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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり六本木~麻布03 白金   

日時 2015.9.15(火)
天気 晴れ

外苑西通り、この道はお墓参りで通るところ、
いつもは車窓からなので、ちょっと裏路を歩いてみました。
北側は古川がつくった原、舟運で賑わったようですし、
坂を登ると白金台の閑静な住宅地、いい所ですね~。

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広尾橋/外苑西通り

広尾

東京都渋谷区の南東部に位置している。西は同区・東と、南は渋谷川を境界として同区・恵比寿と、東は港区南麻布と、北は港区西麻布および南青山と接する。もともと広尾は「樋籠」(ひろう)と記され、広大な原野であったという。「広尾原」とも呼ばれた。広尾五丁目から広尾病院や慶応幼稚舎のある恵比寿二丁目にかけての平坦地一帯は、かつてツクシがたくさん生えていたことから「土筆ヶ原」(つくしがはら)と呼ばれ、江戸時代には江戸名所図会の挿絵にもみられるように庶民の遊歩散策の場所となっていた。現在、広尾五丁目商店街となっているあたりの町は正徳3年(1713)に町並地となり町方支配となった。町は昭和20年のアメリカ軍による東京大空襲でも被災を免れて明治・大正の建物が多く建ち、近年まで昔の面影が残されていた。土筆ヶ原の中心にあたる外苑西通り・天現寺交差点近くに建つ都営広尾五丁目の場所には、かつて都電の車庫が置かれていた。Wikipedia


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江戸名所図会 広尾原 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)


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天現寺交差点/外苑西通り


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天現寺付近地図(橙:外苑西通り 緑:明治通り 紫:坂)

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天現寺/港区南麻布

当寺は小日向御簞笥町にあった臨済宗大徳寺末の普明寺を引継ぎ享保4年(1719)現在地に移築して多聞山天現寺と改め、新たな法幡を竪起することとなった。開山は広尾祥雲寺八世怡溪和尚の法嗣、良堂大和尚で、正徳三年(1713)祥雲寺住職となり、同六年紫衣を賜った。当寺は多聞山の山号が示すように本尊として毘沙門天の像(樟の丸木作り、高さ103.5センチメートル)をおまつりしている。(HPより抜粋)

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江戸名所図会 広尾毘沙門天 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)


白金

港区の南部に位置し、古川(渋谷川)を隔てて北は南麻布、南は白金台、東は高輪、西は渋谷区恵比寿にそれぞれ接する。恵比寿通りが東西に横断していて、主に準工業地域の用途指定を受ける丁目が奇数の白金一、三、五丁目と、主に第一種中高層住居専用地域指定である丁目が偶数の白金二、四、六丁目に分けている。町域内には聖心女子学院・北里研究所などの施設や私企業が山林として所有する敷地があり、隣接する白金台の旧白金御料地(国立科学博物館附属自然教育園など)・東京大学医科学研究所などと一帯となり、東京23区内でも指折りの緑地帯を形成している。これらの緑地帯は江戸時代に大名屋敷があった名残であり、広い区画が残っていたために財界人などの邸宅も見受けられ、高級住宅地として知られている地域もある。近年地下鉄の開通に伴い、白銀高輪駅付近を中心に大規模な再開発(白銀アエルシティ)が行われている。Wikipedia


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渋谷川・古川 
渋谷区
の宮益橋(隠田川・宇田川合流点)から天現寺橋までの2.6km古川は天現寺橋下の笄川(こうがいがわ)合流点から浜崎橋先の河口までの4.4kmの二級河川。古川は江戸幕府の都市計画の一環で、当時の江戸湊の河口であった金杉橋から四之橋までの間で舟入工事が進められ、大名屋敷を中心とした市街地が形成され、川沿いには荷揚場や河岸がたち並び、特に一之橋より下流では舟運が盛んに行われた。古川は江戸時代から昭和初期頃までは新堀川、金杉川とも言われていたが現在は使われていない。

笄川
(こうがいがわ)
港区と渋谷区の境界付近を流れる古川水系の河川である。現在は全面的に暗渠化されている。南青山一丁目〜六丁目にかけての外苑西通り沿いの流れと、青山墓地の東側の流れを西麻布二丁目付近で合わせ南へ流れ、天現寺、天現寺橋付近で渋谷川と合流する。青山から麻布にかけて大小の水源が存在したが、今では根津美術館内の池と、有栖川祈念公園内の池のみが水源の名残を留めている。天現寺交差点脇の笄川合流点より上流の古川水系の本流を渋谷川という。笄川合流点より下流は古川である。Wikipedia


 ぶらり六本木~麻布03  白金_d0183387_22583243.jpg慶應義塾幼稚舎/渋谷区恵比寿
日本で最も古い私立小学校の一つであり、明治7年(1874)、福澤諭吉の門下生であった和田義郎が年少者を集めて教育を行ったのが始まりである。そのため、初期には「和田塾」と呼ばれていた。1880年(明治13)頃から「慶應義塾幼稚舎」と称するようになり、明治31年(1898)に正式に慶應義塾の一員となって初等教育から大学に至る慶應義塾の一貫教育が確立した。(Wikipedia)  



 ぶらり六本木~麻布03  白金_d0183387_22583564.jpg狸橋の由来/古川
むかし橋の西南にそば屋があって、子供を背負い手拭をかぶったおかみさんにそばを売ると、そのお金が翌朝木の葉になったといいます。麻布七不思議の一つで、狸そばと呼んだのが地名から橋の名になりました。ほかに、江戸城中で討たれた狸の塚があったからともいっています。(港区)


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明治坂 
むかしから存在していた坂であるが明治坂と呼ばれた大正初年であると伝える(港区標柱)

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聖心女子学院/港区白金


白金台
(しろかねだい)
目黒通りと外苑西通り・桜田通り(国道1号)沿いには商店・マンションが点在する。町内には、歴史的建造物が所在する明治学院がある。かつてはごく普通の庶民の住宅街だったが、バブル景気後半頃より洒落たレストランやカフェ、ブティックが目立ち始め、それらに伴い高級マンションが建つようになり、近年は高所得の住民も住むようになった。その一部の女性住民がマスコミにより「シロガネーゼ」として取り上げられた。Wikipedia

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東京大学医科学研究所/港区白金台 
東京大学
の附置研究所であり、医科学の研究を行っている。研究所敷地内には附属病院がある。近代医科学記念館も設置されており、医科学に関する歴史的資料を保存・展示し、最新情報の提供も行っている。1892年、ドイツ留学から帰国した北里柴三郎には、当時日本では受け入れる機関がなく、国家有為の才能を発揮できない状態にあった。これを聞いた福澤諭吉が私財を投じて設立した研究所が「大日本私衛生会附属伝染病研究所」である。後に内務省から文部省に移管されるに及んで北里は同所を去り、新たに「北里研究所」を設立して研究を続けた。Wikipedia


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日吉坂 
能役者日吉喜兵衛が付近に住んだためと伝える。ほかに、ひよせ、ひとせ、ひとみなどと書く説もある。(港区標柱)


港区白金
二丁目と白金台一丁目の境界に存在する坂。桜田通りと目黒通りが合流する100mほど手前にある。目黒通りの一部であり、広い坂道で交通量は多い。目黒通りの拡張計画に伴って、車道及び歩道の拡張工事が行われている。坂を下ると、そのまま国道上の名光坂に出る。また、坂下には、清正公があり、都営バスのバス停「清正公前」がある。坂を上ると、桑原坂上に出る。Wikipedia


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覚林寺
(かくりんじ)/港区白金台 
日蓮宗の寺院。山号は最正山。加藤清正の位牌や像が祀られていることから清正公(せいしょうこう)と通称される。付近の住民からは「清正公さま」と呼ばれ、勝負祈願の寺として信仰を集めている。旧本山は大本山誕生寺。潮師法縁。この地はかつて熊本藩中屋敷の一部であった。寛永8年(1631)、誕生寺18世可観院日延の隠居寺として開山。日延は李氏朝鮮第14代国王宣祖の長男、臨海君の子であり、文禄・慶長の役の際に清正によって日本へ連れてこられた人物であった。弘化2年(1845)、火災により全焼。現在の山門は安政3年(1856)に、清正公堂の拝殿・幣殿は慶応元年(1865)に再建されたものである。江戸最初の七福神巡りとされる元祖山手七福神の一つ、毘沙門天を祀る寺でもある。
Wikipedia



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桑原坂 
今里村の地名のひとつである。その起源について、特別の説は残っていない(港区標柱)

港区白金台一丁目
と白金台三丁目の境界に存在する坂道である。目黒通りから下り始め、桜田通り方面を結ぶ道路の中途まで至る坂道であり、坂下方面に向けて左手には八芳園、明治学院、古地老稲荷神社があり、坂の南西に瑞聖寺が存在する。今里村の地名の一つであり、その昔辺りに桑が植えてある原であったとする説もあるが、定説はない。Wikipedia) 


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八芳園/港区白金台 
港区白金台
に所在する12000坪の敷地内に庭園のあるレストラン・結婚式場である。庭園の名称は「四方八方どこを見ても美しい」に由来する。江戸時代前期には譜代の幕府旗本・大久保忠教(彦左衛門)の屋敷(但し、現在の園全域ではなく一部)であったが、その後薩摩藩の抱屋敷、島津氏(松平薩摩守)の下屋敷を経て、1915年(大正4年)、実業家・久原房之介邸宅時に現在の建物と庭園が整備された。Wikipedia

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瑞聖寺/港区白金台
宗派は黄檗宗系の単立。山号は紫雲山。本尊は釈迦如来。開山(初代住持)は日本黄檗宗2代の木庵性瑫で寛文10年(1670)に創建された。木庵は日本黄檗主の祖・隠元隆琦の招きで明暦元年(1655)に中国・明から来日し、寛文5年(1665)に江戸入りした。開基は摂津麻田藩(大阪豊中市)の2代藩主・青木重兼である。重兼は黄檗宗に深く帰依し、晩年には家督を譲って出家している。江戸時代には江戸の黄檗宗の中心寺院として「一山之役寺」と呼ばれていた。Wikipedia

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江戸名所図会 瑞聖寺 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)


by Twalking | 2015-09-19 18:06 | 東京散歩(新規)

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