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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

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東中野公園/八王子市松が谷
「希望」とありました。春の柔らかい日差しを一杯浴びて・・・、すくすくと。のびやかで、いいですね!


by Twalking | 2016-02-29 15:15 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 東中野公園   

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東中野公園/八王子市松が谷
松が谷遊歩道の西側に静かに佇む公園、ちょっとした「渓谷」を味わえます。「かも池」の回り、いいですね!寛げる空間です。

by Twalking | 2016-02-29 11:02 | ○たま-2016

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 大山街道(6)海老名~愛甲石田01 河原口   

日時 2016.2.26(金)
天気 晴れ


国分宿の先が海老名耕地、河原口になります。
ここは中世、横山党の流れを汲む海老名氏の本拠地です。
永井路子さんの本を読みながら訪ねてみました。

有鹿神社裏から見る相模川&丹沢の景観はいいですね、
「有鹿の里」ものびやかで寛げます。
あゆみ橋を渡れば厚木、ここも見所一杯、楽しみです。


・・・勝瀬

東側の地域は座間丘陵の南部の高台に位置し、住宅化が進行している。一方、西側の地域は相模平野に位置し、海老名市役所など一部の建物を除いて水田が広がっている。もともと、「勝瀬」は神奈川県津久井郡日連村(現:相模原市緑区)に所在する集落であったが1938年(昭和13年)から始まった神奈川県の相模川河水統制事業によって作られるダム湖
(現在の相模湖)に集落全戸が水没することになったため、同年時点で集落にあった住宅64戸のうち、35戸が神奈川県耕地課の斡旋で当時の高座郡海老名村に移住してきた。当時の一帯は民家は皆無で、桑畑のほかは林の広がる荒地であったという。地名は「勇ましい川瀬」を意味する。Wikipedia

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左手が勝瀬になります/海老名跨線橋 


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横断歩道から跨線橋へ         下ると一大縄交差点


一大縄(いちおおなわ)
海老名耕地から有馬耕地にかけての水田地帯には大規模な方形の区画割りがあり、現在でも畦道や道路にその痕跡が残っています。また、一大縄~五大繩といった地名が残っています。この区画割りは、奈良時代の班田収受に基づく口分田のためのものとの説があります。四大繩遺跡で水田の発掘調査が行われ、鎌倉時代から江戸時代の水田は見つかりましたが、奈良~平安時代の水田はまだ見つかっていません。(海老名郷土かるた)


・・・
上郷

市内北西部の相模川左岸に位置し、一帯は相模平野の中央部にあたる。平坦地で水田も多い一方で、工場の立地も目立つ。南東端に海老名駅が位置し、周辺の再開発計画が進行している。地名は式内社である有鹿神社の北(=上)に位置することから。Wikipedia

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海老名耕地


・・・河原口

d0183387_22582266.png市内西部の相模川左岸に位置し、一帯は相模平野のほぼ中央部となる。中西部は住宅地や工場・店舗が多い一方、東部の一部には水田も見られる。南部には相模線・小田急線の厚木駅が所在する。当地付近で相模川と中津川が合流し、広い河原を形成していることに由来するという。
Wikipedia





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二又を左折、ここから「七曲り」の道を行きます。(有鹿神社は直進・右折)


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すぐの路地を右折           資料館角を左折

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次の路地を右折            次を左折

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旧道風景 右手は相模川、厚木の渡し(海老名側)辺りでしょうか/安養院前


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三眼六足稲荷神社縁起
謹んで茲に相模国海老名郷河原口安養院鎮守稲荷明神はその起源を尋ぬるに、極めて古く平安の頃から相模23座の式内社として有鹿岡に鎮座し、延喜式内有鹿神社の霊域で其舊蹟は今も尚当院境内に一堆の浄域を存す。往昔この岡に年久しく棲みなれし白狐あり、常に御中の田園を守護し、時に姿を農夫に化身し諸所の障害を駆除し数々の奇特を具現せり。農民その神孌不可見識を神使いと感得し畏敬の念を岡邊に集いて祠を建て稲荷明神と奉祀した。これが当社の草創でありこの故事を里人の口碑と共に相模風土記殘本に明文を伝う。(中略)鎌倉時代地頭海老名尾張守季貞、深く信仰し累代守護所と崇め三貫六百文の神田を捧げ加え祭祀に厚くす。降って寛永年間格雲守存大和和尚、当院開山に念じ右稲荷明神を境内鎮守と仰ぎ、即ち稲荷山安養院と号す。其後文化10年山城国紀伊郡稲荷本宮より分霊を奉戴し社格を正一位に進め奉る。(石碑文)

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安養院
安養院は「新編相模国風土記稿」では、山号を稲荷山、清源院(厚木市三田)の末寺とされています。本尊は、木造阿弥陀如来像で嘉永3年(1850)に修理された記録があることと作風から江戸時代中期に造立されたと考えられています。また、江戸時代後期作と考えられる韋駄天像も安置されています。格雲存孝(?~1634)が開山したと伝えられることから江戸時代初期に創建されたと考えられています。(海老名郷土かるた)


d0183387_16255978.jpg厚木の渡し場
相模川は洪水や戦略上の関係もあって常橋は設けられず、多くは船によって渡っていました。大山道の一つ、青山道(矢倉沢往還)には厚木の渡しが設けられていました。渡邊華山もこの道を通り、「游相日記」に厚木の渡しのことを記しています。安政5年(1858)の「渡船場賃銭心得之覚」には「荷係り拾八文 人拾二文 馬拾八文」とあります。(海老名郷土かるた)


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あゆみ橋を渡ります


あゆみ橋

この橋の位置にはもともと「相模橋」と称する橋があった。現在の相模大橋の開通とともに相模橋は廃橋となったが、地域住民の要望により流されてもすぐに架け直せるような簡易な構造の沈下橋「相模小橋」を架けることになり1966年(昭和41年)に開通した。それ以後、潜水橋に由来する「もぐり橋」という通称で地域住民に親しまれたが、夜間は危険なため、また一方通行であるなどの理由などから、恒久的な橋に架け替えることになり1996年に開通した。橋長236m、幅員9.5m、形式はバスケット・ハンドル型ニールセン・ローゼ橋。2012年さがみ縦貫道路の開通、周辺の道路事情の変化により海老名側へ126.8m延伸された。Wikipedia

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海老名河原口付近地図(赤:大山道 紫:有鹿の里一帯 橙:関連個所)


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資料ファイル

有鹿の里

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海老名氏霊堂/有鹿幼稚園先右奥 
海老名氏は、村上源氏の流れをくむ武蔵横山党の子孫で、康平年間(10581064)原四郎親季が相模守となってこの地に在住。そのまま在名によって海老名氏と称し棟梁となった。孫の海老名源八季定は、武勇天下に名高く保元物語白河殿の奮戦に、また曽我物語にもその名を伝えられている。海老名氏の菩提寺は廃寺となっている宝樹寺であるとされ、寺跡の小堂が季定の墓だと伝えられているが確証はない。しかし、堂内には宝樹寺の開基、宝樹沙弥を祀った宝篋印塔があり「大章樹公庵主、永享5813日」と刻まれているほか、季定のものと思われる五輪塔の断片もあり一般に海老名氏一族の墓所といわれています。(海老名市教育委員会)


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d0183387_16485141.jpg高野山真言宗 海老山満蔵寺総持院
宗祖:弘法大師(空海) 開基:藤原廣政 創建:天平勝寳6年(皇紀1414年 西暦754年)
46代孝謙天皇の御宇(奈良時代)に海老名御司藤原廣政が霊夢により建立した寺で、周囲に濠を巡らせ12の坊舎が甍を並べ棟を競っていた。そのため近年までこの地の小字を「坊中」と称した。元弘の乱(鎌倉末期)の新田義貞の兵火により坊舎ことごとく焼失し、足利持氏がこの地を本陣とした永享の乱(室町時代)に再び焼失の及ぶところとなるが天正年間(安土桃山時代)に慶雄大徳により9間四面の大本堂や6間四面の大庫裡などが再興され、小田原北条長氏。氏康らの外護の下に発展し、北条氏滅亡後に関東に入国した徳川家康からは特に他の有力大寺院に先がけて寺領寄進の朱印状とその後の厚い庇護を受ける。江戸時代に「不入」「葵の紋所」を許され高座、愛甲、大住の3都に末寺19ヶ寺を持つ中本寺(中本山)となり、法談所、古義真言宗関東檀林本寺としての隆盛を極め、神仏分離(明治元年)までは有鹿神社の別当院も務める。明治初年の廃仏毀釈の嵐の中で多くの貴重な寺宝も失われ、威容を誇った大本堂や大庫裡などの建物も関東大震災にて現山門を残して全て倒壊したが、順次復興して今日に至る(石碑文)


d0183387_16505142.jpg東大寺型八角澄籠(唐金製高さ2.4m)

奈良東大寺大仏殿前の八角燈籠(国宝 天平時代日本最大・最古の金燈籠)を基に鋳造製作した。大きさと精巧さにおいては全国にも数少ない貴重なもの。構造は下から基台、竿、中台、火袋、笠、宝珠となっており、火袋は菱格子を透彫りにし四方の扉に獅子を、他の面には音声菩薩(おんじょうぼさつ)と宝相華唐草(ほうそうげからくさ)を浮彫にしてある。音声菩薩は天平の微笑を口元に、頭光(ずこう)を負って蓮華座に立ち、そよ風に衣をなびかせあるいは拍子をとりつつ、いま妙(たえ)なる天上の樂を奏でているところである、(説明文)


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子育地蔵尊              六地蔵


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有鹿神社御由緒

お有鹿様は相模国で最古の歴史と高い格式を有する。
(創成)遙か遠い昔、相模台地は改定の隆起により出現する。有鹿谷の泉を水源とし、これより流れ落ちる鳩川(有鹿川)の流域に人々は居住し、有鹿郷という楽園が形成された。縄文のころより有鹿の泉は水神信仰されて来たが、弥生の頃になり農耕の発展に伴い人々は農耕の安全と豊穣を祈り、水引祭を起こし、有鹿大明神と称え有鹿神社を創建した。有鹿谷の奥宮、鳩川中流の座間中宮、相模川に合流する地の本宮である。

d0183387_22254861.jpg(発展)奈良平安の頃、相模国府は有鹿郷に所在し、有鹿神社は国司の崇敬を受け相模国延喜式内社中随一の社格を有した。天智天皇3年(664)初めて祭礼を行い、天平勝宝6年(7548年(756)藤原廣政の社殿の修理、墾田五百町歩の寄進を受け、貞観11年(869)従五位に昇階し永禄元年(1381)正一位の極位となる。広大な境内に美麗な社殿が建ち、条里制の海老名耕地を領有し、また明神大縄(参道)は社人の住む社家を経て寒川に至り、一大縄は相模国相模国分寺に至る。

(変動)やがて国府も移転し、有鹿郷から海老名郷に地名も変わり、有鹿神社は豪族の海老名氏の崇敬を蒙り、海老名氏は滅亡し美麗な社殿と広大な境内も喪失した。その結果、鳩川中流に鎮座した中宮も現在地に遷宮し、有鹿姫の伝説(座間では鈴鹿明神の創建の伝説となる)として残る。有鹿神社は農耕を礎とした産業の発展を背景とし水引祭の斎行により海老名耕地の用水を守り、相模国五宮として人々の崇敬を集めた。

d0183387_22345886.jpg(現代)明治維新となり県社に列せられたが郷社に留まり、神饌幣帛料供進社となった。第二次世界大戦後、宗教法人有鹿神社として神社本庁に属する。有鹿神社は水引祭を通し瑞々しい活力を与え、人々の生活の安全と繁栄を見守り続ける神奈川のへそ、子育厄除大社として海老名総鎮守、また神奈川県の聖地である。


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本宮
大鳥居の跡地(鳥居田)から400m参道を進むと鐘楼跡の傍に松無しの有鹿森が茂る本宮が鎮座する。鳥居の右側に水舎、左側に鐘楼と神楽殿、正面に本殿を覆う覆殿、幣殿、拝殿の三棟一宇の社殿がある。本殿の建築と拝殿の天井龍絵は海老名市の重要文化財の指定を受ける。社殿の左側日枝神社、稲荷社、諏訪社の三社、また社務所側東門近くに有鹿天神社が鎮座する。

中宮皇宮

東方400mの地に有鹿井(有鹿姫化粧井戸)、更に200mの地に有鹿沼(有鹿明神影向池)があり、中宮が鎮座する相模原の磯部勝坂の有鹿谷には奥宮が鎮座し、その奥には有鹿の泉が今も湧き出している。(説明板)


d0183387_22291592.jpg有鹿の井戸/上郷1-3
遠い昔、「有鹿の池」と共に「有鹿の森」の泉でありました。鳩川用水から中新田と河原口に分流する地点が袋状だったので「有鹿袋」ともいい、また、有鹿の池より出現した神体石をここで洗ったという伝承から、「有鹿姫の化粧井戸」ともいわれています。この井戸の傍らには、現在、上郷地区の鎮守「三王三柱神社」が鎮座しています。(海老名市)


d0183387_22291863.jpg有鹿の池/
上郷1-12
現在、枯れ池とはいえ、遠い昔、「有鹿の井戸」と共に、「有鹿の森」の泉でありました。室町の頃、有鹿神社の衰退にあたり、座間より遷座した「中宮」が鎮座しています。この頃、神社由緒によると、この池より神体石が出現したと記されています。(海老名市)


d0183387_22392688.jpg海老名氏記念碑(上郷遺跡)/
河原口3-28
海老名氏の記念碑には、上郷遺跡の道を挟んだ南側にあります。上郷遺跡は畑の耕作中に偶然発見された遺跡です。発掘調査により、五輪塔や板碑、集石遺構が確認されました。板碑は室町時代の年号が彫られたものが大半を占めており、宝樹寺跡の存在から、この地を治めた海老名氏に関係する墓地ではないかと考えられています。(海老名市)

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有鹿神社裏より相模川を望む/横須賀水道橋

上郷水管橋

逸見浄水場では、送られてきた水を緩速ろ過池(1,000m3 25m×40m×1m4池)で12.5mの速度で砂層を通してろ過させ、消毒した後、隣接の配水池から市内に給水する能力があります。しかし水需要の減少、水源水質の悪化、施設の老朽化により平成19年(2007年)4月からは取水を休止していましたが、平成27年2月28日付けで廃止しました。全長493m、幅員3.6m(横須賀市)


・・・

d0183387_22483580.jpg海老名氏について

海老名氏は、源有兼が永久元年(1113)から4年間相模守として当地に在任し、その当時武蔵・相模の武士団であった横山氏と婚姻関係を結び、生まれた季兼が在地名の海老名氏を名乗ったとされています。海老名氏はのちに海老名氏、本間氏、国分氏、下海老名氏、荻野氏に分家します。海老名氏は和田義盛の乱で和田方について敗北し、大きく勢力をそがれます。そして永享の乱で足利持氏方についたため本家は滅んだとされます(海老名市)


海老名氏

家紋は「庵に二つ木瓜」。荻野氏・小野氏・本間氏・国府氏などの庶家を分出している。後に海老名季久は、治承寿永の乱(源平合戦)に功をたて鎌倉幕府の御家人となっている。根拠地は相模国の高座郡で、現在の神奈川県海老名市。その後、海老名氏は播磨国・矢野荘に地頭職を与えられ国人領主を務め、その分流が「播磨海老名氏」の基となった。また室町幕臣へも一門より輩出している。Wikipedia


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海老名市系図
(「相模のものふたち」/永井路子著より参照)


by Twalking | 2016-02-28 23:49 | 大山街道(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 コブシ   

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辛夷
愛宕下通り/多摩市愛宕
お~、咲き出したね、コブシくん。おはよさ~ん!


コブシ
(辛夷)
モクレン科モクレン属の落葉広葉樹の高木。早春に他の木々に先駆けて白い花を梢いっぱいに咲かせる。別名「田打ち桜」。果実は集合果でありにぎりこぶし状のデコボコがある。この果実の形状がコブシの名前の由来である。高さは18m、幹の直径は概ね60cmに達する。3月から5月にかけて枝先に直径6-10cmの花を咲かせる。花は純白で、基部は桃色を帯びる。花弁は6枚。枝は太いが折れやすい。枝を折ると、芳香が湧出する。Wikipedia

by Twalking | 2016-02-28 23:35 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

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東大寺型八角澄籠
海老山満蔵寺総持院/海老名市河原口

by Twalking | 2016-02-28 22:00 | ○写真上達への道

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上郷水管橋/相模川(海老名市上郷)
日露戦争後、軍都横須賀の水を確保するため、海軍当局は愛甲町半原から横須賀まで(約53km)の水道の敷設工事を行いました。相模川に架けられたのがこの水路橋(全長493m・幅員3.5m・通水開始大正7年)、取水は平成19年に休止、昨年廃止となりました。国土地理院の地図にも「横須賀水道」として表示されていますが、その足跡をたどるのも面白そうですね~。。。


by Twalking | 2016-02-27 11:25 | ○写真上達への道

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相模川
有賀神社裏/大山街道(海老名市河原口)
国分宿から相模川に到着。右手は相模川に架かる横須賀水道橋、左は中津川の鮎津橋でしょうか、いい眺めですね。。。

by Twalking | 2016-02-26 23:32 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 海老名駅02   

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小田急線海老名駅/海老名市中央


by Twalking | 2016-02-26 22:10 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

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瀧坂道(すずらん通り)/世田谷区経堂2丁目
見事な大木、見上げちゃいますね~、気持いい。街道からちょっと入ったお宅に、保存されてました。

by Twalking | 2016-02-25 21:13 | ○写真上達への道

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地蔵堂
安穏寺坂/瀧坂道(世田谷区上祖師谷)
仙川へ下る坂の途中に安穏寺、坂下には岩舟地蔵尊を祀るお堂があります。この辺りはまだ旧道の面影が残っていますね~。。。

by Twalking | 2016-02-24 20:09 | ○写真上達への道