無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 乞田川03 永山周辺   

日時 2016.8.13(土)
天気 晴れ 


乞田から聖ヶ丘辺りは北側の多摩川に伸びる尾根と
南の多摩の横山から張り出す尾根に挟まれた地形で、
各谷戸から支流が乞田川へ流れ込んでいます。

その谷戸部は現在、幹線道路が通り、谷戸の形状や
源流域などは消えてますので、確認することはできません。
それでも、こんな感じかな~・・・と想像しながら
歩くと面白いですね。



・・・乞田

乞田(こった)という地名は昔、干ばつで住民が領主に「田を乞うた」ことに由来している。幹線道路の多摩ニュータウン通りと桜並木の名所となる乞田川に沿った多摩土地区画整理事業区域で地名は旧乞田の名残りである。
Wikipedia)


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丘の風景① 左が愛宕の丘、右が貝取山&永山、乞田辺りが一番広い所です/愛宕4丁目


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丘の風景② 右岸の豊ヶ丘からの乞田方向の景観です/北豊ヶ丘公園(右岸)


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乞田川の風景① 桜並木が続き、右岸が親水護岸になっています/釜沼橋(乞田)


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左岸は愛宕給水塔のある愛宕の丘、右岸は貝取山(左)&豊ヶ丘(右)の尾根が連なります/釜沼橋(貝取大通り)



・・・貝取川

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釜沼公園脇から貝取山の西側・貝取谷戸を流れます/北公園通り(貝取1丁目)

小字-貝取谷戸(かいどりやと)

貝取の地名、通称。貝取村本村を構成する二つの大きな谷戸のうちの一つ。貝取川という川が削った谷で、現在も暗渠化され地下に流れている。(「谷戸めぐり」さんの解説より)

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左岸から貝取川が合流         この先から暗渠になります(貝取2丁目)

小字-釜沼(かまぬま)
乞田の地名、字名。貝取谷戸の出口付近、乞田川沿いの地名。昔釜沼なる池があったらしい。(「谷戸めぐり」さんの解説より)


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丘の風景③ 左が豊ヶ丘、右が貝取山、この下を流れます/大福寺裏

小字-貝取山(かいどりやま)

貝取の地名、山名。貝取谷戸と瓜生谷戸の間の尾根の北端ぶの山の名。現在も残され、貝取山緑地として親しまれている。(「谷戸めぐり」さんの解説より)


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貝取神社鳥居

d0183387_16293567.jpg貝取神社/豊ヶ岡

祭神:弟橘媛命(おとたちばなひめ)品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけ)素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお)。多摩ニュータウンの造成により、貝取村で個々に祀られていた神社を合祀した神社で、吾妻神社・八幡宮・牛頭天王社を集め、三柱の祭神を相殿で祀り社名を貝取神社とした。(神社人)

d0183387_19213373.jpg倶利伽羅剣
(くりからけん)
不動明王の立像が右手に持つ剣。三昧耶形では不動明王の象徴そのものであり、貪瞋痴の三毒を破る知恵の利剣である。剣は倶利迦羅竜王が燃え盛る炎となって巻きまとっていることからこの名がある。Wikipedia

三昧耶形
(さんまやぎょう)
密教に於いて仏を表す象徴物の事。三形(さんぎょう)とも略称する。多くの場合、各仏の持物がそのままその仏を象徴する三昧耶形となる。例えば不動明王なら利剣(倶利伽羅剣)、聖観音なら蓮華、虚空蔵菩薩なら如意宝珠など。また、通常持物を持たない如来の場合は特別の象徴物が三昧耶形とされる場合もあるが(大日如来が宝塔など)、印相を以て三昧耶形とする場合もある。Wikipedia)


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乞田川の風景② 旧鎌倉街道の大橋&現鎌倉街道の新大橋を渡ります/大橋
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左岸の袂に「鎌倉古道」の標識、旧道は前方の貝取山へ向かいます/大橋(旧道)

小字-大橋(おおはし)
貝取村の地名、旧小字。現在もほぼ同じ位置に「大橋」という橋が架かる。乞田村境の地の字だったようだ。(「谷戸めぐり」さんの解説より)

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・・・永山

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左が諏訪、右が永山、入口に「歴史と文化の散歩道」の案内板があります/永山駅


d0183387_19454026.jpg昔の永山駅周辺

永山駅付近は昭和42年のニュータウン造成工事着手以前は丘陵地帯であった。駅南方約500mにあった岩の入池(現永山4-1付近)は約3200mの広い池で、モウセンゴケ、ミズチドリ、トキソウ、キセルアザミなど湿性植物の宝庫として知られていた。そして池からほぼ直線状に用水が北の乞田川に流れ、用水と丘陵の間の狭し所に水田が開かれていた。また、付近の丘陵は先人の足跡が数多く残されている。そのうちの一つ永山駅北西に隣接する多摩ニュータウンNo27遺跡(現日本医科大学付属病院付近)からは旧石器時代の生活跡をはじめ縄文時代の落とし穴、縄文・平安時代の住居群が発見されている。江戸時代に入ると駅北側近くに現存する阿弥陀堂が建てられ、また明治初年に廃寺となった真言宗福生寺があった(歴史と文化の散歩道)

小字-岩ノ入(いわのいり)
乞田の地名、字名。現在の永山駅のある谷全体を含むかなり広大な地域の字。中心となる谷を特に岩ノ入沢と呼んだようだが、無住地でこれ以外の地名については資料が無い。しかしいくつかの支谷、斜面の窪地が見て取れるので通称はあったように思われることから、聞き取りによる地名保存が待たれる地区である。(「谷戸めぐり」さんの解説より)


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乞田川の風景③ 両岸は親水護岸、右手から瓜生川が合流します/新大橋

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・・・瓜生川

現在の瓜生川は暗渠、その上を瓜生緑地から鎌倉街道に沿って「瓜生せせらぎ散歩道」が整備されています。

小字-瓜生谷戸(うりうやと)
貝取の地名、通称。旧字瓜生の中心をなす谷戸で瓜生川が流れる。現在はその流路に親水道が作られているが、元々の川はその道の下を暗渠で流れている。(「谷戸めぐり」さんの解説より)

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瓜生せせらぎ散歩道

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新大橋下流の合流地          せせらぎと花壇の楽しい道です

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瓜生一里塚碑
瓜生一里塚は多摩市内では唯一の一里塚で、ここから西南mほど離れた鎌倉街道を挟んだ両側に径6m、高さ3mほどの塚が存在していた。江戸時代初期の元和3年(1617)駿河国久能山(現在の静岡市内)に埋葬されていた徳川家康の遺骸を日光東照宮に移すため街道の整備を行ない、この一里塚が作られたといわれている。家康の柩が通ったことから「御尊柩御成道」(ごそんしつおなりみち)とも呼ばれている。また、一里ほど離れた町田市小野路にもこの時造られたと思われる一里塚が残されている。(多摩市)

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昭和初期の貝取付近の地図 
「東京南多摩郡多摩村全図」/案内板
赤丸が一里塚碑設置位置、橙丸が塚のあった場所を示しています。鎌倉街道(橙・上:府中 下:小野路)に沿って流れているのが瓜生川、大福寺(緑角 右は北貝取小)の西の流れは貝取川。中央の尾根部(赤)が「鎌倉古道」(推定)でしょうか。


d0183387_10104363.jpg小野路を通った御尊櫃御成道
德川家康は駿府(静岡)で元和21616)年417日、75歳で病死しました。「遺体は久能さんに埋葬し、葬儀は江戸増上寺で営み、位牌を三河国大樹寺に立て、遺骨は一周忌を過ぎてから日光山に勧請せよ」との遺言により、久能山から日光まで運ばれました。1300人位のお供があり。20日間ほどかかって運んだといわれています。元和3315日に久能山を出発し、木曽から小野路には321日に通過しています。平塚の
中原御殿から府中御殿までの道中の一部で、この道は御尊櫃御成道と呼ばれています。小野路には一里塚(写真)が築かれています。(説明板・小島政孝氏作成 写真:小路一里塚/野津田公園入口)


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池の風景① 三角橋が鎌倉街道を横断する手前の池です/瓜生緑地


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池の風景② その奥に東屋のある池があります/瓜生緑地

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乞田川の風景④ この先右手が永山駅になります/永山橋 


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左岸袂に地蔵尊            右岸は「歴史と文化の散歩道」です



・・・馬引沢


谷戸部筋に沿った地区である。馬引沢(まひきざわ)という地名は連光寺の小字、馬引沢に由来している。全域が多摩土地区画整理事業で整備され、民間マンションが多く建つ。
Wikipedia

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乞田川の風景⑤ 橋の手前で右岸から「馬引沢」が合流します/諏訪下橋


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住宅地を流れる「馬引沢」

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合流地/下諏訪橋            この先から暗渠になります/諏訪神社


d0183387_23221109.jpg馬引沢のモニュメント/馬引沢2丁目
「馬引沢」の町名は大字連光寺字馬引沢の小字をとって平成2127日に新設された町名であり、現在馬引沢12丁目が設定されています。新編武蔵風土記稿に「村の南をいへり」とある古い地名ですが、町名の由来は定かではありません。大字連光寺字沖谷戸の谷間から当地を通り乞田川にそそぐ沢があり、この沢沿いに鎌倉街道から諏訪神社前を通り川崎市黒川へ抜ける道があったようで、黒川境に至る辺りは険しいところであったといわれています。馬引沢の中央には昭和41年に焼失してしまいましたが薬王寺という古いお寺があり、近在の人々より深く敬われていてその前を通る時、馬から降りて引いて通ったといわれているところからこの地名が付けられたとも言われています。なお、この彫刻は「馬引沢」の町名にちなみ「馬」をテーマにしたものです。(説明板)


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墓地に薬王寺の堂があります        通王山薬王寺の扁額が掛ります 


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馬引沢想像之図/案内板

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現在の大通り、尾根幹線(多摩東公園)へ上ります/
馬引沢2丁目


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周辺乞田川流域マップ
(赤:鎌倉古道 橙:現鎌倉街道 紫:推定鎌倉裏街道 茶:尾根幹線・ニュータウン通り他 青:乞田川&支流 橙角:多摩センター・永山駅・市役所)




by Twalking | 2016-08-17 14:51 | リバーサイドウオーク(新規)

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