人気ブログランキング | 話題のタグを見る

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり浜離宮恩賜公園   

東海道では寄りませんので、なんとなく気にかかってました。
お台場に行くついでに途中下車して歩いてみました。

いや、素晴らしい公園ですね。。
東西に築地川、汐留川が流れ、沖合は隅田川河口・江戸湊です。
河口から見る勝鬨橋と周辺の景観はいいですね。。
隅田川の橋めぐり、河口からとうしで歩いてみたくなりました。。


ぶらり浜離宮恩賜公園_d0183387_15204453.jpg
潮入の池
海水を引き入れて潮の干満によって池の趣を変える様式。都内にある江戸の庭園では唯一現存する海水の池です。東京湾の水位の上下に従って水門を開閉し、池の水の出入りを調節しています。


ぶらり浜離宮恩賜公園_d0183387_15214116.jpgぶらり浜離宮恩賜公園_d0183387_15212181.jpg
お伝い橋
潮入の池の岸から小の字島と中島を結ぶ延長118mもある総檜造りの橋です(平成9年架け替え)
中島の御茶室
宝永4(1707)年に造られて以来、将軍をはじめ御台様、公家たちがここで庭園の見飽きぬ眺望を堪能した休憩所。(昭和58年復原)



ぶらり浜離宮恩賜公園_d0183387_15234747.jpg
内堀

ぶらり浜離宮恩賜公園_d0183387_10184532.jpgぶらり浜離宮恩賜公園_d0183387_10182525.jpg
鴨場
庚申堂鴨場と新銭座鴨場の二つがあります。鴨場の池には幾筋かの引堀を設け、小のぞきから鴨の様子をうかがいながら稗・粟などのエサとおとりのアヒルで引堀におびき寄せ、機を見て土手の陰から網ですくいとるという猟を行なっていました。
横堀水門
昔からこの堰で海水の出入りを調整しています。



ぶらり浜離宮恩賜公園_d0183387_15332549.jpg
海岸側(左手:将軍お上がり場 右手:汐留水門)/樋の口山


ぶらり浜離宮恩賜公園_d0183387_15351628.jpgぶらり浜離宮恩賜公園_d0183387_1536013.jpg
築地川(東)                   汐留川(西)



ぶらり浜離宮恩賜公園_d0183387_15491611.jpg
園内散策路

ぶらり浜離宮恩賜公園_d0183387_1126453.jpgぶらり浜離宮恩賜公園_d0183387_1127690.jpg
外堀                 中の御門


《浜離宮恩賜公園》
東京湾から海水を取り入れ潮の干満で景色の変化を楽しむ、潮入りの回遊式築山泉水庭。江戸時代に庭園として造成された。園内には鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑、ボタン園などを有する。もとは甲府藩の下屋敷の庭園であったが、将軍家の別邸浜御殿や、宮内省管理の離宮を経て、東京都に下賜され都立公園として開園。1654年(承応3年)に甲府藩主の徳川綱重がこの地を拝領し、海を埋め立てて別邸を建てた。その後は甲府藩の下屋敷として使用された。このため甲府浜屋敷、海手屋敷と呼ばれるようになった。綱重の子である徳川家宣が6代将軍になると、将軍家の別邸とされた。浜御殿と改称して大幅な改修が行われ、茶園、火薬所、庭園が整備された。とくに徳川家斉と家慶の頃は、将軍の鷹狩の場であった。幕末には、幕府海軍伝習屯所であった。慶応2年に着工した石造洋館が、明治2年に外国人接待所「延遼館」として竣工した。延遼館は、明治維新後も鹿鳴館が完成するまでは迎賓館として使用された。明治3年に、宮内省の管轄となり名前も離宮と改められた。明治天皇も度々訪れるようになる。(Wikipedia)

ぶらり浜離宮恩賜公園_d0183387_14172789.gif

by Twalking | 2012-09-10 15:42 | 東京散歩(新規)

<< 竹芝三景 ゆりかもめ >>