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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 5月の花   

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クレマチス(Clematis)は、キンポウゲ科センニンソウ属のこと。クレマチス属ともいう。
園芸用語としては、このセンニンソウ属の蔓性多年草のうち、花が大きく観賞価値の高い品種の総称。テッセン(鉄仙)およびカザグルマ(風車)はクレマチス(センニンソウ属)に属する種の名前だが、園芸用のクレマチスを指して「鉄仙」や「カザグルマ」の名が使われることもある。(Wikipedia)



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バラ(薔薇)は、バラ科バラ属の種(しゅ)の総称。
バラ属の植物は、灌木、低木、または木本性のつる植物で、葉や茎に棘があるものが多い。葉は1回奇数羽状複葉。花は5枚の花びらと多数の雄蘂を持つ(ただし、園芸種では大部分が八重咲きである)。(Wikipedia)

多摩市愛宕 2012.5.31

by Twalking | 2012-05-31 13:19 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 モノレールのある街   

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(多摩モノレール/多摩センター・乞田川)

by Twalking | 2012-05-31 11:20 | ○たま-2012

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 落合横丁   

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(多摩センター駅南口)

by Twalking | 2012-05-30 12:29 | ○たま-2012

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

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モノレール、こないかなぁ~・・・・・。。
(多摩センター駅北口)

by Twalking | 2012-05-29 09:37 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 甲州街道(13) 石和宿~竜王   

日時 2012.5.26(土)
天気 晴れ

「中央道、事故渋滞で動きません」
「えぇ~、またぁ~・・・・」
二週続けて添乗員さんとの朝一の会話、うんざりですねぇ~。。

今日はウオーク後に見学付ですから、“少しでも早く・・・”と、
ドライバーさんと相談して流れている東名を選択しました。
ところが途中で“町田IC付近で事故発生”のランプが点灯。
“いやぁ~、鍛えてくれるじゃん”、もう腹をくくりましたね。

このコースは距離はありませんが、甲府盆地のど真ん中、
古代~中世、江戸時代と甲斐国の歴史が詰まった宝庫ですから、
出来るだけ見ていただけるよう、時計を見ながら組み立てました。

やっぱり甲府に来たら武田神社、外せませんよね。。
幸いに日が長かったのと、みなさんのご協力のたまもので
なんとか予定の行程を回わることができました。

“信玄アイス”、今日は格別の味わいでしたね。。
店閉めてたんですが、声をかけたらアイスだけ仕込んでくれました。
ほんと嬉しかったですね、ありがとうございました!


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甲斐善光寺

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石和八幡宮                  善光寺山門
《善光寺山門付棟札》(国指定文化財)
五間三戸の楼門で、入母屋造の構造を示す。この山門は江戸時代中頃の宝暦四(1754)年の大火により、本堂とともに焼失したが、本堂に先立って再建され明和四(1766)年上棟式が行われた。両脇に仁王像を安置し、二階部分は手すり付き板廊下がめぐらされ内部には仏壇が置かれている(甲府市)


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天尊躰寺


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舞鶴城天守台から古府中(躑躅ヶ崎館)をみる/舞鶴城公園

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貢川散策路                  信玄アイス、これ美味しいですよ。。


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記録
人数 33名
歩数 23200歩
時間 5時間30分

行程
新宿8:00⇒(中央道事故渋滞)⇒東名・鮎沢PA9:50⇒須走⇒御坂峠⇒
石和小林公園11:50(昼食・WC)12:30・・・石和八幡宮・・・川田館跡・・・
山崎刑場跡・青梅街道追分・・・酒折宮(休憩)14:00・・・善光寺(見学)14:35・・・
天尊躰寺・・・甲府柳町宿・・・・身延道追分・・・貢川(休憩)・・・県立博物館(WC)16:25⇒
舞鶴城公園(散策)17:10⇒武田神社参拝(WC)17:45⇒石和駅⇒一の宮IC18:20⇒
談合坂SA(WC)19:05⇒新宿20:00

by Twalking | 2012-05-28 18:24 | 甲州街道(完)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 豊ヶ丘スクールロード   

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多摩市豊ヶ岡

by Twalking | 2012-05-28 11:25 | ○たま-2012

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 愛宕の丘   

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豊ヶ丘北公園/多摩市

by Twalking | 2012-05-27 11:32 | ○たま-2012

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 いざ、出陣。。   

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ツアー出発地/新宿中央通り・センタービル前

by Twalking | 2012-05-26 23:02 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 東海道(3) 川崎宿~神奈川宿 02 下見・鶴見   

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鶴見神社

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鶴見川

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生麦魚河岸通り



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資料ファイル

鶴見神社
鶴見神社の創建は、推古天皇の時代(7世紀初め)と伝えられる。古くは杉山大明神(杉山神社)と称された。1920年(大正9年)に、社名を鶴見神社と改めた。1962年(昭和37年)、境内の古木が倒れた際、その根元から、弥生時代後期の土器や古墳時代の土師器、鎌倉時代に至る祭祀遺跡が発見された。これにより、創建伝承以前から祭祀の場となっていたことが確認された。また、相殿の天王宮に伝わる「鶴見神社大神輿」は、横浜最古の神輿とされ、例年7月の天王祭には古式ゆかしく渡御する。この神輿は、約350年前に鶴見川の天王河原(現・潮見橋付近)に流れ着いたものと伝えられる。当時、少し上流にあった鎮守天王社(現在は川崎市幸区小倉の小倉神社)の祭礼のとき、鶴見川で神輿を洗った際に、誤って流してしまったものとされる。社殿は、1753年(宝暦3年)に再建され、1853年(嘉永6年)には名主・佐久間権蔵が社殿を改築したという記録がある。1911年(明治44年)3月31日、火災のため社殿が全焼し、1915年(大正4年)11月に再建された。境内地はかつて約5000坪に及び、鎌倉将軍・藤原頼経が1241年(仁治2年)に参詣した際に奉納したと伝えられる欅(前述の古木)や富士塚(境内の奥に現存)のほか、大きな神木が茂っていた。(「杉山神社」と称する神社は、全国でも横浜市と川崎市、特に鶴見川流域にのみ散在鎮座し、数十社が現存する)


d0183387_17335049.jpg寺尾稲荷道道標
旧東海道の鶴見橋(現鶴見川橋)付近から寺尾・小杉方面への分岐点にあった三家稲荷に建てられていたもので、一村一社の神社合祀令によって大正年間に三家稲荷が鶴見神社境内に移された時に、移されたと思われます。昭和30年代前半頃に、鶴見神社境内に移されていた三家稲荷の鳥居前の土留め作業を行った際、道標が埋没しているのが発見されました。正面には「馬上安全 寺尾稲荷道」右側面には「是より廿五丁」左側面には「宝永二乙酉二月初午寛永三庚午十月再建 文政十一戊子四月再建之」とあり、二度建替えられ、この道標が三代目であり当時の寺尾稲荷に対する信仰の篤さをうかがい知ることができます。寺尾稲荷は寺尾城址の西山麓に祀られ、現在は地名が馬場となったことから馬場稲荷と呼ばれていますが、古くは寺尾稲荷と呼ばれていました。江戸時代には馬術上達がかなえられる稲荷として知られていました。(横浜市教育委員会)



d0183387_17332627.jpg鶴見神社境内富士塚と身禄道
ここから杉山明神(現鶴見神社)へ向かう参道は身禄道と呼ばれていました。境内に富士塚があり、富士信仰を広めた食行身禄(じきぎょうみろく)の像が祀られているからです。(説明版)

鶴見神社境内貝塚

この貝塚は、横浜市北部を流れ東京湾に注ぐ鶴見川の河口近くの沖積低地に位置します。平成202月の発掘調査で、本殿前の東西約58m、南北約10mの範囲に、厚さ78cmの貝層が良好な状態で遺存することが確認されました。また、周辺からは貝塚と関連が想定される古墳時代前期の竪穴住居跡も発見されています。この貝層を構成する貝種は、二枚貝ではカガミガイ・ハマグリ・巻貝ではイボキサゴが主体であり、8種類以上の鹹水産貝種からなっています。一般に貝塚は縄文時代のものが多く知られていますが、この時期のものが良好に保存されている例は少なく貴重な遺跡です。(横浜市教育委員会)


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江戸名所図会 生麦村しがらき茶屋 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)

生麦(鶴見)は河崎と神奈川の間宿にて立場なり。この地しがらきといへる水茶屋は享保(1716-36)廛を開きしより、 梅干しをひさぎ梅漬けの生姜を商ふ。往来の人ここに休はざるものはなく、今時の 繁昌ななめならず。

生麦事件
1862年9月14日(文久2年8月21日),神奈川近郊の生麦村(現,横浜市鶴見区)で薩摩藩士たちが外国人を殺傷した事件。この日,外国人遊歩許可区域内にある川崎大師の見物に出かけていた騎馬のイギリス人4人が,公武合体と攘夷を幕府にもとめる勅使大原重徳に随行し帰洛途中の島津久光の一行と生麦村で出くわした。〈下に下に〉の意味もわからずせまい道路で進退きわまっている彼らに,行列に無礼を働いたとして供頭の奈良原喜左衛門が突然斬りつけ,つづいて多数で襲撃した。(世界大百科事典)

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生麦事件発生現場                生麦事件碑

文久2821日辛未晴天 島津三郎様御上リ 異人4年内女壱人 横浜ヨリ来リ本宮町勘左衛門前ニ而行逢 下馬不致候哉 異人被切付直ニ跡ヘ逃去候処 追被欠壱人松原ニ而即死 外三人ハ神奈川ヘ疵之儘逃去候ニ付 御役人様方桐屋ヘ詰ル 右異人死骸ハ外異人大勢来リ引取申候 (生麦村名主 関口日記ヨリ)」


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道念稲荷社                     明神社

蛇も蚊も
蛇も蚊もは約300年前に悪疫が流行したとき、萱で作った蛇体に悪霊を封じ込めて海に流したことに始まると伝えられています。この行事は、端年の節句の行事とされ、明治の半ば頃から太陽暦の66日になり、近年は6月の第1日曜日に行われるようになっています。萱で作った長大な蛇体を若者・子供がかついで、蛇も蚊も出たけ、日和の雨け、出たけ。出たけ、と大声に唱えながら町内をかついで回ります。もとは、本宮(道念稲荷神社)と原(生麦神明社)で一体づつ作り、本宮のものが雄蛇、原のものが雌蛇だといって、境界で絡み合いをさせた後、夕刻には海に流していましたが、現在は、両社別々の行事となっています。(横浜市教育委員会)

(生麦地名由来)
江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の行列がこの地を通る際、道に水が溜まっており、通行ができなかった。そこで、村の人たちが、街道の脇の生麦を刈り取り道に敷き、その上を行列に通らせた。秀忠は感謝として、この一帯に生麦という地名を与え、村人に漁業を営むに関して特別な権利を与えた。

・・・・
神奈川宿復原模型

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     (東神奈川駅)  上無川   笠のぎ稲荷・良泉寺  長延寺跡


d0183387_17421356.jpg長延寺跡(オランダ領事館跡)
神奈川通東公園は寛永8年(1631)から昭和40年まで330年余の間浄土真宗長延寺が所在した場所である。長延寺は開港当時オランダ領事館に充てられた。

土居
江戸時代の宿場入口にはしばしば桝形がつくられた。本来桝形は城郭の一つの門と二の門の間の方形の地であるが、宿場町では街道の両側から土居を互いに突き出すだけの場合もある。神奈川宿の江戸方の入口にあたる長延寺前にも土居を互い違いに突き出した桝形があった。(神奈川宿歴史の道)

d0183387_17425967.jpg良泉寺
海岸山と号し浄土真宗大谷派に属す。開港当時諸外国の領事館に充てられることを快しとしないこの寺の住職は、本堂の屋根をはがし修理中であるとの理由を口実にして幕府の命令を断ったといわれる。(神奈川宿歴史の道)



d0183387_1738152.jpg笠のぎ稲荷
社伝によると天慶年間(938~947)に稲荷山の中腹に創祀され、元寇にあたっては北条時宗より神宝を奉納されている。社前を通行する者の笠が自然に脱げ落ちることから笠脱稲荷大明神と称された。後に笠のぎ稲荷と改称され明治2年に現在地に遷座された。(神奈川宿歴史の道)



d0183387_00561331.png上無川
「神奈川」は、鎌倉幕府の執権、北条時宗の発した文書の中にも記されている古い地名であるが、その由来にはさまざまな言い伝えがある。その一つとして「江戸名所図会」の上無川の項には「神奈川本宿の中の町と西の町の間の道を横切って流れる小溝で、水が少ししか流れておらず、水源が定かでないため上無川という。カミナシガワのミとシを略してカナガワというようになった」という説が記してある。上無川は、現在の神奈川小学校東脇にあったとされているが、関東大震災後の復興計画による埋め立てられ、今では川の姿を見ることはできない。(神奈川宿歴史の道)

by Twalking | 2012-05-25 17:44 | 東海道(完)

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“赤いリュックの冒険”、このタイトル好きだなぁ~。。

by Twalking | 2012-05-25 13:23 | ○walk