人気ブログランキング | 話題のタグを見る

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井   

日時 2016.10.14(土)
天気 晴れ

川井は初めて訪ねますが、町名変更等で入り組んでますね~。
多磨丘陵の谷間を帷子川が流れますが、ここは源流域です。
今までは境川、これからは帷子川に沿って歩きます。

すぐ16号が走ってますが、旧道は静かな佇まいです。
里山の長閑な風景とお寺さん、これからいいでしょうね~。
次回は鶴ヶ峰、畠山重忠の史跡などじっくりと訪ねたいと思います。


・・・上川井町(旭区)


旭区の北部に位置し町の西側は瀬谷区、北側は緑区に接する。町内を保土ヶ谷BPと国道16号が通り上川井ICで交差する。
古くは都築郡上川井村であった。地名の「カワイ」は川の合流地点の意味があり『新編武蔵風土記稿』に川井村の地名がみられる。明治22年に今宿・下川井・川井・上白根・下白根・今宿の各村と合併、都岡村となる。(Wikipedia

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_16211222.jpg
街道の風景① 坂を下ると16号、左手に平行して旧道がついてます

市坂(いちさか)
上川井町の地名、字名。大和バイパス付近の丘陵部の地名。この地の坂を言ったものを代表字としたのだろう。市の立つ場所であったか。
(「谷戸めぐり」さんの解説より)

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_16211646.jpg
浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_16244832.jpg
亀甲山バス停             横浜身代わり不動尊(真言宗醍醐派)

亀甲山(かめのこうやま)
上川井町の地名、山名。字市坂の山の名。その形状を亀の甲羅に例えたもの。
(「谷戸めぐり」さんの解説より)

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_16381836.jpg
これはでかい水路橋ですね~、下を帷子川が流れます/若葉台団地入口

大貫谷戸水路橋/(
かながわの橋百選)
昭和27年に建設されたトレッスル橋脚を有する鋼水路橋で、橋長は306m。普通は橋が川を渡るのであるが、水路橋は橋の中を川が流れているようなものである。相模湖系原水の導水路として、流量148万立万メートルの水路橋で、鋼桁がそのまま水路となっている。長大水路橋として全国的にも珍しく、水道界での貴重な存在となっている。(神奈川県)


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_19072109.jpg
帷子川の風景① 水源の清流を利用して散策路が付けられてます/上川井町小川アメニティー(若葉台)

帷子川の水源
帷子川は旭区の西北端に源を発し、東京湾に注ぎこむ区内の代表的な河川です。水源は上川井町東根谷と呼ばれる大貫台地の麓から湧き出ていましたが、源流付近は若葉台団地の造成により地形が変わり今はここが源流地とされています。(あさひ散歩コース)

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_19112601.jpg
浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_19162342.jpg
水源はこの谷戸の奥でしょうか     水管橋の下は小川になってます

大貫谷(おおぬきやと)
若葉台、上川井町の地名、字名。若葉台の西を北に北部斎場を超えて進む谷の名。大きく貫くような谷という名称は地形から来たものと思われる。大貫谷公園がその名を残す。
(「谷戸めぐり」さんの解説より)


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_19244062.jpg
街道の風景② 帷子川の流れる谷間を南へ向かいます/長源寺前


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_19311763.jpg
長源寺山門/上川井町


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_19312179.jpg長源寺 

当山は弘法大師を宗祖と仰ぐ高野山真言宗で、川井山観音院長源寺と号し天平11年に行基菩薩によって開創されました。行基菩薩がご活躍されたのは奈良時代であり、本来は南都六宗のうちの華厳宗の本山、奈良東大寺の末寺々院でありましたが、永長年中に東国の武士団の頭領・源氏の八幡太郎義家公奥州征伐の折に当寺を参拝され、荒廃していた諸堂や伽藍を整備補修し、行基菩薩の彫刻された十一面観世音菩薩に武運長久と戦勝祈願されたと伝えられます。その後に無住の荒れ寺であった当寺を、永世年中に印融法印により中興開基された折に高野山真言宗となった次第です。本尊の大日如来(金剛界)は、永世十年に印融法印の入佛・御開眼されたものであり、平成7年には横浜市文化財保護の指定をうけました。境内の観音堂は旧小机領三十三所霊場の第27番礼所です。(長源寺HP)

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_19360615.png木造大日如来坐像(
横浜市指定有形文化財彫刻)
時代:室町時代 構造及び形式:技法 寄木造、玉眼、肉身部金泥、着衣部漆箔 寸法:像高33cm 員数:一軀このお像は長源寺の本尊で、頭髪を高く結い上げて銅造の宝冠をかぶり、胸の前で智拳印を結ぶ金剛界の大日如来坐像です。張りの強い面部や下半身の装飾的な衣の皺の刻出などに鎌倉時代の作風を受け継ぎ、丁寧にまとめられており、像底部の銘文から、東国仏教界に強い影響を与えた高僧の印融(いんゆう)が、永正10年(1513)に寄付したことがわかります。印融は、永享7年(1435)に、現在の緑区三保町に生まれ、港北区鳥山町の三会寺や鶴岡八幡宮で学んだあと、高野山で修行し、のちに関東に戻り三会寺を拠点に、真言密教の復興に努めました。このお像は、当代の佳例であるうえ、印融のおこなった真言密教の復興運動の一相を示してくれるなど、資料的価値も高いといえます。(横浜市教育委員会)

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_19374700.jpg
丘の風景① 南側の風景です、多摩丘陵の谷を鶴ヶ峰に向かいます/
長源寺


堂谷(どうやと)
上川井町の地名、字名。長源寺前のバス停から北に入る谷戸を言った。開発で大分姿が変わったが、おそらくこの寺の堂に因む地名だろう。(「谷戸めぐり」さんの解説より)


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_19472623.jpg
街道の風景③ 16号に合流しますが、すぐを左折して神社裏の旧道へ/宮の下


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_19502956.jpg
上川井神明社鳥居


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_19510734.jpg上川井神明社
祭神:國常立尊(くにのとこたちのみこと)
創建は不詳であるが、今からおよそ7800年まえの中古の時代から江戸時代に至るまで、旧誌小机川井郷の総社として鎮座し、地域の総鎮守であったと思われる。その後明治612月のに、上川井村の村社に列せられ地域の守護神として氏子の尊崇する神明社として今日に至つている。祭神は國常立尊でこの神は国土形成の根源神。国土の守護神といわれ宇宙が誕生し国土がまだ混沌としてどろどろした状態のとき登場し、泥土を集められ、生命力が宿る大地を形成した神とされている。(案内板)


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_19565409.jpg
街道の風景④ 丘の上を右に巻きながら道なりに進みます/神明社先丘の
浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_00564274.jpg
丘の風景② 多摩丘陵の景観です。右手は保土ヶ谷CCでしょうか/旧道


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_20004020.jpgお地蔵様の由来/下り坂途中

当地のお地蔵様は岩船地蔵尊と云われ今から280余年前の享保年間(享保10年・1725)に建立されました。当時、全国的に享保の飢饉と云われた、農作物の不作、疫病の蔓延等で人心は動揺し社会は不安定となりました。このため疫病等の進入を防ぎ、老人や幼稚を守るためにお地蔵様は建立されたものと伝えられております。以来280余年間、この地に建って人々の信仰を受け、川井の地を見守ってこられました、今でも子育地蔵として多くの参拝者が訪れています。このお地蔵様を川井地区の貴重な文化財として、これからも人の心の拠り所として宗教、宗派をこえて広く信仰し永く保存してまいりたいと考えております。(川井地区岩船地蔵世話人)



・・・下川井町

古くは都築郡下川井村で明治22年(1889)に周辺5ヶ村と合併し都岡村大字下川井となった。旭区のやや北部に位置する。町の南部を中原街道、北西部を保土ヶ谷BPが通る。
Wikipedia


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_00073885.jpg
街道の風景⑤ この辺りが中心でしょうか「川井宿」バス停があります

宿(しゅく)
川井宿町の地名、旧下川井町の地名、字名。八王子街道の横切る中央付近。川井宿の中心地であった。(「谷戸めぐり」さんの解説より)

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_00131886.jpg
街道の風景⑥ その先が「下宿」バス停、そして中原街道と交差します

下宿(しもしゅく)
川井宿町、都岡町の地名、旧下川井町の地名、字名。川井宿の下にあたる場所の意味だろう。


・・・都岡町
(つおかちょう)

元の都築郡都岡村一部、広域地名の一種。本来は「都筑村」を名乗る予定であったが、のちの川和町も「都筑村」を名乗るべく準備していたため村名を巡る争いになった。結局、丘陵地帯であった本村が都岡村(「都筑の岡」の意)、田園地帯であったのちの川和町が都田村(「都筑の田」の意)を名乗ることで収拾した。Wikipedia


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_00333785.jpg
街道の風景⑦ 中原街道を横断します/
都岡の辻

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_00351398.jpg
浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_00353275.jpg
水道道も横断             こちらは16号です

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_00392790.jpg
帷子川の風景② 坂道を下り御殿橋を渡って登りになります/御殿場市(中原街道)


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_00422140.jpg御殿橋・橋名の由来
旧中原街道の一部である『御殿橋』は、東海道の裏街道にかかる橋として歴史的な価値を持ったものである。道は虎ノ門に通じ、古くは徳川家康が江戸入城のとき(天正18年・1590)にこの橋を通行したといわれています。家康はその後この橋を改修し、鷹狩りや民情視察などでよく利用したとのこと。また、江戸時代初期(慶長181613)に家康が相州高座郡の中原御殿(平塚市)へ行く途中、この付近でお茶をたてたのでこのあたりを「御殿丸」という字名がついたという。橋の名称も徳川家康にちなんでつけられたものである。(『旭区内覧見』より 旭区水辺さわやか推進委員会ヨコハマさわやか運動旭区本部)

中原街道(都岡)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/22306065/


・・・今宿西町

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_11523384.jpg
街道の風景⑧ 高島町まで10km、ここを左折します/神明神社前(16号)

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_12002845.jpg
浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_12595898.jpg
立派な門構えのお宅ですね~      すぐ先に双胎道祖神


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_12313387.jpg
今宿神明社鳥居

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_12313701.jpg今宿神明社

今宿神明社は寛政8年に創建せられ、世に親しみ崇敬され郷土民は誠心を以って護持に努めてきたが、太平洋戦争後国民思想変動の影響を受けて、不断の留意にも不拘少なからず荒壞を見るに至った。有志の者之を憂い協力して浄財を寄せ神垣を造築し、神域奉護と森厳化を計画してここに完成を見たことは慶賀に堪えない。整備された神域は世の敬愛の念を新たにする感が深く、神徳が永遠に輝くよう念願する。ここに神明社奉護の趣旨を体し有志の持志を永に後世に伝えるためこの碑を建立する。(碑文)


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_12333434.jpg
今宿本立寺山門

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_12334481.jpg今宿本立寺(今宿学舎)
本立寺は享保年間に荏原郡峯村(現在の東京都大田区嶺町)から移転した池上本門寺の末寺です。元文2年(1737)今宿の地に本堂を建立、開眼供養の際には本門寺から20名の僧侶が出仕して法要を営んだと記録にあります。(永寿院HPより)街道の


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_13142276.jpg
風景⑨ 旧道は静かな佇まいですので歩き易いですね~


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_13172389.jpg
浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_13153643.jpg
左の旧道へ/鶴ヶ峰本町         旧道は左手へ、直進して鶴ヶ峰駅へ

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_13214203.jpg
街道の風景⑩ 交差するのは厚木街道です/鶴ヶ峰(16号)


浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_14151258.jpg
20m万分の1地図(1888年・明治21年)/馬場喜信著「浜街道」より
(赤:浜街道 橙:中原街道 緑:東海道 青:帷子川を着色しました)

浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰03 川井_d0183387_14200780.png
旭区の地形/旭区

旭区の地形

旭区は三浦半島へと続く多摩丘陵地帯の東部に位置し、関東ローム層からなる丘陵地帯と沖積層からなる低地が交錯して起伏に富んでいます。最高地点は海抜94.8m、最低地点は海抜9.8mで高低差は85.0mとなっています。また、上川井町に源流をもつ帷子川が区内を南北に二分するように流れ、支流である二俣川と鶴ケ峰本町で合流し東ヘと流れています。そして、南希望が丘から三ツ境・上川井町付近にかけての丘陵は帷子川と境川の分水嶺となリ、上川井町から上白根町にかけての丘陵は帷子川と鶴見川の分水嶺となっています。(旭区)

浜街道(2)淵野辺~鶴ケ崎02-原町田の関連記事はこちらへ(浜街道(2)淵野辺~鶴ヶ峰02 原町田 : TEIONE BLOG - 平山 貞一 (exblog.jp)

by Twalking | 2016-10-20 19:37 | 浜街道(完)

<< 天上天下唯我極尊/薬王山東光寺 ○写真上達への道 >>