ぶらり宮前(1)王禅寺道(日吉の辻~宮崎大塚)02-神木・宮崎大塚
天気 晴
清水台から菅生・犬蔵境の尾根をを南へ向かいます。
台地には宮前区の「歴史ガイドまち歩き」で紹介された
鎌倉古道(支線)が2本交差しています。
王禅寺道を伝える遺跡は2ケ所の石造・道標と宮崎大塚古墳
等ですが、村境の尾根を通っています。住宅地なので地図が頼り・・・、
多少迷いましたが大山街道になんとか行きつきました。
・・・菅生・犬蔵境
清水台の標高75mの台地上にあった。住居跡は確認できず、土器と石器の出土から約1万年前の縄文早期から切れ切れに約6千年ほど続いた遺跡と見られる。(宮前区歴史ガイドまち歩き)(写真:鎌倉道先の庚申堂)
・・・初山(はつやま)/宮前区
宮前区の北部に位置し平瀬川が流れている。北部には生田緑地の一部として川崎市が運営する「川崎国際生田緑地ゴルフ場」が所在し、南部には住宅地が広がっている。当地には1275年(建治元年)開基と伝わる初香山本遠寺があり、幼稚園や川崎市初の私立図書館も設置されている。また「初山の獅子舞」が伝わり、当地に所在した八幡社に奉納されていたが、明治末期に菅生神社に合祀されて以降、そちらに奉納されるようになった。(Wikipedia)
馬頭観音の道標旧地
王禅寺道と鎌倉古道の分岐点、初山団地南にあった。「北のぼりと道」「東二子道」「西王禅寺道」とある。今は島坂に移してある。(宮前区歴史ガイドまち歩き)
下菅生の地名、坂名。堰谷戸から北東へ登る坂。昭和22年に出来た新しい道だという。(「谷戸めぐり」さんの解説より)(写真:白井坂を見ます。鎌倉支道は東名川崎IC方向へ下ります)
ふるさと南平橋/市道向ヶ丘48号線
橋長:26.5m、有効幅員:3mの人道橋、開通:2020年9月、南平台10番地と犬蔵1丁目6番地先をつなぎます。
・・・けやき平
土橋7丁目の東北部を「たけし」と呼んだ。「竹芝」・「高師」と記した高所の地名。王禅寺道が通る土橋村の最高点には「たけしの一本松」があった。雑木林が茂り、けやき平にあったお伊勢様への道もあった。(宮前区歴史ガイドまち歩き)(写真:坂上)
馬頭観音の道標旧地
「たけしの一本松」の下に道標を兼ねた馬頭観音があった。「南大山道」「東二子道」「北登戸道」「西王禅寺道」と記され、今は正福寺前に移してある。(宮前区歴史ガイドまち歩き)
宮前区のやや北寄りに東西に細長く所在している。町域の大半は民間の開発による「宮前平グリーンハイツ」という住宅団地が占めている。けやき平は北端で平や神木本町と、南東端で神木や土橋と、北西端では東名高速を境に南平第と接している。当地の開発過程で行われた発掘調査により弥生中期の遺跡である「平遺跡」や「南平遺跡」が発掘されている。中世には1474年(文明6年)に神明社が創建されたと「新編武蔵風土記稿」が伝えているが、1914年(大正3年)には白幡八幡大神へ合祀された。(Wikipedia)(図:宮前平グリーンハイツ案内板 薄橙:王禅寺道)
・・・神木(しぼく)
宮前区の中部に位置し、多摩丘陵の斜面上に所在する。神木は北端でけやき平や神木本町、東端から南端にかけて宮崎、西端で土橋と接する。江戸時代には当地の領域は武蔵国橘樹郡稲毛領馬絹村と同長尾村にまたがっていた。当時、馬絹側には家が3軒だけあり、「神戸の三軒屋」と呼ばれていた。地名は当地の長尾側がかつて「神木長尾」と呼ばれたことに由来する。その「神木」であるが、日本武尊にちなむ神木の伝承が神木山等覚院の縁起として残るが、勅旨牧であった石川牧に対する「新牧」(しんぼく)から転じた、あるいは中世の史料に残る太田渋子(しぶこ)から転じたとも考えられてる。(Wikipedia)
二十三夜の月の出を一刻も早く拝して、五穀豊穣や子孫繁栄を祈る月待の行事は、江戸時代に流行し、集落で集まった記念に塔が建てられた。(宮前区歴史ガイドまち歩き)
十三坊台と称したこの辺りは王禅寺道から溝口・府中方面に向う道路が分岐する交通の要衝であった。文化12 年(1815)建立の道標を兼ねた庚申塔には「東二子道」「西王ぜんじ道」「北ふちう道」と記されている。(宮前区歴史ガイドまち歩き)
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・・・宮崎
宮前区の北東端にあり、北東側で高津区に接する。旧宮前村(みやさきむら)の中心部に位置するが、東急田園都市線開通前は交通の不便さからのどかな農耕地帯が残っていたという。馬絹(まぎぬ)で矢上川に合流する矢上川の支流の小川を谷として、その両側の斜面及び頂上の台地部分によって構成される。そのため他の宮前区内と同様に坂が非常に多い。(Wikipedia)には「東二子道」「西王ぜんじ道」「北ふちう道」と記されている。(宮前区歴史ガイドまち歩き)
昔、上作延南の原に聖松という大きな曲がり松がありました。相模の国の或る六部(六十六部の経典を寺々に修める修行僧)が諸国巡礼の折、この地で百日咳に苦しみ亡くなったという。又、一説にはこの地で穴の中にて鉦をたたき、念仏を唱え修行をしていたが「この鉦の音が止んだら死んだと思ってくれ」と言い残し入定したといわれる。その跡に植えたのがこの聖松であるという。松の樹勢は高さ5m、根廻り3m余りある大木となり枝葉は相模の方向を向き生い繁っていた。明治20年ごろ落雷にあい焼け落ちて今日の姿となったが、残る枝ぶりは今も往年の面影をとどめている。
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塚の一辺の長さ約28m、高さ約5.5mと推定される方墳。発掘調査が行われず詳細は不明であるが、6世紀頃に築造されたと考えられている。武器の隠し場所、物見塚、鎌倉街道の一里塚などと言う。大山街道が盛んな頃は街道を往来する人びとの良い目標になった。またこの塚は麻生区の王禅寺に向う王禅寺道の起点になっていた。(宮前区歴史ガイドまち歩き)
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by Twalking | 2021-10-17 12:55 | たまのさんぽ道(新規)