鎌倉街道山之道(2)元八王子~増戸 02-増戸
天気 晴れ
浄福寺城址で予定外のコースを行きましたが、
街道に戻り川口丘陵、秋川丘陵を越えて秋川へ。
戸沢は旧道が残る静かな里山、いいですね。
その先「駒繋石峠」はちょっと道を間違えて
戻りましたが、ここは畠山重里も通った古道
峠から秋川へいい坂道が続きます。
西が関東山地、東が丘陵、間を川が流れる風景、
変化に富んだ道のりです。
秋川にも会えて、楽しい旅路でした。
・・・美山町
市の西北部、山入川の流域に位置する。1955年(昭和30)4月川口村の八王子市への合併により翌56年同村内の大字山入が美山町となる。江戸期の山入村。北に川口丘陵、南に入山尾根から東南にのびる山稜があり中央部を山入川が東南流する。川沿いに美山街道が走り谷の最奥の集落遠ノ谷戸まで入る。56年以来、山砂利採取事業が行われていた。(Web八王子辞典)
山入川/美山橋
美山町西端の大沢山を水源とし今熊山の南麓をへて東南に流れ、小津川を合わせたあと西寺方町で北浅川に注ぐ川。(流長7.5km)風土記稿には常には水流なく雨降るときのみ流れるとある。別称・山入浅川。美山街道が通じ両岸の山地には採石場が多い。(Web八王子辞典)
御屋敷
美山町の旧小名・小字。町の中央部西寄りの地で、美山町のバス停御屋敷入口から西に入る谷をいう。御屋敷川が東流し西南の山頂に琴平神社がある。(Web八王子辞典)
・・・戸沢
上川町の旧小名・小字。同町の東南部・戸沢峠の北側の谷戸と周辺の地域をいう。旧鎌倉街道といわれる古道が通じいまも都道となって峠を越えている。登り口に馬頭観音堂、その西に西八幡社が建つ。秋川街道にバス停戸沢がある。(Web八王子辞典)
戸沢峠
上川町戸沢と美山町馬込との間にあった峠。高さ248m、秩父から相模へ向かう古道が通じていた。武蔵図会に戸沢嶺とある。いま戸沢の馬頭観音堂の前に「鎌倉古道」の石碑が建つ。近年まで古道の景観をとどめていたが84年4月に都道上川口−宮の全線が開通し旧観はなくなった。(Web八王子辞典)
真言宗豊山派。鎌倉時代の順徳天皇の御代、建暦2年(1212)時の将軍・源実朝の開基によるもので、開山は頼空上人と伝えられている。安土桃山時代の天正18年(1590)に兵火により焼失したが、源宥僧都が再興したのが江戸慶長7年(1602)のことである。慶安2年(1649)には本尊不動領として朱印8石6斗を賜り田守明神社の別当でもあった。境内にある桜の老樹は「重忠公お手植えの桜」と言い伝えられているが確証は無い。重忠の軍勢が網代の山越えや、戸沢峠超しにあたって中間に位置するこの付近で小休止したと推定される。(八王子仏教会)
・・・上川町
市の北部、川口川の上流域に位置する。1955年(昭和30)川口村の八王子市への合併により翌56年同村内の旧大字上川口が上川町となる。江戸期の川口村の西半部。北に秋川丘陵、南に川口丘陵が東西に連なりその間を川口川が東流する。川沿いに秋川街道が並走し北方へ小峰峠を越えて五日市へ通じる。町の西端近くに今熊山が高まり、その西方の舟子尾根との間に逆沢が深い谷を刻み金剛滝がかかる。町域の西端部にあたるこの谷は秋川水系に属している。帝京八王子高校、円福寺・三光院・大仙寺・福寿寺・正福寺・戸沢観音堂、今熊神社・田守神社・熊野神社、上川農村環境改善センター、八王子上川霊園・福寿霊園、GMG八王子ゴルフ場がある。(Web八王子辞典)
上川町の旧小名・小字。町の中部秋川街道のバス停上川(Web八王子辞典)
秋川街道
八王子と青梅を結ぶ道路。八木町・八幡町の境で甲州街道から分かれて北上し、楢原町・川口町をへて小峰峠を越え、五日市町をとおって青梅市に出て青梅街道に合する。このうち八王子−五日市間の道を江戸期には五日市街道、また江戸〜明治〜大正期にわたり五日市往還と呼んだ。八王子−青梅間の主要路線の一、川口街道とも通称する。
田守神社/上川町
祭神大己貴命、応神天皇。例祭日4月3日。創建年代は明らかではないが、一説には順徳天皇の時代、田の守護神として奉斎したとの伝承がある。昔は古明神と称していたが、成小(鳴呼)ヶ谷に移して田守明神社と改称、豊年万作の祈願所とした。また小名田守の名をとって田守明神社としたとの伝承もある。例祭日には雨乞祈願の獅子舞が奉納される。内社八幡社。〔市指定文化財〕田守神社獅子舞。(Web八王子辞典)
川口川/重忠橋
上川町西部の今熊山を水源として東南流し川口町をへて中野上町で浅川に注ぐ川、流長15km。北側には加住丘陵、南側には川口丘陵が連なり川ぞいには秋川街道が並走する。古代の多摩十郷の一である川口郷はこの川の下流域にあたるとされる。(Web八王子辞典)
秋川丘陵
市の西北端、日向峰通し付近から秋川南岸を東方にのびて雹留山あたりまでの丘陵を呼ぶ。別称:秋留丘陵。秋川と浅川水系との分水稜をなす。高さは西部で330m、東方では260m前後となる。秋川丘陵都立自然公園に指定されているが、霊園・ゴルフ場などの開発が進んでいる。丘陵の東方はさらにのびて加住丘陵につづく。(Web八王子辞典)
・・・駒繋石峠
駒繋石峠
網代坂のこと。畠山重忠が馬をつないだという岩が現地に伝わることから名づけられたという。(Web八王子辞典)
左側が駒繋石(御前石)右側は後世に建てられた馬頭観音だそうです
・・・・あきる野市
瑞雲寺足利尊氏座像
臨済宗建長寺派に属する瑞雲寺は南北朝時代に開かれたと考えられています。開基(創立者)は尊氏の子である基氏の母(あるいは伯母)という寺伝がありますが、この像はこの伝承と符合します。また南朝、北朝に分かれて全国的な戦乱の時代に当地方は北朝系地侍の地盤であったことを示しています。制作年代は江戸時代と考えられ、尊氏像はあまり類例を見ないことから稀少価値があります。なお、昭和40年代に修復が行われ、彩色が施されています。(あきる野市教育委員会)
瑞雲寺板碑
板碑は鎌倉時代から室町時代にかけて追善や供養などの目的で作られた石製塔婆の一種です。この板碑は蓮華台の上に草書体で「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏の称号(名号)が大きく彫られ、その下方中央に「門阿」(供養者)右に「建武2年乙亥」(1335)左に「7月21日」の文字が刻まれています。秩父産の緑泥片岩が使用され、市内では大型に属し遺存状態も良好です。全長122cm・巾32.6cm・厚さ2.8cm。(あきる野市教育委員会)
山田八幡神社
御祭神:応神天応御由緒:文和年間(1352~)足利尊氏公家人・影山大炊介貞兼の建立で、瑞雲寺が奉仕していた。明治2年神仏分離令により神職の奉仕となる。明治6年、昭和60年社殿再建(説明板)秋川の風景③
五日市街道
現在の都道7号杉並あきる野線の本線とほぼ一致する。徳川家康の江戸入府後、五日市(現・あきる野市)や檜原から木材・炭などを運ぶために整備された街道。初期には「伊奈道」と呼ばれ、伊奈(五日市より少し東にある集落)の石材を扱っていた石工が江戸城修築のため江戸へ行き来するための道として発展したが、修築が終わり木炭輸送が主流になるにつれ伊奈と五日市の重要性が逆転した。武蔵野台地の新田開発が進むと多摩地域と江戸を結ぶ街道の一つとして発展した。(Wikipedia)
(赤:鎌倉道 橙:案下道 茶:秋川街道 紫:五日市街道 赤丸:戸沢峠・駒繋石峠 緑:ハイキングコース)
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資料ファイル
秋川自然公園ハイキングコース
秋川丘陵都立自然公園
秋川丘陵・秋川渓谷を中心とする都立自然公園。1953年(昭和28)10月1日指定、面積1335haうち八王子市域内は425.5ha)。市西北部の上川町・戸吹町地内にあたり東端は滝山自然公園につづく。(Web八王子辞典)
「日本事務器・あきる野引田企業の森」
森林所有者:東京都競馬(株)東京サマーランド 管理:公)東京都農林水産振興財団、と看板に書いてありました
上川町の北部、秋川市引田との境にある山。高さ270m。周りはBGM八王子ゴルフ場、上川霊園になっています。
by Twalking | 2017-03-16 20:24 | 鎌倉街道(新規)