無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり玉川学園~町田01 かしの木山自然緑地   

日時 2016.6.10(金)
天気 晴れ

多摩から小野路、野津田は旧鎌倉街道・上道の本路、
ここは古道の足跡が多く残っている所です。
道は七国山を越えて菅原神社から町田へと続きます。

恩田川を歩こうと思っていましたが「古道が残る」
とありましので玉川学園の南の丘を歩いてみました。
恩田川沿いは本町田から分かれて成瀬への「東ルート」
のようです。

川沿いなのか、丘を下ったのかはよく分かりませんが、
なるほと~・・・、という感じが漂うやせ尾根、
眺めもいいし、いい道ですね。


・・・玉川学園

町田市の中東部に位置する。東には川崎市麻生区と東玉川学園、南には南大谷、西には本町田がある。元山野地帯を玉川学園が買収して学園運営と同時に宅地分譲をしたため、その名を地名とした。教育と文化の共同体作りという夢に共感し、移住した人達には学者、文化人が多く、現在も大学教員、漫画家、画家、音楽家等が住民には多い。
Wikipedia

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小田急線玉川学園前駅/池ノ幡踏切

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玉川学園
1929(昭和4)年、財団法人玉川学園として設立認可、1951(昭和26)年、私立学校法による学校法人に改組。現在は玉川学園幼稚部(学校教育法第1条による幼稚園)、玉川学園小学部(同小学校)、玉川学園中学部(同中学校)、玉川学園高等部(同高等学校・全日制普通科)及び玉川大学の各学校を設置する。沢柳政太郎が創立した成城学園から1929年に枝分かれして、当時成城学園の幼稚園・小学校・高等女学校・高等学校の校長事務取扱だった小原國芳が創立した。前後して成城学園から分かれた和光学園創立による和光大学も敷地が隣接している。Wikipedia)緑の協定区域 この区域は緑の環境をつくる条例に基づく緑地の保全に関する協定が締結された緑地です(玉川学園・横浜市)


d0183387_13371574.jpg玉川母子観世音菩薩縁起
昭和34218日午後620分頃、此の池ノ端踏切(当時は遮断機が無かった)で、コロンビアレコード歌手の黒木曜子(本名井関房子・当時38)さん、千恵子(18歳)さん母娘が事故死されたことを悼み、この母子の冥福を祈るとともに、後世に悲劇を伝え再発防止するために、当時曜子さんお友人であったコロンビア歌手クラブ有志の方々によりこの「母子観音」が建立されたものである。合掌(説明板)

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瓊寶庫山(ぬぼこやま)神社/玉川学園(うぐいす坂・女坂)
御祭神:スサノオノミコト、オオクニヌシノミコト、イセツヒコノミコト、アメノミナカヌシノミコト、タカミムスビノミコト、カミムスビノミコト。スサノオノミコトの根本本宮が日本最古の神宮・吉備石神神宮。その秘宮の祭祀が天武朝のころよりとだえ、御神跡さえ不明になっていることを、本宮社伝・抜剣影山流宗家故宮崎雲丹先聖は痛く嘆かれ、長年の研究探査の結果、昭和8年ついに御真跡を発見されました。そしてこの地(町田市)に多摩野宮として出雲造の社殿を造営され、遷宮祭り祭祀を中興されたのが当宮の縁起であります。その御真跡地が、吉備の抜剣山(ぬぼこ山)に在りましたことから万葉仮名で、「瓊寶庫山本宮」とされました。「ぬぼこ」とは、霊威ある御剣ということであります。*抜剣影山流は、スサノオノミコトの天羽々斬剣(降魔の剣法)の伝流で、今から940年ほど前、丹波国の一之宮・元出雲神社の神影山に隠栖されていた影山善賀入道清重公を中興の大祖とする上代古流の武道。(案内板)


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「鎌倉古道」といわれる尾根の道/玉川学園7丁目


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丘の風景① 青葉区との境の尾根、前方の小山を左に下ります/玉川学園7丁目

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鶯谷南先を右折            細尾根の道


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丘の風景② 町田市街&相州大山が望めます/三井住友海上研修所


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この尾根道はいいですね~/昭和薬科大学西門


d0183387_14375128.jpg昭和薬科大学

町田市東玉川学園に本部を置く日本の私立大学で、1949年に設置された。1930年(昭和5年)東京府目黒区に設立された旧制薬学専門学校である昭和女子薬学専門学校を起源とする薬科大学である。本学は創立する際、いわゆるオーナーが存在せず長年に亘り在学生、卒業生、教職員、父母たちが一致協力して学びの場を築き上げてきたことから、民主的な運営を伝統としており、今もなお家庭的で自由闊達な校風を育んでいる。多くの緑に囲まれたキャンパスは、総面積173千平方メートルと広大なスケールを誇り、その中でも薬用植物園は全国の薬科系大学の中でも屈指の規模を有する。Wikipedia

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玉川学園周辺マップ(赤:歩行ルート 緑:鎌倉古道 橙:岡上ルート)



・・・成瀬かしの木山特別緑地保全地区

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小野路や七国山の古道を彷彿させるような雰囲気、いい道です/緑地保全地区



d0183387_14462222.jpg成瀬かしの木山特別緑地保全地区

成瀬かしの木山特別緑地保全地区はシラカシ、コナラ、スギを主体とした樹林地で、標高が約60m~90mの丘陵地です。当地区の周辺は土地区画整理事業などにより市街化が進む一方、かしの木山自然公園とともにまとまった緑が残された地区でもあります。町田市はこの貴重な自然を将来にわたり保全するため都市緑化法に基づく特別緑地保全地区として指定しました。保全地区内については都市緑地法第14条により工作物の新築、土地の造成等の行為の制限を受けます。自然を守り気持ちよく利用するために次ぎの事項を守りましょう。
.ごみの投棄及び火気の使用は厳禁です。
2.区域内でのづ動植物お採取はできません。
3.その他人の迷惑おなるような行為は禁止です。指定面積約2.1ha
(町田市公園緑地課)



・・・かしの木山自然公園/
西成瀬3丁目

成瀬、高ケ坂、南大谷にまたがる面積約5.5ヘクタールの緑豊かな自然公園です。シラカシ、クヌギ、コナラなどが生い茂り、野鳥、昆虫も多く、尾根道からは丹沢の山並みや町田の町並みが望めます。また、かしの木山自然公園自然観察会を不定期ですが第三日曜日に開催しています。(町田市)

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木山自然公園北門


d0183387_16051926.jpg森の家  







d0183387_16070837.jpgシラカシ林
村に人の手が入らなかった昔、この辺り一帯あ冬でも緑を残すシラカシ等の照葉樹でおおわれていました。その中でシラカシは荷車や舟お材料として切り倒され少なくなっていました。人々は改めて身近な所に植えられ育てられてきたものです。木材の利用が減り、村に人の手が加わらなくなった現在、かつての原生林を偲ばせる状況になっています。手を入れるか自然にまかせるかは大きな課題となっています。(かしの木山自然公園)

d0183387_16101390.jpg馬頭観音

馬頭観音は本来あらゆる障害を乗り越えて慈悲を施してくださる観音さまです。ここの馬頭観音は文字塔ですが、像塔の場合観音の頭上に馬頭の冠をかぶっているので、いつしか馬の保護神として信仰されるようになりました。特に愛馬が死んだとき冥福を祈るためにこの石仏がしばしば造られます。ここの馬頭観音は明治年間に火事で死んだ馬を供養するために建てられたものです。(かしの木山自然公園)

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トンボ池

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展望広場六角亭

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丘の風景③ 町田市街を一望、中心部は高台なんですね~/展望広場

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鎌倉古道/北門
源頼朝(11471189)が鎌倉に幕府を開いてから鎌倉は政治の中心となり、頼朝の家来となった多くの関東武士は戦いが起こった時は一族郎党を率いて「いざ鎌倉へ」と馳せ参じました。このため武蔵、相模の両国には鎌倉へ通じる道が何本かありました。そのうち府中、関戸から町田市内を通り瀬谷を経て鎌倉へ通じる古道の一本が、ここかしの木山自然公園に残っています。市内の古道の多くは開発が進んで残念ながら消え去ってしまいました。南門より約300mの台地は伝説「鞍掛の松」で知られています。元弘3年(1333)新田義貞軍が鎌倉攻めの時、この台地で一休みし愛馬の鞍をはずして松の木に掛けたと伝えられている所です。「鞍掛」の地名の起こりといわれています。(かしの木山自然公園)

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かしの木山自然公園案内図
(赤:歩行ルート 緑:鎌倉古道)


・・・鞍掛の松公園

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公園前の鎌倉古道


d0183387_16342499.jpg「鞍掛の松」の由来

むかし、このあたりに鞍掛の松と呼ばれる松の大木があったと伝えられている。元弘3(1333)5月、上野国(群馬県)で挙兵、鎌倉攻めに向かった新田義貞は分倍河原(府中市)において北条泰家と合戦、これに大勝し、その夜(516日と思われる)当地で軍勢を休め、翌17日、一気に藤沢へ攻め入ったとされている。その際、義貞が馬の鞍を掛けた松が後世に残り、鞍掛の松と呼ばれるようになりやがてこの付近の地名も鞍掛といわれるようになったと言う。この周辺の地は、町田川(恩田川)沿いに開かれた広い窪地がつづき、この丘に登ると十六夜の月が一晩中あたりを照らし、鎌倉を目前にした義貞の大軍はわずかな物見の兵でも安心して休むことができ、大いに鋭気を養えたものと思われる。(町田市)


d0183387_16342976.jpg鎌倉古道道標

右 至鎌倉(小川方面) 
左 至府中・分倍河原(南大谷方面)




by Twalking | 2016-06-11 19:50 | たまのさんぽ道(新規)

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