無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり本郷~巣鴨02 本郷   

日時 2015.11.11(水)
天気 晴れ

「かねやすまでは江戸のうち」春日通りを本郷三丁目へ。
赤門を潜り三四郎池、安田講堂、農学部と東大構内を散策しました。
改修工事が終わったようですね、静かな佇まいでした。


湯島切通片町

湯島天神の両側、春日通りを隔て南北にあった。南部はもと棟梁切通町といわれ、北部は切通片町と称した。棟梁屋敷は大工の棟梁10人の拝領地である。徳川家康の江戸入りのとき遠州浜松から来て、江戸城の修築工事に従事した者の子孫が享保12年(1722)町屋とした。この頃は松原であったという。切通片町は元和2年(1616)幕府中間方22名の大縄拝領地(一括してもらう広い土地)で、切通し坂に沿った片側町屋なので切通片町と呼んだ。(文京区旧町名案内板)

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麟祥院(からたち寺)

臨済宗 妙心寺派 天沢山 麟祥院。開基「春日局」は徳川三代将軍家光の乳母として知られている。功なり名をとげた春日局は、幕府の恩恵に報いるために本郷湯島に寺院を建立しようと思い立った。これを知った将軍家光は、願いをかなえさせるために本郷湯島の土地を寺地として贈った。願いがかなえられた春日局は、「報恩山天沢寺」と名づけた。寛永七年(1630)渭川という高僧を新しく住職として迎え、改めて春日局自身の菩提寺とした。寛永11年(1634)渭川和尚から法号をおくられた。これを喜んだ家光は、法号をもって寺号とするように命じたため、「天沢山麟祥院」と号するようになった。(文京区)
周囲にカラタチの生垣をめぐらせていたので「からたち寺」とも呼ばれる。寛永元年(1624)春日局の隠棲所として創建。はじめ、報恩山天沢寺と称したが春日局の法号をもって「天沢山麟祥院」と号するようになる。明治20年(1887)には井上円了が、この寺の境内の一棟を借りて東洋大学の前身である「哲学館」を創立した。そのため「東洋大学発祥之地」でもあり、碑も建てられている。Wikipedia

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江戸名所図会 麟祥院 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)


d0183387_23493084.jpg春日局の墓
春日局(天正7~寛永20年・15791643)は三代将軍徳川家康の乳母で、名はお福。稲葉正成との間に三児をもうけるが離婚して江戸城大奥に入る。慶長9年(1604)家光(竹千代)が生まれると、その乳母となり生涯家光に仕えた。そして、それが契機となり大奥の制度が確立された。この麟祥院は寛永元年(1624)春日局隠棲所として創建され、「報恩山天澤寺」と称した。局の死後。寺はそのまま菩提寺として法名にちなみ「天澤山麟祥院」となる。墓地奥にある局の墓は無縫塔で四方に穴が貫通した特異な形をしている。(文京区教育委員会)


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哲学館
明治20年(1887)この麟祥院内に「東洋大学」の前身である「哲学館」が創立された。創立者・井上円了は安政5年(1858)越後国(新潟県)の寺に生まれる。明治18年東京大学文学部哲学科卒業。2年後の明治20916日、哲学と宗教の啓発のため私塾「哲学館」を境内の一棟を借りて開校する。哲学館では授業以外に今日の通信教育ともいうべき講義録を毎月3回発行し、哲学の普及に努めた。円了は大正8年大連で逝去、享年61歳。(文京区教育委員会)



本郷(地域)

文京区のおよそ東半分を範囲とし、江戸・東京の山の手を構成している地域のひとつである。湯島郷の中に集落が出来た事に由来し湯島の中心地であったために湯島本郷とよばれていたのが、室町時代から戦国時代に本郷と呼ばれるようになる。町屋として早い時期から開け区域内には本郷地域内に弓町、元町、真砂町、金助町、菊坂町、本富士町などがあった。明治から昭和にかけて夏目漱石、坪内逍遥、樋口一葉、二葉亭四迷、正岡子規、宮沢賢治、川端康成、石川啄木など多くの文人が居を構えた。本郷通りが尾根となり緩やかな台地(本郷台)になっている。Wikipedia

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安田講堂

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赤門                 農学部正門


d0183387_00355754.jpg育徳園心字池(三四郎池)
元和元年(1615)の大坂夏の陣の後、加賀藩前田家は幕府から現在の東京大学(本郷キャンパスの一部)およびその周辺地を賜った。寛永6年(16294月、前田家3代藩主利常の時に、徳川3代将軍家光・大御所秀忠の御成(訪問)があり、それに先だって豪奢な御成御殿や数寄屋を新築し、庭園を整備したと考えられる。この庭園が育徳園であり、池を心字池といった。夏目漱石の名作『三四郎』は、ここを舞台としたため、「三四郎池」と呼ばれるようになった。


d0183387_00372450.jpg上野博士とハチ公
秋田県のハチは大館市に生まれ、生後50日ほどで東京帝国大学農学部の上野英三郎博士(農業工学・農業土木)に贈られた。犬好きだった博士はハチを大切に育て、大いに可愛がり、当時は駒場にあった農学部への通勤や渋谷駅からの出張にはいつも即理迎えをさせた。学生たちは教授の飼い犬を呼び捨てにすることをはばかり「ハチ公」と呼んで敬意を表した。およそ1年半が過ぎた1925525日、博士は大学構内で急死した。それからハチ公は死ぬまでのおよそ10年間、朝夕に渋谷駅に通い、博士の姿を求めた。生前博士が長期出張から渋谷駅に戻っ他時、改札口でひとり待つハチ公に驚き、この像のように互いにじゃれ合って喜んだという。(制作:植田努 2005年)



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菊坂
「此辺一円に菊畑有之、菊花を作り候者多居住仕候に付、同所の坂を菊坂と唱、坂上の方菊坂台町、坂下の方菊坂町と唱候由」(『御府内備考』)とあることから、坂名の由来は明確である。今は、本郷通りの文京センターの西横から、旧田町、西片1丁目の台地の下までの長い坂を菊坂といっている。また、その坂名から樋口一葉が思い出される。一葉が父の死後、母と妹の三人家族の戸主として、菊坂下通りに移り住んだのは明治23(1890)であった。今も一葉が使った堀抜き井戸が残っている。寝覚めせし よはの枕に音たてて なみたもよほす 初時雨かな 樋口夏子(一葉)(文京区教育委員会)


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こんにゃくえんま(源覚寺)
浄土宗常光山向西院源覚寺。寛永元年(1624)現在地に開創。眼病平癒の「こんにゃくえんま」として親しまれている。また、境内にある「塩地蔵」は歯痛緩和のお地蔵さんである。此処にある鐘は、昭和12年サイパン島「南洋寺」に寄進したが戦後所在不明になった。その後アメリカで発見され、昭和49年オークランド市から返還された。元禄3年の銘あり。小石川七福神の一つである毘沙門天を祀る。(文京区)

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当寺院の別称にもなっている「こんにゃくえんま像」は、鎌倉時代、運慶派の仏師の作と推定される、像高100.4センチの木造閻魔王坐像である。像内に寛文12年(1672)の修理銘がある。閻魔像の右側の眼が黄色く濁っているのが特徴。右側の目が濁っていることについては以下のような伝説がある。宝暦年間(1751-1764)に一人の老婆が眼病を患いこの閻魔大王像に日々祈願していたところ、老婆の夢の中に閻魔大王が現れ「満願成就の暁には私の片方の眼をあなたにあげて、治してあげよう」と告げたという。その後、老婆の眼はたちまちに治り、以来この老婆は感謝のしるしとして自身の好物である「こんにゃく」を断って、ずっと閻魔大王に供え続けたという。以来この閻魔王像は「こんにゃくえんま」「身代わり閻魔」の名で人々から信仰を集めている。現在でも眼病治癒などのご利益を求め、閻魔像にこんにゃくを供える人が多い。(Wikipedia


春日
1630年寛永7年)に徳川家光の乳母春日局が拝領、町屋にした。金富町、仲町、大和町、水道町、大門町、同心町などを吸収・合併し成立。本来の春日は今の後楽だが、該当する町名が見つからず住居表示で採用された。2丁目には三井家の邸宅が存在する。(Wikipedia


d0183387_12170783.jpg春日局像

「春日」の地名は、春日局が乳母として仕えた三代将軍徳川家光より拝領した土地に由来し昔は春日殿町とよばれていました。また春日局の菩提寺麟祥院が湯島にあり文京区は春日局と歴史的に深い縁があります。昭和64年(19891月より1年間NHK大河ドラマ「春日局」が放映されました。文京区ではこれを契機として「文京区春日局推進協議会」を設立し区民の皆様と共に区内の活性化、地域の振興を図ることを目的として種々の事業を推進しました。ここに本地業を記念して春日局像を建立することにいたしました。(文京区春日局推進協議会・文京区他)



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富坂 

とび坂は小石川水戸宰相光圀卿の御屋敷のうしろ、えさし待ちより春日殿町へ下る坂、元は此処に鳶多くして女童の手に持たる肴をも舞下りてとる故とび坂と云」と「紫一本」にある。鳶が多くいたので、鳶坂、転じて富坂となった。また春日町交差点の谷(二ヶ谷)をはさんで、東西に坂がまたがって飛んでいるため飛坂   ともいわれた。そして伝通院の方を西富坂、本郷の方を東富坂(真砂坂)ともいう。都内に多くある坂名の一つである。この近く礫川小学校裏にあった「いろは館」に島木赤彦が下宿し〝アララギ〟の編集にあたっていた。 富坂の 冬木の上の星月夜  いたくふけたり われのかへ は島木赤彦(本名=久保田俊彦)                     (文京区教育委員会)

by Twalking | 2015-11-13 13:38 | 東京散歩(新規)

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