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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 大山街道(8)相州大山02 阿夫利神社   

日時 2016.4.30(土)
天気 晴れ後曇り


途中から雲がでてきて、頂上は霧の中でした。
感覚的には分かっていたんですが、結構なアルバイトでした。
でも、本社にお参りできましたので一応目標達成です。

簔毛へ下ろうと予定してましたが、疲れたので下社へ変更、
帰りに伊勢原をぶらりとしてきました。
赤坂から繋いだ「青山道」ですが、一区切りがつきました。

さて、どうするかな~?
矢倉沢往還もありますし、他の大山道もあるし~・・・、
足のむくまま、気のむくまま、でしょうか。。。



・・・阿夫利神社下社

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阿夫利神社下社
延喜式内社で関東総鎮護の神として広く信仰されている。下社は拝殿ともいい、頂上の本社に祭る三神をここで礼拝する。祝詞の奏上や神符、お守りなどはここで授与され、一年を通じて参拝客でにぎわう。(みどころマップ・川崎国道)


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拝殿

大山阿夫利神社
御祭神大山祗神(おおやまずみのかみ)高神(たかおがみのかみ)大雷神(おおいずものかみ)
大山はまたの名を「あふり山」という。あふりの名は常に雲や霧を生じ、雨を降らすのでこの名が起こったといわれる。標高は1251mで、関東平野にのぞんで突出している雄大な山容は、丹沢山塊東端の独立峰となっている。阿夫利神社は古代からこのあたりに住む人たちの心のよりどころとなり、国御岳(くにみたけ、国の護りの山)・神の山としてあがめられてきた。山野の幸をつかさどる水の神・山の神として、また海上からは羅針盤をつとめる海洋の守り神、さらには大漁の神として信仰をあつめると共に、庶民信仰の中心として今日に及んでいる。山頂からは祭りに使ったと考えられる縄文時代(紀元前約1000年頃)の土器片が多く出土していて、信仰の古さを物語っている。仏教が伝来すると神仏習合の山となり、阿夫利神社は延喜式内社として、国幣の社(やしろ)となった。武家が政治をとるようになると、代々の将軍たちは開運の神として武運の長久を祈った。引目祭(ひきめさい)・簡粥祭(つつがゆさい)・納め太刀・節分祭・山開きなど古い信仰と伝統にまもられた神事や、神に捧げられる神楽舞・神事能・狂言などが昔のままに伝承されている。全山が四季おりおり美しい緑や紅葉におおわれ神の山にふさわしい風情で、山頂からの眺望もすばらしい。都市に近いため多くの人たちに親しまれ、常に参詣する人の姿が絶えない。(伊勢原ライオンズクラブ)


大山街道(8)相州大山02 阿夫利神社_d0183387_00173525.jpg浅間社

当社祭神と神縁の深い富士山の祭神である木花咲耶姫、そしてその姉神にあたる磐長姫をお祀りしているお社です。木花咲耶姫は木の花のような繁栄を顕す美の女神、盤長姫は磐の様に強い生命力を表す長生の女神として信仰されております。


大山街道(8)相州大山02 阿夫利神社_d0183387_00182193.jpg学問の神菅原社
菅原社は俗に天神様とも言われ、学問の神としてひろく崇敬されております菅原道真公、天菩日命(アメノホヒノミコト)を御祭神としてお祀りされております。当社の菅原社は亀戸天満宮の氏子であり、阿夫利神社崇敬講社である堅川睦太刀講の手により宋社氏神様の御分霊を奉歳して建立されたお社で、誠に神縁浅からぬ所であり神徳愈々光被いたしております。学業成就、受験合格の御霊験にあやかりてご参拝下さい。(案内板)


大山街道(8)相州大山02 阿夫利神社_d0183387_00200159.jpg大山名水・神泉

浄き明き直さを象徴する神の恵の泉で、湧出るお水は山内只一ヶ所の貴重な水源より引水いたしました。最も清らかな尊いお水です。水は萬物の生に発しの原動力であり、殖産の泉、長命延寿の泉として御愛用ください。(案内板)


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大山街道(8)相州大山02 阿夫利神社_d0183387_00331904.jpg片開きの「登拝門」について

大山は古くより霊験あらたかな神体山として崇敬を集めているお山でありましたため、明治初年の神仏分離まではこの登拝門は夏の山開き大祭(727日~817日)期間以外は固く閉ざされ、山頂への登拝は禁止されていました。登拝門の鍵は遠く元禄時代より280年に及ぶ長い間、大山三大講社の一つである東京日本橋のお花講が保管し、毎年727日の夏開きにはお花講の手により扉は開かれる慣例となっており、現在もその精神は連綿として継承されています。その後、明治20年には登拝者の増加に伴い、春山開き大祭(当時は45日~15日)が新たに設けられ、この期間の山頂登拝が出来得ることとなり、山頂登拝の規制は徐々にゆるめられました。更に、みのげ・日向・ヤビツ峠方面等の表参道以外よりの登山道が開かれると共に、昭和40年には国定公園に指定をされ登山者は急激に増加いたしましたので、要望にこたえて現在では年間を通して常時庶民の山として登拝門は開かれるようになりました。然し、その結果は必然的に登拝門の伝統的意義と性格が失われてまいりましたので、ここに往時をしのびつつ登拝門のもつ史跡としての重要性を考え合わせて、一枚の扉のみを閉じて片開きといたし、その名残をとどめることといたしました。よろしくご理解の上、ご登拝下さるようお願いいたします。頂上参拝をされない方は当所より遥拝して下さい。(登り口の案内板)


・・・登山道

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数えたら113段ありました、ここはゆっくりと一歩づづ


大山街道(8)相州大山02 阿夫利神社_d0183387_13360907.jpg白山神社
大山修験(山伏)は、山中で行う修行の中で、白山神社を拝するのがその一過程であった。当社は加賀の国、白山神社と関係深々、大山時開山(752年)前に建立されたといわれる。(大山観光青年専業者研究会)


大山街道(8)相州大山02 阿夫利神社_d0183387_13372003.jpg夫婦杉

左右同形の巨木で、樹齢五,六百年を経ている縁起の良い巨木である。(大山観光青年専業者研究会)



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ぼたん岩
岩が牡丹のように見えるところから、その名が付いた。(大山観光青年専業者研究)

大山街道(8)相州大山02 阿夫利神社_d0183387_13435355.jpg天狗の鼻突き岩
大人の手が入る位の穴があいている。これは天狗が鼻を突いてしまった跡だという。(大山観光青年専業者研究会)




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十六丁目追分の碑(簔毛分岐)
この碑は、1716年に初建され総高368cmもあり、江戸期の大山信仰の深さをしめしている。この石は麓から強力たちが担ぎあげた。(大山観光青年専業者研究会)

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滑りやすい所、整備していただいたんですね~、ありがたい!


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富士はあいにく見えませんでしたが幻想的な風景です/富士見台

富士見台

大山の中で、この場所からの富士山は絶景であり、江戸時代は浮世絵にも描かれ茶屋が置かれ、来迎谷(らいごうだに)と呼ばれている。(大山観光青年専業者研究会)


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やびつ峠分岐             あとひとふん張りです


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不二三十六景 相模大山 来迎谷 /歌川広重(初代)(神奈川県立図書館HP)

来迎谷
大山の頂上付近、蓑毛からあがってきた道との交点付近に富士山が見える場所があり、来迎谷と呼ばれている。初代広重の浮世絵「不二三十六景 相模大山来迎谷」で描かれている。みどころマップ・川崎国道




・・・阿夫利神社本社


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阿夫利神社本社
大山の山頂(1252)にある。本社祭神は大山祗大神、摂社の奥宮は大雷神(雷電を起こす神)、前社は高おかみ(水を司り祈雨、止雨の神)を祀る。社殿の下に大きな磐座があり、ご神体は青い石であるといわれる。(
みどころマップ・川崎国道

大山街道(8)相州大山02 阿夫利神社_d0183387_14154801.jpg前社
髙龗神がお祀りされているお社です。水を司る神として知られています。高おかみ神(たかおかみのかみ)高龗神とは、日本書紀に記されている水神様です。「髙」は山を指し、「龗」は龍を指す龍神と伝えられております。古来より祈雨・止雨の神として信仰されており、大山では小天狗とも称されております。(
阿夫利神社HP)


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本社

大山祗大神をお祀りしているお社です。山の神として知られ、当社の主祭神です。大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)は山の神・水の神として、また大山が航行する船の目印となった事から産業・海運の神としても信仰されています。別名、酒解神とも呼ばれ、酒造の祖神として信仰もされております。富士山の御祭神、木花咲耶姫の父君であると共に絆を取り持つ神と伝えられております。 阿夫利神社HP)

奥社

大雷大神がお祀りされているお社です。その名の通り雷神がお祀りされております。大雷神(おおいかずちのかみとは、日本書紀に記されている雷の神様です。古来より火災・盗難除けの神として信仰されており、大山では大天狗とも称されております。 阿夫利神社HP)


・・・

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大山からの展望/下社


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ご褒美は“とうふソフト”名物なんだそうですよ。


大山街道(8)相州大山02 阿夫利神社_d0183387_14303456.jpg「お帰りはケーブルでどうぞ~!」ですね。









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おおやまめぐりルート案内図


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大山街道・青山道ルート図(赤:大山道 紫:瀧坂道 茶:津久井道)



・・・伊勢原

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大山阿夫利神社一の鳥居/伊勢原駅北口



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伊勢原大神宮山門

伊勢原大神宮/伊勢原3丁目
御祭神内宮:天照大御神(アマテラススメオオミカミ)外宮:豊受姫大神(トヨウケヒメノオオカミ)
由緒 
当社の創建は、江戸時代初期の元和年間(16151624)のことであると伝えられております。元和6年(1620)伊勢の国の人山田曾右衛門と鎌倉の人湯浅清左衛門という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時このあたりを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。そこにだんだんと柏屋あたりより人が集まり現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。曾右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勘請し、奉祭することにいたしました。こうして創建された当社の御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。伊勢の神宮では、天照皇大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮に、それぞれ奉祭されています。当社もこれにならい両宮が別々に奉祭されています。全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編集された「新編相模風土記稿」にもみられ、創建依頼の伝統として現在も受け継がれております。(案内板)

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外宮                 内宮


大山街道(8)相州大山02 阿夫利神社_d0183387_15491477.jpg照見山神宮寺遺跡

伊勢原の町が開かれたのは江戸時代のはじめ、元和年間(1620年頃)と伝えられています。旧神明社(大神宮)創建と同じころ、神社の管理に当たる別当寺が境内に置かれ、それが照見山神宮寺という普化禅宗の寺でした。普化宗は中国(唐)の普化禅師を祖として鎌倉時代に禅僧と共に渡来したと言われ、尺八の音と結びついて広まりました。普化宗の僧は虚無僧と呼ばれ、江戸時代に入ると徳川幕府の庇護もあって武士が入門し、寺の通行手形を持って全国往来が自由でした。天蓋をかぶり、免状(本則等)をふところに尺八を吹き、托鉢吹禅をしながら各地を歩いて修行を重ねました。虚無僧が吹いた尺八の曲は、無名の人々によって吹き継がれ今日に至っています。普化宗は明治4年太政官布告により廃宗となり、神宮寺の建物は明治7年には一時期、伊勢原小学校の前身として使われましたが今は境内に石灯篭を残すのみです。照見山神宮寺は活惣本山鈴法寺(東京都青梅市)末寺頭として相模、足柄、小田原、伊豆一円を寺場とし巡回した記録が残されています。鈴法寺で幕府と普化宗についての多くの記録を残している嘯山勇虎をはじめ神宮寺歴代の墓は大福寺にあります。(照見山神宮寺奉賛会)


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大宝寺山門

大山街道(8)相州大山02 阿夫利神社_d0183387_15501422.jpg大宝寺/東大竹
当寺は千手山慈眼院と号し、浄土宗知恩院末にて今から350年前の 正保2年(1645)往誉達道上人により創建されました。本尊は阿弥陀如来。また、当寺の千手観音は相模第31番の札所、境内の延命子育地蔵尊は相模第2番の札所にてお地蔵さま・観音さまのお寺として延命長寿・病気平癒・安産子育の功徳大なるところから、多くの善男善女の参拝者で賑わっています。(大宝寺HP)


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十二柱神社/伊勢原3丁目

古来十二天宮、又鎮守十二柱と称し特に武門武将の厚き崇敬を受けた神社で、徳川時代公儀より免田(十二天面、御供免)を寄進され、年々初穂米を献ぜられ武運長久を祈った。嘉永年間(18481854)本殿以下拝殿幣殿の再建に当り、当地の地頭であった安藤・飯河の両所より御造営費を献じ武運長久を祈った。(境内掲示)



by Twalking | 2016-05-03 23:32 | 大山街道(新規)

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