八王子通り大山道(1)片倉~橋本01御殿峠
天気 晴れ
八王子から大山に詣でる大山道もあったんですね。
調べてみると、少しルートは異なりますが、
16号に沿って目指すは御殿峠、谷戸と尾根の違いです。
八王子から片倉までの道筋は浜街道と同じなので、
片倉の追分からスタート、御殿峠までは鎌倉道を、
峠越えは同じ道筋で、古道出口で左右に分かれます。
天気にも恵まれ、秋の古道を堪能しました~。。。
・・・片倉追分
車石(くるまいし)
片倉の旧小名、小字。釜貫と車石の二つの谷戸は片倉の中心をなす大きな谷戸であったが、こちらも一部を除いて完全に開発されてしまった。国道16号から片倉高校方面に入る谷戸とで支谷も多かったという。また字名としては「車石」であるが谷戸地であるため「車石谷戸」とも。(「谷戸めぐり」さんの解説より)
・・・御殿山古道
台谷戸(だいやと)
片倉の地名。字台にある谷戸部のこと。台は台地の集落を意味し、その集落の背後の谷戸部なのでこう呼ばれるのだろう。正字表記「臺谷戸」とも。(「谷戸めぐり」さんの解説より)
釜貫(かまぬき)
片倉の旧小名、小字。片倉台小学校方面に入る大きな谷戸であったが開発で痕跡をとどめないまでに破壊された。谷戸であるため「釜貫谷戸」とも。釜のような地形を貫くという意味ではないかと思うが、釜は産鉄地名でもある。(「谷戸めぐり」さんの解説より)
片倉大六天宮/片倉(片倉村)
第六天社小名車石(村の南の方なり)にあり、小祠(新編武蔵風土記稿より)
・・・宇津貫町
市の南部、兵衛川の上流部の全流域をしめる。1955年(昭和30)由井村の八王子市への合併により翌56年同村内の旧大字宇津貫が宇津貫町となった。江戸期の宇津貫村、農家の副業としての目籠作りの発祥地として知られる。東端に御殿峠、南西端に七国峠があり全域が多摩丘陵地帯に属する。中央部をJR横浜線が南北に走り町田市相原との境に相原トンネルがある。福昌寺・法華寺(七面堂)、熊野神社・毘沙門天神社がある。畑作中心の農村景観をとどめていたが88年横浜線複線化工事が完成、さらに住宅・都市整備公団による八王子南部開発事業が進められ1997年(平成9)4月1日横浜線片倉駅〜相原駅間に「八王子みなみ野駅」が開業した。(八王子辞典)
宇津貫熊野神社の由来
熊野神社に関する記録はあまり多く残されておりませんが「新編武蔵風土記稿」によると同地は「第六天社」として紹介されています。境内には、寛延四(1751)年に建てられた角石塔や、明和2(1765)年に造られた狛犬の像があります。これらにはいずれも「奉納大六天」の文字が刻まれており、この頃すでに「第六天社」があったことがうかがわれます。また、神社の宝物として今に伝わる麻布の幟(のぼり)には、寛政12(1800)年2月「奉納赤山大明神御宝前 村中子ども安全」と記されており、「第六天社」と同時に「赤山大明神」も合祀されていたことが分かります。神社の古文書が収納されている箱の表書きには「大六天」「赤山大権現」と並び「熊野大権現」「津島牛頭天王宮」との記載があります。
現在の社殿に掲げられた「熊野宮」という扁額の裏には「于時 文政8(1825)乙酉年7月吉日 氏子中」と記されています。熊野の神と牛頭天王はともにスサノオノミコトのことであることから、この文政年間にともに祭祀されたものと思われます。これらから当神社は、江戸時代中期ごろ「第六天社」と「赤山大明神」を祭祀し創建された後、江戸時代末の文政年間に「熊野宮」と「牛頭天王宮」を合祀し、以後「熊野神社」と総称しているものと思われます。拝殿は、古文書によると安政3(1856)年から文久元(1861)年にかけて改修・遷宮が行われたものと推察されます。(説明板)
ラッパイチョウ
国内で十数本しか存在が知られていないイチョウの変異種。通常は扇型の葉っぱを付けるが、普通の葉に交じってラッパ状の葉を各枝に付ける。都内では確認された例がなく他県では天然記念物に指定されていたり保存種に指定されています。(案内板)
境内の石仏群
福昌寺
臨済宗南禅寺派。古くは「福昌庵」と称し江戸の後期に寺号を称した。開山は継賀宗今禅師文亀5年(永正3年)11月25日示寂。中興開山継賀宗今禅師(慶長元年3月3日示寂広園寺27世)中興開基は小田原北條氏に仕えし後藤将監尉以治にて法名才郷長勤大居士(元和2年7月15日卒)と寺伝に有り。現在の本堂は文政の頃建立されたものを昭和38年に改築したものである。庫裡は昭和44年の再建である。(八王子市仏教会)
・・・御殿峠
八王子市片倉町と町田市相原町の境に位置する国道16号の峠である。標高183m、御殿峠の周囲が杉山だった時期もあったことから杉山峠ともいう。旧道は町田市相原町下坂より山中に分け入り御殿峠に至る道で、江戸時代には大山道としても賑わっていたが、1887年 (明治20年)ごろより東側(現在の国道16号付近)に大道が整備されてから廃道となっていった。伝承によると御殿峠には平安時代末期の武将で藍原次郎 (大夫高野)の館があったといわれてる。古道の周囲には弘法のお水と呼ばれる湧水や、片倉城址、1616年(元和2年7月7日)に相原村と鑓水村の間でおきた山林境界の問題で、越訴の世話人である諏訪加賀が貼り付けの刑となった獄門場跡などの史跡が点在する。(Wikipedia)
殿丸(とのまる)
字名。八王子市宇津貫に食い込む地区の山に付けられている地名。城趾か。(「谷戸めぐり」さんの解説より)
杉山(すぎやま)
字名。八王子市鑓水に食い込む地区。殿丸の峯の東側集落部から殿丸南の山を含む広い地区の字。(「谷戸めぐり」さんの解説より)
七国峠の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/19790380/)
(赤:八王子通り大山道 緑:御殿山古道(鎌倉古道) 紫:浜街道 赤丸:御殿峠・鑓水峠)
浜街道(八王子~片倉)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23541239/)
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資料ファイル
大山道
主に江戸時代の関東各地から相模国大山にある大山阿夫利神社への参詣者が通った古道の総称。大山街道とも呼ばれる。代表的なものとして「田村通り大山道」や「青山通り大山道」などがある。(Wikipedia)
八王子通り大山道
現在の熊谷市から八王子市を経て大山へ向かうものである。武蔵国・相模国の境界にある両国橋では、参詣者が境川の清流に祈願をこめて身を清めたともいわれる。久所の渡しのある田名は、相模川が増水して川留めになると宿場として栄えた。「久所」の名は川留めの際に久しく留まる所から来ているといわれている。なお、橋本の棒杭から分かれて上溝、田尻を経て当麻(たいま)の渡しで相模川を越える経路もあった。
経路:中山道熊谷宿(熊谷市)-松山(東松山市)-高坂-坂戸(坂戸市)-高萩(日高市)-根岸(狭山市)-扇町屋(入間市)-二本木-箱根ヶ崎(瑞穂町)-拝島(昭島市)-甲州街道八王子宿(八王子市)-片倉-杉山峠(御殿峠)-両国橋(境川)-橋本(相模原市)-下九沢-田名-久所(ぐぞ)の渡し(相模川) - 小沢(愛川町)-中津-三田村-才戸の渡し(中津川)-下荻野村新宿(厚木市)-及川村-小野村-富岡村(伊勢原市)-上粕屋-青山通り大山道を経て大山へ(Wikipedia)
by Twalking | 2016-11-15 10:57 | 大山街道(新規)