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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり小田原・石橋山古戦場   

《相模灘三景》

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小田原市早川


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小田原市石橋


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小田原市根府川
早川・片浦ウオーキングトレイル


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資料ファイル

小田原ふるさと原風景百選・石橋山古戦場と佐奈田霊社
「石橋山の合戦」(米神・石橋)は治承4年(1180)、以仁王の命令を受けて挙兵した源頼朝が平家方の大庭景親、伊東祐親らと戦ったところ。佐奈田霊社は頼朝方の先陣佐奈田与一義忠の遺骸を葬ってある与一塚の傍らに建っている。与一の戦死の故事にせき・ぜんそくなどに霊験があるといわれている。(案内板)

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佐奈田霊社

神奈川県指定史蹟・石橋山古戦場のうち与一塚および文三堂
石橋山古戦場は治承4年(1180)8月23日に源頼朝が以仁王の命令(令旨)を受けて挙兵した所です。ここで頼朝の軍が平家方の大庭景親、伊東(伊藤)祐親らと戦い敗れましたが、箱根外輪山の複雑な地形と土肥一族や源氏方の人々によって助けられ落ち延びました。その後勢力を盛り返して平家を打倒し鎌倉幕府を開くに至りました。与一塚と文三堂は、この合戦の際頼朝方の先陣を命じられて戦死した佐奈田(真田)与一義忠とその家臣文三(豊三)を祀ってあるところです。

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佐奈田霊社                    与一塚

佐奈田与一はこの戦いで大庭景親の弟・俣野五郎景久と一騎打ちになり、景久を組み伏せましたが刀が抜けず(この前に敵将を討ち取った際刀を拭かずに鞘に差したため)敵方の加勢により討ち取られました。その討ち取られた場所が「ねじり畑」と呼ばれています。また、家臣の文三家康は主人の討死後、敵陣に切り込み8人を討ちとって壮烈な戦死を遂げました。「吾妻鏡」には石橋山合戦後の建久元年(1190)に頼朝が伊豆山権現参詣の帰り佐奈田与一と文三家康の墓を訪れ落涙したと記されているので、戦後まもなく墓が築かたようです。その後佐奈田与一は神霊として佐奈田霊社に祀られ、現在も信仰を集めています。(小田原市教育委員会)

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ねじり畑                       文三堂


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石橋山合戦関係図



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寺山神社                      小田原根府川の道祖神(市重要文化財)

神社の草創は不明であり、古くは寺山権現といわれていたが明治初年寺山神社と改称した。祭神は甕槌命であり浅間神社と山神社の2社を鎮座している。往古からこの地根府川は通称「根府川石」の産地として知られており、これに関連する業として石船(石材運搬船)があり、これにかかわる人達が多いことから海や船、公開に関係ある鹿島信仰が定着し、鹿島踊りも伝えられ伝承されてきた。(案内板)


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大島&真鶴半島/早川
《早川・片浦ウオーキングトレイル》
早川駅から根府川駅までの起伏に富んだ丘陵地域約12kmを回る、子どもから大人まで気楽に健康づくりに取り組むことができるウォーキングコースです。緑豊かな自然の景観美や丘陵地から一望できる相模湾の眺望を楽しむことができます。また、この地域はみかんの産地であり、夏にはみかんの花の香り、秋にはオレンジ色に染まるみかん畑の風景を満喫でき、さらに春にはおかめ桜が花開くなど、四季折々の見どころがあるのも魅力の一つです。(小田原市)

by Twalking | 2013-02-26 16:18 | 鎌倉散歩(新規)

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