無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 大栗川(8)和田&河口域   

日時 2016.9.17(土)
天気 薄曇り


秋の長雨が続きましたが、久し振りの晴れ間、
中途半端なので残りの下流域を歩いてみました。
和田の寺社と大曲する宝蔵橋辺りが面白いですね。

倉沢緑地、普段は入れないのですが、たまたま
作業日で、お願いして中を見せて頂きました。
いい杜ですね~、奥にある万蔵院台の庚申塔も見れました。
ありがとうございました。

御殿峠から河口まで距離は16km程度ですが、
流域に広がる谷戸や寺社・史跡などを見て歩きましたので
時間がかかりましたが、散策するには面白い流域だと思います。



・・・和田(多摩市)

和田(わだ)
和田の地名、旧小字。場所不詳ながら、現在の和田中学校付近ではないかという。この地の小地名が村名になったようだ。なお和田の由来は諸説有り、川の屈曲した場所や開けた平地に見られる地名であるというのが有力な説であるらしい。(「谷戸めぐり」さんの解説より)
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大栗川の風景① 上流左は鹿島・松が谷の丘、右は帝京の丘になります/久保下橋

d0183387_16285044.jpg久保ヶ下(くぼがした)

和田の地名、通称。大栗川の湾曲と和田堀という用水路に挟まれた小地域。窪地のような場所だったのだろうか。久保ヶ下橋に名を残す。(「谷戸めぐり」さんの解説より)



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中和田天満宮鳥居/中和田(左岸)


d0183387_13251838.jpg中和田天満宮 祭神:菅原道真公。

太古よりの段丘の中腹に伏流水が湧き出で「おみたらし」状を呈していた処に、旧北野村より移り住んだ人が故郷の天満宮を村人と計り勧請したと和田村旧記は伝えている。神と水は不可分であるが、この条件を満す社は近郷で当社のみである。一段と高い所にある社殿は寛永3年の創建である。新編武蔵風土記稿に寛永9年とあるが誤読で赤外線写真での確認である。旧中和田村は江戸時代末期まで戸数は15軒ほどの村であったが、明治初年頃より人口も増加し現在の活況を呈する様になった。平成の初めの頃か古棟札は失われてしまったが、各所に大木の切株や都道改修の際まで旧参道に埋めの老大木が緑のトンネルの如く茂り古社の雰囲気であったが、その姿も今は失われ古来の産土神とし、また学問の神天地の神五穀豊穣、身体安全の守り神として広く崇敬を集め、今は鳥居を結界として石段より上方が神域となった。平成18年御鎮座380年を記念して社殿の再建と覆屋の改修も完了し、何時までも平和で安穏な日の続くことを希い、当社の由緒を識しおく。(石碑)


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旧道風景① 神社先から左手に旧道が残っています/中和田

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旧道は山側を行きます         大谷戸から支流が流れます

大谷戸(おおやと)
和田の地名、通称。字谷戸を構成する中央の谷戸の名。現在は道が走るが北の尾根が残され、谷間の雰囲気が残る。(「谷戸めぐり」さんの解説より)

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大栗川の風景② 野猿街道の左を大きく蛇行して流れます/殿田橋(左岸)

d0183387_16324310.jpg小字-殿田(とのだ)

和田の地名、旧小字。昔和田を支配した者の直轄田があった地だという。現在は橋梁名「殿田橋」に名を残す。。(「谷戸めぐり」さんの解説より)





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大乗寺/和田 日蓮宗
当山は明治16年(1883216日浅草猿屋町に『本化正統経王会』として、自我偈院日也上人(浜松・妙恩寺49世)により創立されたものであり、開基檀越は兼子伝五衛門です。爾来127年、関東大震災、昭和20年の戦災を経て、昭和2773日『宗教法人大乗寺』として成立しました。経王会創立以来、初代自我偈院日也上人、二世自中院日勇上人、三世自浄院日澄法尼、四世自得院日正上人、五世本行院日壽上人即ち大乗寺開山上人であります。本行院日壽上人(兼子惠順)は昭和9年以来その任に就き、昭和20年の戦災で猿屋町の経王会が焼失、戦後駒込に再建し、大乗寺と改称。ここに大乗寺開山本行院日壽上人として、離散した檀信徒に布教を再開。当時檀信徒の墓地は巣鴨の染井霊園に存在し、昭和46年(1971)寺院と墓地を共にと考え、駒込より現在地(多摩市和田)に移転し、本行院日壽上人と兼子京令室が幾多の困難を乗り越えて大乗寺の基礎を築かれたのであります。(説明板)


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十二所権現社鳥居


d0183387_13560013.jpg十二所権現社/和田

中和田村(『風土記稿』では上和田村)の北の山麓にあり、除地およそ一町歩。例祭は912日で、同村高蔵印持ち。中世三田氏によって勧請された(『風土記稿』)とも、応永ごろ(13941427)金山・保田両者によって建立されたとも伝えられる。天保6年(1835)にほ社殿を再建、寛政・天保・安政の3度にわたり鳥居を修復している。(新編武蔵風土記稿)


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大栗川の風景③ 百草丘陵に沿って蛇行して流れます。前方は桜ヶ丘/新道橋

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新道橋                百草丘陵の谷戸から支流が合流

新堂(しんどう)

和田の地名、通称。古くは字だと思われる。この地は大栗川の湾曲の中にあったが恐らくこの湾曲がなかった頃、日野の百草村新堂と繋がった地であり、この名が残ったのだろうと思われる。ちなみに百草村の字新堂は古刹真慈悲寺があったのではとされている地であり、名もこれに因むのだろう。(「谷戸めぐり」さんの解説より)


・・・倉沢(日野市)

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谷戸の風景① 百草園への上り道、倉沢川が谷戸を流れます/倉沢

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倉沢川                田圃が黄金色です

倉沢(くらさわ)
和田の地名、旧字名。隣接地は日野の倉沢で有り、この地が和田に入った辺りを言う。(「谷戸めぐり」さんの解説より)


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月に一度の作業日だったそうで、会の方の了解を頂いて中を見せて頂きました。奥に万蔵院台の庚申塔がありました。素晴らしい森ですね!ありがとうございました。

倉沢緑地
この緑地は公園ではありません。動・植物を保護・育成しています。許可なく入ってはいけません。(倉沢里山を愛する会)

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万蔵院台の庚申塔(4基)

庚申信仰は「庚申の晩に眠ると、身中の三戸の虫が昇天して天帝にその人の過失を告げる」という中国の信仰と日本の日待ち、月待ちの信仰が融合したものとされる。江戸時代に庶民の間に浸透し、庚申の晩に人々が集まり、眠らずに一晩を過ごす庚申講が行われた。この講を何度か行った節目に建てたのが庚申塔で、人々の祈願の対象にもなっていた。万蔵院台の庚申塔は、宝永7(1710)に当時この地の領主であった小林正利が建立した一基と、この地の住民が元文3(1738 文化2年再建)と明和6(1769)に建立した2基、建立年代は不明だが昭和52年に再建された1基がある。このうち宝永7年のものは、近年まで節分の豆撒きや初牛に供物を供えるなどの行事が行われていた。これらの庚申塔は領主と住民が建立したものが一体に祀られ両者の関係を示す好資料となっている。また近年まで信仰行事を伴っており、民間信仰を理解する上でも貴重である。(日野市教育委員会)

日野・百草園の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23130475/


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谷戸の風景② 百草丘陵尾南下に緑道がついています、いい道です/倉沢川緑地


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谷戸の風景③ こちらも自然保護・育成の緑地、普段は入れません/真堂が谷戸

d0183387_15093729.jpg水辺のある風景日野50-47 真堂が谷戸

クヌギ、コナラなどの雑木林と湧水があり、この付近には市内では珍しくなった蛍が生息しており、エビネなどの貴重植物も自生しています。20 年以上前に蛍が生息していることが確認され、調査が続けられてきました。この地域においても、開発の波が押し寄せてきたことから、市民を中心に雑木林と蛍を保全する活動が起こりました。現在では「真堂が谷戸蛍の会」が結成され、維持保全活動の一環で、昔ながらの水田も復元されました。これにより蛍の棲みやすい生態系豊かな自然環境が保たれています。(日野市)

大栗(おおくり)
和田の地名、旧小字。大栗川に由来する地名だという。しかしここより上流は「柚木川」と言い、この地より下流を「大栗川」と言ったようで、そもそもこの辺りに新堂にあったと言われる真慈悲寺の庫裏が有り、付近流れる柚木川を「大庫裡川」と呼んだことを由来とする説も有り、逆にこの地の地名が川名の由来となったと見た方が良いのかもしれない。(「谷戸めぐり」さんの解説より)

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乞田川の風景④ 上流の宝蔵橋、90度大きく湾曲して関戸へ流れます/明神橋


宝蔵(ほうぞう)
和田の地名、通称。これも古くは字名だったのだろう。隣接の東寺方に同名の字が有り、そもそもは繋がった地であったのだろう。現百草園のある地にあった松蓮寺の宝蔵があったのではないかと言われている。(「谷戸めぐり」さんの解説より)



・・・合流域へ

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大栗川の風景⑤ 右手に桜ヶ丘の丘、左岸に遊歩道がついています/東寺方橋

d0183387_19361203.jpg山の婆坂(やまのばばさか)右岸
東寺方の地名、坂名。グミガ下に降りる坂の名であることから本来「グミガ坂」と言うのだが、この近くに山姥が出ると言われこの名が定着した。ある種の危険地名か。(「谷戸めぐり」さんの解説より)


d0183387_19361798.jpg有山(ありやま)左岸

東寺方の地名、旧字名。このあたりはもともと関戸分であり、有山の呼称はこの付近を指す旧小名、通称であった。有山家という名家が有り、この付近は多摩村内でもある種の自治が認められており、有山村と言われたようだ。後東寺方がこの地を併せた模様。(「谷戸めぐり」さんの解説より)


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丘の風景① 北側百草丘陵方向の景観です/いろは坂さくら公園

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丘の風景② 東南側の聖桜ヶ丘駅方向の景観です/いろは坂さくら公園


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聖蹟桜ヶ丘駅前         関戸の碑/九頭龍公園

古茂川(こもがわ)

関戸の地名、字名。聖蹟桜ヶ丘駅前東一帯の字名。この地には同名の川があり、ねぎ山付近で大栗川に合わさっている。これはそもそも日野市の程久保川から堰上げされた一の宮関戸連合用水の一派で有り、一の宮の小野神社前で間ノ川と分かれて流れて来ている。今でも聖蹟桜ヶ丘駅付近にひょっこり開渠になって顔を出している他、実は京王ストアーの地下を暗渠で流れていると知るものは少ないかもしれない。由来にはこの小さな用水堀が大雨であふれると天井返しという作業を行い、この時に薦を多く使ったことからこの名になったという説があるが、定かではないという。(「谷戸めぐり」さんの解説より)

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大栗川の風景⑥ 旧鎌倉街道・現鎌倉街道を横断します/関戸

旧鎌倉街道関戸の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23341738/
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大栗川の風景⑦ 左手から乞田川が合流します、多摩川まで1km/向ノ岡大橋(川崎街道)


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大栗川の風景⑧ 合流地の交通公園まで緑道が続きます(左岸)/報恩橋


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大栗川の風景⑨「0km」の標柱が立ちます。左岸は府中郷土の森、右岸は多摩丘陵東端です/交通公園

右岸の連光寺の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23374830/



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資料ファイル

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多摩市ジオラマ(昭和37年頃)/パルテノン多摩歴史ミュージアム 


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多摩市ジオラマ(平成年11年頃)/パルテノン多摩歴史ミュージアム
(橙:野猿街道 紫:川崎街道 青:大栗川 橙角:聖蹟桜ヶ丘駅)


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調布玉川惣畫図(そうがず)/九頭龍公園


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大栗川流域図(青:大栗川・乞田川)

水系:一級水系多摩川 延長:15.5km 流域面積:42.6km2 
水源:御殿峠(八王子市鑓水) 河口・合流先:多摩川(多摩市連光寺先)



by Twalking | 2016-09-19 17:34 | リバーサイドウオーク(新規)

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