無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり成城・国分寺崖線   

日時 2016.3.3(木)
天気 晴れ


ほんとうに久し振りに成城へ行ってきました。
閑静な住宅街、お洒落な店・・・人気がありますね、
車ではよく行ってたんですが。

今回は野川と仙川に挟まれた成城の丘の周辺、
特に国分寺崖線を上からと下から見るのが目的です。
部分的にしか歩けませんが、それでも十分。

すばらしい「自然」と「みどり」が保存されています。
街といい、崖線といい、川といい、歩くには最高ですね。。。


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成城学園前駅・北口

成城

東に仙川、西に野川が流れ台地状の土地に街は広がる。また、西に国分寺崖線、神明の森みつ池がある。住居表示としての成城は小田急線の成城学園前駅を中心とした約68万坪(225.9ヘクタール)に及ぶ地域、都内屈指の高級住宅街として有名である。明治の末ごろまでは北多摩郡砧村大字喜多見と呼ばれ、武蔵野の雑木林と原野が広がっていた。この地に小田急線が開通することを突き止めた小原國芳の尽力で、学園建設資金捻出のため周辺の土地2万坪を購入し、区画整理をして売り出す。当時、この土地をみた小原は、「雑木林、家一軒もない、この百二十丁歩の高台、地価は安く、家はなし、いい高台で、西に富士の秀峰、足下は玉川の清流、全く不思議な土地でした」と述べている。小原は、さらに、中央鉄道(現在の小田急電鉄)と交渉して学園前駅の開設の約束を取り付けた。学園用地24000坪のうち1万坪は地元の大地主の鈴木久弥の寄付によるものであり、小原は鈴木から現金1万円(当時、公務員の給与は75円)の寄付をも受けている。地名は1925年(大正14年)に東京市牛込区(現新宿区)原町の成城学校(現、成城中・高等学校)からこの地に分離独立してきた成城学園が由来であり、「成城」というのは中国の古典「詩経」の大雅の一節にある「哲夫成城」に由来する。(Wikipedia


d0183387_14490775.jpg成城学園前のいちょう並木

大正末期.から昭和の初期にかけて計画的に造成された住宅地である成城のまちには、まちの人々が大事にしてきた景観がそこかしこに見出される。学園前に伸びるイチョウ並木もその一つで、四季それぞれにまちに表情を与えてくれる。(せたがや百景)


d0183387_14510000.jpg成城大学正門






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成城の桜並木/成城6丁目

桜のないまちの春はなにか物足りない。満開のときなど、まちに一斉に春が訪れたことを告げてくれる。花実の宴のにぎわいはないが、路上や家々の屋根に降る花びらは、閑静なこのまちに春の風流心を呼び起こす。(せたがや百景)


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庭園

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和室                 書斎

旧猪股邸住宅/成城5丁目

旧猪股邸は、財団法人労務行政研究所の理事長を務めた故・猪股猛夫氏ご夫妻の邸宅として建てられたものです。母屋は文化勲章受章者の建築家・吉田五十八の設計によるもので、武家屋敷風の趣がある数寄屋造りの建物です。邸内にはアカマツをはじめとする多くの樹木や、居間に面した一帯にスギゴケを植えて水路を配した回遊式風の日本庭園としています。この邸宅を猛氏の長男・猪俣靖氏が「貴重な文化財として末永く残したい」との意向から平成8年11月に(財)せたがやトラスト協会と保全協定契約を締結、平成10年7月に世田谷区に寄贈、そして平成11年から当協会の管理により一般公開が始まりました。(パンフ)


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成城みつ池/崖線上の広場
(成城4丁目)
成城みつ池周辺は「都市計画緑地」として定められています。その一部は都市緑地上の「成城みつ池特別緑地保全区」や世田谷区みどり基本条例における「神明の森みつ池特別保護区」として指定されています。(世田谷区)


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崖線に付けられた階段を下ります


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ここが入口              やはり立派な邸宅ですね

成城4丁目発明の杜市民緑地
故「樫尾俊夫雄」氏(カシオ計算機株式会社の設立者)が発明の多くを考案した自宅の庭であった事に由来。この緑地は地域の原風景や自然環境を保全しながら、区民に憩いの場を提供することを目的に土地所有者と契約を交わし、地域の皆さまに公開しています。(世田谷トラストまちづくり)


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発明の杜市民緑地のすぐ隣の森です

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崖線の上(入口)           崖線の下

成城4丁目緑地/成城4丁目
桜やアカマツの木々やミツバツツジの群生、崖線樹木園などがあり、崖線の上と下を繋ぐ散策路でみどりを楽しむことができます。冬の晴れた日には木々の向こうに富士山を眺めることができます。(案内板)


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なにがあるんだろう?上ってみたくなる坂、行ってみよっと/崖線下


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下ると野川に架かる谷戸橋、左手が国分寺崖線になります/東野川広場


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野川に沿って折り返してみつ池へ/崖線下のみつ池広場


成城みつ池
/成城4丁目
成城みつ池は「世田谷のみどりの生命線」と呼ばれる国分寺崖線の上にあります。4ヶ所の湧水があり、斜面にはコナラ・クヌギ等の雑木林があり、水際にはハンノキ、セキショウなどの湿性植物がみられ、ニリンソウ、キンラン等の希少種も自生しています。23区内には珍しいゲンジボタルの自生地となっています。サワガニ、カブトムシ、オニヤンマ、ウグイスの他、都の指定する絶滅危惧種であるフクロウも飛来します。「みつ池」の名は、かつて三つの池を作り、水を暖めて田んぼに流したことから来ているといわれています(世田谷区)


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十一山市民緑地/成城4丁目



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成城みつ池北緑地/成城4丁目

もともとは住宅地でしたが、国分寺崖線のみどりを保全する目的で整備された緑地です。崖の下から崖の上の広場まで散策路で結ばれ、大きなアカマツやモミジをはじめとする斜面のみどりを楽しむことができます。崖の上の広場まで登ると、景石を配した広場となっています。冬の晴れた日には落葉した樹木の額縁から富士山や丹沢の山々を望むことができます。(案内板)


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フェンス越しにみることができます。

成城34丁目の国分寺崖線の樹林
崖線に沿って緑が豊かに残されている。低地に下る坂は両側の深い緑で隈取られ大地との間に陰影をかたちづくる。まちに変化に富んだ散歩道があることは素晴らしいことだ。(せたがや百景)

神明の森みつ池
(しんめいのもりみついけ)世田谷区成城にある緑地である。国分寺崖線上に位置し、湧水が4か所存在する。ハンノキやクマシデなどの落葉樹の天然林と、武蔵野の林を代表するクヌギやコナラなどの林が混じり合っている。東京戸23区内では2か所しか自生していないゲンジボタルや、絶滅危惧種に指定されている動植物が数多く残る、貴重な自然保護区である。特別保護区となっており、開放時期は年数回の観察会に限られている。(Wikipedia


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滝の脇から階段を上ると本殿があります


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珠姫稲荷            岩谷不動

喜多見不動堂/成城4丁目

この不動堂は喜多見慶元寺の境外仏堂で、本尊は不動明王坐像である。創建は明治95月で村内安全、諸難消除、各願成弁のため喜多見の住人浦野半次郎が発起人となり西山八郎兵衛、田中福太郎、宮川太郎兵衛、田中留吉、宮川安五郎、西山伊兵衛の各氏が願主となって、有志の寄進を得て今の地に堂宇を建立し尊像を安置したものである。この尊像は、明治の初め多摩川大洪水のとき、喜多見川原に流れ着いたものを前記の願主たちが成田山新勝寺で入魂したものと伝えられている。境内には湧水による滝があり、かつては信者が水行した。また、この滝口には滝不動が祀られている。堂宇と並んで岩屋不動、玉姫稲荷、蚕蔭大神を祀った小祠がある。
毎年冬至の日には星祭りが執行され、護摩が奉修され、特に南瓜に”真田幸村”と書き、自分の名を併記して護摩供養すると喘息や中風に罹らないという南瓜護摩が古くからこの日に行われている。(世田谷区教育委員会)

慶元寺の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23022006/


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成城の富士見橋と不動橋
切り通しを抜けて小田急線が走る。二つの橋はこの小田急線に架かっている。よく晴れた日は、崖線を越えて丹沢の山々や遠く富士山を望むこともできる。夕日の沈むころは、懐かしい哀愁のただよう陸橋の風景が浮かび上がる。(せたがや百景・富士の見える橋)


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成城3丁目桜と紅葉の並木

春の桜のころや新緑の5月ももちろん美しいが、秋の紅葉のトンネルも素晴らしい。落葉を踏みしだいて歩く趣のある散策路だ。この小風景を愛する住民も多い。車の入らないこうした小道はまちなかに奥行きをつけてくれる貴重な空間だ。(せたがや百景)


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成城三丁目緑地

三丁目緑地は多摩川が長い年月をかけて削ってできた「国分寺崖線」にある森です。もともとは国の土地に宿舎や建物がありました。人々の暮らしを支えた雑木林や斜面から流れ出る湧き水、竹林などがあります。(案内板)


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崖線を下ります


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きよみずばし             崖線下の湧水


成城三丁目緑地
成城の住宅街の中にある成城三丁目緑地には斜面林とともに2箇所の湧水地があります。多くの自然が残されサワガニやカブトムシなどを観察することができます。現代の生活にあった「まちの里山」をテーマに、地域住民が中心となって、住民参加による公園づくりを行っています。(世田谷風景資産)


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成城学園前駅・南口


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世田谷みどりのフィールドミュージアムMAP
(赤:ルート 青:野川 橙:喜多見駅・成城学園前駅)



・・・
資料ファイル

国分寺崖線とは
多摩川が10万年以上かけて武蔵野台地を削ってきた段丘のことで、立川から国分寺、調布を経由し世田谷から大田区へ続く約30kmの「崖のつらなり」をいいます。多摩川と野川に沿って約8km続き、高さ10~20mの斜面から成ります。緑が帯状に存在し、湧水など自然環境に恵まれた崖線は世田谷の「みどりの生命線」ともいわれています。(案内板)

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成城付近の崖線の緑地
(黄色:緑地 青:野川 茶:小田急線 紫:東名)


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崖線の地層

野川

東京都を流れる多摩川水系多摩川支流の一級河川。国分寺市東恋ヶ窪一丁目の日立製作所中央研究所内に源を発し、南へ流れる。世田谷区鎌田で北から流れ来る仙川を合わせ、世田谷区玉川一丁目付近で多摩川に合流する。野川は、南岸が平坦なのに北岸が急斜面となっていて、両岸の高さが違う。北の崖は、武蔵野段丘面を多摩川が削りこんで作った国分寺崖線である。「ハケ」と呼ばれる崖の斜面からはかつてに比べれば大幅に減少しているものの清水も多く湧き都内でも珍しい自然が残っている。野川が流れる立川段丘面は、2万~3万年前の更新世に古多摩川が流れて作った河岸段丘である。その時代の多摩川は立川段丘面に礫を残しながら武蔵野段丘を横から削っていた。多摩川本流が流路を変えた後に、国分寺崖線の湧水を集め多摩川旧河道を流れた小河川が野川である。野川には多摩川が運んで残した礫の層(立川礫層)を削るほどの流量がなく、礫層を川底にして浅い谷を作った。野川の上流部北側には旧石器時代の遺跡がある。(Wikipedia



by Twalking | 2016-03-04 22:41 | 東京散歩(新規)

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