無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり「生田緑地」   

日時 2016.1.8(金)
天気 晴れ

昔、向ヶ丘遊園はいったことがありますが、生田緑地は初めてです。。
小山田氏を調べていて、ここに枡形城址があることを知り訪ねてみました。
城址の碑しかありませんが、枡形山から見る多摩川流域の景観や
尾根道、深い谷地に当時の面影をみることができます。
歩くのにはいい所ですね~、十分に楽しめます。


・・・生田緑地

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ほたるの里&ハンノキ林の湿原

生田緑地
川崎市多摩区枡形、東生田、長尾、および宮前区初山にある都市公園(総合公園)である。桝形山(ますがたやま)及び飯室山(いいむろやま)の大部分は生田緑地内に含まれている。多摩丘陵が多摩川にに接する東端の一角に位置しており、現在は計画面積 179.3ha(うち供用面積 95.5ha)の川崎市内最大の都市公園である。津久井道沿いの賑わいが間近に控え、江戸から神奈川(現在の横浜市)方面までの眺望が開ける桝形山一帯には、かつて鎌倉時代に稲毛地方(概ね現在の川崎市北部地域)を支配していた源頼朝の重臣稲毛三郎重成が本拠を構え、同山頂に枡形城を築いたとされている。向ヶ丘遊園、専修大学生田キャンパス、東高根森林公園、緑ヶ丘霊園が当地と概ね東西方向に尾根続きになっている。
Wikipedia


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枡形山
山頂が桝のように四角形の平地になっていることからこう呼ばれるようになったと言われている。


d0183387_18122060.jpg戸隠不動堂跡地(由緒・沿革)
鎌倉時代稲毛三郎重成の居城があったといわれる枡形山に、昭和2年秋一堂が建てられました。本尊不動明王(像高39.5cm)と二童子は明治初年まで信州戸隠神社実道寺の仏像で、その後東京本所・竪(立)川の法樹院に奉安されていましたが、昭和5年現在地に本堂が建立され安置されました。昭和40年、武相不動尊霊28札所の第26番札所となり、酉年には多くの参詣者が訪れましたが、平成5年冬焼失し、現在跡地が生田緑地として整備されています。(説明板)


d0183387_18122351.jpg日本民家園
市内および市外の東日本地域に実在した代表的な構造の古民家、水車小屋などの建物および民具の保存と伝承を目的に整備され、1967年(昭和42年)に開園した野外博物館である。国・県の指定重要文化財を含めた25件の建物を保存・常設展示するとともに、夜間ライトアップや講話会などの催事も企画・実施している。園内には古民家を利用し戸隠そば粉を使う「そば処」が営業している。Wikipedia


d0183387_18143001.jpgかわさき宙(そら)と緑の科学館(愛称:サイエンスプリン)

多摩区在住の大平貴之が開発したプラネタリウム「メガスターIII FUSION」による投影および生解説により、月替わりの番組を通年上演している。このプラネタリウムは 最大1500万個の星の投影が可能でき天の川なども精細に表現できる特徴を持つ。Wikipedia


d0183387_19163676.jpg岡本太郎美術館

市内二子に縁のある岡本太郎より作品が川崎市に寄贈されたことを受けて当緑地内に整備され、1999年(平成11年)10月に開館した。岡本太郎および両親(一平、かの子)の作品を中心に収蔵と常設展示、および企画展を行っている。Wikipedia


d0183387_18191093.jpg母の塔
岡本太郎美術館のシンボルタワーであるこの作品は、1971年に原型がつくられました。7本の足を持つ白くふくよかな塔の上部には、両腕をのばし躍動する人々の姿があります。大地に深く根ざした巨木のたくましさとゆたかでふくよかな母のやさしさ、天空に向かって燃えさかる永遠の生命をテーマとして制作されたこの塔は、緑あふれる生田緑地の中で、岡本の母・かの子の文学碑「誇り」に向かって立っています。(岡本太郎美術館)



d0183387_22534714.jpg「誇り」/岡本かの子文学碑(溝口宿)
彫刻の台座には「この誇りを亡き一平とともにかの子に捧ぐ 太郎」という制作者で長男の岡本太郎の銘が刻まれています。

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中央広場               つつじ山


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生田緑地案内図



・・・枡形城址

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枡形山広場/生田緑地

枡形城跡

小田急線向ケ丘遊園駅の西南約800mの丘陵地に枡形山があります。山頂は東西130m、南北80mの平坦地で眺望もよく、四方は容易に寄りつけないような断崖で囲まれた要害の地をなしています。おそらく枡形山という地名は、こうした地形が枡の形に似ていることから名付けられたのでしょう。枡形山は枡形城跡とも呼ばれており、かつてはここが城であったことが文献からもうかがえます。古くは、源頼朝が鎌倉に幕府を開いた頃、稲毛三郎重成がここ枡形山を城としたと、江戸時代に書かれた『新編武蔵風土記稿』は伝えています。稲毛三郎重成は北条政子の妹を妻に迎え源頼朝の重臣として活躍した人物です。その後、室町時代の永正元年(1504)には、山内上杉の討伐を狙っていた北条早雲が軍勢を進めて枡形城に入りました。そして、扇谷上杉朝良を助けて山内上杉顕定の軍と多摩川の河原で戦い、激戦の末山内上杉軍を破ったと『家長手記』や『松蔭私語』では記しています。また、先の『新編武蔵風土記稿』では戦国時代の永禄12年(1569)、甲斐の武将・武田信玄が小田原へ出兵してきた時、この土地の豪族であった横山式部少輔弘成は枡形山に土塁を築いて後北条氏のために守りを固めたと伝えています。こうしてみると、この枡形山は天然の要害をなした山城として鎌倉時代から戦国時代の武将たちの目にとまるところとなり、たびたび利用されてきたものと考えられます。 

d0183387_10545317.jpg現在、枡形城跡は生田緑地の中に公園として保存されています。山頂の広場には碑が建てられ、郷土の生んだ文学者・伊藤葦天の句が刻まれてます。「馬場あとも やかたあとも 秋の風 (川崎市教育委員会)





d0183387_10545043.jpg枡形城址碑

稲毛氏

桓武平氏良文流で坂東八平氏の一つ秩父氏の一族である。のちに武蔵国の橘樹郡(神奈川県川崎市)を本拠に勢力を張った一族。秩父平氏の系譜を引き、平家の郎党として在京していた小山田有重の三男である重成が、治承・寿永の乱において東国へ下国し、院政期に立荘された稲毛荘に進出し稲毛氏を称したことに始まる。重成は北条政子の妹を嫁とし鎌倉将軍家・北条家の親戚関係となり、一族の畠山重忠や弟の榛谷重朝とともに治承・寿永の乱や奥州合戦において活躍し、鎌倉幕府の成立において重用された。多摩川沿いの登戸に枡形城を、稲城市と境界を接する川崎市多摩区菅に小沢城を構える。川崎市多摩区枡形の広福寺は稲毛領主館跡と伝わり、現在もその遺構が残る。1205年、同族の畠山氏と北条氏との抗争に巻き込まれ、三浦義村に滅ぼされる。Wikipedia
 
                     

d0183387_10550454.png枡形城址
と多摩丘陵
鎌倉時代、多摩川沿いの丘陵地には山城や丘城がいくつも連なっていた。この枡形城をはじめ、小沢城、作延城、亀井城、有馬城、井田城、加瀬城。多摩丘陵の突端にあって、いずれも関東平野を一望できる格好の地につくられ、鎌倉幕府の北の守りを固めていた。とりわけ稲毛三郎重成が本拠を置いたこの枡形城は要所で、重成の没後、幾度となく争奪が繰り返されている。城址の一隅にある「馬場あとも・・・」の碑は伊藤韋天が自作の句を刻んだもの。(案内板)

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(北側)     秩父方面        登戸宿       多摩水道橋   

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(東側)新宿方面             武蔵小杉方面


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(西側)  よこやまの道      読売ランド・小沢城   東生田緑地


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(南側)      横浜方面                            丹沢山系

枡形山展望台
春には山頂に植えられた桜が彩りを添え、夏には一帯が緑で覆われ多摩丘陵のかつての姿を彷彿とさせる。そして木々が葉を落とす冬には横浜市街や遠く富士山までを見渡すことができる。手すりの柱は十二支の動物達を象り、これで方角を示している。



・・・広福寺

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広福寺/多摩区枡形

広福寺は枡形城址の北側のふもとにある寺院で、その門には「稲毛領主菩提寺 稲毛館跡」と書かれた扁額が懸けられています。承和年間(834848)に慈覚大師によって開かれた後、鎌倉時代に長弁阿闍梨によって中興されたと言われています。現在は真言宗豊山派に属し、準西国稲毛三十三所観音札所第1番となっています。本堂には本尊の木造五智如来坐像(桃山時代作)が安置されていますが、神奈川県下で五智如来がそろって残っているのは非常に稀です。境内にある収蔵庫には、神奈川県の重要文化財に指定されている木造聖観音立像及び木造地蔵菩薩立像が安置されています。観音像は像高159.3cm、寄木造、玉眼(ぎょくがん)で、髻(もとどり)を高く結い、右手は肘をまげ掌を前に向けて胸の前に置き、左手は肘を曲げて蓮華を持ち、やや細めの躰に条帛(じょうはく)と裳(も)をまとって直立する通常の観音像に造られています。制作年代は高く結い上げた髻やすっきりまとめられた衣文などの特徴から鎌倉時代末から南北朝時代と考えられています。地蔵像は像高142.9cm、一木造、彫眼で、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、左手には願いをかなえてくれる如意宝珠(にょいほうじゅ)を持つ僧形の地蔵像の姿に造られています。制作年代は胸をU字状に開き、衣文を単純に表現しているところから藤原時代(8941180)と考えられています。また、広福寺の寺地は、源頼朝の有力御家人の一人であった稲毛三郎重成の館跡ともいわれており、本堂内には木造稲毛重成坐像(桃山時代作)が祀られているほか、観音堂の裏には重成の墓といわれている五輪塔が伝えられています。(川崎市教育委員会)


d0183387_12153165.jpg廣福寺の文化財

当寺は真言宗豊山派に属し、慈覚大師(円珍)により平安時代承和年間(834848)に創建されたと伝えられています。当寺の本尊木造聖観世音菩薩立像は、寄木造、玉眼入で、制作年代は鎌倉時代末期から南北朝時代初期ごろと思われます。当初は、全身布張りの上に彩色したものと思われますが、現在は下地塗りのみが残り、一見、素木造のように見えます。また、木造地蔵菩薩立像は、寄木造、彫眼の量感にあふれた仏像で、制作様式は平安時代後期の特色をもっています。現在は全身布張りの上に彩色されておりますが、これは江戸時代に修理を加えた際にものと思われます。これらの仏像は、昭和41719日、神奈川県重要文化財に指定されました。(川崎市教育委員会

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枡形城主稲毛三郎重成之墓 内室一室圓如大禅定尼之墓
源頼朝の御家人稲毛荘長官(現川崎市・稲城市) 父は(現町田市)の領主小山田別當有重 母は(現宇都宮市)の領主宇都宮宗綱の娘 重成は畠山重忠の従兄弟 内室は北条四郎時政の娘 尼将軍政子の実妹然后 建久674日病死 重成別離の愁に耐えず出家 広福寺を氏寺とし中興 建久91228日三回忌供養に相模川に架橋(馬入橋)橋供養をする(石碑文)

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d0183387_22345712.jpg仏足石
(ぶっそくせき)
釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたもの。古いものは紀元前4世紀に遡るとも考えられている。また仏足石は釈迦のものとは限らず、シバ神の足跡も信仰の対象とされている。両足を揃えたものがより古い形式のもので、片足のものは比較的新しく紀元後のものと考えられる。実際の足跡ではなく三十二相八十種好の説にもとづいて、足下安平立相、足下二輪相などが刻まれていることが多い。古代インドでは像を造る習慣がなかったため、このような仏足石や菩提樹などを用いて、釈迦やブッダを表現した。日本には奈良時代に唐を経て伝わり日本各地に存在する。とくに奈良薬師寺にあるものが有名である。薬師寺のものは753年(天平勝宝5年)天武天皇の孫文屋智努(=智努王)によってつくられた日本最古のものである。(Wikipedia


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くらやみ坂
鎌倉時代の山城、枡形城への登り口のこの坂は生い茂る木々に陽光を遮られ、くらやみ坂と呼ばれてきた。城をめぐる戦いのたびに武士たちがここを駆けめぐったのは八百年の昔である。(川崎歴史ガイド)


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枡形天神社の由緒

天神社はこの辺り一円の氏神様です。神奈川県神社誌によると室町時代に稲の目某と云う人が土着して天神様を祀ったのが始まりと云われております。埼玉県に稲田姫をご祭神とする稲目神社があり、この神社から御分霊を受けたものと推察されております。また「江戸名所図絵」には足の速い神として知られる韋駄天様を祀る韋駄天社とも記されております。明治初期の神仏分離令により天神様と知られる菅原道真公が祭神となり北野天満宮に変わり、北野天神社とも呼ばれておりました。その後、建速須佐之男神を祭神として現在の天神社となりました、由緒ある神社でございます。(説明板)

d0183387_20340403.jpg天神社と韋駄天
天神社はこの辺り一円の氏神。古く「江戸名所図会」には韋駄天社と記されている。足の速い神として知られる韋駄天の像は、今も広福寺の守護神として祀られている。(川崎歴史ガイド)


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江戸名所図会 韋駄天山・広福寺(わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)


・・・長沢の里

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秋月院
静けさと緑につつまれた曹洞宗のお寺で、安土桃山時代の創建。ご本尊は準提観音菩薩。この観音様は江戸時代中頃当山にお迎えしたものです。境内には葉書の木とも呼ばれる多羅葉樹(たらようじゅ)の高木があり、昔この葉の裏に経文を書写したそうです。当山は準西国稲毛33所観音霊場札所11番になっています。(長沢の郷の寺社・石仏めぐり)


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盛源寺

盛源寺は戦国時代末期に開かれた曹洞宗の寺院です。本堂へ向う参道の右手に寛文10年(1670)銘の庚申塔(市重要郷土資料)があります。本塔は石造りの舟形光背型式の塔で、塔身部の側、背面部を荒削りなノミ整形仕上げとしています。三猿は初期の庚申塔らしくともに正面を向き、腰を落した姿勢で右から口・耳・目をふさぐポーズをしています。三猿のうえ塔身部正面には「山王大権現為供養也」等の銘を中心に寛文10年霜月の紀年と「武州橘郡菅生郷長沢村」と戦国期的な郷名を冠した村名を陰刻しています。川崎市域には無量院寛文元年銘の庚申塔を最古として、現在320基ほどの庚申塔が確認されておりますが、それらの中で本塔は塔形態・三猿等のシンプルな造形表現において近世初期庚申塔の特徴をよく伝える貴重な資料です。庚申信仰は、仏教思想に道教などの民間信仰が習合して成立したもので、人の体内に住む三尸(さんし)が庚申の夜天帝にその人物の善悪を報告するといわれ、これを避けるため庚申の日通夜で過ごす慣行があります。古くは貴族層や武家社会で信仰されておりましたが、近世に入ると地方村落の間にも普及し農民たちが講を組織して60日に一度、講中の家に集まり、祈祷ののち飲食を共にして楽しい一時を過ごしました。彼らは信仰の証しとして、しばしばそのモニュメントとなる石造庚申塔を造立しました。(川崎市教育委員会)



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資料ファイル

川崎市の地層
川崎市の土台となる地層は、アフリカで人類が誕生した人類紀や第4紀と呼ばれる時代の前半に海で堆積した、固く締まった地層で「上総層群」(かずさそうぐん)と呼ばれています。その後、川崎市一帯が地殻変動で隆起し、上総地層群は広く陸地となって削られ傾きました。現在は麻生区の辺りの丘陵の丘陵地に露出しています。その後、地球は寒冷化と温暖化を繰り返し、川崎市域にも海が入ったり、退いたりを繰り返しました。その時期に堆積した地層を「相模地層群」と呼びます。生田緑地の辺りには約30万年前のおし沼海進時の砂礫層で構成される多摩Ⅱ面という台地があり、宮前区や高津区には約13万年前の下末吉海進時の砂層で構成される下末吉面という少し低い高台があります。富士山が噴火を開始した約10万年頃から、関東平野は広域にわたって隆起(武蔵野変動)をはじめました。この頃から地球は最終氷期に向い、海面は下がり高台は削られ続けました。約15千年前から再び温暖化が始まって海面が上昇し、約1万年前から多摩川や鶴見川に沿って海が入ってきました。これを縄文海進と呼びます。約45千年前からは海の土砂の上に多摩川や鶴見川の土砂や砂礫が重なり、人が住めるような低地ができてきました。そのようなあまり固く締まっていない低地の地層を「沖積層」と呼びます。川の河口には沖に向って伸び、土砂が溜まり新しく土地が生まれたので、川(かわ)の先(さき)の土地という意味から「かわさき」という言葉が生まれたのです。また、川崎市には100万年以上前から火山噴出物が降り積もり続けています。陸上に降り積もった部分を「関東ローム層」と呼び、古い台地ほど古い時代からのローム層が残っています。生田緑地の枡形山には約30万年分の火山噴出物が積もっています。(かわさき宙(そら)と緑の科学館)

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川崎市の地層/かわさき宙(そら)と緑の科学館
(赤:緑地 緑:はるひの・栗平・柿生 橙:登戸 宮崎・有馬・橘・下小田中

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多摩区航空写真/かわさき宙(そら)と緑の科学館
(赤:枡形城 橙:小沢城 青:稲田堤・中之島・登戸・宿河原 緑:遊園・生田・ランド・百合丘・新百合)


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生田緑地ジオラマ(下:東口 右:枡形山)/かわさき宙(そら)と緑の科学館


対岸の等々力渓谷の地層はコチラヘ(http://teione.exblog.jp/21873742/

by Twalking | 2016-01-10 10:10 | たまのさんぽ道(新規)

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