無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり別所(蓮生寺公園~長池公園)   

日時 2016.10.26(水)
天気 晴れ

いいお天気ですね~、どうやら夏日になりそうです。
青空に誘われてぶらりと散策にでかけました。

別所は鶴牧から続く尾根筋、別所川の源流域にあたります。
堀之内から連生寺公園、浄瑠璃緑地、長池公園、そして
せせらぎ緑道を下って堀之内へ戻りました。

豊かな緑と、浄瑠璃姫伝説の伝わる古刹など見どころは一杯、
丘の眺めも抜群ですし、3つの池やせせらぎもあって、
変化に富んだ楽しめるコースです。



・・・別所


江戸時代
は多摩郡柚木領の一部であり別所村とされた。当初は天領だったが寛文4年(1663)に旗本・土屋氏の知行地となった。その後、天和2年(1682)に土屋氏が転封されると天領に戻り、元禄11年(1698)に旗本・松平氏の知行地となり明治維新を迎えた。明治元年(1868)に神奈川県に別所村として組み込まれ、1878年(明治11年)から県内に南多摩郡が置かれるとその一部となった。1889年(明治22年)に町村制施行に伴って由木村が成立したため同村内の大字となる。1964年(昭和39年)に由木村が八王子市に編入されて八王子市別所となり現在に至る。地名は古代の日本では薬師堂などのある土地を別所と名付ける事が多く、当地には蓮生寺があった事からこの名が付いた。Wikipedia

d0183387_17103842.jpg
丘の風景① 東側の堀之内方向です、右手が別所、左手が松木になります/松木橋

d0183387_17133244.jpg
d0183387_17144574.jpg
別所ふれあい公園           連生寺公園通り

d0183387_17165114.jpg
丘の風景② 西側の南大沢方向です、谷を挟んで首都大学の丘が望めます/松木橋



・・・蓮生寺公園

八王子市別所
にある市立公園。蓮生寺公園には造成以前の自然がそのまま残されており、公園の南側には蓮生寺という寺がある。めがね橋や公園内のさえずり橋が特徴的である。さえずり橋は湧水を集めた沢に架けられた吊橋である。沢の周辺にはまむしが出没する注意書きが書かれた看板があり、注意が必要。また、八王子八十八景に選ばれている。Wikipedia

d0183387_17233012.jpg
谷戸にはさえずり橋が架かり、深い森に散策路がついています/水辺の広場

d0183387_17271781.jpg
d0183387_17272465.jpg
めがね橋               さえずり橋

d0183387_17335070.jpg
急坂をひと登りすると尾根の上にでます、残念ながら展望は望めません/展望広場

d0183387_17351923.jpg
いい道ですね~、ほれぼれします/蓮生寺への下り道

d0183387_17455838.png
蓮生寺公園案内図


d0183387_17501532.jpg
蓮生寺本堂


蓮生寺

1182年の創建といわれ本尊毘盧舎那佛も同時代の作と言われている。木造寄木造で身の丈二尺八寸、現在東京都の文化財に指定されているが公開していない。境内には薬師堂があり本尊薬師如来も相当に昔の作と推測されるが製作年代は詳らかでない。薬師如来の霊験はあらたかであるが先年建物が火災を被り現在は402位の建物になっている。本尊は一木造、立像で五尺六寸。薬師堂では毎年元朝のほか1012日に祈祷会を行い、国家安泰、万民富楽、家内安全、身体健全を祈っている。(八王子仏教会)

d0183387_17512020.jpg
別所薬師堂



d0183387_17533486.jpg蓮生寺と薬師堂

薬師堂は1588年(天正16年)の火災で焼け、1705年(宝永2年)に再建したもの。松平二郎左ヱ門寄進の薬師の木像は秘仏とされ戸帳を固く閉じ、住僧といえども簡単に見ることができなかった。山門は取り払われてあとかたもないが、護良親王筆の「由木山」の扁額がある。蓮生寺の草創は古く、吾妻鏡によると源頼朝が由良御前のお腹にいたとき、腹帯を持って上がった円浄が京都から来て創った寺だと言われており、頼朝は円浄を鎌倉に呼び、別所の田畑1町歩を与えてその面倒を見たという。Wikipedia

d0183387_17544526.jpg
d0183387_17573360.jpg
門前の延命地蔵大菩薩            宝篋印塔



・・・浄瑠璃緑地

d0183387_18035274.jpg
蓮生寺を西に進むと住宅地に緑地の入口があります/
浄瑠璃緑地

遙か遠い昔、小山田城の町田市小山田に浄瑠璃姫という美しい姫様がいました。浄瑠璃姫の碑(長池)の説明によると『昔、大磯の海面に光薬師如来像を漁師が引き上げました。これを相模国の城主・岡崎四郎が譲り受け崇拝し、浄瑠璃姫が生まれました。彼女は武蔵国の城主・小山田太郎高家に輿入れする際、父から薬師如来像を譲り受けました。しかし、延元元年に高家が討ち死にした為に、彼女も後を追い薬師如来像を背負い侍女13人と共に長池に身を投じました。その後蓮生寺の住職が長池に光る薬師如来像を見つけ薬師堂を建てて供養したということです』蓮生寺公園と長池公園を訪ね遠い昔に思いを馳せてみましょう。(案内板)


d0183387_18100270.jpg
丘の風景③ 尾根の南斜面に残された細長い緑地ですが、静かでいいですね。

d0183387_18323346.jpg
d0183387_18323891.jpg
散策路                長池公園側入口


d0183387_19043500.png
浄瑠璃緑地と周辺公園案内



・・・長池公園

2000年に開園した別所2丁目にある多摩ニュータウン西部最大の地区公園である。1993年には四谷見附橋が移築復元されている。長池、築池(つくいけ)、姿池がある。浄瑠璃姫が薬師如来像を背負って長池に身を投げたという「長池伝説」が残っている。テレビドラマのロケ地としても有名である。Wikipedia

d0183387_18523553.jpg
池の風景① 文字通り長池見附橋を映し出すことから名づけられてとか/姿池


d0183387_18594343.jpg
d0183387_18581463.jpg
姿池全景               長池見附橋

長池見附橋
1913年
に建設された四谷見附橋を移築復元した上路式鋼製アーチ橋。八王子八十八景のひとつである。

d0183387_19093743.jpg
池の風景② 左手からは田圃へ、右手には長池への散策路が付けられてます/築池

築池
(つくいけ)
長池公園の中心にあり、豊かな水田景観を見せる築池は本来灌漑用に造られたため池です。その建造は大正期以前にさかのぼります。姿池から下流に向けてはかつて水田が広がり、築池は別所一帯の水田の水を供給する大切な役割を担っていました。現在の築池の水位は見附橋を造る際に堤体がかさ上げされたため、当時より深くなっています。水際に立つ大きなヤマザクラや水中に立ち枯れた木々がそのことを物語っています。(案内板)

d0183387_19162890.jpg
池の風景③ この奥は特別保護区になっています/長池

長池
公園内には長池、築池、姿池の3つの池があります。長池、築池は農業用水として長くこの地にあり、中でも長池はもっとも古い時代にさかのぼる事ができ、八王子千人同心組頭・植田孟譜によりまとめられた「武蔵名勝図絵」1823(文政6)年には池に水草の生い茂る様子が記されています。(案内板)


d0183387_19311737.jpg長池伝説
相模国大磯で
光る薬師如来像を引き上げ、相模国の城主岡崎四郎に献上、崇拝し浄瑠璃姫が生まれたとされている。浄瑠璃姫は武蔵国の小山田高家に輿入れした。浄瑠璃姫は岡崎四郎から薬師如来像を譲り受けたものの1336年(延元元年、建武3年)の湊川の戦いで高家が討ち死にしたため、浄瑠璃姫も後を追い薬師如来像を背負って長池に入水した。その後蓮生寺の住職が光る薬師如来像を引き上げ、薬師堂を建てて供養したという伝説である。Wikipedia

小山田高家

小山田氏は平重弘(秩父太郎大夫)の次男有重を祖とする一族で、院政・鎌倉期に台頭した。有重の一族は治承・寿永の乱を経て鎌倉幕府の有力御家人となるが、元久2年(1205)には秩父一族の畠山重忠の乱に際して没落する。高家に関する記述は『太平記』巻16巻「小山田太郎高家青麦を刈る事」で、高家は建武3年(1336年)までに上野国の新田義貞に従い、播磨において兵糧の欠乏から刈田狼藉を行い軍令違反に問われる。義貞は高家を赦免し、同「新田殿湊川合戦の事」に拠れば、同年525日の湊川の戦いにおいて高家は義貞の身代わりとして討死したという。Wikipedia

湊川の戦い
南北朝時代の1336年(建武3525日)に、摂津国湊川(現・神戸市中央区・兵庫区)で、九州から東上して来た足利尊氏・直義兄弟らの軍とこれを迎え撃った後醍醐天皇方の新田義貞・楠木正成の軍との間で行われた合戦である。Wikipedia

d0183387_19574250.png
長池公園マップ

小山田氏の関連記事(大泉寺)はこちらへ(http://teione.exblog.jp/18395904/



・・・せせらぎ緑道

d0183387_19451884.jpg
せせらぎ緑道、ここから堀之内へ下ります/長池公園姿池

せせらぎ緑道
せせらぎ緑道は姿池を水源とする人工的に整備された水路で、別所の中心を流れています。その造形はさまざまで里山が浮かぶ場所や渓流を想像させる場所、タイルを用いた現代的な遊歩道などが続きます。柳やコナラなどの高木(丈が3m以上になる樹木)オオムラサキツツジなどの低木の他、地域ボランティアの花壇が季節を演出しています。約150m流れを下ると西側には別所お月見公園があります。(案内板)

d0183387_19515285.jpg
人造とはいえ、西日を浴びてキラキラと煌めいてます

d0183387_20102114.jpg

d0183387_20145035.jpg
造形に工夫がみられます        柳がこの緑道の特徴ですね


d0183387_22342656.jpg
別所日枝神社鳥居

d0183387_22343060.jpg別所日枝神社
祭神国は常立尊(くにのとこたちのみこと)、例祭827日、元はは蓮生寺の北側にありましたがニュータウン開発により現在地に遷されたそうです。

d0183387_22415095.jpg
日枝神社の隣には別所公園があります

d0183387_22472422.png
せせらぎ緑道マップ


d0183387_00105425.png
京王堀之内駅周辺マップ
(紫:多摩ニュータウン通り 橙:野猿街道 青:大栗川・大田川)



・・・・・・
資料ファイル

d0183387_23303760.jpg
四谷見附橋展示場

d0183387_00064622.png四谷見附橋の由来
四谷見附橋は1913年(大正2年)9月に都内四ツ谷駅直情に竣工した上路式鋼製アーチ橋です。この頃の日本の橋梁技術は近代橋梁技術の黎明期をすぎ、自らの力で歩み始めた時代で、周辺環境との調和に配慮した設計がなされ始めた頃でした。この当時で現存するものは数少なく、四谷見附橋は都内では日本橋と共に文明開化期の面影を偲ぶことのできる貴重な橋梁となっていました。高欄や橋灯及び橋名板などは隣接した迎賓館とデザイン的に対応させたネオ・バロック様式の装飾が施され、周辺環境との調和に配慮した設計で、文化財的価値の高い橋梁となっていました。技術的にも非常に高く評価でき、その当時の設計・施工技術は現在でも十分に使用に耐え得るほどで、我が国近代橋梁の道標となっていたものです。この様に橋梁の構造と造形が巧みに融合した歴史的名橋は長池見附橋と名前を変えてこの地に移設、再建されましたが、移設、再建出来なかった構造体の中の貴重な物についてはわが国の土木文化や近代技術を後世に永く伝えるために、ここに展示保存されることになりました。(説明板)


d0183387_00005801.jpg創建当時の床組構造

この展示物は創建当時の床板を再建したものです。当時は橋梁中央に路面電車が走っており、床面には道路橋としては珍しいバックルプレートが張られていて、鋼材はアメリカカーネギー社より購入したものです。形鋼には「CARNGI」のマークが付いていて、ここの紹介板の支柱にもその一部を使用しています。レールと路面の敷石及び展示場の敷石は当時の都電で使っていたものを使用しています。

d0183387_00010895.jpg高欄

この展示物は四谷見附橋の高欄で、高欄端部に設けられていたものです。四谷見附橋のデザインは迎賓館と対応させたネオ・バロック様式の装飾がなされていて、この高欄の柵の縦格子の鉾の形や花綱も迎賓館にある高欄の柵のデザインと一致するもものです。

d0183387_00042149.png橋台部角石と煉瓦積み

展示物は橋台の四隅に設けられていた角石と煉瓦積みの一部です。当時の橋台は花崗岩と煉瓦によって構築されていて、目地には現在では殆どつかわれていない覆輪目地が施されていました。

孔飾り石

この展示物は橋梁添架物の貫通孔を装飾した孔飾り石です。当時橋梁には下水道管が添架されていて、その管が橋台部を貫通するために孔が設けられていました。その孔周りに補強を兼ねて花崗岩で装飾されたものが、孔飾り石といわれるものです。周辺環境との調和に細部まで配慮していたことが感じられます。

d0183387_00075931.png
四谷見附橋全体図



by Twalking | 2016-10-29 09:46 | たまのさんぽ道(新規)

<< ○写真上達への道 『ニケと二コラ』/入船通り >>