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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 番外 ぶらり鷲津・本興寺   

日時 2014.6.18(水)
天気 曇り

連泊するホテルのレンタサイクルを借りて、周辺をぶらりと散策してみました。朝靄のたつ浜名湖・鷲津湾、深山にひっそりと佇む本興寺、よかったですよ。。。



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惣門
元三州吉田城の城門であったが、延宝2年(1674)に当山へ寄進されたものと思われる。形式は高麗門である。移築前は段葺屋根の重厚な門であったが、移築時に柿葺屋根に改修したものと思われる。現在の瓦葺屋根に改修されたのは、鬼瓦の銘などより享保10年(1725)と思われる。また、創建時の段葺屋根は現在も瓦葺屋根の下に保存されている。(湖西市教育委員会)
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奥書院
豊橋市の吉田城内にあったもので延宝2年(1674)、惣門(山門)とともに当山に寄進されたものといわれている。構造は、木造平屋建一部せがい寄棟造茅葺、主屋に桟瓦葺の縁側をつけた住宅風書院建築です。創建当初からのもではないが、使われている材料や技法と相まって江戸初期の建築様式を示す建物です。(湖西市教育委員会)



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本堂


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資料ファイル

番外 ぶらり鷲津・本興寺_d0183387_01583208.jpg本興寺(ほんこうじ)
永徳3年(1383年)に真言宗から法華宗(ほっけしゅう)に改宗したといわれ、江戸時代には徳川家康から朱印地を拝領し、葵の紋の使用を許されたと伝えられる名刹です。境内には本堂をはじめ約10の建築物が立ち並び、大書院にある谷文晁(たに ぶんちょう)作とされる15面におよぶ壁画や襖絵は広く知られており、別名『文晁寺』とも呼ばれています。天文21年(1552年)に修復されたといわれる本堂は、和様・大仏様・禅宗様の三様が巧みに取り入れられた折衷様式の建築物となっており、国の重要文化財の指定を受けています。(静岡県)


番外 ぶらり鷲津・本興寺_d0183387_02542488.jpg 中門
本興寺大書院の本玄関に通ずる中門は、別名朱門ともいう。形式は薬医門である。二本の本柱を棟から少し外側に立て、やや下げて内側に控柱二本を立てる。屋根の重さを本柱と控柱が分け合って負担を軽くする形で、安定感のある門の形式といえる。薬医とは「矢喰い(やくい)」の当て字で、薬医門とは元来桃山時代の創始にかかる城門の一形式であったが、江戸時代には寺院にも多く用いられた。本興寺中門創建の棟札の類は発見されない。正徳元年(1711)と寺伝にいう。17世紀末から18世紀にかけて、中央幕閣からの保護下に栄えた当山の歴史を物語る記念物である。本瓦葺、笈形付斗束、大佛様木鼻に特色がある。夕早き/庫裏のはひりは/日たむろと 築地めぐらして/朱き中門 北原白秋 (湖西市教育委員会)


 
番外 ぶらり鷲津・本興寺_d0183387_02542736.jpg千仏堂       
元禄13年(1700)渡辺越中守夫人の発願により建立されたもので、千体仏を安置する。天保12年(1841)再建される。宝(方)形造りの屋根を持つ建築である。蟇股(かえるまた)を除けば純然たる唐様式である。小さい建物ながらよくまとまった上品な風格を持っている。(湖西市教育委員会)


番外 ぶらり鷲津・本興寺_d0183387_02543274.jpg 水の音  たぞにひとつぞ  聞こえける  
     そのほかはなにも  申すことなし 
 
                     北原白秋  







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朝の浜名湖/湖西市鷲津

    

by Twalking | 2014-06-27 09:55 | 東海道(新規)

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