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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり「駒場」   

日時 2016.2.2(火)
天気 晴れ

滝坂道の沿道の一角にありますが、一度訪ねてみたいと思ってました。
歩きはじめる前に駒場公園、駒場の公園、東大など周辺を散策、
井の頭線から目にする風景、やっと所以がわかりました。
いいところですね、駒場、お勧めです。


・・・駒場公園


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駒場公園東門

駒場公園は、加賀百万石(今の石川県)の当主だった旧前田家の前田利為侯爵駒場邸跡です。前田侯爵がこの地に邸宅をかまえたのは昭和のはじめのこと。明治11年設立以来、近代農業に輝かしい業績を残した駒場農学校(後の東京帝国大学農学部)が本郷に移転した跡地を、第一高等学校(現在の東京大学教養学部)、東京農業教育専門学校(東京教育大学農学部、現在の筑波移転跡地)とともに分割使用したものです。現在の公園は、昭和42年に東京都が公園として開園したもので、昭和504月から目黒区に移管されました。和館は現在1階部分が一般に開放されていて、玄関からニの間、一の間(表座敷)と続く広間や、重厚な床の間、違い棚、付書院、欄間の透し彫などを備えた美しいつくりを、昔のままに見ることができます。(目黒区)


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一の間                   一の間の広縁

旧前田邸和館

旧前田利為(としなり)侯爵邸の一部で、隣接の洋館(都文化財指定建造物)と渡り廊下で繋がっている。二階建て純日本風建物で、昭和3年(1930)に竣工した。内部は書院造りで玄関から二の間、その奥には一の間(表座敷)と続き、重厚な末の間、違い棚、付け書院があります。欄間の透かし彫りは美しく、全体の雰囲気が清楚で高い気品を感じます。奥には数寄屋造りの茶室があり、その前庭に最近水琴窟がつくられました。一の間の広縁から眺める庭園は滝、池、樹林、名石の配置が良く、駒場野の自然林を背景に美しい面影を留めています。第2次世界大戦後、しばらく洋館とともに米軍のリッジウエイ極東司令官等が官邸として使用していました。前田家では普段はこの和館を使用することなく雛祭りや端午の節句、お茶会や和食の甲斐などを催す時に使われたといわれています。(目黒区教育委員会)

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前庭


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玄関ポーチ              ベンチからみる前庭  

旧前田邸本邸

旧加賀藩主の系譜をひく第16代当主・前田利為(としなり)の本邸であった建物です。以前は前田家本邸は本郷区(現在の文京区本郷)にありましたが、関東大震災後の復興計画で駒場に移転しました。当主の前田利為は外国生活も長く、国際的見識の高い文化人でした。そのため新邸建築に当っては外国要人の施設迎賓館にふさわしい建物を希望し、設計を東京帝国大学の塚本靖教授に依頼しました。実際の設計は技師の高橋禎太郎が担当しています。洋館の規模は地上3階、地下1階で建築面積は1129.42です。昭和4年(1929)に竣工しました。鉄筋コンクリート造で外壁はスクラッチタイル貼り、アクセントに石材を用い、屋根は銅板葺です。この建物は大正末から昭和初期に建てられた大邸宅建築を代表する一つで、機能性を重視し、当時の最新の技術を駆使した上流階級の生活を偲ぶことができる貴重な文化財です。和館は洋館に付属する迎賓館として昭和5年(1930)に竣工しました。セッツ系は帝室技芸員の佐々木岩次郎です。木造2階建ての近代和風建築で、洋館と別に独立した門構えを持ちます。和館1階は「御客間」「御次之間」を合わせ40畳近くなる続き間を中心に、周囲を畳廊下と縁側でぐるりと囲む特徴的な平面です。「御客間」は伝統的な書院造りで、床、違い棚、付き書院を備えた格式高いものです。2階は「御居間」の床構えは数寄屋風を加味したものとなっています。茶室及び待合は三代目木村清兵衛の設計です。(東京都教育員会)


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園内散策路



・・・駒場野公園


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正門入口

駒場野公園
この一帯は、かつて人の背ほどもある笹が一面に生え、ところどころに松林がしげる広い原野で、駒場野と呼ばれていました。明治になると農業の近代化を図るため、この広い原野を利用して駒場農学校が開校し、近代農業の総合的教育・研究の場となりました。明治14年この農学校にドイツ人ケルネル氏が農芸化学の教師として着任し、土壌や肥料の研究を行って大きな成果をあげました。園内にある水田はこの実験を行った場所で、農学発祥の地「ケルネル田んぼ」と呼ばれ、稲作は筑波大学付属駒場中・高校の生徒さんによって今でも行われています。駒場農学校はその後東京農林学校、東京帝国大学、農科大学等を経て、東京教育大学農学部となり、昭和53年に筑波へ移転しました。その移転跡地に造成されたのが駒場野公園です。(目黒区)


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公園の風景


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ケルネル田圃


ぶらり「駒場」_d0183387_14543094.jpg駒場で花開いた近代農業

ここ駒場は日本近代農業発祥の地である。明治11年、農学校が誕生。ドイツ農法に範を求めた駒場農学校は優秀な農業技術者を次々に世に送り出した。この学校の日本人教師で、後に「明治3老農の一人」いわれたのが船津伝次平。彼は自ら実習田を作り、汗をながすなど体当たりで農業の近代化に努めた。ドイツ人教師ケル念も異色の存在。わが国で初めて化学肥料の使用を試みた彼は、実験水田で研究に取り組んだ。この水田は「ケルネン水圃」として今も残る。駒場農学校はその後、大学農学部などに発展的解消。記念の駒場農学校碑が東大教育学部の構内にある(目黒みどりの散歩道)


ぶらり「駒場」_d0183387_14563167.jpg駒場農学校
明治の初め、政府は、殖産興業政策のひとつとして経験に基づいた日本の在来農法に、先進資本主義諸国の農業技術を積極的に導入しようと図った。そのため、農業技術を指導する外国人教師がさかんに招かれた。クラーク博士を教頭に迎え、アメリカ系統の農業技術を取り入れたのが札幌農学校(現北海道大学)であり、ケルネルらを通じて、ドイツ農法を吸収したのが駒場農学校であった。駒場農学校は、現在の東京大学教養学部、駒場公園、東京大学駒場リサーチキャンパス、駒場野公園(旧東京教育大学移転跡地)にまたがる約6万坪の敷地で、明治11年に開校された。その後、次第に拡張され、最盛期といわれる明治17年には、敷地面積が165,000坪に達し、欧米の農作物を試植する泰西(たいせい)農場、在来農法の改良を期した本邦農場、家畜病院、気象台、園芸・植物園などを持つ、さながら農業の総合教育・研究所の観があった。(目黒区)


ぶらり「駒場」_d0183387_14593153.jpgケルネル田圃
ケルネル田圃は旧駒場農学校の実験田です。駒場農学校は明治政府が近代農業に基礎を置く欧米農法を取り入れるために、農業技術者を養成する学校として明治11年に設置されました。札幌農学校がアメリカ系の農業技術を導入したのに対して、駒場農学校はドイツ系の農業が取り入れられました。ドイツ人教師のオスカー・ケルネルは駒場農学校の教師として招かれ、日本農業の特質を配慮しながら農芸化学を応用した実験を中心に土壌、肥料などの研究と教育を行い、多くの成果を収めました。ドイツ人教師ケルネルの名をつけたケルネル田圃は新しい日本農業の指導者を育てた駒場農学校の実習地の跡として貴重な史跡です。農学校は後に東京農林学校とな東京帝国大科大学等を経て筑波大学に継承されました。現在、ケルネル田圃は筑波大学付属駒場中学、高等学校により教育水田として生徒が実習しています。(案内板)


ぶらり「駒場」_d0183387_14593385.jpg水田の碑 駒場農学校の跡地 近代農学研究・農業教育発祥の地
この水田は明治11年、ここ駒場野に開校した農学校の農場の一部でわが国最初の試験田、実習田として近代日本の発展を支える淵源の一をなした。農学校はいくたびか学制の変更により名称を変えて、その歴史を継ぐ学校がこの地で発展を重ねた。その間、この水田は近代農学研究発祥の地にふさわしい沿革をたどり、国際的協力のもとに初めて、本邦近代農業の研究と教育とが進められ幾多人材の輩出を見た。本校は、東京農業教育専門学校附属中学校として、昭和22年開校以来右の歴史の流れを継いで、この水田を教育の場に活用する栄光に恵まれ、耕作をつづけて本年創立40周年を迎えた。そもそも、農は人類生存の基をなす営みである。本校はこの水田のもつ歴史的意味に想いを致し、幾多先輩の偉業を想起しつつこれを永く後世に伝えたいと考え、ゆかりある方々の翕然たる協力を得てここにこの碑を建立する。なお、建立に際し地元目黒区の理解と協力のあったことを録して感謝の意を表する。(筑波大学附属駒場中学校・高等学校)


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園内散策路



・・・東京大学駒場地区キャンパス



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目黒区駒場に所在する東京大学のキャンパスの一つであり、同大学の本郷地区キャンパス・柏地区キャンパスと並ぶ規模をもつ。「駒場キャンパス」あるいは「駒場」とも呼ばれる。もともとこの地区は、現在の東京大学農学部の前身である駒場農学校(その後東京農林学校→東京帝国大学農科大学と改称)の校地であったが、1935年東京大学農学部は向ヶ丘(本郷校地の一部)の旧制第一高等学校と校地を交換して移転し、代わって移転してきた旧制第一高等学校は、新制東京大学に包括され廃止になるまでここを校地とした。そして新制大学移行により、旧制第一高等学校に代わり東京大学教養学部がこのキャンパスに設置され、現在に至っている。また一高の駒場移転以前の1926年、東大校地に隣接していた侯爵・前田利為の邸宅(現在の東京大学「懐徳館」付近に所在)も、東京大学と敷地を交換し駒場の農学部農場跡地に移転してきた。この地に新しく建てられた前田邸は、その後さまざまな経緯をたどって1967年に東京都駒場公園として公開されるようになり、現在に至っている。Wikipedia



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目黒区みどりの散歩道 駒場コース
(赤:滝坂道 橙:大山街道 紫:散歩道 橙丸:駒場野公園 駒場公園)

駒場野の自然と文学の径
むかしむかし駒場野は人の背たけほどある笹が一面に生える広大な野原でした。将軍家の御鷹場、そして軍隊の駐屯地を経て現在は文化の香り高いまちとなった駒場。文学博物館や駒場野公園の緑をめぐって、歴史の舞台を訪ねてみましょう。



by Twalking | 2016-02-03 18:24 | 東京散歩(新規)

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