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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 大山ケーブルカー   

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大山ケーブルカー/阿夫利神社(伊勢原市)
奥社はガスってたけど、下は晴れてます、山の天気ですね~。それにしても、いい眺め!


大山鋼索線

伊勢原市の大山ケーブル駅から阿夫利神社駅に至る大山観光電鉄のケーブルカー、大山ケーブルカーと呼ばれている。丹沢山地の南東にある大山を登るケーブルカーで、山上にある大山阿夫利神社(1252m)への参詣のほか、大山・ヤビツ峠方面へのハイキングなどに利用されている。20分間隔で運行、多客期は増発や営業時間の延長が行われる。大山ケーブル(512m)-阿夫利神社間(678m)の所要時間は6分。Wikipedia)

by Twalking | 2016-04-30 23:35 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 はこね号   

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はこね号
小田急線伊勢原駅
「はこね号発車します」のアナウンス、緊張の一瞬ですね、気をつけて~!

by Twalking | 2016-04-30 20:33 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ツキヌキニンドウ02   

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お、咲いたね、忍冬くん、おはよ~!
愛宕下通り/多摩市愛宕

by Twalking | 2016-04-29 21:10 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 野川&国分寺崖線をゆく06 二子玉川   

日時 2016.4.26(火)
天気 晴れ

野川はよく自転車で走りましたが、これは新野川なんですね。
ということで今回は旧野川と六郷用水の跡を追ってみました。
緑も多くきれいに整備された緑道は気持ちよく歩けます。

一応、通しで野川を歩きましたが、その良さが分かります。
国分寺崖線の湧水や雑木林、よく整備された緑道、そして
関連する歴史など非常に味わいがあり、面白かったです。
手頃なコースなので、季節を変えてまた歩きたいですね~!


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野川の風景① 左は成城、右は喜多見ですが、Uターンして旧野川跡へ/谷戸橋



・・・旧野川の川筋を訪ねて(野川緑地公園/狛江市)

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野川緑地公園の入口です/小金橋

野川緑地公園
旧野川の川筋に造られた公園で、西野川1丁目の調布市境から岩戸北1丁目の小田急線線路付近まで約2.2kmにわたって市北部を縦断しています。約4500本の樹木や草花を植えた花壇が整備されており、サクラ、ツツジ、キンモクセイなど多種多様な植物が色とりどりの風景や雰囲気を作り出し、目を楽しませてくれます。また、散歩道や憩いの場、子どもの遊び場として広く親しまれています。(狛江市)

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旧野川の風景① 木陰が多くて歩き易いですね/東野川


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周りは畑です             大橋跡


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旧野川の風景② 緑のトンネル、あれ、紅葉してますね~/西野川


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御台橋
/西野川2丁目

江戸時代の寛政年間(17891801)の史料に「五大橋」という名称が見られ、この頃には「五大橋」が架かっていたことが確認できます。また、明治時代初めの史料から、当時は長さ約3.6m、幅約1.5mの石造の橋だったことがわかります。「御台橋」という字をあてるようになったのは、昭和36年(1961)の架け替えの時のようです。現在、緑道内には最後に架けられていた橋の親柱がモニュメントとして残されています。(狛江市)

d0183387_09420796.jpg残ったおじいちゃんの榎

旧野川跡地は野川緑道公園として昭和52年に開園しました。今は緑道として散歩道やジョキングコースとして市民に親しまれています。ここは旧野川付近に辺り、個人の所有地でしたが相続の際、故人が生前に大切にしていたことから狛江市に寄付され現在に至ったものです。「狛江のまち-魅力百選」に選定されています。(案内板)

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旧野川の風景③ 緑地公園の入口、小田急線がみえてきます/和泉本町

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野川緑地公園周辺マップ
(緑:野川緑地公園 黄:六郷用水跡 紫:世田谷通り)



・・・六郷用水跡①(世田谷通り

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旧野川は六郷用水に取り込まれ喜多見方向へ流れていたようです/新二の橋(世田谷通り)


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一の橋                二の橋


・・・六郷用水跡②(滝下橋緑道・世田谷区喜多見)

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300m程ですが用水の跡です/滝下橋緑道

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緑道入口                案内板


d0183387_10111340.jpg次大夫堀(六郷用水)の由来
慶長2年(1597)から15年もの歳月をかけて慶長16年(1611)に完成した次大夫堀は、多摩川の水を和泉村(現狛江市)で取り、野川・仙川などの小河川と合流し多摩川沿いの武蔵国荏原郡世田谷領14ヶ村(和泉・猪方・岩戸・喜多見・大蔵・鎌田・岡本・瀬田・上野毛・下野毛・等々力・小山・上沼部・下沼部)を通り、下流の六郷領(現大田区)に注いでいました。次大夫堀は江戸時代の初め江戸奉行・小泉次大夫吉次の指揮・監督によって開削された世田谷地方における最初の農業用灌漑用水路です。主に六郷35ヶ村の水田開発を目的とした水利事業「六郷用水」と命名されましたが、婦女子の労働力に頼っていたといわれる工事のため俗に「女堀」とも呼ばれていました。一方世田谷地方の人たちは、小泉次大夫の功績を称え六郷用水とは呼ばずに独自に「次大夫堀」と呼んでいました。全長23km、川崎側の二ヶ領用水との童子平行工事のため、長期にわたる難工事となり沿岸農民の扶養も相当過重だったようです。しかし、世田谷領、六郷領併せて49ヶ村は神殿の造成等により大幅に村高が増加し大きな恩恵を受けました。このような由緒ある歴史を持ち、玉川八景などにも謳われた美しい環境の中に流れていた次大夫堀も、戦後の急激な都市化によってその役割を終え、一部が「丸子川」と改称されて僅かに往時の面影を残すのみです。(世田谷区教育委員会)


・・・六郷用水跡③ 次大夫堀公園(世田谷区喜多見)

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水田に鯉のぼりが泳いでいました/次大夫堀公園

次大夫堀公園
次大夫堀は江戸時代初期、小泉次大夫の指導で開作さた農業用水(六郷用水)の別名です。喜多見辺りでは半ば埋められごみ捨て場のようになっていましたが、野川から取水して昔ながらのきれいな流水を復元しました。その水路に沿って、当時の古民家や水田(14002)を配置しています。水路や池にはコイ・メダカ・アメンボもたくさん生息しています。民家園では名主屋敷(主屋1棟・土蔵1棟)民家2棟、表門、消防小屋などを復元し、公園内の次大夫堀や水田とあわせて江戸時代後期から明治時代初期にかけての農村風景を再現しています。農村で行われる行事なども行っており、昔ながらの生活や風習を体験することができます。園内の水田では毎年稲作が行われ、近所の保育園や小学生達による田植えや稲刈りがJA東京中央の協力のもと行われています。自然体験園では農作業体験等を通じて土とふれあい、都市農業に関心をもってもらうため講習会が開かれています。(案内板)

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先月は桜、これからは新緑ですね、竹の子が伸びてました。

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喜多見4・5丁目農の風景育成地区マップ
(赤:歩行ルート 青:野川・清水川 紫:登戸道 橙:筏道)

喜多見周辺(登戸道)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23022006/



・・・野川緑道を二子玉川へ

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野川の風景② 左岸には国分寺崖線・成城3丁目緑地が見えます/雁追橋(喜多見)

成城4丁目・3丁目緑地の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/22946812/


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野川の風景③ 振り返ってみる東名高速の景色/荒井橋(多磨堤通り)


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野川の風景④ 二子玉川が見えてきました。先は天神森橋です/町田橋(宇名根)


d0183387_12565426.jpg天神森橋の由来
この野川は国分寺の恋ヶ窪の湧水を源流とし、国分寺崖線に沿って二子玉川の多摩川に注ぐ全長約22kmの川である。当初の橋は昭和363月に完成し、その頃の鎌田周辺は水田や畑に恵まれ西側には宇奈根川、東側の堀川には洗い場や水車小屋などがあった。近くの鎌田天神にはスギ、ケヤキなどの木立がで囲われた森となっていたので、この橋の名前を「天神森橋」と名付けられた。(案内板)


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野川の風景⑤ 左から仙川が合流します/鎌田橋(多摩堤通り)


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野川と野川水道橋の由来
野川は国分市東恋ヶ窪に源を発し国分寺崖線に沿って幾多の湧水を取り込み小金井、三鷹、調布、狛江を経て世田谷区に入り、二子玉川付近で多摩川に合流する全長約20km、流域面積約70万km2に及ぶ一級河川です。かつては現野川より西側を流れ、宇奈根2丁目あたりで多摩川に合流していたようですが、約400年前に開削された「次代夫堀」による水田開発やその後の大規模自炊事業により現在の位置に姿を大きく変えました。また、都区内の河川としては自然環境も多く残されコイやギンブナなどの魚類、カワセミやマガモなどの鳥類が生息し、地域住民をはじめ多くの方々の潤いの場となっています。

d0183387_22103617.jpg「野川水道橋」の由来は、大正12年当時渋谷町・町営水道が砧下浄水場を造り、多摩川より取水した水を渋谷方面に給水したことから始まります。水を送るための水道本管は初め野川の水底に埋設されていましたが、昭和35年に野川が改修された際水道本管が一旦地上に出て川の上を通ることになり、鉄管を支える目的で「野川水道橋」が架けられ、平成18年までの46年間、「水道管のある歩道橋」として地域の方々に親しまれ生活を支えてきました。兵営18年の野川改修工事で再び川底を通るようになりましたが、「野川水道橋」の46年間の歴史を残しておくために、新しい橋も「小川水道橋」とすることになりました。(案内板 写真:駒沢給水塔・世田谷区地域資産)



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玉電と吉沢橋/鎌田
この橋は関東大震災直後1924年(大正13年)に架け替えられました。玉電砧線の開通に合わせて架けられた鉄道橋でした。砧線は現在の二子玉川駅と砧本村を結ぶ約2.2kmの路面電車で、人の通勤、通学手段としてだけではなく、関東大震災復興のため多摩川の砂利を都心方面へ運搬するため大きな貢献をしました。しかし、その後車社会の到来とともに路面電車は姿を消すことになり、1969(昭和44)年玉電は世田谷線を除き全線廃止となりました。廃止後は道路橋として世田谷区に移管され今日に至っています。この度、野川の河川改修に合わせて上流の吉澤橋と新吉澤橋を統合し、新しい吉澤橋に架け替えになりました。(案内板)


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野川の風景⑥この堤防、綺麗になりましたね/吉沢橋先


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野川の風景⑦ 二子橋&田園都市線を潜って多摩川へ/兵庫島公園


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野川の風景⑧ いい眺めはいいですね~、この先で合流します/旧二子の渡し

二子玉川周辺(大山道)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/22650910/


・・・・・・・
資料ファイル

【野川の流路変更】
六郷用水開削による流路変更
かつての野川は、小金橋あたりから野川緑地公園に近い流路で現在の狛江市中心部を流れ、そのまま南流し岩戸川(現在の岩戸川緑地公園)及び町田川に接続し、宇奈根付近で多摩川に注いでいた。慶長2年(1597)から15年かけて六郷用水(次大夫堀)が開削され、これに伴い世田谷通りの新一の橋付近で六郷領用水と合流し流れを東に変え、世田谷通りと滝下橋緑道を流れ入間川と合流するようになった。次太夫堀公園を流れた後用水から分流し現在の野川下流に近い流路を通っていた。

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野川の流路改修(地図は大正6年)/調布市郷土博物館
(青:現野川 青点線:旧野川・入間川・六郷用水 橙:甲州街道・世田谷通り)

昭和の流路変更
昭和42年(1967)になって六郷用水も川の流路を失わない、範囲で大部分が埋められ(一部が野川緑地公園と滝下橋緑道に整備)、野川の流路をに寄らせる改修が行われた。野川は狛江市街に入らずに調布市と狛江市の市境付近に新たに開削された。それより下流の野川も入間川との合流点を作り、さらに少し下流のきたみふれあい広場(小田急喜多見車両基地)付近では旧入間川より数百メートルほど東に野川が開削され(西側の従前の入間川は埋められた。狛江ハイタウン前からきたみふれあい広場までは道路及び遊歩道になっている)、さらに下流でも次大夫堀開削以前の入間川に近い流路がとられた。また、この開削した川も全区間野川と称した。Wikipedia)

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野川と野川水道橋
(紺:旧野川 青:現野川 赤:六郷用水 薄青:仙川・谷戸川 緑:世田谷通り・玉川通り 黄:品川道・登戸道 茶:水道道路)


by Twalking | 2016-04-29 19:32 | リバーサイドウオーク(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02   

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ヤホ-、ゴールデンウイークだ~い!
多摩丘陵/多摩市

by Twalking | 2016-04-29 10:36 | ○雲

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 オダマキ   

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オダマキ
野川緑地公園/狛江市東野川


オダマキ属

キンポウゲ科の属の一つ。ラテン名のアキレギアアクイレギアAquilegia)ということもある。本属の植物の総称がオダマキ(苧環)である。苧環(オダマキ)は元来は機織りの際にカラムシ(苧)やアサ(麻)の糸をまいたもののことで、花の形からの連想である。根出葉は普通23出複葉で細かく分かれ、先端には丸っこい小葉がつく。茎が高く伸びるものではやや小型の茎葉が出る。花の外側の花弁のようなものは、じつは花弁ではなく蕚である。花弁はその内側にあって、ややまとまって筒状になる。花弁の基部からは角状の距が伸び、萼の間から外に突き出る。Wikipedia




by Twalking | 2016-04-28 18:02 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 野川&国分寺崖線をゆく05 若葉町   

日時 2016.4.26(火)
天気 晴れ

夏日ですね、日差しが強いけど、いい風吹いてます。
今回は若葉町のハケと新・旧の野川を訪ねましたが、
ハケ&野川公園緑地は緑一杯、気持ちよく歩けました。

実篤公園&若葉町の斜面に残された雑木林、
都会とは思えない、野趣で濃い緑に包まれています。
これは、貴重な自然資産、すばらしいと思います。
ありがとう~!楽しませていただきました。


・・・柴崎(調布市)

の名の由来としては武蔵野特有の柴山から起こったとか、牛馬の放牧地を指した言葉あるいは突端(崎)の船着き場(チバ)という意味のアイヌ語がなまったものなどといわれますが、この他、江戸氏の一族である柴崎氏が居住したことにちなむとする説もあります
。(「調布の地名」/調布市郷土博物館解説シート)

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野川の風景① いつも電車から見える景色、今日は逆からです/車橋(菊野台)

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野川の風景② 入間川(分水路)が左岸から合流します/小金橋(神代団地)


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常楽院/西つつじヶ丘

ここに、もと福僧山延命院蓮蔵寺があり江戸後期の地誌『新編武蔵風土記稿』に深大寺の末寺として載っています。のちに廃寺となり、字名として蓮蔵寺村の名が残りました。道路の南にある墓地には慈覚大師(円仁)廟があり、大師一千一百年遠忌記念の宝塔です。その横の大きな庚申塔(元禄4)や地蔵尊(安永8)筆子中塔(天保10)に蓮蔵寺村銘があります。関東大震災で焼失した上野広小路の六阿弥陀第5番の寺が、昭和8年に当地に移転してきました。これが現在の常楽院です。(調布市)

d0183387_16091298.jpg思い出のアルバム歌碑
当山第52世本多慈祐(鉄麿)は作曲家として讃仏歌、仏教保育関係の歌、各地の幼稚園、保育園、学校等の園歌校歌を数多く作曲した。現在、仏教系に限らず全国の幼稚園、保育園で卒園歌のように歌われている「思い出のアバム」(増子トシ作詩、本多鉄麿作曲)の歌碑が常楽院境内に建てられている。これは戦後、慈祐住職が地域の青少年文化活動として俳句会、読書会、合唱団等を組織し又、神代幼稚園を創設しその中で育てられた有志の方々により平成8年に慈祐没後30年を記念して建てられたものである。(常楽院)


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金子稲荷/西つつじが丘
旧金子村蓮蔵寺にある稲荷社で、創建の由緒は不詳ですが江戸後期の地誌に「社地除一畝(100平方メートル)村の東南蓮蔵寺の辺ニ小社アリ」とあります。境内の明治41年の「稲荷神社再建碑」の裏面の碑記によると、明治434月に村社の厳島神社に合祀したことを記しています。この碑は神社跡を後の人々に伝えるため氏子中が建てた記念碑です。その後、地元の人々の強い要望により昭和11年に再び稲荷神社が戻り再建されました。(調布市)


・・・
雑木林の道 調布若葉町コース

仙川(せんがわ)
三鷹市新川の勝淵神社近くの湧水地から流れる仙川の名をとって地名としています。湧水源のことを俗に「釜」といいますが、たくさんの釜(千釜)があるというところから、これがなまって仙川となったといいます。またそのあたりにかって住んでいたといわれる仙人にちなむとする俗説もあります
。(「調布の地名」/調布市郷土博物館解説シート)

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ハケの道/実篤公園下

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神明坂             坂上の滝坂皇大神宮/若葉町


調布八景・実篤公園と記念館
白樺派の作家、また野菜などの絵で知られる武者小路実篤が晩年の20年を過ごした地が公園となり1500坪の敷地の中に、武蔵野の面影を残しています。実篤公園に隣接して直筆原稿や書画、愛蔵美術品などを展示する記念館があります。晩年をすごした書斎が保存されており、月ごとに展示替えも行われています。(調布市)

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実篤公園入口


d0183387_17353234.jpg実篤公園と記念館/若葉町
武者小路実篤記念館/若葉町 水のある所に住みたいという願いを子供の頃から持ち続けた武者小路実篤は、昭和30年の暮れにその念願がかなって、武蔵野の自然と豊富な清水をたたえたここ仙川の地を仕事場兼自己完成の場として選びました。「僕は朝は原稿を書き、原稿を書かない時は画をかくことを心がけ、少しでも進歩出来れば喜んでいる・・・」と「一人の男」の中に当時の生活を記している実篤は、昭和514月に90歳の生涯を閉じるまで、此の地で数多くの著作と書画の制作に励みました。晩年の20年間を過ごしたその旧宅跡は、故安子夫人の意志によって多くの遺品、所蔵品とともに遺族から調布市に寄贈されましたが、昭和535月から実篤がこよなく愛した自然をとどめる「実篤公園」として一般公開され今日に至っています。実篤公園とトンネルで結ばれる武者小路実篤記念館は、実篤の生涯と人間像をたどるため関係資料の展示、収集、保存等積極的に進めることを目的に、実篤生誕100年に当る昭和6010月に調布市が設置したものです。平成65月には閲覧室や収蔵庫などを持つ資料館が増設されました。(調布市)


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旧邸入口               庭側から 

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にじます池

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竹林と木道                ヒカリモ

光藻(ヒカリモ)

ヒカリモは豊かな湧き水やうっそうと茂った樹木がないと生息が難しく、都心に近い場所で発見されるのはきわめて珍しく、豊かな自然環境が残されている証拠です。(案内板)  

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下るともう一つ池があります

d0183387_16555431.jpg武者小路実篤記念館/若葉町

明治から昭和にかけて文学、美術、思想、演劇と幅広い分野で業績を残した武者小路実篤は、水のある所に住みたいという子どもの頃からの願いどおり、昭和3070歳の時に調布市仙川に移り住み、昭和51年に90歳で亡くなるまで20年間をこの地で過ごしました。死後、邸宅と数々の貴重な資料がご遺族より調布市へ寄贈され、これを受けて実篤の生涯と業績を紹介するために昭和60年に記念館を開館しました。邸宅を公開した実篤公園とは地下道で結ばれています。(調布市)


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街道風景 滝坂道/桐朋学園前(若葉町)

滝坂道・仙川付近の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/22903611/


仙川の寺町

若葉町1丁目の都立神代高校の周辺に浄土真宗の6つのお寺があります。大正12年の関東大震災で罹災し、のちにいずれも都内中央区築地から当地に移ってきました。昭和2年には正善寺、明西寺続いて昭和3年には西照寺、光西寺、光徳寺が移り、昭和4年には安養寺が移り仙川の寺町が出現しました。その他に市内には、関東大震災後に都内から移ってきたお寺が7つあります。(調布市)


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西照寺                光西寺

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安養寺                光徳寺


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若葉町の斜面林
国分寺崖線に残る樹林で、実篤公園から連続して南へと延びています。この崖線の斜面は比較的緩く、宅地化が進んでいますが、このあたりはかなりの幅で残っています。(東京都環境局)

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d0183387_20101904.png若葉町3丁目第1緑地
本緑地の土地所有者のご厚意により平成133月にご寄附をいただきました。近年私たちが親しんできた樹林地が失われています。樹林地の多くが民有地であり、相続の発生などにより宅地化されています。市でも昭和62年に「調布市緑の保全基金」を設け、緑地を保全し緑を守ることに努めてきました。この基金は市民の方々の寄付金も寄せられています。みんなで寄付された方々のご意思を引き継ぎ自然を守り、緑を大切にしていきましょう。(調布市環境部)


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d0183387_21182858.png若葉町3丁目第3緑地

3緑地がある斜面地は国分寺崖線の一部です。国分寺崖線とは多摩川が10万年以上かけて武蔵野台地を削り取って出来た段丘で、立川市から国分寺、調布市を経て世田谷区・大田区へと続く約30kmの崖の連なりとなっています。調布市にあるこの崖線は野川と入間川に沿って約5.7km続き、高さ約1020mの斜面となっています。緑の帯が連なり樹林や湧水など自然環境に恵まれた崖線は調布市の貴重な自然資産です。(調布市環境部)

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国分寺崖線について(黄:若葉町3丁目緑地 青:野川・仙川)


・・・入間(いりま)

武蔵野歴史地理によると本来、渓谷の入り込んだ場所を指すといいます
。(「調布の地名」/調布市郷土博物館解説シート)

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ハケ下の道/入間町


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調布八景・糟嶺神社と明照院/入間町

入間町にある陵山(みささぎやま)と呼ばれる小高い丘の石段を登ると、この丘を二分するように糟嶺神社と明照院が建っています。糟嶺神社は糟嶺大神を祀るかつての村社であり、鳥居近くにそびえるクロマツの古木は推定樹齢500年前後と考えられています。(調布市)

d0183387_22565772.jpg糟嶺神社/入間町

旧入間村(いりまむら)の鎮守社で、陵山(みささぎやま)と呼ばれ、高さ22尺、周り76間余の墳丘上に糟嶺大神(かすみねのおおかみ)を祀った神社です。昔は墳丘の下に社殿があり、宝暦8(1758)に移りました。御神体は衣冠を付けた男神像で、像内の墨書銘札から宝永元年(1704)に造られ、文久元年(1861)に修理されたことがわかります。社殿は関東大震災で倒壊し、大正14年に改築されました。末社は二つの稲荷社と天満天神社の3社を祀ります。社前に大国魂神社宮司の猿渡盛厚撰「糟嶺神社の碑」がたち、神社の由来を記します。本堂左手高台に位置する糟嶺神社は農業の神糟嶺大神を祀るかつての村社であり、社殿は多摩郡の墳陵のひとつといわれる高さ3.81m、根廻り127m墳陵の上に建っています。境内約352は解放され、社屋の一部は集会所として利用されています。社前の鳥居近くにそびえるクロマツの古木は推定樹齢500年前後と考えられています。(調布市)

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明照院/入間町
陵山(みささぎやま)の丘を二分して老樹に囲まれた高所に糟嶺神社、低所に明照院があります。開山は法印秀海(16世紀中頃)。第8世盛珊の代に深大寺末となり、第9世義円が享保3年(1718)に本堂を改築。昭和10年に改修しました。観音堂は安永年間(177280)に補修。堂内の弁財天は第6世・良慶法印が近江の国竹生島弁財天の分影を勧請し境外の弁天山宇賀神堂に祀っていましたが、明治17年堂内に移しました。近年閻魔堂が新築され、境内には江戸時代の六地蔵、巡拝塔、石坂供養塔などがあります。(調布市)

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観音堂                えんま堂

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野川の風景③ この先で入間川が合流します、前方は成城4丁目緑地です/小足立橋(狛江市)

成城4丁目・3丁目緑地の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/22946812/


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調布ふるさとの散歩・寺町と文学の道マップ
(赤:コース 橙:歩行ルート 青:入間川 紫:瀧坂道・甲州街道)


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資料ファイル

入間川

主に調布市を流れる多摩川水系野川支流の一級河川。上流は大部分が暗渠である。三鷹市内では「中仙川」と呼ばれ、暗渠の上に「中仙川遊歩道」が整備されている。下流の開渠部分もとても細く住宅街の中を流れている。概ね南へ流れ調布市入間町と狛江市との境界で野川に合流するする。

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京王線築堤付近の入間川/調布市東つつじが丘

六郷用水(次太夫堀)の開削等
江戸時代の六郷用水(俗称:次太夫堀/多摩川を水源としていた用水路)の開削以前は、野川が現在より西の狛江市中心部を流れていて、当時現在の野川との合流点より下流の入間川は現在の野川の流路とほぼ同じ流路をとって、現在の世田谷区玉川付近で直接多摩川に合流していたと考えられる。しかし六郷用水の開削により、野川や入間川の水はほぼ全てが用水に取り入れられるようになった。しかも、旧入間川の流路の内、世田谷区喜多見付近はほとんどの区間が用水の水路に転用されたと考えられている。そして、現在の世田谷区大蔵付近で用水の水を旧入間川下流に一部放流し、その放水路(現在の世田谷区大蔵付近〜同区玉川付近)その部分をも野川と称した。

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糟嶺神社からみる入間川/入間町


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分水路の合流地/小金橋        入間町付近

昭和(1967年)の河川改修
昭和になって六郷用水も川の流路を失わない範囲で大部分が埋められ、野川の流路を東に寄らせる改修が行われた。野川は狛江市街に入らずに調布市と狛江市の市境付近に新たに開削された。それより下流の野川も、入間川との合流点をつくり、さらに下流の現在の小田急電鉄喜多見車両基地付近では、旧入間川より数百メートル程東に野川が開削され、さらに下流でも次太夫堀開削以前の入間川に近い流路がとられた。しかし、この開削した川も全区間野川と称したため、現在では「入間川」とは野川支流の短い極小河川のみを指す名となってしまった。Wikipedia

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現野川との合流地/小足立橋先(狛江・調布境)


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旧入間川の流路跡/狛江ハイタウン(狛江市東野川)


by Twalking | 2016-04-28 10:19 | リバーサイドウオーク(新規)

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アカツメクサ
ロケット公園/多摩市愛宕


ムラサキツメクサ(紫詰草)
シャジクソウ属の一種である。和名ではアカツメクサとも、あるいは一般に赤クローバーとも呼ばれる。ヨーロッパ、西アジアおよび北西アフリカ原産であるが、日本にはシロツメクサと共に牧草として明治以降移入されたようである。多年草の草本で、大きさは株により 20-80cm とまちまちであり個体変異が大きい。互生する葉は3枚の葉片から構成されるいわゆる三つ葉で、葉片3枚をあわせた径は15-30 mm であり、各葉片には葉の中ほどに特徴的な三日月型の白い模様が入る。花は鞠状の集合花序をなし、その径は 2-3cm である。花色は黒みがかったピンクで、基部ほど色が薄くなる。Wikipedia

by Twalking | 2016-04-27 15:36 | ○Flower

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仙川商店街/世田谷区仙川
狭い路地ですが小奇麗で、なんだか楽しそうな商店街、おもしろそうですね~。。。

by Twalking | 2016-04-27 09:11 | ○写真上達への道

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釣り堀
調布へら鮒園/調布市菊野台
電車から見えますので「釣り堀かな~・・・?」て、気になってました。
柴崎で降りたので、ちょっと失礼して覗いてみました、納得で~す。。。


by Twalking | 2016-04-26 22:24 | ○写真上達への道