は平面のX字形の特異な形をしている。(Wikipedia)



d0183387_15201130.jpg《言問橋》(ことといばし)
国道6号・東京都道319号環状三号線(言問通り)を通す。西岸は台東区花川戸二丁目と浅草七丁目を分かち、東岸は墨田区向島一丁目と二丁目を分かつ。もともと「竹屋の渡し」という渡船場があった場所である。
「言問」という名称は在原業平の詠んだ、名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと という歌に因むが、実際にこの業平の故事があったとされている場所は現在の白鬚橋付近にあった「橋場の渡し」でのことであり、言問橋近辺には地名としては存在していたわけではないため、多くの説がある。有力な説としては、1871年(明治4年)の創業でこの地に現在もある言問団子の主人が団子を売り出すにあたって、隅田川にちなむ在原業平をもちだして「言問団子」と名づけ、人気の店となったことからこの近辺が俗に「言問ケ岡」と呼ばれるようになり、それにあわせて業平を祀ったことに由来するというものがある。
《竹屋の渡し》 「竹家の渡し」、「向島の渡し」とも称された。待乳山聖天のふもとにあったことから「待乳(まつち)の渡し」とも称される。「竹屋」の名は付近にあった茶屋の名に由来するという。現在の言問橋のやや上流にあり、山谷堀から 向島三囲(みめぐり)神社(墨田区向島二丁目)を結んでいた。(Wikipedia)


《吾妻橋》
創架は1774年(安永3年)10月17日のことで、それまでは「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所であった。江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうち最後の橋であり、1769年(明和6年)4月に浅草花川戸の町人伊右衛門と下谷竜泉寺の源八の嘆願が幕府によって許可され、着工後5年で完成したものである。長さ八十四間(約150m)、幅三間半(約6.5m)の橋で、武士以外の全ての通行者から2文ずつ通行料を取ったと記録に残る。橋名ははじめ「大川橋」と呼ばれた。これは近辺で隅田川が「大川」と呼称されていたことにちなむ。しかしながら、俗に江戸の東にあるために町民たちには「東橋」と呼ばれており、後に慶賀名として「吾妻」とされた説と、東岸方面の向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことから転じて「吾妻」となった説がある。いずれにしても、1876年(明治9年)2月に木橋として最後の架け替えが行われた際に正式に現在の橋名である「吾妻橋」と命名された。1931年(昭和6年)に現在の橋に架け替えられた。

《竹町(たけちょう)の渡し 》 「駒形の渡し」とも称される。現在の吾妻橋と駒形橋のほぼ中間の場所にあった渡しで、江戸期に吾妻橋が架橋されたことによって利用者は減ったものの、1876年(明治9年)まで運行されていた記録が残っている。(Wikipedia)

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江戸名所図会 大川橋(吾妻橋) (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)


d0183387_15235417.jpg《駒形橋》(こまがたばし)
1927年(昭和2年)に竣工した隅田川にかかる橋で、東京都道463号上野月島線(浅草通り)を通す。西岸は台東区雷門二丁目、および駒形二丁目を分かち、東岸は墨田区東駒形一丁目と吾妻橋一丁目を分かつ。橋名は橋の西詰にある「駒形堂」に因む。関東大震災後の復興計画により現在の橋がはじめて架橋された。それまでは「駒形の渡し」があった場所である(Wikipedia)

by Twalking | 2012-08-27 21:56 | リバーサイドウオーク(新規)

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