無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 恩田川(4)長津田~合流地   

日時 2016.7.1(金)
天気 曇り/晴れ

川辺は景色はいいんですが、木陰が少ないので辛いですね。
寺社のこんもりと茂る森に入るとホット一息でした。

長津田、十日市場、中山、大山街道や中原街道で
歩きましたが、こうして川筋で繋いで歩いてみると、
また違った面白さがあって、いいですね。

これで、多磨丘陵の西側の流域を見てきましたので、
今度は相模原台地でしょうか、チャレンジしてたいですね。。。



・・・長津田(右岸)


横浜市緑区の地名である。多摩丘陵東縁部、鶴見川水系恩田川中流域右岸に位置する。地形は町域北側に恩田川段丘崖があり、武蔵野層・鶴川層・上倉田層などに分類される洪積台地と恩田川・岩川周辺の10数本の谷戸からなる沖積地で構成される。沖積地は主として水田稲作(近年では糯米が主流)、洪積台地は山林・畠作が多い。町域東南部「馬之背」から十日市場町にかけて断層線がある。近世には矢倉沢往還と神奈川道の結節地であった長津田宿が発展。戦国時代から江戸時代にかけての武将板部岡江雪斎の子孫の所領があった。
大辞林によれば「谷津田:やつだ」とは《「谷津:やつ」(低地。たに。また、低湿地。やち。やと)にある湿田。谷地田(やちだ)》とあり、『長津田』は「長い湿田」の意という。一般に、遷流する岩川上流部の集落を総称して「上長津田」、下流部を「下長津田」という。Wikipedia

d0183387_23495619.jpg
恩田川の風景① 沖積平野と右岸の洪積台地/堀之内橋付 

d0183387_00084995.jpg
d0183387_00093128.jpg
こどもの国線             左から奈良川が合流します


・・・田奈(左岸)


青葉区の地名。東急田園都市線の田奈駅がある。国道246号線が通過する。「田奈」は「恩田・長津田」の「田」と「奈良」の「奈」を一字ずつとったものである。明治22年の市町村制施行に伴い「田奈村」としてできた地名。現在の田奈町一帯は元来は田奈村大字恩田であった。
Wikipedia

d0183387_00191951.jpg
恩田川の風景② 東急田園都市線・田奈駅です/田奈橋

d0183387_00210824.jpg
d0183387_00230553.jpg
246号の恩田大橋           岩川が右岸から合流します/いぶき野

岩川
横浜市緑区長津田町の旭区との境界付近に源を発し北流。概ね国道246号と平行し、緑区いぶき野で恩田川に合流する。上流域は竹林などの自然が多く、中下流域は密集した住宅地の中を流れる。(Wikipedia
d0183387_00443915.jpg

d0183387_00443688.jpg
合流点から4km            恩田川大橋

d0183387_00510039.jpg
恩田川の風景③ 東名高速を潜ります

d0183387_15120051.png
長津田周辺マップ
(青:恩田川 紺:奈良川・岩川 橙:大山道 茶:246号 緑:東名)

大山道・長津田宿の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/22824481/



・・・十日市場町(右岸)


明治22年の市町村制施行の際、中山村、榎下村、久保村、寺山村、台村、上猿山村、下猿山村、鴨居村、本郷村、上菅田村、新井新田と合併して新治村大字十日市場となる。町名は旧村名を採った。ここには毎月10日に市が立ったという。北西側を東名高速道路、南東側を横浜線が通り十日市場駅がある。町内に横浜市緑図書館、市営十日市場団地がある。 (緑区)

d0183387_01331488.jpg
恩田川も風景④ 川辺からみる十日町市場の街


d0183387_01354372.jpg

d0183387_01354876.jpg寳袋寺/十日町

創立年代は慶長年間(1596年-1615年)で、顕堂長察大和尚が開山しました。宗派は曹洞宗、山号は八幡山とし、本尊の聖観世音菩薩は木造の坐像で高さは一尺ほど。鎌倉の仏師運慶の作と言われています。本堂正面の「古寳袋」の額は山岡鉄舟筆で寺宝としています。寺号「寳袋」は建立地から古い巾着が掘り出された事によるものです。巾着は金銭などを入れる袋、いわば「宝の袋」であり「寳袋寺」という寺号になったといわれます。(寳袋寺HP)

d0183387_01355192.jpg
恩田川の風景⑤ 
寳袋寺境内から見る低地と対岸の西八朔町
 


・・・西八朔町(緑区・左岸)


古くは都筑郡西八朔村といい、明治22年の市町村制施行の際、寺家村、鴨志田村、成合村、上谷本村、下谷本村、鉄村、黒須田村、大場村、市ヶ尾村、北八朔村、小山村、青砥村、下麻生村の飛地と合併して中里村大字西八朔となる。町名は旧村名を採った。北側を東名高速道路が通る。町内に横浜商科大学緑校舎がある。(緑区)

d0183387_12095702.jpg
恩田川の風景⑥ 青葉区との境、左岸が西八朔町、右岸が十日町市場町です/八十橋


d0183387_12131559.jpg
杉山神社参道


d0183387_12134673.jpg杉山神社

主祭神::五十猛命 配祀神:大日霊貴命・素戔嗚尊・大田命
横浜市緑区(旧武蔵国都築郡)西八朔町にある神社。横浜市内唯一かつ旧武蔵国の式内社である「杉山神社」の有力論者の一つとされる。また、武蔵国六宮として大國魂神社の「くらやみ祭」に参列しており、武州六大明神の一つともされている。『神道集』によると、当時は椙山大明神と称し本地仏を第聖不動明王としている。また『新編武蔵風土記稿』によると、江戸時代には神体が不動明王の立像であったという。1910年(明治43年)に付近の無格社神明社など4社を合祀している。創建時期は不明であるが、当社に残る棟札や別当寺である極楽寺(現在も隣地に所在)の墓碑年号より当社は延宝年間(1673 - 1681)に現地へ遷座したものと考えられており、これ以前には西北方300mの山麓に鎮座していた。『武蔵風土記』によると、慶安2年(16498月には徳川幕府より朱印状と朱印領56斗が与えられている。この他、当社は江戸時代に「六ノ宮」とも称されていた。明治612月に郷社に列格し、1910年(明治43年)には付近の無格社神明社など4社を合祀している。現在の社殿は昭和57年)11月に改築されたものである。Wikipedia

d0183387_12143604.jpg力石
江戸時代中期〜明治にかけて、当社の氏子である若者がこの力石を担ぐことで力を競い合ったという。また五穀豊穣を祈願するため大山阿夫利神社へ参拝した折に、相模川の河原から担がれ奉納されたとも伝えられている。Wikipedia


d0183387_12153602.jpg
極楽寺参道

d0183387_12172878.jpg別當極楽寺参道
新義真言宗、王禅寺村王禅寺末、顯弘山蓮花院と號す、中興開山元海天文二年に寂す、客殿九間に七間南向なり、本尊大日は坐像にて、長一尺許、慶安年中社領の御朱印を賜ふ、其文左にのす。
武蔵國都筑郡西八朔村、極楽寺杉山明神社領同村之内五石六斗事、任先規寄附之訖、全可収納、幵境内山林竹木諸役等、免除如有相違者也。慶安二年八月廿四日御朱印(新編武蔵風土記稿)


d0183387_13463042.jpg
圓光寺 
新治町(右岸)ある高野真言宗のお寺です


d0183387_13512055.jpg
観護寺 
小山町(右岸)にある高野山真言宗のお寺です

d0183387_13512583.jpg印融法印墓
印融法印(14351519)は中世の学僧で、現在の緑区三保町の生まれといわれる。『神奈川県史』(人物編)によれば、小机鳥山山会寺で伝法を受け、高野山で研鑽を積み、無量光院の院主となった。晩年にいたり関東における真言宗の衰退をなげき、長享2年(1488)頃より関東に帰り、三会寺や金沢光徳寺などに住して真言宗の復興に努めた。永正16年(1519815日観護寺で没したという。85歳。生来、書を好み、外出するときは鞍に小机をつけた小牛に乗りながら、仏典を読んだという。地輪に「永正十六己卯季 印融法印 八月十五日」とある。(横浜市教育委員会)

d0183387_17445841.png
十日町市場付近のマップ
(赤:歩行ルート 青:恩田川 緑:東名 赤丸:八十橋)



・・・三保町(緑区・右岸)


町名は旧村名を採れば「久保町」となるところ、横浜の旧市内に既に「久保町」があるため、久保村が3つの谷戸になっていて、その親睦互助の精神を表現し明朗発展を祝して「三谷戸」の「三」と「久保」の「保」を採り「三保町」と名付けた。町内に東洋英和女学院大学などの教育施設や公営の住宅が多数あり、舊城寺、三保市民の森がある。(緑区)


d0183387_14321121.jpg
舊城寺山門

山門由来記
この山門は明治26年、もと横浜の神奈川通りにありし浄土真宗本願寺派海見山長延寺11世雲居玄照法師の代に建立せられしものなり。幸にも関東大震災、横浜大空襲の難をまのがれたり。昭和41年第15雲居隆昌法師の代に長延寺は當三保町に遷山。佛縁によりてこの山門を舊城寺に復元す。之が復元に當り石井忠兵衛氏檀越となり工事費百五拾萬円を供養せらる。時に宗祖弘法大師御誕生1200年の記念すべき年に落成。久保山舊城寺住職野村全宏 識之(石碑文)


d0183387_14344747.jpg
舊城寺本堂

d0183387_14383808.jpg久保村舊城寺
除地、五段許、村の北の方にあり、是も同く三會寺の末、久保山と號す、客殿六間に七間南向なり、本尊大日坐像にして長六寸許、開山を詳にせず。薬師。客殿に向て右の方にあり、此本尊眼なきを以無限の薬師と云、行基の作なりと、立像にて長一尺許にして甚古佛なり、此堂もとは村の南今の薬師谷にありしを、いつの頃か寺内へ移せり。城址。境内にあり、此地は山田右京進と云ものの居城なりとて、二重にから堀あり、又一段高き處を本城跡と云、當寺の入口に、近き頃までも喰違の土手ありしなり、墓所に石碑を立、覺養院相傳浄雄居士、慶長十九年十一月十五日とあれば、城主右京進が家老蘆垣浄泉同大膳などの石碑なりや、近来まで榎下村に彼蘆垣が族残れり、かれが先祖なりと土人は云へり。(新編武蔵風土記稿 写真:薬師堂)

d0183387_14511228.png榎下城址

榎下城は上杉憲清が築いたと伝えられ、自然の丘陵地を利用し本丸は一段高いところに位置し、内外に空堀をめぐらし、さらに土を盛って土塁を築き、大手口には侵入者をまっすぐ城内に入れないために喰い違いの虎口という独特な土塁を築いています。また東側の堀は谷を利用して箱堀となっています。上杉憲清の子憲直が永享の乱(1438)に足利持氏に加担し、敗れて金沢称名寺で自決して以来、城主については不明ですが、小田原北条氏の時代にも小机衆の拠る小机城に対して出城の役目を果たしていたとも考えられます。その後、慶長年間(1596-1614)にこの地に旧城寺が開かれました。寺林は県指定天然記念物に指定されています。(横浜国際観光協会・横浜教育委員会文化財課)


d0183387_14593794.jpg
d0183387_14585473.jpg
本丸跡                空堀跡

榎下城
榎下城は恩田川氾濫原に面した舌状に突き出した丘陵の先端に占地し、近辺の眺望に優れる。憲房系(宅間上杉家)の憲清により築かれたと伝わり、永享の乱の際には、憲清の子憲直が持氏方として拠った。幕府方に攻められた憲直は榎下城から退いたが、上杉憲実方に追われ称名寺において子の憲家と共に自害した。城域に佐藤小左衛門氏が隠居所を建て、更に慶長8年頃(1603)舊城寺を開基した。この為城域は比較的良く保存され、土塁上の寺林は県の天然記念物に指定されている。なお、城名は横浜市営バス停の名称(「榎下城址裏」)として現在も残っている。・永享年間、上杉憲清により築かれる。 ・永享の乱の際には、持氏方の上杉憲直が拠った。 ・北条氏時代には小机城の出城として利用された。 ・慶長8年頃(1603)佐藤氏が城域に旧城寺を開基した。Wikipedia


d0183387_15035769.jpg

三保杉山神社

祭神:日本武尊 相殿:天照大神、猿田彦命
杉山神社は、創建の時期は不詳ながら慶長9年(1604)まで近隣併せ八か村の総鎮守であり、その後久保村(三保町)の鎮守となる。明治維新後国家管理の下、明治6年(1873)村社に指定され、同41年(1908)村内5社を合祀、大正9年(1920)神饌幣帛料供進神社に列せられる等の経緯を辿るも、昭和21年緊急勅令に基づき神社本庁を包括団体とする自主団体として存続する事となり、同28年宗教法人杉山神社として設立され現在に至る。(境内石碑)


・・・中山町(緑区・右岸)


古くは都筑郡中山村といい、明治22年の市町村制施行の際、十日市場村、榎下村、久保村、寺山村、台村、上猿山村、下猿山村、鴨居村、本郷村、上菅田村、新井新田と合併して新治村大字中山となる。町名は旧村名を採った。村の中央部が丘陵になっているところから「中山」と呼ばれるようになったという。北側を恩田川が流れ、中央を横浜線が通り中山駅がある。町内に横浜市緑スポーツセンターがある。 (緑区)
d0183387_16381079.jpg
恩田川の風景⑦ 中山町の風景です/小山橋
d0183387_17541382.jpg
恩田川の風景⑧ 左岸は青砥町、尾根が尽ききます/中山大橋


d0183387_16381842.jpg
恩田川の風景⑨ 谷本川(鶴見川)と合流します 

d0183387_16382484.jpg
d0183387_16382717.jpg
合流点                下流に架かる中原街道・落合橋

鶴見川合流地・青砥、中山の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23162729/


d0183387_16452426.png
中山付近のマップ
(赤:歩行ルート 青:恩田川・鶴見川 橙:中原街道 赤丸:合流点)

中原街道・佐江戸の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/22283601/


d0183387_20593805.png
恩田川流域マップ  
青:鶴見川(上)&恩田川(下)


by Twalking | 2016-07-05 21:01 | リバーサイドウオーク(新規)

<< 参議院選挙 ○写真上達への道 >>