乞田川(4)合流域(連光寺)
天気 晴れ
連光寺は多摩のよこやまが尽きるところ、
先端はゴルフ場になっているので、上からは見れません。
それでも、谷戸が入り組み自然が多く残されています。
10km位の乞田川ですが、支流を含めて歩いみると、
まだまだ知らない所も多く、思わぬ出会いもあって
なかなか味わい深いウオークとなりました。
・・・関戸
武蔵府中に近く、関所と鎌倉街道があったため鎌倉時代以降宿場町として栄えていた。霞ノ関を鎌倉幕府が和田合戦を契機に、北条一族が多摩川を盾に北関東からの防衛上の要衝として関所を設置した。また1333年5月16日に起きた関戸の戦いの後、新田義貞軍の監視のために関戸城が築城されている。地名は1213年に鎌倉幕府によって作られた霞ノ関南木戸柵が由来ではないのかとされている。(Wikipedia)
・・・狼谷川
小字-狼谷(おおかみやと)
貝取飛地の地名、通称。現在の桜ヶ丘の住宅街の中。大谷戸の最奥にあたる地で狼が出て人が食われたとの言い伝えがあるが、この地名の多くは人跡稀な地に付く事が多い。(「谷戸めぐり」さんの解説より)
小字-大谷戸(おおやと)
貝取飛地の地名、通称。多摩市役所裏手に残る谷戸。もっと大きく長い谷戸であったが現在はその下流部が奇跡的に残っている。懐かしい光景を残し、狼谷から流れてきた川「狼谷川(おおかみだにがわ)」が流れている。(「谷戸めぐり」さんの解説より)
原峰公園
原峰公園はしないでも数少ない自然をそのままのこした緑豊かなところで、鎌倉街道の歴史的面影を残し、多摩の昔を偲ばせる静寂な雰囲気を漂わせる公園です。昭和51年(1976)に桜ケ丘第2児童公園として開園し、昭和56年に都市計画法による児童公園として原峰公園と名称を変更いたしました。その後、周辺の土地を暑所されていた嵯峨山氏、猪俣氏、須藤氏、山㟁氏ほか多くの方のご協力により、平成2年~3年に区域を拡張して近隣公園として整備いたしました。園内には貴重となってしまった野草が自生し、昆虫、小動物などが生息しております。このかけがえのない自然を大切にし、自然とのふれあいや森林浴を楽しむことができるよう梅園、せせらぎ、池や遊び広場を巡る散策路があります。また、隣接地には「ゆう桜ケ丘」を設置し地域の皆さまに憩いの場として一体的に活用して頂くように整備をいたしました。(多摩市)
小字-原峯(はらみね)
関戸の地名、通称。熊野社の西斜面上の平地付近の地名。峯の上の原地の意味だろう。貝取飛地との境で、ゆう桜ヶ丘がある辺り。この地の下には貝取飛地の旧家の方々のご努力で守られた里山が残り、一帯を「原峰公園」として解放している。(「谷戸めぐり」さんの解説より)
(赤:鎌倉街道 橙:現鎌倉街道 青:乞田川&支流 橙角:永山駅・多摩市役所)
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・・・連光寺
・・・大谷戸川
小字-大谷戸(おおやと)
連光寺の地名、字名。現在の大谷戸公園付近の字名でその名の通り大きな谷戸を中心とする地区だった。谷戸の一部は連光寺公園になっている。かつては天然氷に用いられるほどの良い水が流れていた大谷戸川は下流の一部を残して暗渠化されている。(「谷戸めぐり」さんの解説より)
連光寺
「連光寺」の町名は吾妻鏡に記されており、かつては「蓮光寺」と書かれていました。町名の由来は新編武蔵風土記稿には同名の寺院があったことに由来されるとされ、「小名下屋舗」(こなしもやしき)の辺なる坂を寺坂と称するは、恐らくは此辺その旧跡なるべしといへり」とありますが、確かなることは不明です。また寺坂や仏道などの小名が高西寺の近くにありました。連光寺1丁目の旧字向ノ岡は、万葉の昔から歌に詠まれており、対鴎荘跡(たいおうそう)の近くに小野小町歌碑が建っています。連光寺5丁目の旧字山ノ越には聖蹟記念館があり、明治天皇が兎狩りや鮎漁に行幸されたことを記念して昭和5年に大松山(おおまつやま)に建設されました。昭和12年には京王線の関戸駅も聖蹟桜ヶ丘駅に改名されました。なお、この彫刻は連光寺の丘陵を駆け巡る兎をテーマとしたものです。(多摩市)
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乞田川流域マップ
(青:乞田川&支流 赤:鎌倉街道 橙:現鎌倉街道 紫:よこやまの道)
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by Twalking | 2016-08-18 16:58 | リバーサイドウオーク(新規)