無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 神田川(2)明大前~高田馬場02-下落合   

日時 2017.4.19(水)
天気 晴

淀橋、小滝橋、田島橋と風景は全く違いますが
それでも名所図会などで当時を想いながら歩るくと、
これもまた味わいがあって楽しいものです。

両岸には桜並木の遊歩道が続きますので
歩くのには最適、くつろげます。
スポットだけでしたので「街」もみてみたいですね。



・・・淀橋(青梅街道)

新宿区と中野区の境の神田川に架かる青梅街道上の橋。現在の新宿駅西口の一帯を指す地域の旧称でもある。
淀橋(橋の名称)はかつて姿見ずの橋、面影橋などと呼ばれていたが「淀橋」となった理由にはさまざまな説がある。Wikipedia

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街道の風景 青梅街道が神田川と交差します/淀橋

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青梅街道
1603年(慶長8年)、江戸城築城のために青梅の成木村で採れる石灰を運搬する道路として、大久保長安の指揮の下に整備された。当時の名称は成木街道であった。しかし、江戸時代中頃には絵図や紀行文などに「青梅街道」の記述が見られる。内藤新宿で甲州街道から分かれ、青梅、大菩薩峠を経由し、甲府の東にある酒折村(現:甲府市酒折)で甲州街道と再び合流する。(Wikipedia

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淀橋の由来
「淀橋」の名は江戸時代の3代将軍徳川家光が名付けたといわれています。古くからこの橋は、昔は「姿見ずの橋」とか「いとま乞いの橋」といわれていたといいます。この辺りで中野長者といわれていた鈴木九郎が自分の財産を地中に隠す際、他人に知られることを恐れ手伝った人を殺して神田川に投げ込みました。九郎と橋を渡るときには見えた人が帰るときには姿が見えなかったことからその名がついたといわれます。江戸時代の初めに鷹狩のためこの地を訪れた将軍家光はこの話を聞き「不吉な話でよくない。景色が淀川を思い出させるので淀橋と改めるよう」に命じ、これ以降その名が定まったそうです。(新宿区道みどり課)

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江戸名所図会 淀橋水車 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)

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神田川の風景① 左岸は中野区、右岸は新宿区、区界を流れます/栄橋先


・・・東中野/中野区

中野区の最東部に位置し神田川にも接している。西部は中野区中野、南部は大久保通りを境に中央、神田川を境に東部を新宿区北新宿、北部は早稲田通りを境に新宿区上落合と中野区上高田に接する。北東部は新宿区高田馬場にも接している。町域内は主に住宅地として利用されている。鎮守は氷川神社。(Wikipedia

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神田川の風景② 左岸には「四季の散歩道」(淀橋~小滝橋)があります

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四季の散歩道案内板          末広橋/大久保通り

大久保通り
飯田橋より新宿区百人町、中野区中野を経由して杉並区高円寺南まで結ぶ道路の通称。(Wikipedia

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氷川神社鳥居/東中野(左岸)

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中野の氷川神社
この神社は旧中野村総鎮守社で、創建は長元3年(1030)に武蔵一の宮である埼玉県大宮市の氷川神社から勧請したものと伝えられています。室町時代の応永年間に社殿を改築した伝えもありますから中野村の開発とともに鎮座も古いことがうかがわれます。祭神は須佐之男命・稲田比売尊・大己貴尊の三柱で例祭は91415日ですが、もとは2627日の両日でした。江戸時代には総護摩行が行われ、湯立神楽をあげ淀橋・上宿・下宿・西町・仲宿・打越・囲・原の氏子がそれぞれの地区の幟や提灯の美を競いました。豊年には獅子舞・相撲・力石くらべなども行われて近在をあげての盛大な行事になっていました。明治・大正期の巡行はいまも語り草になっています。拝殿にある中世の石の狛犬をはじめ境内には中野の歴史を語る多くの遺品があります。(中野区教育委員会)

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二の鳥居               神楽殿


・・・北新宿(新宿区)

青梅街道、税務署通り、小滝橋通り、神田川に囲まれており面積0.9km2を占める。新宿区西部に位置する。北西から北にかけて中野区東中野、北東で高田馬場、東で百人町、南で西新宿、西で中野区中央と隣接する。(Wikipedia

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神田川の風景③ 東中野駅のユニゾンスクエアが見えてきました/新開橋

ユニゾンスクエア
(Unison Square)
中野区東中野にある高層マンションや商業施設などが集まった再開発地区の名称である。結婚式場として知られる日本閣の跡地を再開発し高層マンション2棟とスーパーマーケットなどの商業施設、さらに「West 53rd 日本閣」として新たにリニューアルされた日本閣からなっている。新しい日本閣は2005年、高層マンションは2007年にそれぞれオープンした(Wikipedia

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円照寺山門/北新宿(右岸)

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円照寺
真言宗豊山派の寺院で医光山瑠璃光院円照寺という。もと鎧神社別当寺であったといわれる。縁起については定かではないが「江戸名所図会」などによれば次のような経緯を経て藤原秀郷によって建てられたという。醍醐天皇の時代に、理源大師の弟子の貞崇僧都が現在の円照寺のあたりに薬師如来像を安置した。承平5年(935)から天慶2年(939)にかけて平将門が関東に勢力をもつようになった。天慶3年(940藤原秀郷が将門を討伐するため軍勢を率いて出陣したが中野のあたりで病に伏してしまった。あいにくと軍中に適当な薬もなくこまっていたが、その夜の霊示に従ってこの薬師如来像に祈ったところ苦痛はたちまちのうちになくなったばかりでなく、あわせて行なった将門討伐の祈願も無事に達成された。喜んだ秀郷は凱旋の後に堂塔を建立し円照寺としたという。

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また一説では、旧地頭の柏木右衛門佐頼秀館跡であったとも伝えられており、境内にその由来にもとづく右衛門桜が植えられており名木として有名だった(現在の木は三代目)。 堂宇はその後何回か焼亡し修覆をくり返した。寛永18年(1641)には春日局が施主となり再建されている。第2次大戦の戦災でも被害を受け近年になり堂塔が新築された。(新宿区の文化財)

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円照寺の梵鐘
円照寺の中興開山琳伝和尚の発願、柏木村名主川本又四郎を施主として寛政2年(1790)に鋳造された銅製の梵鐘です。総高124cm・口径68cmで江戸鋳物師(いもじ)西村和泉守藤原政時が製作しました。全体に精巧に仕上げられた梵鐘で、江戸鋳物師の技術的特徴がよく表されています。また銘文からは圓照寺の歴史や梵鐘鋳造の由来などを知ることができ、地域史料として価値も高いといえます。区内の江戸時代の梵鐘は太平洋戦争中の金属供出により現存数が少なく大変貴重です。(新宿区教育委員会)

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鎧神社鳥居/北新宿(右岸)

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鎧神社 
当社は江戸時代迄、鎧大明神と称し此の辺りの古社として人々の尊崇を受けて来たが、鎧の社名は日本武命御東征のおり甲冑六具の内を此の地に蔵めた事より社名起ると伝えている。天慶3年(940)関東に威を称えていた平将門公、下総猿島に亡びし時土俗の公を追慕して天暦(947)の始め、将門公の鎧も亦此所に埋めたという。別説によれば将門軍残党を追って此地に来た藤原秀郷、重病を得て悩み苦しんだ時、是れ皆将門公の神霊の怒り也と怖れ、薬師如来を本尊とする円照寺内に公の鎧を埋め一祠を建てて厚くその霊を弔った所、病悉く癒えたという。これを聞いた里人達その神威のあらたかなるを畏み、柏木淀橋にかけての産土神として深く信仰して来たものである。明治初年将門公は朝廷に反したものとして官の干渉で末社に移されたが、大戦後氏子全員の願いで本社に復する。(境内掲示)

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摂社天神社
御祭神 菅原道真公学問の神様・菅原道真をお祀りする摂社です。もともとは柏木北公園に鎮座しており、明治中頃に遷座されました。成子天神の元の社であることから元天神とも言われます。祭日は1125日です。(鎧神社HP)


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狛犬型庚申塔
素朴な一対の狛犬を用いた庚申塔で台座正面に「庚申奉造立供養」側面には武州豊島郡柏木村在住の講中の氏名と享保6辛丑天11月(1721)の紀年銘が記されている。向って右側が阿形像(雄)左側が吽形像()で、当時の姿をほぼそのまま残している。狛犬型の庚申塔は珍しく民俗学的にも貴重なものである。(東京都教育委員会)

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江戸名所図会 鎧明神社・円照寺 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)

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神田川の風景④ JRのガードを潜る川沿いに公園があります/東中野駅(右岸)

神田上水公園/北新宿

神田川沿いの遊歩道に沿って整備された公園です。延長約600mのなかに流れや遊具で遊べる空間があります。園内の桜並木はみどりの新宿30選に選ばれており四季折々に美しいです。(新宿区)


・・・小滝橋

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神田川の風景⑤ 「かぐや姫のヒット曲「神田川」は作詞家喜多条忠が車でこの橋を通りかかった際、自らの学生時代を想起して作ったという」そうなんですか、いい雰囲気が漂います/小滝橋(小滝橋通り)

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小滝橋の由来
神田川に架かっているこの橋は江戸時代には上戸塚村(現新宿区)と中野村(現中野区)の間に架けられていた板橋でした。小滝橋という名はかつてこの橋の下に小さな堰があり、そこから水が流れて小さな滝となっていたことから名付けられたといわれています。今はもうこの堰は残されていませんが、吉祥寺にあった油屋の小僧が大蛇を切ってしまいその下アゴの骨がこの堰まで流されてひっかかったという昔話が伝えられています。(新宿区道みどり課)

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小滝橋通り
新宿区西部にある道路。(新宿大ガード交差点から小滝橋交差点)名の由来は終点付近の神田川に架かる「小滝橋」から。(Wikipedia




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「いきいきウオーク新宿」案内板     ちょっと寄り道/讃岐屋


・・・上落合/新宿区

新宿区の北西部に位置する。町域北部は妙正寺川に接しこれを境に新宿区中落合に北東部は新宿区下落合にも接している。東部は神田川に接しこれを境に新宿区高田馬場に接する。南部は早稲田通りに接しこれを境に中野区東中野に接する。西部は中野区上高田に接する。(Wikipedia

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月見岡八幡神社鳥居/上落合(左岸)

d0183387_18104554.jpg月見岡八幡神社 
上落合村の鎮守社でありもとは区立八幡公園(上落合1-7)周辺が境内地であった。しかし、都下水道局落合処理場が建設され境内がその用地に組み込まれることになったため昭和36-37年に近隣の公園と社地を交換し現在地へ遷座した。祭神は応神天皇・神功皇后・仁徳天皇であり、境内社として明治39年に北野神社、昭和2年には浅間神社と富士塚(山手通りと早稲田通りの交差点、現在の上落合228付近にあった)を合祀した。創建年代ははっきりしないが社伝に源義家が奥州征伐の時参詣し戦勝を祈念して松を植えたとの伝承がある。社名の由来は旧境内地に湧井がありその水面に月光がきれいに写ったので村人が自然にそう呼んだという。本社は第2次大戦の戦災で大きな被害をうけているが宮司の努力で上落合村明細帳ほか数点の古文書が保存されている。
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境内には旧社地からの石造品がそのまま移されており、正保4年(1647)の宝篋印塔型の庚申塔(区指定文化財)は区内では最古のものであり珍しいものである。また、天明5年(1785)の銘をもつ鰐口と旧社殿の格天井の板絵の一枚であった谷文晃の絵はともに(区登録文化財)となっている。

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境内左手奥にある富士塚は、もともとは前述のとおり浅間神社にあり大塚という古墳を利用して造られたもので「落合富士」といわれた。寛政2年(1790)に造られたが昭和2年の同社の移転時にとりこわされて当社の旧社地に移築された。かつては上落合・下落合・中井・西落合(葛谷)などに広がる月三落合惣元講という講中があったが、現在は活動していない。しかし山開きの行事だけは毎年7月中旬に行われている。上落合にはかつての農村の面影をのこす餅つき唄(区登録文化財)も保存されているが、毎年2月の二の午に近い日曜日、当社の餅つきの際に唄われることになっている。(新宿区の文化財ガイドマップ)


・・・下落合


下落合は台地部と神田川沿いの低地部で異なった様相を呈する。妙正寺川神田川合流点が落合の名の由来で、水利によって江戸時代初期から染色工業の中心地の一つとして賑わい、現在でも洗張(あらいはり・着物等縫い合わせて衣服の形状をなしているものから抜糸をして、解き離しての洗浄を行う)やクリーニング工場など繊維関連企業が集中している。(Wikipedia

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神田川の風景⑥ 桜並木の遊歩道が続きます、昔はこの先で妙正寺川と合流していました/滝沢橋(下落合駅)

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現在は妙正寺川は分水路となっています/辰巳橋(妙正寺川)

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妙正寺川
東京都を流れる一級河川、荒川水家の支流である。流路延長9.7km、流域面積21.4km2。杉並区の妙正寺公園内妙正寺池(すぐそばにある妙正寺に由来)に源を発し、途中中野区松が丘2丁目で江古田河を合わせ、新宿区下落合1丁目の辰巳橋付近で神田川高田馬場分水路に合流する。かつては西武新宿線下落合駅の東側で流路を南に変えて今の神田川の滝沢橋落合橋間の地点で神田川と合流していた。だが、大雨の度にこの合流地点は川の水が氾濫したため高田馬場分水路の建設に合わせて流路を変更し、辰巳橋で神田川高田馬場分水路に合流するよう流路改築が行われ現在の形になった。この周辺の地名である「落合」とはこの二つの川がかつて合流していたことからその名が付いた。Wikipedia

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薬王院山門/下落合(左岸)

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薬王院
真言宗豊山派の寺院で瑠璃山薬王院医王寺という。また東長谷寺ともいう。開山は鎌倉時代、相模国大山寺を中興した願行上人という。その後兵火に遭い荒廃したが江戸時代の延宝年間(1673-81)実寿上人が中興し、元文年間(1736-41)火災により焼失し幕末にいたった。現在の庫裡は明治11年の再興である。本尊は薬師如来。境内には石造品が多く江戸時代初期、寛永年間(1624-44)頃からの墓石も多い。また本寺には中世の板碑が8点保存されている。徳治2年(1307)、建武5年(1338)、貞治6年(1367)の3枚は保存状態も良く貴重である。境内では各種の牡丹を栽培しているので牡丹寺と呼ばれ4月末から5月上旬には見物客で賑わう。(新宿区の文化財)

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下落合氷川神社鳥居/下落合(左岸) 

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下落合氷川神社 
5代孝昭天皇の御代の創建と伝えられ江戸時代には下落合村の鎮守で、薬王院が別当寺であった。祭神は素盞鳴尊、稲田姫命、大己貴命で、境内には三峯社、天祖社、稲荷社、諏訪社、浅間社を合祀している。江戸時代には氷川明神社といい祭神は稲田姫命一座で女体の宮ともいわれ、下高田村の鎮守で南蔵院が別当の豊島区高田1丁目の高田氷川神社が祭神を素盞鳴尊一座で男体の宮と呼ばれたため合わせて夫婦の宮と呼ばれた。神社正面鳥居前の交差点隅には庚申塔があり文化13年(1816)の造立で青面金剛像の下に三猿が配してある。この庚申塔は道標をかねたもので、みぎに「ぞうしが屋」左に「くずが屋」と刻んである。(ガイドブック新宿区の文化財)


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七曲坂
折れ曲がった坂であることからその名がついた(江戸名所図会)古くは源頼朝が近在に陣を張った時、敵の軍勢を探るためにこの坂を開かせたという伝説がある(遊歴雑記)/標柱



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相馬坂
この坂に隣接する「おとめ山公園」は江戸時代には将軍家御鷹場として一般人の立ち入りを禁止した御禁止山(おとめやま)であった。この一帯を明治時代末に相馬家が買い取って屋敷を建てた。この坂は新井薬師道から相馬邸に向け新たに造られた坂道であるためこう呼ばれた。(標柱)

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おとめ山公園中池


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おとめ山公園/下落合
新宿区下落合2丁目にある新宿区立公園。目白台から神田川を臨む南傾斜地にあり、敷地内の斜面からは東京の名湧水57選に選ばれているわき水が出ている。この水を利用してホタルの養殖が行われており毎年7月には「ホタル鑑賞会」が開催される。敷地内は起伏に富みナラ、シイ、クヌギなどの落葉樹が生い茂りかつての武蔵野の原野の風景を留めている。おとめ山は御留山または御禁止山と書き、江戸時代にこの一帯が徳川家の狩猟地で一般人の立ち入りが禁止されていたことからこの名前がある。この公園の北方、豊島区目白3丁目所在の德川黎明館、さらにその北にある「上り屋敷」地区(かつては西武池袋線の上り屋敷駅があった)と合わせ江戸時代にはこの一帯が将軍家の所有だった。

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明治時代にはこの徳川家の土地を近衛家と相馬家が所有し、相馬家の所有部分は「林泉園」という庭園となった。戦後「落合秘境」と呼ばれていたこの自然を残してほしいとする近隣住民の強い要望が実り、東京都が3年をかけて整備を行い1969年に公園として開園し、同時に新宿区に移管され区立公園として現在に至っている。(Wikipedia

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神田川の風景⑦ 山手線がすぐ、右手のさかえ通り商店街を行くと駅です/田島橋

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田島橋の由来
江戸時代鼠山(現豊島区)に下屋敷があった安藤但馬守がよくこの橋を通ったため「但馬」を「田島」としてこの橋の名がついたといわれています。この橋は江戸時代初めには既に架けられていたようで、初めは仮橋だったものを後に土橋に改めたと伝えられています。この橋の上流には賽ヶ淵という深い淵があって、江戸時代には高田12景といわれる月の名所の一つとして知られていたそうです。(新宿区道みどり課)

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江戸名所図会 落合惣図 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)
神田上水と妙正寺川が中央で合流、右手が田島橋です。合流地上が薬王院、右に氷川神社、その奥が藤森稲荷でしょうか。

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江戸名所図会 落合蛍 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)
中央が神田上水の田島橋、右が氷川神社になります。昔は蛍の名所だったんですね。

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高田馬場駅周辺マップ
(赤:歩行ルート 青:神田川・妙正寺川 茶:早稲田通り・目白通り・明治通り 赤丸:旧合流地)

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神田川水系流域図
(赤:神田川 緑:善福寺川 橙:妙正寺川)



by Twalking | 2017-04-23 20:04 | リバーサイドウオーク(新規)

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