無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 日本橋川02 豊海橋付近   

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日本橋川河口部(豊海橋)


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豊海橋   



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湊橋上流部 左手は亀島川水門(亀島川)



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資料ファイル

d0183387_0294872.jpg《日本橋川》
日本橋川は慶長5年(1600)関ヶ原合戦後に切り開かれ、江戸城の大手口と隅田川をほぼ直線で結ぶ運河として主要な役割を果たしてきた川筋で、江戸の繁栄と共に生きてきた河川です。(中央区)


d0183387_0574519.jpg《豊海橋》
日本橋川が隅田川に流入する河口部の第一橋です。(1927年(昭和2年)に震災復興橋として架設された)橋の歴史は古く、江戸時代中期には豊海橋(別名「乙女橋」)がありました。この辺りは新堀河岸と呼ばれ、諸国から廻船で江戸に運ばれた酒を陸揚げする場所で川に沿って白壁の酒蔵が並んでいました。明治期に豊海橋は鉄橋になり、大正12年(1923)の関東大震災で落橋してしまいました。復興局は新規に設計を土木部の田中豊に依頼、実際の設計図は若手の福田武雄が担当。隅田川支流の河口部の第一橋梁はデザインを一つ一つ変えて区別しやすく工夫しました。それは隅田川から帰港する船頭に対する配慮でした。福田武夫はフィーレンデールの案出した橋梁デザインを採用し、梯子を横倒しした様なこの様式は日本では数ヵ所にあるのみで近代土木遺産として貴重な橋です。(中央区教育委員会)


d0183387_1231978.jpg《湊橋》
この橋は、霊巖島(現在の新川地区で通称こんにゃく島と呼ばれていた。)と 対岸の箱崎地区の埋立地(隅田川の中洲)とを結ぶために、延宝7年(1679)に架けられました。この地域は江戸時代から水路交通の要所として栄え、とくに江戸と関西〔上方〕を結んで樽廻船によって酒樽が輸送されていました。 『江戸名所図会』によると、この橋は当時の湊町を形成した日本橋川河口の繁栄を象徴しており、また橋を挟んだ川岸には倉庫が建ち並び、当時の賑わいが偲ばれます。 橋名の由来については、江戸湊の出入口にあったところから、湊橋と名付けられたものです。 現在の橋は関東大震災後の復興期に再建(昭和3年)されたもので、平成元年度の整備事業において、装いを新たにしました。(中央区教育委員会)


《亀島川》
中央区にある霊岸橋付近で日本橋川から分流し南へ流れ、亀島橋を過ぎたあたりで南東に折れ、中央区の中央大橋下流で隅田川に合流する。約1Kmの短い流路延長に5つの橋が架かる。江戸期には川沿いに向井将監らの御船手奉行所があって、江戸に入る船舶はここで検めを受けたため、将監河岸とも呼ばれた。江戸時代は越前堀とも言われ、明治時代には越前堀一丁目など、地名にもなった。(Wikipedia)

by Twalking | 2013-03-03 09:33 | リバーサイドウオーク(新規)

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