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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 東海道(12)箱根湯本~元箱根 01 下見・湯本   

下見日時 2013.3.26(火)
天気  晴れ

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早川/箱根湯本

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二子山、あそこを目指します          あじさいばし(旧ほまればし)


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早雲寺惣門


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初花堂


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資料ファイル

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箱根旧街道案内図

江戸幕府は元和4年(1618)に旧来の湯坂道を廃止して小田原三島の間、箱根山中の芦ノ湖畔に箱根宿を置き、関所を新たに設けて湯本の三枚橋から須雲川に沿い畑宿から急坂を二子山南麓に上り元箱根に至る古い山路をひろげて街道をつくった。この道は江戸時代を通じて世に箱根八里ごえといわれ、東海道中屈指の難路であり、その有様は詩歌・物語などで多く歌われている。


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白山神社
江戸時代まで「白山権現(はくさんごんげん)」と呼ばれ、地元の人々に温泉の守護神として崇められていました。石川県の「白山さん」と親しまれている白山神社総本宮の白山比咩(しらやまひめ)神社の御祭神を勧請したお社です。境内には、伏見稲荷大社から勧請した稲荷社や水神社があり、手水舎には「白山水」と呼ばれる御神水が湧き出ています。(箱根町観光協会)


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中門                         本堂


早雲寺
小田原城主・北条氏の菩提寺。2代氏綱(うじつな)が初代早雲(そううん)の遺言によって1521年(大永元)に建立した臨済宗大徳寺派の名刹です。箱根湯本の町は、もともと早雲寺の門前町として始まったと言われています。1590年(天正18)の豊臣秀吉の小田原攻めで一度消失。1627年(寛永4)僧侶・菊径により再興されました。山門の左側の鐘楼に大きな古い梵鐘があり、これは豊臣秀吉が北條氏を攻めて小田原に押し寄せたとき、石垣山の一夜城に使われたといわれています。

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鐘楼                         枯山水庭園 

現在、早雲寺には、戦国時代を代表する文化人として名高かった北条長綱(幻庵:早雲の三男)の作といわれる枯山水庭園が残るほか、北条五代の墓、「北条早雲像」(国指定重要文化財)などの文化財が保存されています。また、裏手には常緑広葉樹林(神奈川県天然記念物)が自然林の形で残っており、初夏には箱根町指定天然記念物ヒメハルゼミ(神奈川県下ではここ早雲寺林にしか生息しない)の大合唱を聞くことができます。それに合わせたイベントも企画されています。(箱根町観光協会)


東海道(12)箱根湯本~元箱根 01 下見・湯本_d0183387_15465551.jpg史跡北條五代の墓
天正十八年(1590)四月五日、豊臣秀吉軍は箱根山を越え早雲寺に入り本陣とした。六月下旬一夜城が完成すると火を放ち、当時関東屈指の禅刹として威容を誇った早雲寺の伽藍、塔頭寺院は尽く灰燼に帰したのである。七月五日北條氏が降伏し、同十一日氏政・氏照は切腹、氏直は高野山に追放され、翌天正十九年十一月四日逝去した。なお北條一門では、伊豆韮山城主であった氏規(氏政の弟)が秀吉より大阪河内内狭山に約一万石を許され(狭山北条氏)、鎌倉玉縄城主北條氏勝が家康の傘下に入り、下総岩富に一万石を与えられて(玉縄北條氏)、その家系は江戸時代を通じて存続している。早雲寺の再建は、元和・寛永期に当山十七世菊径宗存によって着手されるが、その復興に北條両家の外講は欠かせないものであった。こうして、北條五代の墓は寛文十二年(1672)八月十五日狭山北條家五代当主氏冶によって、早雲公(伊勢新九朗長氏)の命日に竣工したのである。小田原北条氏滅亡から八十二年後のことであった。
〇北條早雲 (1432~1519) 俗名、伊勢新九郎長氏。備前生、戦国時代初期を代表する武将。京都から駿河今川家に身を寄せ伊豆・相模を攻略、戦国時代の幕を開いた。伊豆韮山で没。享年八十八歳。
〇北條氏綱(1486~1541) 父早雲の遺志を継ぎ武蔵・下総へ進出、小田原北條氏の領国を拡大した。 享年五十六歳。
〇北條氏康(1515~1571) 扇谷上杉を滅ぼし関東の覇権を握る。領国経営にすぐれた手腕を発揮した。享年五十七歳。
〇北條氏政(1538~1590) 夫人は信玄の娘黄梅院。信玄の西上を後援、その没後は信長と連携して武田勝頼討伐に加担。やがて秀吉に敗れ切腹。享年五十三歳。
〇北條氏直(1562~1591) 夫人は家康の娘督姫。下野宇都宮氏を降し後北條氏最大の領国を形成。上野真田昌幸の名胡桃城を奪取して秀吉と対立して破れる。家康の助命で高野山に流される。享年三十歳。(説明版)


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地蔵像                       曽我堂

正眼寺(しょうがんじ)の史跡・文化財案内
正眼寺は、鎌倉時代、箱根山に広まっていった地蔵信仰の中で生まれた寺です。創建年代は定かではありませんが、この寺の前身である湯本地蔵堂の別当寺として鎌倉前期には存在し、その頃は勝源寺と呼ばれていました。戦国時代には一時衰微しましたが、江戸時代になりますと、江戸屈指の材木問屋冬木やの援助により諸堂が再建され、また、小田原城主大久保氏より境内地・地蔵田が安堵され、復興されました。再興開基には早雲寺17世菊径宗存を招請し、この時より当寺は臨済宗大徳寺派に属す禅寺となり、今日に至っています。
《曽我堂》 曽我仇討で有名な曽我五郎・十郎兄弟の菩薩供養のため建立された堂宇、堂内には、俗称曽我五郎地蔵菩薩立像(県重文)、同十郎地蔵菩薩立像(町重文)が安置されています。
〈曽我五郎の槍突石〉 曽我五郎が病回復の証に、槍で突いたと言い伝えの残る石で、江戸時代までは、箱根旧街道筋の槍突沢にありました。
〈曽我兄弟の供養塔〉 江戸前期、冬木屋上田家が建立した供養塔。


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仲睦まじい道祖神                日本橋から22里目の一里塚趾

江戸時代、この辺りは「湯本茶屋村」といい、その村境の道祖神です。男女の神が頬を寄せ手を取り合い、その睦まじきことを示すことによって、悪霊が村に入ってこないよう念じ立てたものです。(湯本茶屋自治会)


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石畳/箱根旧街道入口             馬の飲み水樋

江戸幕府は延宝8年(1680)に箱根旧街道に石を敷き舗装した。この先から約255mはその面影を残しており国の史跡に指定されている。(箱根町)


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湯坂山を見ながら葛原坂へ          正面に二子山/箱根新道・須雲川IC

「新編相模国風土記稿」には「海道中(東海道)須雲川村境にあり、登り一丁ばかり」としか書かれていません。地名がクズはなでこの辺りは今もクズの葉が生い茂っています。(説明版)


東海道(12)箱根湯本~元箱根 01 下見・湯本_d0183387_17153898.jpg須雲川
この周辺の集落を須雲川といいます。、むかしは川端とも呼ばれていました。この場所に集落ができたのは江戸の初め寛永のころです。(説明版)


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鎖雲寺・初花堂                  勝五郎・初花の墓

鎖雲寺は江戸時代初め当時早雲寺の山内にあった一庵を引いて建立された禅寺です。この寺には「箱根霊験記」で有名な勝五郎と初花の墓があります。(説明版)

「此らあたりは 山家ゆえ 紅葉のあるのに 雪が降る」とはご存じ歌舞伎狂言に名高い浄瑠璃の一句で、初花の夫勝五郎を恋うる名台詞であります。父の仇敵を追って箱根山中に差しかかりましたが、不図したことから勝五郎の病は募るばかりに、大望を抱く見の勝五郎の病状を案じた初花は夜毎に夫の眠るのを待って、向山の滝で身を清め、箱根権現へ夫の病気平癒と仇討成就の願をかけ、ひまさえあれば山中に深く分け入り、天来の薬餌で名高い自然薯を堀り集め、夫に薦めるのでした。初花の一念天に通じ、慶長4年8月、遂に仇敵の佐藤兄弟にめぐり合い、見事に本懐を遂げさせたと言う。貞女初花の伝説は400年後の今日でも、何か私達の心にひしひしと深い感銘を覚えさせるものがあります。二人の眠る墓は、この寺の境内の墓地に誰か建てたか、哀惜の比翼塚として葬られております。どうか皆様もご供養のつもりで香華を手向けて戴きたいと存じます。 (はつ花そば店主 小宮吉晴)


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須雲川自然探勝路入口             須雲川の丸木橋(迂回路あり)


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割石坂入口                    正面に文庫山が見えてきました

曽我五郎が富士の裾野に仇討に向かう時、腰の刀の切れ味を試そうと路傍の巨石を真っ二つに切り割ったところと伝えられています。(説明版)

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接待茶屋                     これを抜けると畑宿です/大澤坂

江戸時代後期、箱根権現の別当如実は箱根八里を往還する旅人や馬に湯茶や飼葉を施し大変喜ばれていましたが、資金が続かず行き詰まっていました。如実は江戸呉服町の加勢屋与兵衛らの協力を得て施工の継続を幕府に願い出、文政7年(1824)ようやく許可がおりました。再開にあたって新しく設置する施工場所を畑宿と須雲川に希望していましたが2ヶ所とも立場があるため許可されず、東坂は割石坂のこの辺り、西坂は施行平に設置されました。(説明版)


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箱根路のうつりかわり

碓氷峠(碓氷道 神奈川県足柄下郡箱根町宮城野)
「臼井峠」「碓井峠」「碓日峠」など、時代や文献により峠名の表記が異なるが、全て同じ峠を指す。国道138号(箱根裏街道)の北の山中を走り、宮城野集落と仙石原集落を結ぶ細い峠道上に存在する。山深いところに位置するが、峠のある場所は北にある明神ヶ岳から続く箱根山の古期外輪山の山裾と中央火口丘の一部が重なった部分にあたるほか、道自体が急勾配を避けて標高650メートルの附近の山腹に当たる部分を南東から北西に横切っており、峠自体は比較的緩やかである。周囲は箱根の山中であり、碓氷梅林以外に取り立てて観光地などはないが、峠附近には休憩用の東屋と、ヤマトタケル伝説(後述)に基づいて大正6(1917)年に立てられた「吾妻はや」の記念碑がある。なおこの峠を通る道は「碓氷道」と呼ばれる箱根越えの古道であり、国道が通じる前は両集落を結ぶ主要道でもあった。また古くは南足柄市方面から御殿場市方面を結ぶ幹線道であり、一部では古代の東海道そのものかもしくはそれに関係する街道とされることもあるがつまびらかでない。
〈ヤマトタケル伝説との関係〉
上述の通り、この峠は『古事記』『日本書紀』に登場する英雄・ヤマトタケルの伝説の地とされている。東征の途中で荒れ狂った海の神を鎮めるために入水した弟橘媛(おとたちばなひめ)を偲んで、「吾妻はや」(あづまはや、「吾(我)が妻や」という意味)と3回嘆いたという伝説がそれである。これは現地に当初からあった伝説ではなく、近代の歴史学者・久米邦武が明治時代に唱えた説によって結びつけられたものである。この説は、この伝説の地が『古事記』では「足柄坂」、『日本書紀』では「碓日嶺」と場所が異なることについての考察から生じたものである。(Wikipedia)

須雲川(すくもがわ)
大観山(たいかんざん、標高1015.2m、かつての箱根外輪山のひとつ)を水源とし、箱根湯本で早川に合流する本流と、二子山を源流とする支流などからなる、早川水系の二級河川。延長3.97km、流域面積22.54km²。ほぼ流路に沿って箱根新道が通っている。旧東海道(県道732号)も畑宿付近までは須雲川に沿って造られており、須雲川が流れる谷は箱根越えの要衝となっている。飛龍ノ滝(神奈川県最大級の滝)は、須雲川の支流に属する。(Wikipedia)

by Twalking | 2013-03-29 18:13 | 東海道(完)

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