無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 武蔵野の道・丸子-二子コース02 等々力渓谷   

日時 2015.6.10(水)
天気 晴れ 

世田谷に住んでいたので名前だけは知っていましたが、
訪れたのは今回が初めてです。
東京都区内で唯一の渓谷だけに空気がまるで違いますね。

後で調べて見ましたが、不動の滝等に露出している地層、
あるいは渓谷の生成の歴史など、これは深いですね。
渓谷の豊かな自然もさることながら、
この辺りをじっくりと学んでみたいな~と感じました。


d0183387_16082596.jpg
矢沢川/環八玉沢橋下流

東京都指定名勝・等々力渓谷

等々力渓谷は、国分寺崖線(ハケ)の最南端に位置する延長約1kmの都内唯一の渓谷である。谷沢川(やさわがわ)が国分寺崖線に切れ込んで侵食したもので、台地と谷との標高差は約10mある。渓谷の斜面には、武蔵野の代表的な樹木であるケヤキをはじめ、シラカシ、コナラ、ヤマザクラ、イロハカエデなどとともに、常緑シダ類のような湿性植物が繁茂しており、渓谷内には至るところから湧水(ゆうすい)の出現が認められる。玉川全円耕地整理組合が、昭和5年から13年にかけて谷沢川の流路を整備し、小径を設けるまでは不動の滝からゴルフ橋にいたる渓谷内は殆ど人の立ち入ることも稀で、雉(きじ)などの鳥類や、イタチ、キツネなどの小獣類、各種昆虫類の宝庫であった。都区内とは思えないほどの鬱蒼とした樹林と渓谷美は、幽邃(ゆうすい)な景観を呈し、武蔵野の面影をよく残している。東京を代表する自然地理的名勝として貴重であり、植生学、地質学及び地形学上重要である。(東京都教育委員会)


d0183387_00041938.png等々力渓谷の湧水
等々力渓谷は、武蔵野の台地を谷沢川が浸食してできた全長1kmの渓谷です。渓谷沿いの崖では、地層の断面が観察できます。渓谷の上流で降った雨は、地面にしみこみ、立川ローム層から武蔵野礫層(れきそう)までの地層をゆっくりと濾過(ろか)されながら浸透します。そして渋谷粘土層まで到達しますが、この層は水を通さないため、粘土層と礫層の間を地下水となって下流へと流れていきます。この地下水が、地層の切れ目などから地表に出てきたものが、湧水となります。等々力渓谷には、数多くの湧水が見られ、不動の滝のように特に湧水の多い場所もあります。不動の滝は、修験者・役の行者(えんのぎょうじゃ・役の小角えんのおづぬ)が不動尊を彫ったとされる伝承から、役の行者霊場として、各地から修験者も多く訪れました。また等々力渓谷では、湧水が流れる緩やかな斜面には、セキショウが生え、湧水が溜まる湿地にはシャガやキチジョウソウをはじめとする湿生植物群落など、特有の植生が見られます。ハンノキや、ハナイカダやハリギリなど東京23区内では珍しい山地性の植物の見られ、湧水や周辺環境の保全は、これら植物の保護のためにも重要です。
東京の名湧水57
等々力渓谷および等々力不動尊の湧水は、東京23区内唯一の自然のままの谷壁が残っている渓谷であり、数多くの湧水が存在すること、また修行に用いられている滝があることなどから、平成151月東京の名湧水57選に選ばれています。(解説版)


d0183387_16580404.jpg
この崖の上が等々力不動尊です


d0183387_16241357.jpg
d0183387_16575738.jpg
滝不動尊                 不動の滝

不動の瀧

利剣の瀧、等々力の瀧とも呼ばれる等々力不動の瀧は、今から八百数十年の昔、高野山を中興し根来寺を開創して量算の座主となられた興教大師(覚鑁上人かくばんしょうにん1095年~1143年)が、役の行者の利された不動尊の夢告によりこの尊像を奉して渓谷を逆上ると、幽な空気に満ち所に到った。見上げるばかりの断崖の中段を杖を振ってうがつと、霊泉がほとばしり出て瀧を成した。この瀧の上に奉納した不動尊を安置したのが崖の上の御本堂の等々力不動尊である。四季に枯れることのないこの瀧をお瀧と呼んで一心不乱に修行する人は今も多い。等々力の地名は、一説、瀧の轟く音に由来すると言い瀧轟山という山号にもなっている。他の一説は満願寺が深沢免々呂城内におり免々呂城(とどろき)の満願寺と呼ばれ現在地に移転後もとどろきの満願寺と言った事から地名になったという。(瀧轟山等々力不動尊満願寺別院)


d0183387_16592207.jpg

d0183387_16592488.jpg等々力不動尊
別院に関東三十六不動尊霊場の第17番である等々力不動尊がある。正式名称は滝轟山(りゅうごうさん)明王院。本尊は不動明王。寺に残る言い伝えによれば不動像は1300年前の作で、800年前に興教大師が夢を見て武蔵国に不動明王像を安置する場所を探し続け、当時の豊富な水量を流す当地の滝を見て霊地と悟り、この地に不動堂を創建したのが始まりであると言われている。本堂は江戸時代末期の建築で、拝殿は1952年に山門は1968年に満願寺より移築したものである。当不動尊には隣接して等々力渓谷があり、23区内では貴重な自然湧水による滝や豊かな動植物が見られるスポットになっている。また、茶屋や休憩処もある。(Wikipedia

d0183387_17080486.jpg
等々力渓谷案内図


・・・・・・

谷沢川
(やざわがわ)
世田谷区を流れる多摩川水系の一級河川である。水源は世田谷区桜丘四丁目・五丁目付近の武蔵野台地上の湧水と桜丘三丁目の旧品川用水のかつての吐水跡とされる。ここから南下して上用賀地内の複数の湧水を合わせ、世田谷区中町を経由する。中町より上流の流路は、大正〜昭和初期の玉川全円耕地整理によって人為的に変更され、直線化されており、首都高3号線高架下の田中橋付近から多摩川への合流口までが開渠となっている。流れは徐々に谷を深くし、東急大井町線に沿う形で一旦東進した後、南下して23区内唯一の渓谷とされる等々力渓谷を流れる。このあたりでは水面は、周辺の最も高い台地面から20mから30m近くも切れ込んだ深い谷を形成し、渓谷崖からの多量の湧水がみられる。流れは環八通りの下をくぐって、世田谷区野毛付近で国分寺崖線を出たところで丸子川(旧六郷用水)につきあり、世田谷区玉堤で多摩川に注ぐ。
武蔵野台地は水を通さない海成の粘土質層の上に水を通しやすい礫層が互層となった関東ロームに覆われた台地であり、台地上をはじめ多摩川に削られてできた崖線には多くの湧水がある。等々力渓谷はこの大量の湧水が台地を侵食してできた渓谷である。

(渓流路変更の諸説)
中町から等々力周辺の地形を見ると、高低差が2mから4mほどの幅の広い谷底地形が自由が丘の方へ蛇行しながら伸び、呑川へつながっているのがわかる。ここは中心部を現在は下水道幹線の暗渠となっている九品仏川が流れているが、これが本来の谷沢川である。その後、流路が変更され等々力渓谷を下るようになった。この流路変更には等々力渓谷から谷頭浸食を受け、その結果谷沢川上流部が河川争奪されて流路が変わったとする自然現象説がある。この説では侵食の進み具合から歴史時代より昔に流路が変わったことを示唆するが明確にはされていない。一方、江戸時代に水利を巡る争いや排水不良の改良のため人為的に流路が変更されたとする、人工開削説がある。しかしこちらは、すでに開析が進んだ渓谷の先端と矢沢川をつなぐのみならず、中町のあたりまで深く掘削した理由が明らかでなく、またそれほどの大工事の記録が見えない。こうしたことから、一般には前者の説を採るものが多い。(Wikipedia抜粋


d0183387_17305928.jpg
この上流(下)で矢沢川は大きく蛇行しています/ゴルフ橋

谷頭侵食(こくとうしんしょく)
谷の最上流部、すなわち谷頭で行われる侵食作用。頭部侵食、後退侵食ともいう。谷頭部では風化と重力に基づく崩壊によって谷壁斜面が上流側に後退し、それに伴って谷が上流側に延びていく。風化物質や崩壊物質はおもに布状流によって運び去られる。谷頭の後退は分水界の移動と流域の拡大をもたらす。谷頭浸食が活発に行われると隣接する流域を蚕食し、河川争奪がおこることもある。谷頭侵食は既存の谷が上流に向かって働きかけるだけでなく、谷壁に新しく雨溝が発生した場合にもそこから上流に向けて谷を発達させる。関東地方東部の常総台地などにはこの種の支谷の谷頭侵食によって発達した無従谷がみられる。(Wikipedia


河川争奪(かせんそうだつ)
河川の流域のある一部分を別の河川が奪う(自らの流域に組み入れる)地理的現象のこと。特に珍しい現象ではなく、世界各地にその痕跡地形(河川争奪地形)が見られる。流域が隣接する2つの河川があると想定する。両河川の間で河床勾配、流量などに大きな差があり、一方の河川の浸食力が著しく強い場合に河川争奪が発生しやすい。奪う側の河川の谷頭が上流へ浸食して分水界を後退させていく。そして、奪う側の谷頭が隣接河川の水系に達すると、そこから上流の流域をすべて奪い、下流は水の流れない谷地形が残ったり河道が逆流することもある。これが一般的な河川争奪の過程である。このような河川争奪は、日本では全国的に見られる。通常、浸食する河川が浸食される河川まで達していない段階では、分水界は稜線上にある。しかし、浸食の進行にともなって、隣接河川の形成する谷の中に奪う側の谷頭が入り込んでしまう。この分水界の形態を谷中分水界(こくちゅうぶんすいかい)という。谷中分水界は、今まさに河川争奪が行われようとしていることを表している。河川争奪が起こると、奪う側では急勾配の谷が形成されるのに対し、奪われる側では比較的平坦な地形となることが多い。こうした地形を片峠(かたとうげ)または片坂(かたざか)という。片峠の存在は、その地域で河川争奪が発生していた可能性が高いことを物語る。(Wikipedia


d0183387_01255356.jpg

世田谷区の地形ジオラマ(等々力渓谷付近)/世田谷区郷土資料館
(紫:等々力駅 黄:等々力渓谷・矢沢川)


by Twalking | 2015-06-10 16:34 | 東京散歩(新規)

<< デモ撮影 多摩中央公園 >>