無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 野川&国分寺崖線をゆく06 二子玉川   

日時 2016.4.26(火)
天気 晴れ

野川はよく自転車で走りましたが、これは新野川なんですね。
ということで今回は旧野川と六郷用水の跡を追ってみました。
緑も多くきれいに整備された緑道は気持ちよく歩けます。

一応、通しで野川を歩きましたが、その良さが分かります。
国分寺崖線の湧水や雑木林、よく整備された緑道、そして
関連する歴史など非常に味わいがあり、面白かったです。
手頃なコースなので、季節を変えてまた歩きたいですね~!


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野川の風景① 左は成城、右は喜多見ですが、Uターンして旧野川跡へ/谷戸橋



・・・旧野川の川筋を訪ねて(野川緑地公園/狛江市)

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野川緑地公園の入口です/小金橋

野川緑地公園
旧野川の川筋に造られた公園で、西野川1丁目の調布市境から岩戸北1丁目の小田急線線路付近まで約2.2kmにわたって市北部を縦断しています。約4500本の樹木や草花を植えた花壇が整備されており、サクラ、ツツジ、キンモクセイなど多種多様な植物が色とりどりの風景や雰囲気を作り出し、目を楽しませてくれます。また、散歩道や憩いの場、子どもの遊び場として広く親しまれています。(狛江市)

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旧野川の風景① 木陰が多くて歩き易いですね/東野川


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周りは畑です             大橋跡


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旧野川の風景② 緑のトンネル、あれ、紅葉してますね~/西野川


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御台橋
/西野川2丁目

江戸時代の寛政年間(17891801)の史料に「五大橋」という名称が見られ、この頃には「五大橋」が架かっていたことが確認できます。また、明治時代初めの史料から、当時は長さ約3.6m、幅約1.5mの石造の橋だったことがわかります。「御台橋」という字をあてるようになったのは、昭和36年(1961)の架け替えの時のようです。現在、緑道内には最後に架けられていた橋の親柱がモニュメントとして残されています。(狛江市)

d0183387_09420796.jpg残ったおじいちゃんの榎

旧野川跡地は野川緑道公園として昭和52年に開園しました。今は緑道として散歩道やジョキングコースとして市民に親しまれています。ここは旧野川付近に辺り、個人の所有地でしたが相続の際、故人が生前に大切にしていたことから狛江市に寄付され現在に至ったものです。「狛江のまち-魅力百選」に選定されています。(案内板)

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旧野川の風景③ 緑地公園の入口、小田急線がみえてきます/和泉本町

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野川緑地公園周辺マップ
(緑:野川緑地公園 黄:六郷用水跡 紫:世田谷通り)



・・・六郷用水跡①(世田谷通り

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旧野川は六郷用水に取り込まれ喜多見方向へ流れていたようです/新二の橋(世田谷通り)


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一の橋                二の橋


・・・六郷用水跡②(滝下橋緑道・世田谷区喜多見)

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300m程ですが用水の跡です/滝下橋緑道

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緑道入口                案内板


d0183387_10111340.jpg次大夫堀(六郷用水)の由来
慶長2年(1597)から15年もの歳月をかけて慶長16年(1611)に完成した次大夫堀は、多摩川の水を和泉村(現狛江市)で取り、野川・仙川などの小河川と合流し多摩川沿いの武蔵国荏原郡世田谷領14ヶ村(和泉・猪方・岩戸・喜多見・大蔵・鎌田・岡本・瀬田・上野毛・下野毛・等々力・小山・上沼部・下沼部)を通り、下流の六郷領(現大田区)に注いでいました。次大夫堀は江戸時代の初め江戸奉行・小泉次大夫吉次の指揮・監督によって開削された世田谷地方における最初の農業用灌漑用水路です。主に六郷35ヶ村の水田開発を目的とした水利事業「六郷用水」と命名されましたが、婦女子の労働力に頼っていたといわれる工事のため俗に「女堀」とも呼ばれていました。一方世田谷地方の人たちは、小泉次大夫の功績を称え六郷用水とは呼ばずに独自に「次大夫堀」と呼んでいました。全長23km、川崎側の二ヶ領用水との童子平行工事のため、長期にわたる難工事となり沿岸農民の扶養も相当過重だったようです。しかし、世田谷領、六郷領併せて49ヶ村は神殿の造成等により大幅に村高が増加し大きな恩恵を受けました。このような由緒ある歴史を持ち、玉川八景などにも謳われた美しい環境の中に流れていた次大夫堀も、戦後の急激な都市化によってその役割を終え、一部が「丸子川」と改称されて僅かに往時の面影を残すのみです。(世田谷区教育委員会)


・・・六郷用水跡③ 次大夫堀公園(世田谷区喜多見)

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水田に鯉のぼりが泳いでいました/次大夫堀公園

次大夫堀公園
次大夫堀は江戸時代初期、小泉次大夫の指導で開作さた農業用水(六郷用水)の別名です。喜多見辺りでは半ば埋められごみ捨て場のようになっていましたが、野川から取水して昔ながらのきれいな流水を復元しました。その水路に沿って、当時の古民家や水田(14002)を配置しています。水路や池にはコイ・メダカ・アメンボもたくさん生息しています。民家園では名主屋敷(主屋1棟・土蔵1棟)民家2棟、表門、消防小屋などを復元し、公園内の次大夫堀や水田とあわせて江戸時代後期から明治時代初期にかけての農村風景を再現しています。農村で行われる行事なども行っており、昔ながらの生活や風習を体験することができます。園内の水田では毎年稲作が行われ、近所の保育園や小学生達による田植えや稲刈りがJA東京中央の協力のもと行われています。自然体験園では農作業体験等を通じて土とふれあい、都市農業に関心をもってもらうため講習会が開かれています。(案内板)

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先月は桜、これからは新緑ですね、竹の子が伸びてました。

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喜多見4・5丁目農の風景育成地区マップ
(赤:歩行ルート 青:野川・清水川 紫:登戸道 橙:筏道)

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・・・野川緑道を二子玉川へ

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野川の風景② 左岸には国分寺崖線・成城3丁目緑地が見えます/雁追橋(喜多見)

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野川の風景③ 振り返ってみる東名高速の景色/荒井橋(多磨堤通り)


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野川の風景④ 二子玉川が見えてきました。先は天神森橋です/町田橋(宇名根)


d0183387_12565426.jpg天神森橋の由来
この野川は国分寺の恋ヶ窪の湧水を源流とし、国分寺崖線に沿って二子玉川の多摩川に注ぐ全長約22kmの川である。当初の橋は昭和363月に完成し、その頃の鎌田周辺は水田や畑に恵まれ西側には宇奈根川、東側の堀川には洗い場や水車小屋などがあった。近くの鎌田天神にはスギ、ケヤキなどの木立がで囲われた森となっていたので、この橋の名前を「天神森橋」と名付けられた。(案内板)


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野川の風景⑤ 左から仙川が合流します/鎌田橋(多摩堤通り)


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野川と野川水道橋の由来
野川は国分市東恋ヶ窪に源を発し国分寺崖線に沿って幾多の湧水を取り込み小金井、三鷹、調布、狛江を経て世田谷区に入り、二子玉川付近で多摩川に合流する全長約20km、流域面積約70万km2に及ぶ一級河川です。かつては現野川より西側を流れ、宇奈根2丁目あたりで多摩川に合流していたようですが、約400年前に開削された「次代夫堀」による水田開発やその後の大規模自炊事業により現在の位置に姿を大きく変えました。また、都区内の河川としては自然環境も多く残されコイやギンブナなどの魚類、カワセミやマガモなどの鳥類が生息し、地域住民をはじめ多くの方々の潤いの場となっています。

d0183387_22103617.jpg「野川水道橋」の由来は、大正12年当時渋谷町・町営水道が砧下浄水場を造り、多摩川より取水した水を渋谷方面に給水したことから始まります。水を送るための水道本管は初め野川の水底に埋設されていましたが、昭和35年に野川が改修された際水道本管が一旦地上に出て川の上を通ることになり、鉄管を支える目的で「野川水道橋」が架けられ、平成18年までの46年間、「水道管のある歩道橋」として地域の方々に親しまれ生活を支えてきました。兵営18年の野川改修工事で再び川底を通るようになりましたが、「野川水道橋」の46年間の歴史を残しておくために、新しい橋も「小川水道橋」とすることになりました。(案内板 写真:駒沢給水塔・世田谷区地域資産)



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玉電と吉沢橋/鎌田
この橋は関東大震災直後1924年(大正13年)に架け替えられました。玉電砧線の開通に合わせて架けられた鉄道橋でした。砧線は現在の二子玉川駅と砧本村を結ぶ約2.2kmの路面電車で、人の通勤、通学手段としてだけではなく、関東大震災復興のため多摩川の砂利を都心方面へ運搬するため大きな貢献をしました。しかし、その後車社会の到来とともに路面電車は姿を消すことになり、1969(昭和44)年玉電は世田谷線を除き全線廃止となりました。廃止後は道路橋として世田谷区に移管され今日に至っています。この度、野川の河川改修に合わせて上流の吉澤橋と新吉澤橋を統合し、新しい吉澤橋に架け替えになりました。(案内板)


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野川の風景⑥この堤防、綺麗になりましたね/吉沢橋先


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野川の風景⑦ 二子橋&田園都市線を潜って多摩川へ/兵庫島公園


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野川の風景⑧ いい眺めはいいですね~、この先で合流します/旧二子の渡し

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資料ファイル

【野川の流路変更】
六郷用水開削による流路変更
かつての野川は、小金橋あたりから野川緑地公園に近い流路で現在の狛江市中心部を流れ、そのまま南流し岩戸川(現在の岩戸川緑地公園)及び町田川に接続し、宇奈根付近で多摩川に注いでいた。慶長2年(1597)から15年かけて六郷用水(次大夫堀)が開削され、これに伴い世田谷通りの新一の橋付近で六郷領用水と合流し流れを東に変え、世田谷通りと滝下橋緑道を流れ入間川と合流するようになった。次太夫堀公園を流れた後用水から分流し現在の野川下流に近い流路を通っていた。

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野川の流路改修(地図は大正6年)/調布市郷土博物館
(青:現野川 青点線:旧野川・入間川・六郷用水 橙:甲州街道・世田谷通り)

昭和の流路変更
昭和42年(1967)になって六郷用水も川の流路を失わない、範囲で大部分が埋められ(一部が野川緑地公園と滝下橋緑道に整備)、野川の流路をに寄らせる改修が行われた。野川は狛江市街に入らずに調布市と狛江市の市境付近に新たに開削された。それより下流の野川も入間川との合流点を作り、さらに少し下流のきたみふれあい広場(小田急喜多見車両基地)付近では旧入間川より数百メートルほど東に野川が開削され(西側の従前の入間川は埋められた。狛江ハイタウン前からきたみふれあい広場までは道路及び遊歩道になっている)、さらに下流でも次大夫堀開削以前の入間川に近い流路がとられた。また、この開削した川も全区間野川と称した。Wikipedia)

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野川と野川水道橋
(紺:旧野川 青:現野川 赤:六郷用水 薄青:仙川・谷戸川 緑:世田谷通り・玉川通り 黄:品川道・登戸道 茶:水道道路)


by Twalking | 2016-04-29 19:32 | リバーサイドウオーク(新規)

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