無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 鶴見川(5)末吉~河口01 獅子ヶ谷   

日時 2016.6.3(金)
天気 晴れ


下末吉台地、街道を歩いているとよく耳にする名前です。
多摩丘陵に続く台地ですが、造られた年代が違いますので
ここはどっち?と、こんがらがってしまいます。

歩いてみるのが一番なので、台地を散策してみました。
獅子ヶ谷市民の森、二つ池、三つ池公園と続く台地、
確かに尾根が続いていることが実感できます。

初めてなので地形など細かには分かりませんが
ここに道をつけたんのかな~?などと想像してみると、
面白いものだな~と思います。



・・・菊名(港北区)

港北区の南東部に位置する。昔は、葛名という名前であったが、菊が咲く地であったことから名菊と改名した。しかし「嘆く」に語感が似ているため菊名となった(新編武蔵風土記稿による)。 櫻井澄夫は、キクナはククナであり谷戸の形状を表す(「ナ」は地名語尾にみられる「場所」を表す語)としている。(『横浜の町名』初版)
Wikipedia

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丘の風景① 坂下が菊名駅、台地の上ですが周りは丘です/篠原北



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本乗寺/大豆戸町 日蓮宗のお寺です。


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裏山には「大豆戸城」があったと伝わりますが史跡はないようです/八杉神社


d0183387_19170826.jpg八杉神社/大豆戸町
大豆戸町には古くより、字安山の八王子神社と字大西の杉山神社が鎮座していました。神社制度の改革に伴い、神社の尊厳保持、祭祀の厳修を計るため昭和22年、八王子神社に杉山神社を合併し八杉神社を創立した。以後も当町氏神様として五穀豊穣、家運隆盛、商売繁盛、無病息災、厄難消除等の神として御霊験あらたかにましまし、衣食住等人間生活の根源を開発指導せられ文化の生みの親神であられます。(境内説明板)

大豆戸町(まめとちょう)
町内は菊名七丁目に分断されており飛び地となっている。地名は師岡熊野神社に大豆を奉納していたからだとされる。Wikipedia


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蓮勝寺/菊名
毘沙門堂/菊名
正和4年浄土宗第5祖蓮正上人により創建されました。神像は運慶の作「日本三毘沙門」の一つと伝えられています。毘沙門天は財宝の守護神です。(港北区)

d0183387_19291716.jpg蓮勝寺毘沙門大王

横浜七福神の蓮勝寺毘沙門大王は、仏師運慶作の「日本三毘沙門」と伝えられ、また、巷間に「左キッチョの毘沙門天」と称されています。この毘沙門大王は、六百有余年前の昔から諸々の厄難を除き、財を豊かならしめ、霊験あらたかな、厄除け、開運の守り神として信仰されています。御開扉の日正月松の内の7日間(初詣)1月、5月、9月の初寅の日(縁日)(案内板)


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菊名神社/菊名
ここ菊名の地には昭和の初期まで神明社(天照皇大神)、杉山神社(日本武尊)、浅間神社(木花咲耶姫命)、八幡神社(譽田別命)、阿府神社(武内宿禰命)5社が村社として地域の人々の信仰を集めて参りました。中でも記録に残るものとして最も古くからあるのが阿府(あぶ)神社であり、その歴史は仁和元年(885)に遡るといわれております。時の天皇、光孝天皇が師岡に勅使を遣わされ熊野神社を創建なされた時、勅使がその途上、馬具の鎧をお納めになったことからその名が付いたと史書には書かれております。この5社が昭和10年、現在は菊名町公園となっている杉山神社の地に合祀され名も「菊名神社」と改められました。その後、太平洋戦争の戦火を逃れてからは同所を保健所建設用地として提供するため、当時の八幡神社の地(現菊名神社の地)に社殿を移設、以降この地で菊名の総鎮守として地域の人々とともに歩み、またその生活を見守り続けて参りました。(菊名神社HP)


d0183387_19312506.jpg茅の輪

茅の輪の由来は「備前風土記」の蘇民将来の伝承によります。善行をした蘇民将来が武塔神(むとうのかみ・素戔嗚命)より「もしも疫病が流行したら悪疫除去のしるしとして、茅の輪を腰につけると免れることができる」といわれ、疫病から免れることができたという伝承です。茅の旺盛な生命力が神秘的な防災の力を有すると考えられてきたことから、体調を崩しやすい暑い夏を前に茅の輪をくぐって悪疫を除去し、無病息災を願う神事です。(案内板)


・・・鶴見区


鶴見川が区内を南に蛇行して流れ東京湾に注ぐ。北東部は鶴見川と多摩川に挟まれた平地(川のまち)で、北西部は下末吉台地の東端から続く丘陵地(丘のまち)。湾岸部は埋立地が広がり市境は京浜運河を越えて扇島で東京湾に接する(海のまち)。「鶴見」の名は鎌倉時代から現れ、源頼朝がここで鶴を放ったことから命名されたという伝説もある。また一説には「ツル」は鶴とは関わりなく「水路や河川の周辺地」を意味し「ミ」は「周り・巡り」を意味する語で、合わせて「ツルミ」は蛇行する鶴見川の地形を表すとされる。Wikipedia

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丘の風景② 区境の尾根から北側の風景、眼下が菊名その先は新横浜です/菊名小


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宗泉寺/上の宮
浄土宗。開山は正保年間。下って寛文年中に、北寺尾村名主市右衛門が21世を迎えて再興しました。境内には念仏供養塔、無縁供養塔、地蔵菩薩、庚申塔、馬頭観音があります。また、春にはエビネ、しだれ桜、サツキ、ボタンなど四季折々の花が楽しめる庭園があり、さまざまな姿をした五百羅漢も見事です。(鶴見みどころ80

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本堂                 庭園


鶴見区の地形
鶴見区は横浜市の北東部に位置し、北と東が川崎市、西が神奈川区、北西が港北区に隣接している。区内には横浜市内唯一の一級河川鶴見川が、北から南に蛇行しながら流れ東京湾に注いでいる。地形的には北西部の丘陵地、鶴見川流域の低地臨海部の埋立地3地域に分けられる。(鶴見区)

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丘の風景③ 丘の上が獅子ヶ谷市民の森です/宗泉寺

鶴見の地形① 北西部の丘陵
鶴見駅からJR線に乗り横浜方面へ向かう途中右側を眺めると目の前に台地が広がっている。この台地は高さ4050mあり、北西部の獅子ケ谷市民の森まで続いている。区内の高台に登り周囲を見渡すと、台地はたいへん起伏に富み小さな谷戸がいくつも尾根に向かって入り込んでいることがわかる。昭和の中ごろまで谷戸は水田、丘陵地は森林や畑の農村地帯であったが、今では一部を除いて宅地として開発され坂の多い住宅地となっている。北部の獅子ケ谷市民の森や県立三ツ池公園、西部の東寺尾ふれあい樹林、南部にある総持などは今も緑におおわれ区民の憩いの場となっている。(鶴見区) 


・・・獅子ケ谷


d0183387_21472248.jpg獅子ヶ谷村の地名

ふるくは師岡郷(もろおか)といい、文禄3年(1594)の文書に「師岡の内鹿ヶ谷」とみえ、獅子ヶ谷村は師岡村から分村したように記録されています。この「鹿ヶ谷」から現在の「獅子ヶ谷」の文字に変わった時期は明らかではありませんが、数年後の慶長2年(15972月の小田切光猶(こうゆう)宛知行宛行状に「小机郷獅子ヶ谷内百五拾五石余事」とあります。(横溝屋敷パネル)


d0183387_21390025.jpg獅子ケ谷市民の森
面積18.5ha、昭和50年に横浜市が減少する緑を守り、自然をそのままの形で後世に残すため、地権者約40名の協力を得て開設しました。樹木は常緑、落葉、植栽の針葉樹、樹齢100年以上のヤマザクラ等、野草ではスミレ、ヒトリシズカ等、豊富な植物類が、虫や鳥を育み森の散策を一層楽しいものにしてくれます。(鶴見みどころ80

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西谷広場
獅子ヶ谷市民の森にある5つの広場(灰ヶ窪・旭台・新池・西谷・下谷)のうちの1つ。褐色の水で噴水のある池として親しまれている。せせらぎの小径の水源でもある。(獅子ヶ谷の里散策マップ)

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散策路                氷池

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車地蔵

この地蔵は享保3年(1718)に建立されたもので(高さ1.6mもある等身大の石の地蔵)、お堂の中で道行く人たちを見守り、人々から「子育て地蔵」とか「車地蔵」として親しまれてきました。お堂の左側の柱には小さな木製の車が取り付けられています。昔からこの峠道を通る人たちはこの車を回す習慣が在りましたので「車地蔵」の名が生まれたのでしょう。この車は「地蔵車」または「後生車」とも呼ばれ、これを回すことによって六道の苦難から救われると信じられ、後生安楽に成仏するといわれてきました。伝説によると時折人々の寝静まった夜半にこの車がひとりで回るのだと、久しい間村人たちは信じてきました。この車地蔵が建っている峠道は江戸時代、鶴見から師岡、綱島方面に至る唯一の街道でした。(横浜市)


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光明寺

天台宗。創建は貞治元年(1362)本尊の薬師如来は、昔、村の働き者の若者が畑を耕している時に掘り当てたという言伝えがある。また金の仏像が明るく光ったことから光明寺と命名し、檀家は昼間姓を名乗ったという。(獅子ヶ谷の里散策マップ)

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獅子ヶ谷神明社

獅子ヶ谷神明社当社は、新編武蔵風土記稿に「相伝う古は村の総鎮守なりしが、後上村に神明を勧請して鎮守とせしより当社は下村のみの鎮守となれり、社は二間に参間、前に木の鳥居あり、例祭812日、光明寺持」と記されている。本社殿は、平成228八月(2010)御造営する際、本殿の中から古い棟札を発見、総鎮守である師岡の熊野神社の石川宮司に解読を依頼した。それによると、旧社殿は貞治元年(1362)に創建、文政3年(1820)足かけ459年を経て再建されたことが判明、爾来、屋根や社殿の内外の修理・補修を経て、昭和28年(1953)宗教法人神明社が設立された。(境内石碑)


・・・旧横溝家住宅(みその公園)

獅子ケ谷横溝屋敷

横溝屋敷は表門(長屋門)主屋などの屋敷構えが江戸時代の農村生活の原風景を残している貴重な文化遺産です。古民家の保存と活用を図る横浜市最初の施設で、昭和63年横浜市指定文化財になりました。2階の展示室には明和の村絵図や農村文化、行事等々の資料が展示されています。また、四季折々に、七草粥、雛まつり、七夕まつり等の行事も行われます。(鶴見みどころ80

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表門(長屋門 寄棟茅葺平屋建 文化4年・1847)

鶴見の歴史
江戸時代の政治は幕藩体制と呼ばれ、徳川幕府の支配下にありながら独立の領地をもつ藩主(大名)がその領地から年貢米を徴収した。もともと徳川家の所領内にあった鶴見区域の大部分が幕府の直轄領となり、代官が治めていた。獅子ケ谷は小田切氏、駒岡は久志本氏の旗本領であった。獅子ケ谷の横溝家は旗本領を管理してきた名主で、横溝屋敷は小田切氏の館跡に建てられたものである。駒岡の常倫寺には久志本氏歴代の墓が残っている。代官の支配下で村内の民政をつかさどっていた名主は,村内のあらゆることについて責任があったので,村における権勢は強大であった。農村の暮らしは楽ではなかった。(鶴見区)

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横溝家と獅子ヶ谷村
横溝家は、16世紀末の慶長年間から獅子ヶ谷村の名主をつとめてきた家です。名主の身分は百姓で、名主という名は関東地方の呼び方です。関西では庄屋、北陸・東北では肝いりといいましたが、横溝文書には「きも入り」の名も見えます。横溝家の初代の名前は五郎兵衛といい、代々この名前を継ぐ慣習がありました。江戸時代には、村人と力を合わせて鶴見川の周辺を開墾して水田にしたり、谷間にため池をつくったりしました。明治になると横浜港から輸出される生糸やお茶の生産をはじめました。主屋の二階ではさかんに養蚕が行われました。獅子ヶ谷の地名は熊野権現の獅子舞を受け持ったことに由来すると伝えています。(案内板)


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奥座敷                 2階展示室

主屋
建築年代:明治29年(1896)頃 梁行5間 桁行9間 2階建 屋根:寄棟萱葺 櫓付(瓦葺)1階の間取りは庭、台所、広間(10畳)、仏間(7.5畳)、奥座敷(10畳)茶の間(15畳)部屋(6畳)納戸(6畳)となっています。2階は蚕室として造られました。中門、仏間、奥座敷の造りに名主についていた当家の家格がうかがわれます。(案内板)

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獅子ヶ谷村地形模型/横溝屋敷
(赤:みその公園・横溝屋敷 黄:鶴見区最高点 標高約45m 青:二つ池)


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獅子ヶ谷の里散策マップ
(赤:歩行ルート 黄:尾根 青丸:二つ池 赤丸:最高点 赤角:横溝屋敷)


・・・二つ池

獅子ヶ谷村と駒岡のにあり、古くから灌漑用ため池として両村の田畑を潤してきた。駒岡村からの願いにより、宝永4年(1707)行けの中心部に堤を築き現在の二つ池がたんじょうした。「堤」を舞台とした竜が登場した伝説が語り伝えられている。この池の周囲には草木が生い茂り、多くの鳥や魚が棲み自然性の高い池として評価されている。(獅子ヶ谷の里散策マップ)


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獅子ヶ池

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駒岡池&龍の道(右)


d0183387_10123856.png二ッ池公園の歴史
二ッ池公園は慶長の頃(15961614)に造られたと伝えられており、元々は一つの池で「大溜池」と呼ばれた農業用のため池でした。池が二つに分かれたのは宝永4年(1707)のことで、下流の水田に流れる水量を村ごとに調整することが目的で、現在の池の形になりました。昭和45年にため池の役割を終えた二つ池が、その後も池の形態に大きな変化はなく池の外周が土で出来ていたこともあって、市内では稀にみる貴重な自然環境が息づく池となっております。横浜市では二つ池の自然的、歴史的に優れた景観と環境に注目し、平成21年に都市公園の一つである「風致公園」の決定を行いました。良好な風致(景観、環境等)を活かして自然環境を保全するとともに身近な水と親しめる公園として整備を行い、平成27年一部開園しました。(案内板)

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獅子ヶ谷の里マップ
(緑:丘陵上の尾根道 赤:歩行ルート)


by Twalking | 2016-06-05 13:49 | リバーサイド(新規)

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