無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 野川&国分寺崖線をゆく05 若葉町   

日時 2016.4.26(火)
天気 晴れ

夏日ですね、日差しが強いけど、いい風吹いてます。
今回は若葉町のハケと新・旧の野川を訪ねましたが、
ハケ&野川公園緑地は緑一杯、気持ちよく歩けました。

実篤公園&若葉町の斜面に残された雑木林、
都会とは思えない、野趣で濃い緑に包まれています。
これは、貴重な自然資産、すばらしいと思います。
ありがとう~!楽しませていただきました。


・・・柴崎(調布市)

の名の由来としては武蔵野特有の柴山から起こったとか、牛馬の放牧地を指した言葉あるいは突端(崎)の船着き場(チバ)という意味のアイヌ語がなまったものなどといわれますが、この他、江戸氏の一族である柴崎氏が居住したことにちなむとする説もあります
。(「調布の地名」/調布市郷土博物館解説シート)

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野川の風景① いつも電車から見える景色、今日は逆からです/車橋(菊野台)

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野川の風景② 入間川(分水路)が左岸から合流します/小金橋(神代団地)


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常楽院/西つつじヶ丘

ここに、もと福僧山延命院蓮蔵寺があり江戸後期の地誌『新編武蔵風土記稿』に深大寺の末寺として載っています。のちに廃寺となり、字名として蓮蔵寺村の名が残りました。道路の南にある墓地には慈覚大師(円仁)廟があり、大師一千一百年遠忌記念の宝塔です。その横の大きな庚申塔(元禄4)や地蔵尊(安永8)筆子中塔(天保10)に蓮蔵寺村銘があります。関東大震災で焼失した上野広小路の六阿弥陀第5番の寺が、昭和8年に当地に移転してきました。これが現在の常楽院です。(調布市)

d0183387_16091298.jpg思い出のアルバム歌碑
当山第52世本多慈祐(鉄麿)は作曲家として讃仏歌、仏教保育関係の歌、各地の幼稚園、保育園、学校等の園歌校歌を数多く作曲した。現在、仏教系に限らず全国の幼稚園、保育園で卒園歌のように歌われている「思い出のアバム」(増子トシ作詩、本多鉄麿作曲)の歌碑が常楽院境内に建てられている。これは戦後、慈祐住職が地域の青少年文化活動として俳句会、読書会、合唱団等を組織し又、神代幼稚園を創設しその中で育てられた有志の方々により平成8年に慈祐没後30年を記念して建てられたものである。(常楽院)


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金子稲荷/西つつじが丘
旧金子村蓮蔵寺にある稲荷社で、創建の由緒は不詳ですが江戸後期の地誌に「社地除一畝(100平方メートル)村の東南蓮蔵寺の辺ニ小社アリ」とあります。境内の明治41年の「稲荷神社再建碑」の裏面の碑記によると、明治434月に村社の厳島神社に合祀したことを記しています。この碑は神社跡を後の人々に伝えるため氏子中が建てた記念碑です。その後、地元の人々の強い要望により昭和11年に再び稲荷神社が戻り再建されました。(調布市)


・・・
雑木林の道 調布若葉町コース

仙川(せんがわ)
三鷹市新川の勝淵神社近くの湧水地から流れる仙川の名をとって地名としています。湧水源のことを俗に「釜」といいますが、たくさんの釜(千釜)があるというところから、これがなまって仙川となったといいます。またそのあたりにかって住んでいたといわれる仙人にちなむとする俗説もあります
。(「調布の地名」/調布市郷土博物館解説シート)

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ハケの道/実篤公園下

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神明坂             坂上の滝坂皇大神宮/若葉町


調布八景・実篤公園と記念館
白樺派の作家、また野菜などの絵で知られる武者小路実篤が晩年の20年を過ごした地が公園となり1500坪の敷地の中に、武蔵野の面影を残しています。実篤公園に隣接して直筆原稿や書画、愛蔵美術品などを展示する記念館があります。晩年をすごした書斎が保存されており、月ごとに展示替えも行われています。(調布市)

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実篤公園入口


d0183387_17353234.jpg実篤公園と記念館/若葉町
武者小路実篤記念館/若葉町 水のある所に住みたいという願いを子供の頃から持ち続けた武者小路実篤は、昭和30年の暮れにその念願がかなって、武蔵野の自然と豊富な清水をたたえたここ仙川の地を仕事場兼自己完成の場として選びました。「僕は朝は原稿を書き、原稿を書かない時は画をかくことを心がけ、少しでも進歩出来れば喜んでいる・・・」と「一人の男」の中に当時の生活を記している実篤は、昭和514月に90歳の生涯を閉じるまで、此の地で数多くの著作と書画の制作に励みました。晩年の20年間を過ごしたその旧宅跡は、故安子夫人の意志によって多くの遺品、所蔵品とともに遺族から調布市に寄贈されましたが、昭和535月から実篤がこよなく愛した自然をとどめる「実篤公園」として一般公開され今日に至っています。実篤公園とトンネルで結ばれる武者小路実篤記念館は、実篤の生涯と人間像をたどるため関係資料の展示、収集、保存等積極的に進めることを目的に、実篤生誕100年に当る昭和6010月に調布市が設置したものです。平成65月には閲覧室や収蔵庫などを持つ資料館が増設されました。(調布市)


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旧邸入口               庭側から 

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にじます池

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竹林と木道                ヒカリモ

光藻(ヒカリモ)

ヒカリモは豊かな湧き水やうっそうと茂った樹木がないと生息が難しく、都心に近い場所で発見されるのはきわめて珍しく、豊かな自然環境が残されている証拠です。(案内板)  

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下るともう一つ池があります

d0183387_16555431.jpg武者小路実篤記念館/若葉町

明治から昭和にかけて文学、美術、思想、演劇と幅広い分野で業績を残した武者小路実篤は、水のある所に住みたいという子どもの頃からの願いどおり、昭和3070歳の時に調布市仙川に移り住み、昭和51年に90歳で亡くなるまで20年間をこの地で過ごしました。死後、邸宅と数々の貴重な資料がご遺族より調布市へ寄贈され、これを受けて実篤の生涯と業績を紹介するために昭和60年に記念館を開館しました。邸宅を公開した実篤公園とは地下道で結ばれています。(調布市)


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街道風景 滝坂道/桐朋学園前(若葉町)

滝坂道・仙川付近の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/22903611/


仙川の寺町

若葉町1丁目の都立神代高校の周辺に浄土真宗の6つのお寺があります。大正12年の関東大震災で罹災し、のちにいずれも都内中央区築地から当地に移ってきました。昭和2年には正善寺、明西寺続いて昭和3年には西照寺、光西寺、光徳寺が移り、昭和4年には安養寺が移り仙川の寺町が出現しました。その他に市内には、関東大震災後に都内から移ってきたお寺が7つあります。(調布市)


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西照寺                光西寺

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安養寺                光徳寺


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若葉町の斜面林
国分寺崖線に残る樹林で、実篤公園から連続して南へと延びています。この崖線の斜面は比較的緩く、宅地化が進んでいますが、このあたりはかなりの幅で残っています。(東京都環境局)

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d0183387_20101904.png若葉町3丁目第1緑地
本緑地の土地所有者のご厚意により平成133月にご寄附をいただきました。近年私たちが親しんできた樹林地が失われています。樹林地の多くが民有地であり、相続の発生などにより宅地化されています。市でも昭和62年に「調布市緑の保全基金」を設け、緑地を保全し緑を守ることに努めてきました。この基金は市民の方々の寄付金も寄せられています。みんなで寄付された方々のご意思を引き継ぎ自然を守り、緑を大切にしていきましょう。(調布市環境部)


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d0183387_21182858.png若葉町3丁目第3緑地

3緑地がある斜面地は国分寺崖線の一部です。国分寺崖線とは多摩川が10万年以上かけて武蔵野台地を削り取って出来た段丘で、立川市から国分寺、調布市を経て世田谷区・大田区へと続く約30kmの崖の連なりとなっています。調布市にあるこの崖線は野川と入間川に沿って約5.7km続き、高さ約1020mの斜面となっています。緑の帯が連なり樹林や湧水など自然環境に恵まれた崖線は調布市の貴重な自然資産です。(調布市環境部)

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国分寺崖線について(黄:若葉町3丁目緑地 青:野川・仙川)


・・・入間(いりま)

武蔵野歴史地理によると本来、渓谷の入り込んだ場所を指すといいます
。(「調布の地名」/調布市郷土博物館解説シート)

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ハケ下の道/入間町


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調布八景・糟嶺神社と明照院/入間町

入間町にある陵山(みささぎやま)と呼ばれる小高い丘の石段を登ると、この丘を二分するように糟嶺神社と明照院が建っています。糟嶺神社は糟嶺大神を祀るかつての村社であり、鳥居近くにそびえるクロマツの古木は推定樹齢500年前後と考えられています。(調布市)

d0183387_22565772.jpg糟嶺神社/入間町

旧入間村(いりまむら)の鎮守社で、陵山(みささぎやま)と呼ばれ、高さ22尺、周り76間余の墳丘上に糟嶺大神(かすみねのおおかみ)を祀った神社です。昔は墳丘の下に社殿があり、宝暦8(1758)に移りました。御神体は衣冠を付けた男神像で、像内の墨書銘札から宝永元年(1704)に造られ、文久元年(1861)に修理されたことがわかります。社殿は関東大震災で倒壊し、大正14年に改築されました。末社は二つの稲荷社と天満天神社の3社を祀ります。社前に大国魂神社宮司の猿渡盛厚撰「糟嶺神社の碑」がたち、神社の由来を記します。本堂左手高台に位置する糟嶺神社は農業の神糟嶺大神を祀るかつての村社であり、社殿は多摩郡の墳陵のひとつといわれる高さ3.81m、根廻り127m墳陵の上に建っています。境内約352は解放され、社屋の一部は集会所として利用されています。社前の鳥居近くにそびえるクロマツの古木は推定樹齢500年前後と考えられています。(調布市)

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明照院/入間町
陵山(みささぎやま)の丘を二分して老樹に囲まれた高所に糟嶺神社、低所に明照院があります。開山は法印秀海(16世紀中頃)。第8世盛珊の代に深大寺末となり、第9世義円が享保3年(1718)に本堂を改築。昭和10年に改修しました。観音堂は安永年間(177280)に補修。堂内の弁財天は第6世・良慶法印が近江の国竹生島弁財天の分影を勧請し境外の弁天山宇賀神堂に祀っていましたが、明治17年堂内に移しました。近年閻魔堂が新築され、境内には江戸時代の六地蔵、巡拝塔、石坂供養塔などがあります。(調布市)

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観音堂                えんま堂

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野川の風景③ この先で入間川が合流します、前方は成城4丁目緑地です/小足立橋(狛江市)

成城4丁目・3丁目緑地の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/22946812/


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調布ふるさとの散歩・寺町と文学の道マップ
(赤:コース 橙:歩行ルート 青:入間川 紫:瀧坂道・甲州街道)


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資料ファイル

入間川

主に調布市を流れる多摩川水系野川支流の一級河川。上流は大部分が暗渠である。三鷹市内では「中仙川」と呼ばれ、暗渠の上に「中仙川遊歩道」が整備されている。下流の開渠部分もとても細く住宅街の中を流れている。概ね南へ流れ調布市入間町と狛江市との境界で野川に合流するする。

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京王線築堤付近の入間川/調布市東つつじが丘

六郷用水(次太夫堀)の開削等
江戸時代の六郷用水(俗称:次太夫堀/多摩川を水源としていた用水路)の開削以前は、野川が現在より西の狛江市中心部を流れていて、当時現在の野川との合流点より下流の入間川は現在の野川の流路とほぼ同じ流路をとって、現在の世田谷区玉川付近で直接多摩川に合流していたと考えられる。しかし六郷用水の開削により、野川や入間川の水はほぼ全てが用水に取り入れられるようになった。しかも、旧入間川の流路の内、世田谷区喜多見付近はほとんどの区間が用水の水路に転用されたと考えられている。そして、現在の世田谷区大蔵付近で用水の水を旧入間川下流に一部放流し、その放水路(現在の世田谷区大蔵付近〜同区玉川付近)その部分をも野川と称した。

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糟嶺神社からみる入間川/入間町


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分水路の合流地/小金橋        入間町付近

昭和(1967年)の河川改修
昭和になって六郷用水も川の流路を失わない範囲で大部分が埋められ、野川の流路を東に寄らせる改修が行われた。野川は狛江市街に入らずに調布市と狛江市の市境付近に新たに開削された。それより下流の野川も、入間川との合流点をつくり、さらに下流の現在の小田急電鉄喜多見車両基地付近では、旧入間川より数百メートル程東に野川が開削され、さらに下流でも次太夫堀開削以前の入間川に近い流路がとられた。しかし、この開削した川も全区間野川と称したため、現在では「入間川」とは野川支流の短い極小河川のみを指す名となってしまった。Wikipedia

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現野川との合流地/小足立橋先(狛江・調布境)


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旧入間川の流路跡/狛江ハイタウン(狛江市東野川)


by Twalking | 2016-04-28 10:19 | リバーサイド(新規)

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