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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 梅雨の晴れ間   

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晴れて来たなぁ~。。。
多摩丘陵/多摩市

by Twalking | 2014-06-29 14:07 | ○雲

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 サルビア・グアラニチカ   

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サルビア・グアラニチカ
愛宕下通り/多摩市
2014.6.24(火)


サルビア・グアラニチカ(シソ科アキギリ属)
Salvia はラテン語のsalvare「治療」・salveo「健康)」が語源。この種の植物は薬用になるものが多いことから。guaraniticaは原産地の一つのパラグアイの先住民族Guarani「グアラニ族」から。常緑亜低木、半耐寒性。樹高100~150㎝。流通名メドーセージの名で知られています。葉は卵形で対生。茎先に総状花序をだし濃い青紫色をした長さ3~5㎝の筒状の花をつけます。萼の色は黒っぽく蛇が口を開けたような形をした個性的な花です。挿し木や株分けでも増やせる花です。(植物図鑑)




by Twalking | 2014-06-29 09:39 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 オカトラノオ   

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丘虎の尾
愛宕下通り/多摩市
2014.6.24((火)


オカトラノオ(丘虎の尾)
サクラソウ科オカトラノオ属
多年草高さは、50cmから100cm。葉は茎に互生し、葉柄があり、長楕円形で全縁。花期は6月から7月で、白色の小さな花を茎の先に総状につけ、下方から開花していく。花穂の先端が虎の尾のように垂れ下がる。(Wikipedia)

by Twalking | 2014-06-29 09:18 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 モントブレチア   

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モントブレチアでしょうか・・・。
愛宕下通り/多摩市
2014.6.28(土)


モントブレチア
アヤメ科モノトブレチア属の多年草。南アフリカ原産の「ひおうぎずいせん」と「ひめとうしょうぶ」との種間交雑種です。1879年にフランスのビクトル・ルモアーヌにによって作出されました。わが国へは明治時代の中頃に渡来しています。繁殖力が旺盛で、すぐに群落を形成します。花色は濃いオレンジ色や朱赤色などがあります。名前はルモーアヌが植物学者のコクベール・ド・モンブレに奉げたたものといわれています。(植物図鑑)


by Twalking | 2014-06-28 13:59 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ばら02   

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丹精込めて育てておられるのでしょうね、いつも楽しく観させて頂いてま~す。。。
薔薇/多摩市愛宕
2014.6.28(土)


by Twalking | 2014-06-28 12:49 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 番外 ぶらり浜松   

日時 2014.6.19(水)
天気 晴れ

下見の帰り道、時間があったのでぶらりと家康の散歩道を歩いてみました。

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徳川秀忠公誕生の井戸の碑
誕生井戸はここの西方約五十メートル位のところにあった。昔、その一帯は旧城下であり家康の在城当時には下屋敷が構えられていた。二代将軍徳川秀忠の生母は、家康の側室西郷の局で秀忠の出産は同下屋敷でおこなわれた。その時使われた産湯の井戸を誕生井戸という。その井戸は明治の頃まで残っていたそうである。また、ここの北方の誕生橋は秀忠の産まれた下屋敷が誕生屋敷と呼ばれたことに因んでの命名である。(碑文)


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浜松八幡宮
徳川家康公が祈願所とし、武運長久を祈ったと伝えられています。武田信玄との戦い(三方原合戦)に敗れ武田軍に追われた際、洞穴に潜んだと言われる境内の御神木「雲立の楠」は、その時、瑞雲が立ち上ったとの故事により称されるようになりました。また「雲立の楠」は、静岡県の天然記念物に指定されています。

颯々の松(ザザンザノマツ) 
「ざざんざ」とは松に吹く風の音の形容の言葉です。当宮の伝承では天慶元年、八幡宮が現在の宮地に遷座した際、先導の白狐が浜辺より松の苗木を移し植え、これが繁茂し颯々の松になったといいます。松の木を浜から持ってきたので、浜の松が転じて里の名を浜松とし、浜松の名称の起源になったと伝えられています。永享4年、足利義教将軍が富士見下りの時、この松の下で宴を開き「浜松の音はざざんざ」と謡い、以後 この松を「颯々の松」と呼ぶようになったとの伝承もあります。「曳馬拾遺」(1712年)に 颯々の松とは野口村の森をいう とあり、一本の松ではなく三十本余りの松が群生していたと記されています。この松林の場所は当宮から東へ約百メートル離れた野口町内で八幡宮との由緒から かつては飛び社領地となっていました。そこに「濵松名稱起源颯々之松」の記念碑が建てられ、大正の頃には十五〜十六本の松が残されていましたが、昭和20年の空襲で全て焼けてしまい、その後、再び松が植えられました。平成19年に石碑は野口公園に移されましたが、元来「颯々の松」は当宮遷座の由緒と関わりがあり、かつて社領地であったことから、平成23年3月に境内に移され、5代目の松が植栽されました。(浜松八幡宮HP)


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曳馬城址に建つ浜松東照宮

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拝殿                          曳馬城石碑

曳馬城
浜松城の前は曳馬城(引馬城、引間城)がこの浜松の拠点だった。築城者については諸説あるが、瀬名姫の先祖であるい今川貞相が初めて築城したという。斯波氏とい今川氏が抗争すると、この地を支配していた大河内貞綱は斯波氏に味方するが今川氏に敗れた。その後は今川氏親の配下・飯尾氏がこの地を支配することになる。桶狭間の戦いにおいて今川義元が戦死すると今川氏の衰退が始まるが、この時期に飯尾氏の当主も乗連から子の連竜へと移り変わる。今川氏の衰退後、城主飯尾蓮竜が今川氏真に反旗を翻し、永禄8年(1565)に今川軍に攻囲され多大な損害を被るが、陥落は免れた。この時今川からの和議勧告を受諾した連竜は、戦後に今川氏再属のため駿府への大赦御礼に出向いたが、和議は謀略で、連竜は殺された。以後の曳馬城は、連竜の未亡人・お田鶴の方(椿姫)を中心とした飯尾氏の残党によって守られた。だが徳川家康によってその弱体化を見透かされ、永禄11年(1568)の年末には攻略された。城主を謀殺されて今川氏を頼みとしなくなった城内は、すでに徳川派と武田派に分裂しており、その徳川氏への内応者によって早期陥落したといわれる。その際に討ち死にしたお田鶴の方を祀った「椿姫観音」が城の近くに残っている。(Wikipedia)


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五社神社・諏訪神社
隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社とが、昭和35年(1960)に法人格を一つとして五社神社・諏訪神社と称したものである。合併の後に神社本庁の別表神社に加列された。現社殿は昭和57年(1982)の再建である。両社ともに徳川秀忠の産土神とされたことから、子守り、子育ての神として人々の崇敬を集めている。(Wikipedia)


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アクト通り


by Twalking | 2014-06-27 20:11 | 東海道(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 番外 ぶらり鷲津・本興寺   

日時 2014.6.18(水)
天気 曇り

連泊するホテルのレンタサイクルを借りて、周辺をぶらりと散策してみました。朝靄のたつ浜名湖・鷲津湾、深山にひっそりと佇む本興寺、よかったですよ。。。



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惣門
元三州吉田城の城門であったが、延宝2年(1674)に当山へ寄進されたものと思われる。形式は高麗門である。移築前は段葺屋根の重厚な門であったが、移築時に柿葺屋根に改修したものと思われる。現在の瓦葺屋根に改修されたのは、鬼瓦の銘などより享保10年(1725)と思われる。また、創建時の段葺屋根は現在も瓦葺屋根の下に保存されている。(湖西市教育委員会)
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奥書院
豊橋市の吉田城内にあったもので延宝2年(1674)、惣門(山門)とともに当山に寄進されたものといわれている。構造は、木造平屋建一部せがい寄棟造茅葺、主屋に桟瓦葺の縁側をつけた住宅風書院建築です。創建当初からのもではないが、使われている材料や技法と相まって江戸初期の建築様式を示す建物です。(湖西市教育委員会)



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本堂


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資料ファイル

d0183387_01583208.jpg本興寺(ほんこうじ)
永徳3年(1383年)に真言宗から法華宗(ほっけしゅう)に改宗したといわれ、江戸時代には徳川家康から朱印地を拝領し、葵の紋の使用を許されたと伝えられる名刹です。境内には本堂をはじめ約10の建築物が立ち並び、大書院にある谷文晁(たに ぶんちょう)作とされる15面におよぶ壁画や襖絵は広く知られており、別名『文晁寺』とも呼ばれています。天文21年(1552年)に修復されたといわれる本堂は、和様・大仏様・禅宗様の三様が巧みに取り入れられた折衷様式の建築物となっており、国の重要文化財の指定を受けています。(静岡県)


d0183387_02542488.jpg 中門
本興寺大書院の本玄関に通ずる中門は、別名朱門ともいう。形式は薬医門である。二本の本柱を棟から少し外側に立て、やや下げて内側に控柱二本を立てる。屋根の重さを本柱と控柱が分け合って負担を軽くする形で、安定感のある門の形式といえる。薬医とは「矢喰い(やくい)」の当て字で、薬医門とは元来桃山時代の創始にかかる城門の一形式であったが、江戸時代には寺院にも多く用いられた。本興寺中門創建の棟札の類は発見されない。正徳元年(1711)と寺伝にいう。17世紀末から18世紀にかけて、中央幕閣からの保護下に栄えた当山の歴史を物語る記念物である。本瓦葺、笈形付斗束、大佛様木鼻に特色がある。夕早き/庫裏のはひりは/日たむろと 築地めぐらして/朱き中門 北原白秋 (湖西市教育委員会)


 
d0183387_02542736.jpg千仏堂       
元禄13年(1700)渡辺越中守夫人の発願により建立されたもので、千体仏を安置する。天保12年(1841)再建される。宝(方)形造りの屋根を持つ建築である。蟇股(かえるまた)を除けば純然たる唐様式である。小さい建物ながらよくまとまった上品な風格を持っている。(湖西市教育委員会)


d0183387_02543274.jpg 水の音  たぞにひとつぞ  聞こえける  
     そのほかはなにも  申すことなし 
 
                     北原白秋  







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朝の浜名湖/湖西市鷲津

    

by Twalking | 2014-06-27 09:55 | 東海道(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり亀戸天神   

2014.6.25(水)
天気 雷雨&曇り

下町は縁がなくてよくしりませんが、
江戸を知るには大事なところだと思っています。
ワークショップが亀戸でありましたので、ぶらりと歩いてみました。

亀戸天神社

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大鳥居

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心字池

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本殿


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亀戸天神社
菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち諸国を巡った。そして1661年(寛文元年)江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。1662年(寛文2年)地形を初め社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰天満宮に倣い造営された。古くは総本社に当たる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、1873年(明治6年)に府社となり亀戸神社、1936年(昭和11年)に現在の亀戸天神社となった。


d0183387_00152624.jpg太鼓橋
男橋は大鳥居を過ぎると最初にある橋。大宰府天満宮を模して造られた。池と橋を人の一生に見立てた「三世一念の理」に基づき、この橋は過去を表す。女橋は本殿の手前にある橋。この橋は希望の未来を表す。本社の太鼓橋は歌川広重によって描かれ『名所江戸百景』シリーズの「亀戸天神境内」として発行された。


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諸国名橋奇覧「かめゐど天神たいこはし」 葛飾北斎


d0183387_00160078.jpg神牛坐像
菅原道真は845年(承知12年)6月25日の乙丑年に生まれ、903年(延喜3年)に亡くなったが、葬送中遺体を乗せた車を引く黒牛が動かなくなり、その場所を墓所と定めた。その後、その場所に社殿を建立し御霊を祀ったことが太宰府天満宮の起源であり、その年も乙丑年であった。また、道真が京都から大宰府へ下向中、白牛によって難から逃れることができたという故事が伝えられている。道真と牛との縁は深い。神牛(しんぎゅう)座像は1961年(昭和36年)鎮座三百年祭時に社殿の復興とともに奉納された。神牛に触ることにより病気を治し、知恵を得るといわれている。牛は天神の神使(みつかわしめ)として信仰されている。

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亀戸香取神社

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参道

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香取神社
天智天皇4年(665)、藤原鎌足公が東国下向の際、この亀の島に船を寄せられ、香取大神を勧請され太刀一振を納め、旅の安泰を祈り神徳を仰ぎ奉りましたのが創立の起因です。天慶の昔、平将門が乱を起した際、追討使俵藤太秀郷が当社に参籠し戦勝を祈願して戦いに臨んだところ、めでたく乱を平らげたので神恩感謝の奉賽として弓矢を奉納、勝矢と命名されました。現在でもこの古事により勝矢祭が5月5日に執り行われております。以来、益々土民の崇敬が篤く郷土の守護神というばかりでなく、ご神徳が四方に及びましたので、葛飾神社香取太神宮と称え奉るに至りました(当時の葛飾は下総国の大半を意味します)。元禄10年検地の節は、改めて社寺の下附があり、徳川家の社寺帳にも載せられ古都古跡12社の中にも数えられています。 (香取神社HP)


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江戸名所図会 香取大神宮 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用)


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北十間川
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北十間川/福神橋
隅田川と旧中川を結ぶ北十間川。明暦の大火後の本所開発の一環として寛文3年(1663)に開削された運河です。名称は本所の「北」を流れる川幅「10間」の川であることに由来しているそうです。

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ワークショップ
亀戸にある花王・東京研究所さんにてヘルシアのワークショップが開催されました。研究施設や花王ミュージアムも見学させて頂き面白かったです。久し振りに指導士のみなさんにお会いできてよかったです。。。


by Twalking | 2014-06-25 23:02 | 東京散歩

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

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雨上がりの北十間川
福神橋/江東区亀戸





by Twalking | 2014-06-25 21:27 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 いざ西へ34 浜松駅   

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さぁ、帰ろっと。。。
東海道新幹線浜松駅



by Twalking | 2014-06-24 19:50 | ○station