無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 <   2012年 11月 ( 53 )   > この月の画像一覧   

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

d0183387_1356276.jpg

紅葉/多摩中央公園

by Twalking | 2012-11-30 13:57 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 秋の多摩丘陵 06   

d0183387_12363899.jpg

メタセコイア通り/多摩市鶴牧


d0183387_19124566.jpg

いちょう橋/多摩市落合


d0183387_1911392.jpg

紅葉/多摩中央公園

by Twalking | 2012-11-30 10:50 | ○たま-2012

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 冬隣り   

d0183387_1664255.jpg

多摩丘陵/多摩市愛宕

by Twalking | 2012-11-29 16:08 | ○たま-2012

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 東海道(8) 茅ヶ崎~大磯宿04 馬入の渡し   

日時 2012.11.27(火)
天気 晴れ


d0183387_11123875.jpg
下見風景/ひらつかアリーナ


d0183387_115213.jpg
平塚の富士


d0183387_1161693.jpg
相州大山/花水橋



・・・・・・・・
資料ファイル

d0183387_11203969.jpg
d0183387_11194564.jpg

鶴嶺神社大鳥居             弁慶塚 

弁慶塚の由来
武蔵国稲毛(川崎市)の領主・稲毛三郎重成が亡妻の冥福を願い相模川に橋を架け、建久9年12月28日その落成供養をおこなった。源頼朝は多数の家臣を引き連れてこの式に参列盛大な落成式が行われた。頼朝はその帰途鶴嶺八幡宮附近にさしかかったとき、義経・行家ら一族の亡霊があらわれ乗馬が棒立ちになり頼朝は落馬して重傷を負い、翌正治元年1月死去した。後年里人たちは相計り義経一族の霊を慰めるためここに弁慶塚を造ったと伝えている。(茅ヶ崎市郷土会)                    

稲毛氏(いなげし)
桓武平氏良文流で坂東八平氏の一つ秩父氏の一族である。のちに武蔵国の橘樹郡(神奈川県川崎市)を本拠に勢力を張った一族。小山田有重の三男である重成が、支配した稲毛荘に因んで稲毛氏を称したことに始まる。重成は北条政子の妹を嫁とし、鎌倉将軍家・北条家の親戚関係となった。 多摩川沿いの登戸に枡形城を、東京都稲城市と境界を接する川崎市多摩区菅に小沢城を構える。川崎市多摩区枡形の広福寺は稲毛領主館跡と伝わり、現在もその遺構が残る。1205年、同族の畠山氏と北条氏との抗争に巻き込まれ、三浦義村に滅ぼされる。(Wikipedia)


d0183387_1123727.jpg
サンライフガーデンホテル

d0183387_11234370.jpg
d0183387_1124285.jpg

馬入の渡し跡                川会所跡

川会所跡
川会所は江戸時代に川越を取り締まった役所で川役所とも言いました。川会所には川役人(川名主と年寄)が在勤し、川の深浅を計り川留・川明を決めたり渡船の管理や渡賃の徴収などを行っていました。元禄3年(1690)当時の旅人一人の渡賃は十文でした。馬入の川会所は間口一間半、奥行2間ほどの家で、馬入の渡し場の西川端にありました。馬入の渡しには渡船が常備されていて、定掛り村が須賀と柳島村、定助郷が馬入村ほか4か村、加助郷村が田端村ほか十か村で、それぞれの村人が渡しの業務を負担していました。(平塚市)

d0183387_1523861.jpg
d0183387_15103139.jpg
明治天皇馬入御小休所跡             ビクトリア湘南

19世紀に英国・スコットランドの大草原に誕生したチャペルを移築/ビクトリア湘南


d0183387_11332325.jpg
d0183387_11304288.jpg
紅谷町公園                    お菊塚

番町皿屋敷 お菊塚
伝承によると、お菊は平塚宿役人真壁源右衛門の娘で、行儀作法見習いのため江戸の旗本青山主膳方へ奉公中、主人が怨むことあって菊女を斬り殺したという。一説によると、旗本青山主膳の家来が菊女を見染めたが菊女がいうことを聞かなかったのでその家来は憎しみの余り家宝の皿を隠し、主人に菊女が紛失したと告げたので菊女は手打ちにされてしまったが、後日皿は発見されたという。この事件は元文5年(1740)2月の出来事であったといい、のちに怪談「番町皿屋敷」の素材となったという。また他の話によると菊女はきりょうが良く小町と呼ばれていたが24歳のとき江戸で殺されたといわれている。死骸は長持(衣類や寝具の収納に使用された長方形の木箱)詰めとなって馬入の渡し場で父親に引き渡され。この時父親真壁源右衛門は「あるほどの花投げ入れよすみれ草」と言って絶句したという。源右衛門は刑死人の例にならい墓を作らず、センダンの木を植えて墓標とした。昭和27年秋、戦災復興の区画整理移転により現在の立野町晴雲寺の真壁家墓地に収められている。(平塚市観光協会)


《虎御前》(とらごぜん、安元元年(1175年) - ?)
鎌倉時代初期の遊女。曾我祐成の妾。お虎さん、虎女(とらじょ)とも呼ばれる。富士の巻狩りの際に起こった曾我兄弟の仇討ちを描いた『曽我物語』で、この物語を色づけ深みを持たせる役割をしている。『吾妻鏡』にも出てくることから実在した女性とされる。
『吾妻鏡』によると、建久4年(1193年)5月28日に曾我兄弟による仇討ち事件が起こった後、6月1日に曾我祐成の妾である虎という名の大磯の遊女を召し出して訊問したが、無罪だったため放免したと記されており(建久4年6月1日条)、6月18日には虎が箱根で祐成の供養を営み、祐成が最後に与えた葦毛の馬を捧げて出家を遂げ、信濃善光寺に赴いた。その時19歳だったと記されている(建久4年6月18日条)。
虎女の出自については諸説あるが、『重須本曽我物語』では、虎女の母は平塚の遊女・夜叉王で、父は都を逃れて相模国海老名郷にいた宮内判官家永だとされている。虎女は平塚で生まれ大磯の長者のもとで遊女になった。虎の母の夜叉王がいた平塚の遊女宿は現在の平塚市の黒部が丘あたりにあったと言われている。大磯の長者は高麗山の近く(現在の平塚市山下)であるので余り離れた場所ではない。花水川が間にあるが歩いても一時間は掛からない距離関係である。
十郎祐成と弟の五郎時致は早くから父の仇を討とうと考えていたので妻妾を持つことを考えなかったが、五郎の勧めもあり妾を持つことになった十郎は、自分が死んだ後のことを考え遊女を選んだといわれる。虎と十郎は会ってすぐに恋に落ちる。虎17歳、十郎20歳の時であった。虎が19歳の年、建久4年(1193年)5月28日に源頼朝が催した富士の裾野での狩りに夜陰に乗じて忍び込んだ兄弟は、父の仇の工藤祐経を討ち取る。しかし、十郎はその場で新田忠常に切り殺され、五郎も生け捕りになった後、頼朝直々に取り調べられて処刑される。十郎の死後、兄弟の母を曾我の里に訪ねたあと箱根に登り箱根権現社の別当の手により出家する。その後十郎の供養のため信州の善光寺に参る。大磯にもどった後、高麗寺山の北側の山下に庵を結び菩薩地蔵を安置し夫の供養に明け暮れる日々を過ごした事が山下(現、平塚市)に現存する高麗寺の末寺であった荘巌寺に伝わる「荘巌寺虎御前縁起」に記されている。虎女は兄弟の供養を片時も忘れることなく、『曽我物語』の生成に深く関わりながらその小庵で63年と言われるその生涯を閉じる(虎女の生涯は嘉禄3年(1227年)2月13日没、享年53といわれてきたが、最近の研究では没年は嘉禎4年(1238年)とされる)。
寅年の寅の日の寅の刻に生まれたので三寅御前と名づけたと『曽我物語』にあるが、実際には虎女は未(ひつじ)年の生まれである。なぜ虎という名前をつけたのか本当のところはわからないが、柳田國男は『妹の力』で、虎御前を引き「嘗てトラ トウロ トランと呼ばれた、仏教、道教を修めた巫女がいて、トラ石と呼ばれる石のある場所で修法をしていたのでは」と推測している。虎が生まれた場所は近くにもろこしが原があり、その向こうには高麗寺山があるという異国の面影があった。唐(もろこし)の枕詞は虎であるがその為かどうかも判らない。虎御前の御前は当時、遊女や白拍子などにつけて呼ぶ呼称であり、静御前、巴御前などと同じである。当時の呼び方として「ごぜん」ではなく短く「ごぜ」としたようで、後の瞽女(ごぜ)に通ずる。山本吉左右は『日本架空伝承人物事典』で、「トラゴゼ」という瞽女がいたのではという説を唱えている。俳句などでは虎御前と書いて「とらごぜ」と読ませることもある。俳句の季語に「虎が雨(とらがあめ)」という言葉があるが、旧暦の5月28日に降る雨に後世の人びとが虎女の悲しみを重ねたものである。(Wikipedia)


d0183387_11382236.jpg
ガイドメンバー/京方見附跡

by Twalking | 2012-11-29 11:13 | 東海道(完)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 晩秋の空   

d0183387_1794468.jpg




d0183387_1710265.jpg




d0183387_23262828.jpg


多摩丘陵/多摩市愛宕

by Twalking | 2012-11-28 20:14 | ○雲

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 番外 ぶらり茅ヶ崎   

d0183387_13402128.jpg

松籟荘正門 /茅ヶ崎市東海岸北一丁目

d0183387_13421731.jpg
d0183387_13433581.jpg

川上音二郎別荘の井戸枠         松籟荘の玄関前と塀

《高砂緑地の歴史》
この地は高砂緑地(たかすなりょくち)といいます。その名前の由来はかつてこの付近に砂山があって「高砂」と呼ばれていたこと、この地は小字が「上高砂下」であることによります。明治30年代にこの地の一画に新派劇の俳優で当時有名だった川上音二郎・貞奴夫妻が別荘を設けました。市内の小和田に別荘を設けた九代目市川団十郎を慕ってのことと伝えられています。今も緑地の中にある石の井戸枠も音二郎の別荘にゆかりのものといわれています。大正8年(1919)音二郎の別荘地だった所を含めて付近一帯を実業家原安三郎が別荘とするために購入し、松籟荘と名付けました。原は昭和6年(1931)敷地内に新しく主屋を建て、翌7年に廻造式の日本庭園やその他の建物を造りました。松籟荘は戦後しばらく占領軍に接収され、そのとき主屋は一部改築されましたが後に貴重な近代洋風建物としてまたすぐれた別荘建築として高く評価されました。
(茅ヶ崎市教育委員会)


d0183387_1530370.jpg

高砂緑地

by Twalking | 2012-11-28 11:21 | 東海道(完)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 番外 ぶらり寒川神社   

d0183387_1215661.jpg
本殿


d0183387_11482014.jpg
神門


d0183387_1150812.jpg
神池


d0183387_1220212.jpg
d0183387_12201862.jpg

三の鳥居・神橋                  南門(元の神門を移築)

寒川神社
神奈川県高座郡寒川町宮山にある神社。式内社(名神大社)、相模国一宮。現在の祭神は以下の2柱で、寒川大明神と総称される。2柱とも記紀には記載がなく、詳細は不明。 寒川比古命 寒川比女命 寒川大明神は八方除の神とされる。なお、八方除では当社の他にも久伊豆神社などが知られる。
神奈川県中央南部、相模川河口から約7km遡った左岸の低台地上に鎮座する。古代には相模湾がここまで入り込んでおり、神社からさらに8キロ上流の海老名市国分付近に相模国府があったと考えられている。朝廷からも名神大社として崇敬された。現在も八方除の守護神として関東一円から参拝者が集まり、正月の三が日にはのべ40万人が初詣に訪れる。テレビ放送の関係者には古くから「視聴率祈願の神社」として知られ、新番組開始前に参拝を行うことが多い。
古代、相模川沿いは相模国造がおり、また社が高句麗系渡来人の入植地である高座郡に属するため、有力な豪族のいずれかが造営したと推定される。雄略天皇の時期(456年-479年)に奉幣、神亀4年(727年)に社殿建立の記録があるが、公式には『続日本後紀』にて承和13年(846年)に仁明天皇から従五位下を授る記録がある。『延喜式神名帳』では「相模国高座郡 寒川神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。
鎌倉時代の『吾妻鏡』には「一宮佐河大神」と記載があり、相模国の一宮とされたことがわかる。戦国時代、武田信玄は行軍中に当社に参拝し、自身の纏っていた兜と太刀を安全祈願に奉納した。明治4年、近代社格制度において国幣中社に列した。(Wikipedia抜粋)


d0183387_1217249.jpg
参道

d0183387_12173867.jpg
d0183387_12183891.jpg
一の鳥居                      二の鳥居


中原街道・寒川の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/22376388/

by Twalking | 2012-11-28 09:46 | 東海道(完)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

d0183387_21454334.jpg

湘南
東海道・大磯宿

by Twalking | 2012-11-27 21:46 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 いざ、西へ 01 大磯駅   

d0183387_21353351.jpg

東海道本線・大磯駅/東海道

by Twalking | 2012-11-27 21:37 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 寒川駅   

d0183387_21501393.jpg

JR相模線・寒川駅

by Twalking | 2012-11-27 21:09 | ○station