無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 神田川(1)井の頭公園~明大前01-吉祥寺   

日時 2017.4.4(火)
天気 晴れ


神田川は部分的には歩いていますが、
通しで歩きたいと思っていました。
いい機会なので花見を兼ねて出かけてみました。

吉祥寺は子供のころ住んでいたんですが、
記憶にあるのは父と行った井の頭動物園の象さんと
自動車の乗り物、これは今でもよく覚えています。

そして結婚して住んだのが三鷹、子供を連れて
よく井の頭公園に遊びに行きました。
縁があるんですね・・・、懐かしい街です。



・・・吉祥寺(武蔵野市)


東京都武蔵野市に1889年(明治22年)から1962年(昭和37年)まで存在した大字。旧北多摩郡吉祥寺村。また、現在は吉祥寺駅を中心とする街及び同市に属する広域地域名として使われる。武蔵野市東端に位置する。現在、武蔵野市内で「吉祥寺」が冠される町名には吉祥寺本町(1丁目〜4丁目)、吉祥寺北町(1丁目〜5丁目)、吉祥寺東町(1丁目〜4丁目)、吉祥寺南町(1丁目〜5丁目)がある。これに御殿山(1丁目・2丁目)と中町(1丁目〜3丁目)を合わせた範囲がかつての大字吉祥寺である。
Wikipedia

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街道の風景① 子供の頃、この辺りに住んでいました、すっかり変わってますが懐かしいお宮さんです/五日市街道八幡宮前


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武蔵野八幡宮鳥居/吉祥寺東町

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境内


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武蔵野八幡宮
吉祥寺の氏神様として有名な八幡宮。789年に坂上田村麿が宇左八幡大社の御分霊を祀ったと伝えられる。明暦の大火で小石川水道橋外吉祥寺は今の駒込に移り、火事で住居を無くした門前町の人々は移住を命じられてこの地に吉祥寺村を開村した際に、武蔵野八幡宮を鎮守として信仰したといわれている。弓矢の神様としても名高い、応神天皇を祀る。境内は約1300坪の広さで、ケヤキやクスノキなどの大木が繁華街とは思えない静かで荘厳な佇まいを見せる。八幡様以外に拝殿右手前の境内社に三島・出雲・大鳥・厳島・稲荷・須賀・疱瘡の七社が祭られている。(武蔵野市観光機構)

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神田御上水井之頭弁財天道標
この道標は井の頭弁財天様へお参りする人のために建てられてもので、台座を含めると約2mあり、道標としては大きいものです。正面には「神田御上水井之頭弁財天」と彫られており、左側面には「天明5歳乙巳3月吉日 これよりみち」とあります。(天明5年は西暦1785年)もとはここ八幡宮の対角にあったものですが、大正時代に道路拡幅のため井の頭通りと吉祥寺通りの交差する旧大踏切に、さらに昭和44年に武蔵野郷土館(現在は江戸東京たてもの園)へと移設を繰り返し、平成2098日当初の場所に程近いこの武蔵野八幡宮の地に戻ってまいりました。(吉祥寺を愛する会)


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街道の風景②南へ向かうと吉祥寺駅・井の頭公園です/吉祥寺通り

四軒寺

吉祥寺の安養寺・光専寺・蓮乗寺・月窓寺を総称して「四軒寺」と呼ばれている。吉祥寺は古くからのお寺町でこの四つの寺は武蔵野八幡宮付近に集まっている。近くの吉祥寺通りと女子大通りの交差点は「四軒寺」と名づけられている。尚、吉祥寺という名前のお寺は武蔵野市には存在しない。(武蔵野市観光機構)


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安養寺山門

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安養寺
岸光山吉祥院安養寺は真言宗豊山派に属する密教寺で本尊は不動明王、総本山は奈良県桜井市にある長谷寺である。口伝によると開山は寛永元年(1624)、開基は元小田原城主北条氏の48将の一人であった布施三河守弾正左右衛門康貞の末裔で布施弾正といい、入道して深忍法印と号したと伝えられている。当時、武蔵国牟礼野といわれたこの地で提灯測量を行ない、わずかな高低を見定めて最も高い場所を中心と定めそこに不動明王を安置して庵を構えたとされており、現在でも同じ位置に本尊不動明王を祀っている。安養寺は「多摩新四国88ヶ所札所第一番」の霊場で毎年春から夏にかけて大勢の巡礼者が訪ねる。門前には寛文5年(1665)の庚申供養塔(市有形民俗文化財)や六地蔵がある。(武蔵野市観光機構)

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安養寺の梵鐘
この梵鐘は安永2年(177310月、当時の武州多摩郡吉祥寺村の小美野(濃)源助が本寺に奉納したもので、江戸時代のものとしては市内に現存する唯一のものです。鐘の身高は102.5cm、竜頭高は37cm、口径は69cm、駒爪厚は7cmです。梵鐘としては大きい方で竜頭の2本の角は江戸期のものの特徴をよくあらわしています。鋳造した人は境村の高橋甚右衛門尉藤原宣満といい鋳物師・七之丞とも呼ばれた人です。このように本鐘は当市域の鋳物師の存在を知る史料としても貴重なものです。(武蔵野市教育委員会)

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安養寺の甲辛供養塔
この庚申塔は代官野村彦太夫により吉祥寺新田村の検地を受けた翌年の寛文5年(166512月に建てられ、旧北多摩郡では最古のものに属します。碑の高さは117cm、幅39.5cm、厚さは13cmあり、銘文には吉祥寺新田開発に関係の深い人達の名が刻まれ特に女性の名が十数人も記されているのは珍しいことです。銘文中の「南無阿弥施仏」は「南無阿弥陀仏」、「甲辛」は「庚申」だと考えられます。庚申塔は60回目(日、年)ごとに回ってくる「庚申」の夜を供養する塔です。(武蔵野市教育委員会)


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光専寺山門

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光専寺
浄土宗。享保の頃この地に疫病が流行した際、住職が子供たちの供養と延命を祈願して箪笥を改造した厨子に納めて巡礼したと伝えられている。「箪笥地蔵」の像がある。
(武蔵野市観光機構)


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蓮乗寺山門


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蓮乗寺/吉祥寺本町
日蓮宗。この寺の本堂正面に安置されている日蓮上人の像は木製の坐像で右手にしゃく、左手に経文の巻物をもっている。「厄除日蓮」とよばれ厄年男女の守り本尊として有名である。(武蔵野市観光機構)

厄除日蓮聖人坐像
この寺の本堂正面に安置されている日蓮上人の像は木製の坐像で高さ130糎で右手にしゃく、左手の経文の巻物をもっている。この像は文政年間(約140年前)吉祥寺村名主松井十郎左衛門の孫娘が紀州候の奥女中をやめる際、殿様より拝領し母方の菩提寺である当寺へ寄進したもので厄除日蓮とよばれ爾来厄年男女の守り本尊として有名である。なおここには武蔵野文化の生みの親ともいうべき吉祥寺村8代の名主松井仙露翁の碑と明治、大正の50年にわたり本市のこどもたちの教育につくされた須藤先生父子の墓がある。(武蔵野市教育委員会)


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月窓寺山門/吉祥寺本町


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月窓寺
万治2(1659)開山。曹洞宗。吉祥寺の開村とともに開かれる。本堂左脇にある観音堂に安置されている白衣観音坐像は、武蔵野市内最古の銘(元禄二年)を持ち、近世作例としては珍しい乾漆づくりである。(武蔵野市観光機構)


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月窓寺観音堂の乾漆造白衣観音坐像
月窓寺観音堂の白衣観音坐像は元禄年間(1688-1704)につくられたものである。尊像は京都の大仏師によってつくられ光背、台座は江戸でつくられたものである。坐像は37cm、光背の高さ62cm、台座高37cm、総高は99cm乾漆造金色彩である。また台座内部の骨組枠に「元禄2年成就叶」の墨書がある。この白衣観音坐像は馬頭観音信仰と結びついて村民に信仰されたものと推定される。(武蔵野市教育委員会)

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玄装三蔵法師

西紀602664。一般には西遊記で知られておりますが、中国の僧で求法の熱意強くあらゆる苦難の末印度に渡り、多くの仏典を持ち帰りその訳経に生涯専念精進しました。尚この像は当山の吉祥閣落慶を記念して、名栗の鳥居観音願主平沼弥太郎氏の御好意により、同氏作像の元型より鋳造させて頂きました(説明板)



・・・井の頭池

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池の風景① さすがに人出は多いですが、いつ来ても癒されますね

井の頭恩賜公園

武蔵野市と三鷹市にまたがる都立公園である。1917年(大正6年)開園。三宝寺池(石神井公園)・善福寺池と並び武蔵野三大湧水池として知られる井の頭池を中心とした公園である。また、井の頭池の西側には御殿山の雑木林があり、吉祥寺通りを挟んで井の頭自然文化園が位置している。雑木林の南側には玉川上水が東南方向に流れ、そのさらに南には「西園」が位置している。この西園には400mトラックと三鷹の森ジブリ美術館がある。Wikipedia

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神田川の水源のひとつです

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お茶の水
井の頭池は豊富な湧き水に恵まれ、かつては三宝寺池、善福寺池とともに「武蔵野三大湧水池」と呼ばれていました。徳川家康がこの湧水を関東随一の名水とほめてお茶を入れたという伝説からお茶の水という名がつけられたともいわれています。現在では湧水減少のため地下水をポンプでくみあげています。(説明板・御茶ノ水橋)


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井の頭弁財天
井の頭弁財天堂は『井之頭略縁起』によれば平安時代の天慶年間(938-947)源経基が創建したものと伝えられ、その後源頼朝が1197年(建久8年)に再建し別当となる坊舎が立てられたと伝えられる。1333年(元弘3年)新田義貞が鎌倉を攻めた際に焼失し衰退していたが江戸時代に入り3代将軍徳川家光によってようやく再興されたという。1923年(大正12年)の関東大震災で被害を受け現在の堂舎は昭和初期に再建されたものである。縁起によれば本尊の弁財天像は789年(延暦8年)平安時代の僧で最澄の作と伝えられている。

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甲州街道を高井戸から分け入り久我山・牟礼村を経て参道に至る道筋には要所に「井のかしら弁天道」などの道標が建てられている。特に参道入り口・黒い参門の横にある1745年(延享2年)の「神田御用水源井頭弁財天」と刻まれた棹石は長さ2.4mと堂々としたものである。
弁天堂の周囲には「我こそ弁天の化身だ」と申して池に入水し白蛇になった松原の3枚鱗が首にある娘を偲んで供養のために作られたと伝えられる宇賀神像(年代不詳)1771年(明和8年)の狛犬、鳥居、手水鉢、1817年(文化14年)の石橋 (一番組・湯屋講寄進)1833年(天保4年)石燈篭(伊勢屋伊兵衛=現・にんべんら寄進)など多くの寄進物が見られ弁天信仰の盛んであったことが感じられる。(Wikipedia)

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歌川広重「名所雪月花・井の頭の池 弁財天の社雪の景」



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池の風景② 弁財天の左手奥が御殿山になります

御殿山
御殿山の地名は家光が鷹狩りに訪れた際の休息のため、井の頭池を見渡す場所に御殿を造営したことに由来する。この一帯の武蔵野は三鷹という地名にも残るように徳川歴代将軍が鷹狩りを楽しんだ鷹場であった。Wikipedia


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明静山大盛寺(たいせいじ)/井の頭

神田川の水源・井の頭の池に朱塗りの姿を映す弁天堂、その本坊が大盛寺です。江戸時代神田上水の清涼で豊富な水は弁天様の御水として江戸城内の飲料水に供されるとともに、神田・日本橋・芝神明さらには水船と称される運搬船によって墨田川を渡り本所・深川界隈にまで生活用水として供給されておりました。御水の恩恵を戴いていた将軍家や江戸下町庶民の篤い弁才天信仰もあって寺勢大いに盛んであったようです。それは、将軍家光の弁天堂(大正13年焼失)の造営であり池辺の石造文化財10数点は総て江戸下町の人びとが弁天様へ寄進したものであることからも窺い知ることができます。また弁天様が技芸、音曲をも司るといわれておりますので中村勘三郎、瀬川菊之丞ほか大勢の江戸歌舞伎役者の信仰も集めました。浮世絵師・広重も度々参詣に訪れては四季折々の弁天堂を描いております。(天台宗東京教区)


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池の風景③ 桜は七分くらいですが人出は沢山、人気のスポットです


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井の頭恩賜公園案内図
(赤:歩行ルート 紫:井の頭通り・吉祥寺通り 青:神田川・玉川上水)




・・・井の頭(三鷹市)

三鷹市の北部に位置する。「井の頭公園」の名で知られる井の頭恩賜公園が地域内にあり、地域の多くは閑静な住宅街からなる。歴史的には、井の頭の池を中心に古くから集落の形成が見られ、江戸時代は鷹狩場もあった。地域内を神田川と玉川上水が流れている。井の頭の名は徳川家光が鷹狩りに訪れ、湧水がほとばしるように出ているのを見て「井の頭」と命名したとされている。神田川の源泉であり江戸市民の行楽地として親しまれてきた井の頭池の歴史にちなんでいる。Wikipedia

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神田川の風景① 井の頭池の南端から川の流れにかわります/水道橋


水門橋
ここが神田川の源流です。神田川は善福寺川、妙正寺川を合流して隅田川に注いでいます(説明板)

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水道橋                神田川源流の碑


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神田川の風景② ここはかっこうの遊び場、おもしろいでしょうね/夕やけ橋

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井の頭公園駅             夕やけ橋


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神田川の風景③ 両岸に遊歩道が整備されています/あしはら橋


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井の頭線に沿って流れます       丸山橋/三鷹台駅

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神田川マップ(緑:遊歩道 茶:橋)

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吉祥寺駅周辺マップ
(赤:歩行ルート 紫:五日市街道・井の頭通り 青:神田川・玉川上水)




・・・・・・・

資料ファイル

神田川

東京都を流れる一級河川。荒川水系の支流である。
(地理)
三鷹市井の頭恩賜公園内にある井の頭池に源を発し東へ流れ台東区、中央区と墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流する。流路延長24.6km、流域面積105.0km2と東京都内における中小河川としては最大規模で、都心を流れているにも拘らず全区間にわたり開渠であることは極めて稀である。かつては「神田上水」を取水し江戸の水道として利用されていた。

(歴史)
神田川の元の名前は「平川」といい、現在の日本橋川の分流点付近から南流し現在の丸の内・日比谷に入り込んでいた日比谷入江に注ぎ込む川であった。当時はこの平川が豊嶋郡と荏原郡の境界となっていた。1590年(天正18年)に江戸に入府した徳川家康は、海辺で井戸によって真水を満足に得ることができない江戸の飲料水を確保するために平川を改修し、井の頭池善福寺池妙正寺池を水源とする神田上水を整備した。この改修により井の頭池を出て善福寺川、妙正寺川と合流する上流部分は現在の姿となり、神田上水は川の本流から目白で分流して小石川、本郷に水を供給した。また、後に水害対策として平川下流の流路を隅田川に通じる道三堀と新たに開削した江戸前島を貫通する流路(外濠)に流れるよう改修した。この内、明治以後に道三堀の西半分と外濠が埋められ、現在の日本橋川の河道が成立した。Wikipedia

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江戸名所図会 井乃頭池弁財天社 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)


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吉祥寺(歴史)
明暦の大火によって江戸本郷元町(現文京区本郷1丁目、水道橋駅付近)に存在した諏訪山吉祥寺の門前町が焼失した際、幕府は都市計画に基づき同地を大名屋敷として再建することにした。そのため吉祥寺門前の住人を始めとする居住地・農地を大幅に失った者達に対し「札野」「牟礼野」と呼ばれた幕府御用の萱場を代地とし、5年期限で扶持米を与え家屋の建築費用も貸与するという条件で希望者を募った。吉祥寺の浪士の佐藤定右衛門と宮崎甚右衛門が土着の百姓・松井十郎左衛門と協力してこれに応じ、現在の武蔵野市東部を開墾して住人達を移住させた。折しも玉川上水の開通に伴い、かつては水利が悪く無人だった武蔵野台地が新田開発によって広大な農地へと変わっていく過程で五日市街道(現在の都道7号杉並あきる野線)沿いに整然と区画された短冊状の土地が形成された。しかし土壌はさほど良いものではなく農地はすべて畑地であり水田はなかった。吉祥寺に愛着を持っていた住人たちにより、新田は吉祥寺村と名付けられた。地名は吉祥寺門前の住人が五日市街道沿いを開発・移住したことによる。当地に吉祥寺という名の寺院が所在したことはない。Wikipedia)


諏訪山吉祥寺(本郷通り)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/20891042/



by Twalking | 2017-04-06 23:29 | リバーサイドウオーク(新規)

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