無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 <   2012年 08月 ( 48 )   > この月の画像一覧   

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 blue moon   

d0183387_19551972.jpg

多摩丘陵/多摩市愛宕


ブルームーン(英語:blue moon)
本来、大気中の塵の影響により月が青く見える現象をブルームーンと呼んでいたが、1946年に天文雑誌「スカイ&テレスコープ」の誤解により、ひと月のうちに満月が2回あることをブルームーンと呼ぶようになった。月の満ち欠けは、平均約29.5日を周期として繰り返され、現在世界的に使用されているグレゴリオ暦の1暦月の長さは2月を除けば30日か31日で、月の初めに満月になると、その月の終わりに再び満月が巡ってくる場合がある。この周期は、例外はあるものの3年ないし5年に1度起こる。この時、特に1回目の満月を「ファーストムーン」、2回目の満月を「ブルームーン」と呼ぶ場合があるとされる。上述の通り、このことは誤解から生じたものであるものの、珍しい事の喩えとしてブルームーンと呼ばれるようになった経緯を考えれば、どちらの満月もブルームーンであることに違いはない。(Wikipedia)

by Twalking | 2012-08-31 19:14 | ○sun&moon

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 サンパラソル   

d0183387_12194497.jpg

今年も元気に咲いてくれました、ありがとう!

by Twalking | 2012-08-31 12:21 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり待乳山(隅田川西岸)   

d0183387_1194255.jpg
待乳山聖天


d0183387_2054249.jpg
山谷堀公園(日本堤跡)



d0183387_2055220.jpg
今戸神社


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
資料ファイル

d0183387_20573886.jpgd0183387_1112292.jpg
土壁(ついじ)                  銅造宝篋印塔(ほうきょういんとう)      

《待乳山聖天》(まちつやましょうでん)
金龍山浅草寺の支院で正しくは待乳山本龍院という。その創建は縁起によれば推古天皇九年(601)夏、旱魃(かんばつ)のために人々が苦しみ喘いでいたとき、十一面観音が大聖尊歓喜天に化身してこの地に姿を現し人々を救ったため「聖天さま」として祀ったといわれる。ここは隅田川に臨みかつて竹屋の渡しにほど近い小丘で、江戸時代には東都随一の眺望の名所と称され、多くの浮世絵や詩歌などの題材ともなっている。境内各所にほどこされた大根と巾着の意匠は当時の御利益を示すもので、大根は健康で一家和合、巾着は商売繁盛を表すという(台東区教育委員会)

d0183387_22203067.jpg〈池波正太郎生誕の地〉
池波正太郎(1928-1990)は大正12年旧東京都浅草区聖天町6番地に生まれました。この年関東大震災が起こり生家は焼失してしましましたがその後も少年期、青年期を台東区で暮らしました。「大川と待乳山聖天宮」というエッセイでは「生家は跡形もないが、大川(隅田川)の水と待乳山聖天宮は私の心のふるさとのようなものだ」と記しています。(台東区)


d0183387_21395471.jpg

江戸名所図会 真土山聖天堂 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)


d0183387_2111829.jpgd0183387_20593514.jpg
今戸神社拝殿                 今戸焼発祥の地・沖田総司終焉の地 

《今戸神社》
康平六年(1063年)源頼義・義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を当地に勧進し、祈願したのが始まりであるといわれている。また1081年(永保元年)にも清原武衡・家衡討伐の際に当地を通り、戦勝祈願をしたといわれている。大正12年(1923年)9月1日の関東大震災や大東亜戦争の際、米軍の爆撃機B-29が昭和20年(1945年)3月10日に焼夷弾を投下したり(東京大空襲)など数々の戦乱や火災に見舞われたが、その都度再建され、現在の社殿は1971年(昭和46年)に再建されたものである。1937年(昭和12年)には隣接していた白山神社を合祀し、今戸八幡と呼ばれていた当神社が現在の今戸神社と呼ばれるようになった。また現在では浅草七福神のひとつ福禄寿も祀っている。
〈招き猫発祥の地〉 
今戸神社は、近年になって招き猫発祥の地のひとつとして名乗りをあげた。。伝わっているところによると、江戸時代末期、界隈に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして売ったところ、たちまち評判になったという。これが招き猫の発祥とも言われ、近年の招き猫ブームによって今戸神社は招き猫発祥の地として看板を掲げるようになり多くの招き猫が奉られるようになった。
〈沖田総司の終焉の地〉 
当神社は幕末の志士・沖田総司の終焉の地とも言われている。これは、結核を患っていた沖田総司を診ていた松本良順が当時今戸神社を仮の住まいとしていたことからきている。(Wikipedia)

d0183387_2143960.jpg
江戸名所図会 山谷濠 今戸橋 慶養寺 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)

《日本堤》
日本堤の名はもともと江戸時代に作られた土手道を指したもので、現在の土手通りにあたる。土手は、今戸橋(待乳山聖天付近)から箕輪浄閑寺にかけて、水路に沿って築かれていた。下流の山谷堀近辺では両岸に土手を築いていたことから「二本堤」と呼ばれるようになったという。吉原が移転してきてからは「吉原土手」「かよい馴れたる土手八丁」などとも呼ばれ、遊びに通う江戸っ子たちで賑わった。(Wikipedia)

by Twalking | 2012-08-29 21:02 | 東京散歩(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり向島(隅田川東岸)   

桜橋からの墨堤やテラスは浅草NWのコースですので
歩いていますが、東岸(左岸)堤下の向島はいつも気になっていました。

丁度、東京スカイツリーウオークの下見に行きましたので、
ちょっと足を延ばして歩いてみました。
いや、なかなか味わい深い面白いとことですね。。

d0183387_16242350.jpg
墨堤/桜橋左岸


d0183387_16263198.jpg
三囲(みめぐり)神社/検番通り


d0183387_1628577.jpg
隅田公園・日本庭園

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
資料ファイル

《向島》
墨田区中西部に位置する。隅田川・北十間川・曳舟川通り・鳩の街通りに囲まれた地域である。東は曳舟川通りを介して押上と、北東は鳩の街通りを介して東向島と接している。町の西端を墨堤通り(東京都道461号吾妻橋伊興町線の一部)、中央を国道6号、東端を曳舟川通りが南北に貫いている。最西端は隅田川に沿うかたちで首都高速6号向島線が通っており、一部は墨堤通りの上に架かっている。墨堤通りと国道6号の中間に見番通り(けんばんどおり)が同じく南北に通っている。見番通りは言問橋東交差点より北に伸びる700m程の道路であり、国道6号との分岐点近くに「牛島神社」がある。通りには南より「すみだ郷土文化資料館」、「小梅小学校」、「三囲神社」、「向島墨堤組合 (見番所) 」、「弘福寺」、「長命寺」などが隣接していて、北端は墨堤通りと合流する。合流点近くには王貞治の一本足打法のレリーフが掲げられている「隅田公園少年野球場」、「言問団子」、「長命寺桜もち」などがある。ここから、隅田川岸に出ると約100m下流に「桜橋」があり、この橋周辺の河岸に延々と桜が植えられており、現在でも「墨堤の桜」として親しまれている。向島墨堤組合を中心とした向島2丁目、5丁目付近に料亭が点在している。 〈地名由来〉一説には、現在の都営白鬚東アパート付近に隅田川御殿という徳川将軍の休憩所があり、その北西にかつて隅田川に向かって流れていた内川(古隅田川)が隣接していたため、その対岸となる北西の島部を「将軍の向島」と呼んだことに由来するといわれる。これは現在の都立忍岡高等学校付近にあたる。しかし、隅田川東岸には「牛島」「柳島」「寺島」などといった地が点在しており、西岸地域に住む庶民がこれらを「川向こうの島」という意味で単に「向島」と総称したとも考えられ、特定は難しい状態である。なお、「向島」の名前が正式な行政地名としてつかわれるようになったのは1891年(明治24年)に向島小梅町、向島須崎町、向島中ノ郷町、向島請地町、向島押上町などといった町名が成立してからである。(Wikipedia)

《隅田川七福神》
文化元年(1804年)に佐原鞠塢(さはらきくう)により向島に百花園が開かれました。鞠塢には多くの文人仲間があり、彼らが集ううちに、鞠塢の所有する福禄寿を使って七福神ができないかという話になりました。多聞寺の毘沙門天、長命寺の弁財天、弘福寺の布袋尊、三囲神社の恵比寿・大国神まではよかったのですが、寿老人だけが見つからずに思案を凝らした結果、百花園近くの白鬚神社に目をつけました。白鬚というからには、祭神は老人に違いないということになり、「寿老神」としてしまいました。最近、白鬚神社の寿老人が知られていたという説も出されました。このようにして、隅田川七福神は完成し、向島の情趣にさらなる楽しみを加えた。全行程は約1里。新春を寿ぐ江戸の人々にとり、初詣や散策にとっては格好の場所になりました。(墨田区)


d0183387_16323798.jpgd0183387_16331136.jpg
長命寺 
                     芭蕉句碑:いざさらば雪見にころぶところまで
長命寺は、もと常泉院と号しました。3代将軍徳川家光が鷹狩に訪れた際、体調を崩して同寺に休息したとき、ここの水で薬を服するとたちまちに回復したので、家光より「長命寺」と寺号を授かった。江戸時代は雪見の名所として知られ、多くの人々が訪れました。成島柳北の記念碑や松尾芭蕉の雪見の句碑(区登録文化財)があります。・弁財天 愛敬(あいきょう)がある  大黒天同様、ヒンドゥーの神から仏教の守護神となった川の神です。音楽・弁舌・財福・知恵の神として慕われます。長命寺の弁財天は、琵琶湖にある老女弁天を分霊したものです。七福神のなかで、唯一の女性神です。(墨田区)


d0183387_1635092.jpgd0183387_1644717.jpg
弘福寺                      布袋尊

弘福寺は、鉄牛禅師を開山に迎えて開かれた黄檗宗の寺院で、大雄宝殿は京都万福寺を模して建てられました。大雄宝殿の中には黄金に輝く布袋尊像があります。境内には、喉の病気に効くという咳の爺婆尊、池田冠山の墓(区登録文化財)などがあります。・布袋尊 度量(どりょう)がある 中国に実在した禅僧・契此(かいし)が、死後、神として人々から信仰されるようになったものです。いつも満面の笑みをたたえ、いつも人から施されたものを一つの袋に入れて持ち歩いていたため、布袋さんと呼ばれていました。その中身は尽きることがなかったといいます。(墨田区)

d0183387_1041645.jpg
江戸名所図会 弘福禅寺 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)


d0183387_16443963.jpgd0183387_1645720.jpg
三囲神社                    堤下の大鳥居

三囲神社は、中世に三井寺の僧源慶が、一体の稲荷神像を掘り出したとき、どこからともなく白狐が現れ、稲荷神像のまわりを3回めぐったのちに去りました。ゆえに、三囲神社と名付けられました。江戸時代になり、三井家が篤く信仰するようになりました。松尾芭蕉の高弟・宝井其角の雨乞いの句碑があることでも有名です。・恵比寿 清廉(せいれん)の心をもつ もとは天照大神の兄弟といわれ、兵庫県西宮神社が恵比寿神の廟といわれています。豊漁の神ですが、釣りざおを持つところから、清廉な心をもつ神として古くから商業関係者から慕われます。・大国神 知足(ちそく)の心をもつ  もとはヒンドゥー教の神で後に仏教の神となりました。(この場合、大黒天と書きます)釈迦は「自由自在な神通力から富と財を人々に与えようとしている」と説きました。日本では、中世に大国主命と同一視され、恵比寿とともに福徳の神となり親しまれています。備考1:恵比寿、大国神は本社左手のお社にお祀りされています。(墨田区)

d0183387_9584996.jpg
江戸名所図会 三囲神社 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)

隅田川の七福神めぐりや桜の花見など墨堤の散策は行楽好きの江戸市民に人気がありました。そのラウンドマークのひとつとされたのが三囲神社の鳥居で、堤下の大鳥居として親しまれました。現在のものは文久2年(1862)の建立です。また、渡しはこの大鳥居のある土手下辺りの岸と浅草山谷堀入口の待乳山下を結ぶもので、竹屋の渡しと呼ばれていました。竹屋の渡しの名は山谷堀側の船宿「竹屋」に由来します。(墨田区)
 

d0183387_16471662.jpgd0183387_16474995.jpg
三角鳥居                    三囲のライオン像

三柱鳥居(みはしらとりい)は、鳥居を3基組み合わせたものをいう。「三井邸より移す。原型は京都太秦(うずまさ)・木島(このしま)神社」とありました。


d0183387_16593996.jpgd0183387_1701617.jpg
牛島神社                    撫牛

貞観2(860)年に慈覚大師がご神託によって須佐之男命(すさのうのみこと)を郷土守護神として勧請創祀したと伝えられる本所の総鎮守。(関東大震災で焼失する前は墨堤常夜灯の東側にあったが移設)本殿の左右に神牛が奉納されている他建長3(1251)年には牛鬼が社中を走り回り落として行った牛玉を神宝としたという伝承もある。また境内には江戸中期から後期の国学者立川(鳥亭)焉馬(えんば)の「いそかすは 濡まし物と夕立の あとよりはるゝ 堪忍の虹」の句碑などがある。(案内板)

d0183387_1015519.jpg
江戸名所図会 牛御前宮 長命寺 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)


d0183387_16504241.jpgd0183387_174010.jpg
明治天皇行幸所・水戸徳川小梅邸跡/隅田公園

d0183387_16513871.jpg
d0183387_17124986.jpg
言問団子                    検番通り

江戸後期、向島で植木屋を営んでいた外山佐吉は文人墨客に手製の団子を振る舞う「植佐」という団子屋を開くと花見客や渡船客の間でも人気となった。明治元年長命寺に逗留していた歌人の花城翁より在原業平が詠んだ「名にしおゝ いざ個言問はん都鳥 我が想う人は ありやなしやと」に因んだ命名を進めを受けた佐吉は「言問団子」と名付け、業平神社を建て都鳥の飛び交うこの辺りを「言問ヶ岡」と呼んだ。後に「言問」は言問橋や言問通りなどの名称として定着したが、ルーツは「言問団子」である。(案内板)

by Twalking | 2012-08-28 21:58 | 東京散歩(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 隅田川リバーサイド02 桜橋~駒形橋   

d0183387_21493877.jpg
桜橋上流/桜橋


d0183387_21502311.jpg
左岸墨堤/言問橋


d0183387_21504550.jpg
駒形橋下流/駒形橋

第2回スマ歩「東京スカイツリーウオーキング」(9月27日開催)下見


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
資料フィル

d0183387_15173785.jpg《桜橋》
台東区と墨田区の姉妹提携事業として1980年に創架が始まり、1985年に完成した隅田川唯一の歩行者専用橋で、両岸の隅田公園を結ぶ園路の役割を持つ。形状は平面のX字形の特異な形をしている。(Wikipedia)



d0183387_15201130.jpg《言問橋》(ことといばし)
国道6号・東京都道319号環状三号線(言問通り)を通す。西岸は台東区花川戸二丁目と浅草七丁目を分かち、東岸は墨田区向島一丁目と二丁目を分かつ。もともと「竹屋の渡し」という渡船場があった場所である。
「言問」という名称は在原業平の詠んだ、名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと という歌に因むが、実際にこの業平の故事があったとされている場所は現在の白鬚橋付近にあった「橋場の渡し」でのことであり、言問橋近辺には地名としては存在していたわけではないため、多くの説がある。有力な説としては、1871年(明治4年)の創業でこの地に現在もある言問団子の主人が団子を売り出すにあたって、隅田川にちなむ在原業平をもちだして「言問団子」と名づけ、人気の店となったことからこの近辺が俗に「言問ケ岡」と呼ばれるようになり、それにあわせて業平を祀ったことに由来するというものがある。
《竹屋の渡し》 「竹家の渡し」、「向島の渡し」とも称された。待乳山聖天のふもとにあったことから「待乳(まつち)の渡し」とも称される。「竹屋」の名は付近にあった茶屋の名に由来するという。現在の言問橋のやや上流にあり、山谷堀から 向島三囲(みめぐり)神社(墨田区向島二丁目)を結んでいた。(Wikipedia)


《吾妻橋》
創架は1774年(安永3年)10月17日のことで、それまでは「竹町の渡し」と呼ばれた渡し舟があった場所であった。江戸時代に隅田川に架橋された5つの橋のうち最後の橋であり、1769年(明和6年)4月に浅草花川戸の町人伊右衛門と下谷竜泉寺の源八の嘆願が幕府によって許可され、着工後5年で完成したものである。長さ八十四間(約150m)、幅三間半(約6.5m)の橋で、武士以外の全ての通行者から2文ずつ通行料を取ったと記録に残る。橋名ははじめ「大川橋」と呼ばれた。これは近辺で隅田川が「大川」と呼称されていたことにちなむ。しかしながら、俗に江戸の東にあるために町民たちには「東橋」と呼ばれており、後に慶賀名として「吾妻」とされた説と、東岸方面の向島にある「吾嬬神社」へと通ずる道であったことから転じて「吾妻」となった説がある。いずれにしても、1876年(明治9年)2月に木橋として最後の架け替えが行われた際に正式に現在の橋名である「吾妻橋」と命名された。1931年(昭和6年)に現在の橋に架け替えられた。

《竹町(たけちょう)の渡し 》 「駒形の渡し」とも称される。現在の吾妻橋と駒形橋のほぼ中間の場所にあった渡しで、江戸期に吾妻橋が架橋されたことによって利用者は減ったものの、1876年(明治9年)まで運行されていた記録が残っている。(Wikipedia)

d0183387_10151428.jpg
江戸名所図会 大川橋(吾妻橋) (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)


d0183387_15235417.jpg《駒形橋》(こまがたばし)
1927年(昭和2年)に竣工した隅田川にかかる橋で、東京都道463号上野月島線(浅草通り)を通す。西岸は台東区雷門二丁目、および駒形二丁目を分かち、東岸は墨田区東駒形一丁目と吾妻橋一丁目を分かつ。橋名は橋の西詰にある「駒形堂」に因む。関東大震災後の復興計画により現在の橋がはじめて架橋された。それまでは「駒形の渡し」があった場所である(Wikipedia)

by Twalking | 2012-08-27 21:56 | リバーサイドウオーク(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 東京スカイツリー展望   

d0183387_20171063.jpg
山谷堀公園(旧日本堤)


d0183387_20191470.jpg
隅田川・駒形橋


d0183387_2023148.jpg
北十間川・源森橋

第2回スマ歩「東京スカイツリーウオーキング」(9月27日開催)下見

by Twalking | 2012-08-27 20:36 | 東京散歩(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 8月の雲 06   

d0183387_012280.jpg

多摩市鶴牧

by Twalking | 2012-08-26 23:11 | ○雲

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

d0183387_13502726.jpg

ドコモビル/明治通り・千駄ヶ谷5丁目

by Twalking | 2012-08-26 13:52 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 東京都ノルディック・ウォーク連盟・神宮外苑体験会(9)   

日時 2012.8.25(土)
天気 晴れ

今日はもう夏休み最後の週末ですねぇ~、はやいものです。
明治神宮の杜も「原宿表参道元気祭」が開催され、
沢山の人出で賑わってました。

でも、チョット外れた外周道路はのんびりとしたものです。
西日を浴びながら風に吹かれて気持ちいいウオークでした。
過ぎ行く“夏”を思い切り楽しみましたぁ~、ありがとうございました!


d0183387_1211953.jpg



d0183387_12121297.jpg



d0183387_12131926.jpg



d0183387_1214203.jpg

原宿表参道元気祭/参道口

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《ノルディック・ウオーク体験会in神宮外苑》
日時 2012.8.25(土) 16:00~18:00
場所 千駄ヶ谷駅及び神宮外苑周辺 5kmコース
主催 東京都ノルディック・ウォーク連盟(JNWL-TOKYO)
参加者 20名
参加費 500円(受講料、ポールレンタル料、保険含む)

by Twalking | 2012-08-26 11:08 | ○ノルディックウオーク

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○walk 67   

d0183387_1122059.png

いいリズムですねぇ~、かっこいい!
ノルディックウオーク神宮外苑体験会

by Twalking | 2012-08-25 23:11 | ○walk