無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 府中通り大山道(2)古溝~磯部02 磯部01   

日時 2016.11、26(土)
天気 晴れ


大野台の林間を抜けると台地が開けますが、道は消えてます。
住宅地をジグザグに峯山霊園に向かうとやっと旧道が出てきます。
ここから坂道を3段下ると相模川河岸の磯部宿になります。

峯山からは眺めもいいし、変化があって面白いですよ。
磯部は見所が一杯なので、ひとまず渡し場まで行ってから、
磯部城の関連個所や勝坂の史跡などを散策することにしました。


・・・麻溝台/南区

「麻溝台」という地名はこの区域がかつて所属していた高座郡麻溝村に由来する。「麻溝村」という旧村名は同村の前身である当麻(たいま)村と下溝村からの合成地名である。相模川左岸に上・中・下3段の河岸段丘からなる相模原台地の「上段」に位置し、西側に南の磯部方面へ続く細長い谷戸が伸び、ほぼ中央部を目久尻川の源流につながる浅い谷が南北に貫通するほかはほとんど平坦な台地上に広がる。元は相模国高座郡下溝村(一部は当麻村)の一部。明治初期までは「相模野」と呼ばれた広大な原野の一部で、このことから明治15年には全国的な地図作成のための測量の起点となる一等三角点が設置された(相模野基線北端:現・麻溝台四丁目)。原野の開墾は明治17年の下溝村からの入植に始まるとされ、大正期には周辺地域での養蚕業の発展とともに桑畑と雑木林が交錯する土地利用となっていた。しかし、1937年(昭和12年)に陸軍士官学校の座間への移転に合わせて麻溝村から南隣の新磯村にかけての台地上の土地の大部分が陸軍に買収されて士官学校の演習場とされた。
Wikipedia

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街道の風景① 林間を抜けると台地が開け大山が顔を出しますが、道は消えてます/麻溝台


d0183387_16172540.jpg下溝の一里塚/
麻溝台2丁目交差点
『新編相模国風土記稿』高座郡下溝村の二ツ塚の項に「一里塚なり。高さ九尺。塚上に榎樹あり。元和3年、神柩日光遷御の御路なれば築きし所なりと云」と記載されている塚がありました。


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街道の風景② たまご街道の幟、今日のお土産にしよっと。。。

たまご街道
神奈川県相模原市の麻溝台地域は古くから養鶏が盛んで、現在は7戸が続けております。養鶏家全員で「麻溝畜産会」を結成。鶏舎や直売所が点在する市道を『たまご街道』と名付け、地域商業の活性化に取組んでいます。直売所では、第6次産業にも取組んでいて、洋菓子やカフェなどで賑わいを見せています。(麻溝畜産会)


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d0183387_16412462.jpg顕正寺/麻溝台

日蓮宗。ご本尊:久遠實成本師釈迦牟尼佛 諸仏:鬼子母神 (堂内)金龍弁財天(境内地)開山源吾上人は岐阜にて宮大工をしていたが、墨壺の墨が目に入り両眼が見えなくなり、当時の医学では治療が出来ず、代々伝わる観音様に手を合わせ病気平癒を祈った所、夢枕に観音様が立ち身延山の日朝堂にて修行をせよとのお告げがあり、21日間火の通した物は口にしないと誓い修行をした。その甲斐あり両眼が見えるようになり故郷へ帰ろうとした時、又観音様が夢枕に立ち、東の方へ千箇寺参りをせよとのお告げがあり、下溝の地に来た時に篤信の信者を得て留まることになり今に至る。(相模原仏教会)


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街道の風景③ 横浜水道道、また出会いましたね~/消防署入口



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街道の風景④ 街道は住宅地の右手を峯山霊園に向かっていたようです

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消防署入口を右折           峯山霊園入口付近に出てきたようです

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街道の風景⑤ 勝坂歴史公園と自然散策の森の間のみねん坂を下ります/勝坂

みねん坂
「峰の坂(みねのさか)」の意味で、東側に広がる峰へつづいていました。(標柱)

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勝坂歴史公園の景観

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勝坂歴史公園 
公園に入る方向が座間・厚木への道のようです。道は勝坂地区の「史跡・勝坂史蹟公園」に続いています。
(赤:大山道 橙:座間への道 赤丸:勝坂歴史公園・勝坂史跡公園・磯部の渡し)



・・・新磯

新磯地区は、西側に相模川が流れ、東側は河岸段丘の斜面緑地に面しており、磯部・新戸周辺には水田地帯が広がるなど、緑の多い豊かな自然に恵まれています。地区内には「勝坂式土器」の名で全国的に知られる「勝坂遺跡」や国の登録文化財「中村家住宅」が存在しており、さらに「相模の大凧まつり」や「芝ざくらまつり」などの文化・観光行事には、県内外から多くの見学者が訪れています。一方、地区内には在日米陸軍キャンプ座間があり、ヘリコプター騒音などの基地を取り巻く諸問題の解決が大きな課題となっています。(南区)

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街道の風景⑥ 勝坂からの下り坂、前方に磯部の町と大山が見えてきました


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鳩川先を右折             右角に石像群/磯部八幡宮前

新磯村
1889
年(明治22年)から1941年(昭和16年)にかけて神奈川県高座郡に存在した町村制による自治体、現在は相模原市南区の一部である。村名は旧村名の戸、からの合成地名Wikipedia

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街道の風景⑦ 相模線新磯踏切を渡り八幡坂の坂下を直進します

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右手に厳島神社            坂下の標柱
 

八幡坂

八幡宮のそばにある坂なのでこの名があります。(標柱)


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磯部八幡宮鳥居


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拝殿

d0183387_16174249.jpg八幡宮由緒碑
御祭神:応神天皇 境内社:三社神 金比羅神社 山神社 疱瘡神社 境外社:厳島神社 社外地不動堂
八幡神社はもともと源氏の氏神でありますがこの社は古く創立年月日は不詳であります。延文元年(1356)以前より磯部村の鎮守として信仰厚く、御神像として仏弥佗を奉斎しております。この社を開いたのは鎌倉から来訪した山伏・祐圓(延文2922日歿)で、別当は小田原玉瀧坊(本山派の修験寺院・松原神社の別当觸下の佛像院磯部山宮神宮寺でありました。又、文明103月(1478大田道灌勢により陥落するまで磯部地内には城主長尾景春)がありました。記録によると文禄3年(1594)当時には八幡宮は幕府から社領10石を与えられておりました。

d0183387_19033580.jpg享保18年(1733715日別当磯幡山神宮寺2世・仏像院快省法印、再建し毎年815日に角行(かくぎょう)を興業にしておりました。当時の地頭は大津新右衛門で、上下村勝坂氏子中と棟札に記されております。江戸初期の不動尊と寺社奉行宛て宛古文書等推定樹齢500年の銀杏が現存しております。当社では山伏の修験が行われ、江戸時代には沢山の家業繁昌、厄除けの護摩が炊かれ、またこの地域には大山詣での宿場のため境内は非常に賑ったと伝えられます。当時は対岸の依知、山際等からも参拝あり特に火渡り護摩が有名でありました。

d0183387_16470992.jpg明治2年神仏混合の禁止令により別当職が解かれ八幡大神と称しました。明治6年太政官布告により官有地第1種に編入され、同年12磯部村村社に指定されました。明治26年の神社明細書には氏子数(上磯部、下磯部勝坂)で229と記されております。明治40年境外地(山林)は神社風致林として宮内庁御料局より払下げを受けました。大正123月老朽化に伴い氏子の奉賛により社殿を新改築いたしました。昭和10927新磯村の総鎮守として指定村社に列せられ、法律の施行により昭和287月宗教法人となりました。昭和5710月東京電力()の送電線神社用地上空通過に伴う補償料にて御社殿、末社、鳥居石段、手水舎等の改築整備を建設委員を設置して行い、昭和604月竣工いたしました。先人の築いた長い由緒を持つ地域の氏神様として、郷土の繁栄と健康で遠永に平和で豊かな生活ができますよう厚い御加護があるものと祈願いたします。(石碑文)


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木造不動明王坐像
本像は檜の寄木造で漆箔を施し、玉眼を入れています。手には願主の名を刻んだ鉄賢剣と後補の剣索を持ち、光背は朱塗りの火焔光背です。台座は岩座、受座、上框座、下框座の四座からなりそれぞれには細部にわたって技巧的・装飾的な彫刻が施されています。本像は昔から八幡宮の別当・仏像院の護摩堂に安置されていたと伝えられ、明治時代の神仏分離状況に際しても失われることなく現在に至っているものです。本像には製作者、制作年代が知れる銘文等はありませんが江戸時代の作と考えられます。像高57.5cm 台座高69cm。 (相模原市教育委員会)


d0183387_17144391.jpg稲荷神社

この稲荷大神は推定室町時代から過去数百年に亙り信仰厚い溝呂木本講中の原点で、心のよりごころとして護持されてまいりました。明治初期の講中名簿現存す。開山八幡宮別当(神宮)の鬼門の位置として伏見稲荷大社から奉祀されたと思われます。五穀豊穣と地域の繁栄を祈願してまいりました。又かつて溝呂木家の墓地は八幡宮に隣接してありました。子々祖先からの継承されてきた絆は今もまた将来も続くものと確信いたします。ここに溝呂木講中拾七戸の浄財をもって改築いたしました。この守護神のご加護により健康で永遠に幸あらんことを祈願いたします。(説明板)

d0183387_17145297.jpg三社神社

この三社神の由来は東京赤坂山王日枝神社、東京湯島天満宮、大山阿夫利神社の神霊を祀ってあります。(説明板)



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街道の風景⑧ 大山道は上磯部から下嘘辺の集落の中央を通っています

d0183387_18594158.jpg磯部の道標/左折角
中央に道祖神、右は不動明王像、左は「不動尊」の文字と道しるべ「東 木曽・南 大山・北 八王子」と刻まれています。




d0183387_16472179.jpg磯部八幡宮参道の鳥居








d0183387_19264170.jpgもんや稲荷

バス折返し所の一角ににあり、この場所にあった大家の屋敷稲荷という。(相模原散策マップ)





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磯部民俗資料館
相模原市磯部民俗資料保存会が運営する施設で、地域に残されてきた民具をはじめ行事などの古写真を保管・展示する。(相模原散策マップ)(残念ながら閉まってましたので外からの写真だけです)

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街道の風景⑨ 街道の面影がほのかに残ります、この先を右折して磯部の渡しへ


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「右 大山道」の道標         左手に石仏群


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「磯部の渡し」の標柱が立っています/磯部頭首工公園(相模川散策路)

d0183387_22105638.jpg磯部の渡し

このあたりには対岸の猿が島とを結ぶ渡し場がありました。そのため「猿が島の渡し」とも呼ばれていましたが、大山参りの人々にもよく利用されていました。(標柱)

新編相模国風土記稿によると「渡船場あり 矢倉澤道の係る所なり 対岸猿ヶ島村にて進退す」とあります。



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街道の風景⑩ 渡し場付近から相州大山を望む


d0183387_22480245.jpg望月珪治翁顕彰碑

望月翁は昭和5年近郷7か町村を結合して相模川左岸普通水利組合を設立、管理者となり10数年にわたるかんがい用排水改良事業の完成に尽力しました。この事業により延長20km余りの水路、排水施設が完成し、2200haの耕地が水害と干ばつから救われました。明治165月海老名村に生まれ、29歳の時、同村助役となり更に村長を歴任すること20有余年におよび、その間、県町村会長、高座郡農会長等を兼ね声望ほかに比肩するものがありませんでした。(農林水産省HP)



d0183387_22480946.jpg「五ヶ村用水」「豊受水神社」
「相模川左岸用排水路改良事業完成記念碑」


五ヶ村用水
この用水は、江戸時代後半に磯部村、新戸村など五ヶ村の水田に水を引くためにつくられました。また、その用水の取水口があるこのあたりは「すいどうくち」と呼ばれています。(標柱)



d0183387_22545534.jpg磯部頭首工

頭首工(とうしゅこう)

湖沼、河川などから用水を取り入れる農業水利施設の総称。おもに取水堰と取り入れ口(取水口) から成る。取水堰は用水取り入れに必要な水位を確保するためのもので土砂吐き、魚道、流木路、いかだ道などをつける。(コトバンク)
      


d0183387_22551278.jpg磯部堰の沿革
明治の初め以来旧5箇村と新田の用水取り入れ口であった磯部に、昭和10年県営相模川左岸用排水改良事業によって堰が築造され、毎秒6.853の農業用水が相模原市から茅ヶ崎市に至る左岸2000ha余の耕地を潤してきた。しかし同19年相模川河水統制事業による相模ダムが上流に建設されて土砂の流下が減少し、また戦後急激な砂利類の採掘により河床が低下して以来災害対策と取水とに悩まされた。さらに同32年には県営相模川右岸農業水利改良事業によって毎秒5m3が取水され厚木市から平塚市に至る右岸2000ha余の耕地をも潤した。このため災害復旧と維持管理の経費は年々増大するに至ったので、同39年県営用水障害対策事業が農林省に採択され、5箇年の歳月と39800万円の巨費をもって今年3月改修工事が完成したのである。かくてこの堰の取水は末永く相模野の沃田を潤すことであろう。昭和445月(相模川磯辺堰土地改良区連合)


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相模川散策路案内図
(赤:大山道 赤丸:磯部の渡し)

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磯部村絵図(江戸時代 正徳年間頃)/相模原市博物館


by Twalking | 2016-11-30 10:35 | 大山街道(新規)

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