無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 大栗川(4)松木&越野   

日時 2016.9.2(金)
天気 晴れ

太田川の川辺から富士見台公園&首都大学辺りは
雑木林も残りますし景気もいいので、時々歩きます。

調べて見たら「松木館」「大石館」そして「由木城」など
中世の居館や城があったんですね~・・・、びっくり。
由木の旧道を含めて訪ねてみました、


・・・松木
(まつぎ)右岸

八王子市の南東部に位置する。南端を京王相模原線が走り、北を大栗川、南を大田川で挟まれた街である。松木は多摩酪農発祥の地であり、かつては盛んに酪農がおこなわれていたほか、養蚕業、大栗川や多摩丘陵の湧水を利用した稲作も発達したが、多摩ニュータウン開発に伴う市街地化により衰退した。豊富な地下水を利用し、掘り抜き井戸を用いた養漁業が現在でも行われている。地名は足利持氏の家臣である松木七郎が居館を置いたことから。
Wikipedia

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大栗川の風景① 右岸から大田川が合流します/堀之内3丁目

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峯ヶ谷戸橋を渡ります         三角州には大栗川公園があります

小字-峰ヶ谷戸(みねがやと)
松木の旧小名、小字。かつてはこのあたりまで尾根が伸びており、その高台に切れ込む谷戸があったが、山川と切り崩され完全に消滅している。(「谷戸めぐり」さんの解説より)

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大栗川の風景② 左手が松木、右手が越野になりますが、松来台の浅間神社に寄り道します/内田橋


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松木浅間神社鳥居

d0183387_19475480.jpg松木浅間神社/松木

浅間神社は室町時代初期、駿河の国富士浅間大社より松木村領主・松木七郎師澄の勧請創始と伝えられ、御祭神「木花之開耶媛命」を松木村中央南の山頂に富士の霊峰に向いて祭られ、以来時を閲す(経る)ること6世紀余、先賢有徳の民族により敬神崇拝の儀が営まれ、森厳に伝承され悠々遼々として今日に及ぶ。社地は180坪で昔時は23百年もの松の大木が繁り久遠の彼方より神社の所在に接したが、明治の末期より老木のため次々に伐せられ関東大震災(大正1291日)により壊滅す。

d0183387_19505229.jpg神社の変遷)
明治11年社殿改築、「八坂神社・(すさのうのみこと)」「秋葉神社・(はむすびのみこと)」両御祭神を相殿に相祭る。昭和29年浅間神社が宗教法人に認証昇格す。昭和48年社地が東京都の宅造計画地内にありしたため現在地に社殿を移転遷座し同年社務所を造営す。(八王子市学園都市文化ふれあい財団発行「あかがし第26号」より引用しました)


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松木七郎の宝篋印塔(ほうきょういんとう)/浅間神社
この宝篋印塔は松木七郎の墓といわれており、碑面に「永和2年(1376)丙辰」と刻まれていたと新編武蔵風土記稿に記されているが、現在は風化して判読ができない。松木七郎師澄は藤原氏から出た鎌倉公方持氏の家で、松木村を開拓しこの地方の領主になったという。(八王子市教育委員会)

d0183387_19570671.jpg松木七郎の宝篋印塔

ほぼ完全に近い形で残っている中世の宝篋印塔として、都内でも代表的なものです。江戸時代に書かれた「新編武蔵国風土記稿」によると、鎌倉公方足利持氏の幕下であった松木七郎の墓とされていますが、没年が合わないため、風土記稿には伝承のままが記されたものだと考えられます。宝篋印塔に刻まれた銘文によると、成然禅尼という女性が、亡くなった夫の供養ために建てられたものだと考えられます。建立:文和2年(13766月 高さ154cm 幅55cm(八王子市HP)


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大栗川の風景③ 左手に「大石やかた跡」、右手は下根になります/大竹橋

小字-下根(しもね) 
大竹橋左岸
越野の旧小名、小字。現在造成が進んでいる。(「谷戸めぐり」さんの解説より)


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公園は名がついているだけ、高台に遺構がのこります/大石やかた公園

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緑地保存地区になります        東側の階段から


大石やかた斜面緑地保全区域

この区域は市街地内のみどりを保全するため、市街地内丘陵地のみどりの保全に関する条例に基づいて民有地を指定したものです。八王子の豊かな自然を愛し、貴重なみどりを守りましょう。

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丘の風景① 階段上から対岸の帝京高校の丘(越野)を望みます/「大石やかた」跡

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八王子八十八景・
松木大石宗虎屋敷のサルスベリ

大石宗虎屋敷のサルスベリ
ここは松木台と称し、永禄(15581569)の頃大石信濃守宗虎が居館を構えていたと伝えられている。このサルスベリ(百日紅)はその頃のものと思われる。樹齢約400年、根もとの周囲3m余、樹高15mと近在にもまれなる巨木である。(八王子市教育委員会)

d0183387_09022353.jpg大石氏

室町時代、戦国時代に関東地方で活躍した氏族。関東管領上杉氏のもと、四宿老(長尾氏・大石氏・小幡氏・白倉氏)の一人に数えられ、代々武蔵国の守護代を務めた。信濃藤原氏(沼田氏と同族とされる)の後裔といい、信濃国佐久郡大石郷に住んでいたことから大石氏を名乗ったといわれる。また、これらとは別に平安時代初期編纂の新撰宇姓氏録に記される古代氏族にも大石氏はあるが未詳。Wikipedia

d0183387_18243995.png大石信濃守宗虎屋敷跡/松木

多摩ニュータウン107遺跡として登録された遺跡で、縄文時代中期〜近世の大規模な複合遺跡。台地の縁辺部を囲むように存在する縄文時代中期後半の住居群、古墳時代の水場遺構、平安時代の住居跡など各時代の豊富なデータを提供している。中世の遺構が大石氏の一族である大石信濃守宗虎の居館跡に比定されている。(「多摩ニュータウン遺跡107遺跡(3分冊)1999刊」)(Web八王子辞典 写真:東京都埋蔵文化財センター)

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大栗川の風景④ 右岸の大石やかた公園&大石館跡の景観で/きんもり橋

小字-川久保(かわくぼ)
越野の小字。川の窪地の意味だがかつてこのあたりでは大栗川が蛇行しており、これにちなむ名前だろうと思う。(「谷戸めぐり」さんの解説より)


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富士見公園北口 お堂とお地蔵さんがあります


富士見台公園

広い芝生と展望、たくさんの桜の木が自慢の公園です。3月下旬から200本以上のソメイショシノが咲き始め、4月上旬にはヤマザクラなどが加わります。ピクニック広場が木陰をつくり夏でも気持ちよく過ごせる空間です。最高所の展望台からは天気が良ければ富士山が顔をのぞかせます。(案内板)

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ピクニック広場            中央広場


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富士見台公園史蹟広場

富士見台周辺は縄文時代から古代にかけての遺跡が多く発見されています。公園の地下からも古代の集落跡が見つかり土器や鉄製品なだが出土した。公園には貴重な埋蔵文化財や歴史環境を保護するという大きな役割も担っています。また園内にある堅穴住居址は当時の住居を復元したものです。古代の息吹を感じながら公園を散策してみてはいかがでしょうか。(説明板)

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多摩NTNo107遺跡縄文時代の墓坑群    多摩NTNo287 遺跡23号住居跡
 
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丘の風景② 前方が対岸の越野、左手は南陽台です/展望台


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富士見台公園案内図

 

・・・
越野(左岸)

もとは南多摩郡由木村大字越野にあたる。1964年(昭和39年)の由木村の合併で八王子市の一部となり、多摩ニュータウンの事業の一つである由木土地区画整理事業終了に伴い隣接する下柚木・松木・堀之内と区域変更を行った。
Wikipedia


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玉泉寺山門

d0183387_15041411.jpg玉泉寺/
越野

真言宗智山派 吹上山と号し、本尊不動明王、開山は賢海(永徳3年・1383 24日寂)、中興開山は良栄(元禄8年 1695 125日寂)である。同所山王社の別当であった。

医性寺(松木村)
続木山と号し、本尊不動明王、開山不詳、開基は井草越前守忠政と思われる。中興開山は栄満(寛文2年・1662 424日寂)であるが、明治初年廃寺となり越野村玉泉寺に合併された。(八王子市史)

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宝篋印塔(寛政10年/1798)   
門前の道祖神


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聖観音札所


d0183387_15242363.jpg木造聖観音菩薩坐像

この像は江戸時代「もかけ観音」と呼ばれていた観音像と思われます。この像の特徴は台座の蓮弁を越えて両側に長く垂らした袖と前面の裳裾(もすそ)にあります。この様式は宗風の影響によるものだといわれ、14世紀後半から鎌倉を中心に関東地方の一部に流行したものです。胎内に制作年の天正9年(1581)銘があるといわれています。像の裏面には願主小野田肥後守周重、相州保内之住侶実蔵坊、巧匠相州之住王蓮法眼等の墨書が見られます。像高40.5cm、台座から宝冠頂までの総高89cm、玉眼寄木造、漆箔、金属製の宝冠・胸飾がつき禅定印を結びます。しかし手首は相方共後補のものです。二重円光背、二重華框座(かまちざ)、逆蓮華、敷茄子(しきなす)台座とも一具(ひとそろい)でよく保存されています。(八王子市教育委員会)


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旧道風景日枝神社の参道入口付近、趣がある道です/聖観音札所前


小字-吹上(ふきあげ)
越野の旧小名、小字。「吹」の文字は鞴(ふいご)に通じ、蹈鞴(たたら・鋳物師が用いる足で踏む大型のふいご)との関係から産鉄地名であるとの説がある。(「谷戸めぐり」さんの解説より)


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日枝神社鳥居


d0183387_15471010.jpg越野日枝神社

かつての越野村の鎮守。以前は山王社と称した。境内には幹回り388㎝というスダジイの巨木がそびえる。Wikipedia
山王社
 
祭神:国常立尊 境内社:秋葉神社、八坂大神、宇加大明神、白山大明神、山霊大神


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丘の風景③ 対岸(右岸)の南大沢方向の景観です/帝京大学中高校の丘

小字-間門(まかど)
越野の旧小名、小字。帝京大学中学高等学校の入り口の道あたり。村の中央であり、北の山への登路があったという。(「谷戸めぐり」さんの解説より)


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由木地区の公園・緑道案内図
(橙:野猿街道 紫:多摩ニュータウン通り 茶:平山通り 青:大栗川・大田川 橙角:京王堀之内・南大沢駅)




by Twalking | 2016-09-08 09:03 | リバーサイドウオーク(新規)

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