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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 番外 ぶらり熱田神宮   

日時 2014.10.30(木)
天気 曇り

桶狭間古戦場や鳴海宿の砦などの史跡などを訪れましたし、熱田神宮の門前町として栄えた宮宿も歩きましたので、やはりここは外せません。下見の帰りにみなさんとお参りしてきました。素晴らしい社叢ですね、念願が叶ってよかったです。



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正門(南門)


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本宮


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資料ファイル

熱田神宮
愛知県名古屋市熱田区にある神社。式内社(名神大社)尾張国三宮。旧社挌は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。宮中の四方拝で遥拝される一社。神紋は「五七桐竹紋」。
(主祭神)熱田大神 (あつたのおおかみ)三種の神器の1つ・草薙神剣(くさなぎのみつるぎ、草薙剣・天叢雲剣とも)を神体とする天大神を指すとしている。
(概要)名古屋市南部、熱田台地の南端に鎮座する。古くは伊勢湾に突出した崎上に位置していたが、周辺の干拓が進んだ現在はその面影は見られない。三種の神器の1つ、草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀る神社として知られる。ただし、剣は壇ノ浦の戦いで遺失したとも熱田神宮に保管されたままともいわれている。また、景行天皇43年創建と伝えられており、同年は西暦に換算した場合に113年とされることから、2013年(平成25年)に創祀1900年を迎えるとされ、同年5月8日に「創祀千九百年大祭」が行われた。建物は伊勢神宮と同じ神明造であるが、1893年(明治26年)までは尾張造と呼ばれる独特の建築様式だった。
(創建)第12代景行天皇の時代、日本武尊が東国平定の帰路に尾張へ滞在した際に、尾張国造乎止与命(おとよのみこと)の娘・宮簀媛命と結婚し、草薙剣を妃の手許へ留め置いた。日本武尊が伊勢国能褒野(のぼの)で亡くなると、宮簀媛命は熱田に社地を定め、剣を奉斎鎮守したのが始まりと言われる。そのため、三種の神器のうち草薙剣は熱田に置かれているとされ、伊勢神宮に次いで権威ある神社として栄えることとなった。
(概史)大宮司職は代々尾張国造の子孫である尾張氏が務めていたが、平安時代後期に尾張員職の外孫で藤原南藤原季範にその職が譲られた。以降は子孫の藤原氏・千秋氏が大宮司、尾張氏は権宮司を務める。なお、この季範の娘は源頼朝の母(由良御前)である。戦国時代、織田信長は桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願して見事に勝利を収めた。江戸時代、当社周辺は東海道五十三次の43番目「宮宿」が設けられ、当地から桑名宿への七里の渡しが運行されていた。また『東海道名所図会』に「熱田大神宮」と記載されている。1868年(慶応4年)6月に神宮号を宣下されて熱田神社から熱田神宮に改め、1871年7月1日(明治4年5月14日)の近代社格制度の制定により、熱田神宮は官幣大社に列格した。(Wikipedia)


番外 ぶらり熱田神宮_d0183387_12334672.jpg西楽所 
五代将軍綱吉が貞享3年(1686)に再建したものである。3月1日の舞楽神事にはここで楽を奉する。もとは西楽所(右楽所)に相向いあって東楽所(左楽所)もあった。(案内板)


番外 ぶらり熱田神宮_d0183387_12335860.jpgならず梅 
この梅は享禄古図にも描かれている奇木で花は八重である。一度も実をつけたことがないので「ならずの梅」と名付けられ古くから有名である。(案内板)



番外 ぶらり熱田神宮_d0183387_12335143.jpg信長塀 
織田信長が桶狭間出陣の際、当神宮に願文を奉し大勝したのでその御礼として奉納した塀である。土と石灰を油で練り固め瓦を厚く積み重ねている。三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀と並び日本三大塀の一つとされている。(案内板)


番外 ぶらり熱田神宮_d0183387_12335699.jpg佐久間灯篭
尾張御器所の城主・佐久間盛次の四男・大善亮勝之が海上で台風に遭った際、当神宮の守護を祈り難を免れたので寛永7年)1630)その御礼として寄進したものである。高さ8.22m、日本で数少ない大灯篭である。(案内板)







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熱田神宮境内イラストマップ(熱田神宮制作)


by Twalking | 2014-11-08 12:49 | 東海道(新規)

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