番外 お伊勢参り01 外宮周辺
天気 晴れ
お伊勢さんにお参りしてきました。
名古屋に単身赴任していた時に家内と息子を誘って
車で伊勢・志摩を訪ねたことはあります。
街道を歩いていると「伊勢参り」はしょっちゅう出てきますし、
日永追分から伊勢道が分かれますのでこれは外せないと思い、
伊勢道は譲るとして、改めて外宮と内宮周辺を歩いてみました。
・・・豊受大神宮(外宮)
豊受大神宮(とようけだいじんぐう)
三重県伊勢市豊川町にある神社。伊勢神宮の2つの正宮のうちの1つである。一般には外宮(げくう)と呼ばれる。延暦23年(804)に編纂された社伝『止由気宮儀式帳』によれば、雄略天皇22年、天皇の夢に天照大御神(内宮祭神)が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」と神託したので、同年7月7日、内宮に近い山田の地に豊受大御神を迎えて祀ったのに始まる。正宮は、正殿・西宝殿・東宝殿の3つからなるが、幾重に板垣が巡らされており、拝所からは直接見ることはできない。正殿の背後には御饌殿(みけでん)と外幣殿(げへいでん)が並ぶ。正宮の隣には次の神宮式年遷宮の際に正宮が建てられる御敷地がある。この御敷地は、前回の式年遷宮の時に正宮が置かれていた土地であることから「古殿地」とも称する。境内には多賀宮(たかのみや)、風宮(かぜのみや)、土宮(つちのみや)の3つの別宮(べつぐう、正宮に次ぐ高位の宮)を始め、斎館、神楽殿、神々の食事を調製する忌火屋殿(いみびやでん)、神酒を納めた御酒殿(みさかどの)などの建物があり、外宮の境界を守る四至神(みやのめぐりのかみ)が正宮の前に祀られている。北御門口鳥居から北西に伸びる道を進むと、伊勢市を含む渡会部の守護神を祀る摂社の渡会国御神社、更にその奥に五十鈴川河口を守る末社の大津神社が鎮座する。(Wikipedia)
風宮
風の神を祀る別宮。鎌倉時代の元寇の時神風を吹かせて日本をお守りになった神として知られています。
土宮
大土乃御祖神(おおつちのみよやのかみ)を祀る別宮。古くから山田原の鎮守の神として祀られ外宮創建後は宮域の地主の神としてお祀りされてます。
多賀宮
豊受大神の荒御魂(あらみたま)をお祀りする別宮。山の頂にあるため古くから高宮(高ノ宮)と呼ばれていました。
せんぐう館
式年遷宮の資料館です。
月夜見宮
神宮の別宮は基本的に1の社殿につき祭神は1神であるが、月夜見宮は月夜見尊(つきよみのみこと)と、その魂の月夜見尊荒御魂(つきよみのみことのあらみたま)の2神を祀る。1の社殿に2神を祀る別宮は他に外宮別宮の風宮(かぜのみや)と内宮別宮の風日祈宮(かぜひのみのみや)があり、いずれも祭神は級長津彦命(しなつひこのみこと)と級長戸辺命(しなとべのみこと)である。「つきよみさん」とも呼ばれるが、同じく「つきよみさん」と呼ばれる内宮(皇大神宮)別宮の月讀宮は、祭神は同じであるが別の神社である。最高神天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟神の月夜見尊が祭神であるが、外宮別宮としては豊受大神の魂を祭神とする多賀宮(たかのみや)、外宮の地主の神である大土御祖神(おおつちみおやのかみ)を祭神とする土宮(つちのみや)に次ぐ3位で、風宮(かぜのみや)より上位である。(Wikipedia)
東邸
「古今伝授創始者を祖に持ち累代文墨の才人輩出」と石柱にありました。
外宮北御門
神路通り(かみじどおり)
伊勢市一志町と宮後の境界となる、外宮の北御門(きたみかど)から月夜見宮までの、幅員4m程度の1直線の道は「神が通る道」とされ、「神路通り(かみじどおり)」と呼ばれる。外宮と月夜見宮の周辺では、神路通りの真ん中は神様が通るので人は端を歩くように子どもに教える風習がある。(Wikipedia)
・・・御木本道路
御木本道路
1945年(昭和20年)に米寿を迎えた真珠王御木本幸吉が、外宮から内宮までの近道を整備する資金を提供したことから伊勢市本町の 伊勢神宮(外宮)前から伊勢市宇治浦田町の猿田彦神社前までを御木本道路(みきもとどうろ)と呼んでいる。
この文庫は、内宮の林崎文庫とともにわが国における図書館史上に異彩を放つ施設である。慶安元年(1648)、外宮権弥宜・出口延佳の首唱により山田三方等の協力の下に創設された。寛文元年(1661)、山田奉行八木伹馬守宗直は幕府から永代修繕費の寄進を受けた。以来、外宮祠官子弟の修学道場として発達し、毎月一定日に神典等の講義があった。時に大塩平八郎等多くの碩学の来講や書籍の奉納もあり、充実した施設となった。明治元年(1868)、この文庫は廃止され、同11年には火災により講堂が焼失したが、厄災を免れた2万余冊の書籍類は、同44年に神宮へ献納された。境内のお屋根桜(市指定天然記念物)は、古くから伊勢市の春に彩りを添えてきた。(伊勢市教育委員会)
中山寺(ちゅうざんじ)
当山は慶安4年(1651)、妙心寺137代住持愚堂東寔(とうしょく・大円宝鑑国師〉に帰依した亀山藩主石川昌勝が願主となり、当時の山田奉行石川大隅守の援護を受け、神宮の内・外宮中間のこの地に開山したもので、宗派県下第一の古刹です。
猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)
三重県伊勢市の伊勢神宮内宮の近くにある神社である。猿田彦大神とその子孫の大田命を祭神とする。日本神話よれば、猿田彦神はニニギの天降りの先導を終えた後、伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった。倭姫命世紀によれば、その子孫の大田命は天照大神を祀る地として倭姫命に五十鈴川川上の地を献上した。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職したが、その宇治土公が邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦を祀っていた。明治時代に入り、神官の世襲が廃止されることになって、屋敷神を改めて神社としたのが猿田彦神社である。猿田彦神がニニギの先導をしたということから、交通安全・方位除けの神社として信仰されている。本殿は「さだひこ造り」と呼ばれる特殊な妻入造である。欄干や鳥居には八角形の柱が使用されている。5月5日の御田祭は、三重県の無形民俗文化財に指定されており、神饌として飛魚を献上する風習がある。境内には、天降りの際に猿田彦神と応対した天宇受売命を祀る佐瑠女神社(さるめじんじゃ)が猿田彦神社の本殿に向かい合うように建っており、芸能の神として信仰されている。(Wikipedia)
by Twalking | 2014-11-23 14:27 | 東海道(新規)