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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 恩田川(2)高ヶ坂~成瀬   

日時 2016・6.26(日)
天気 晴れ


左岸は多摩丘陵、右岸は南成瀬の丘、その間を縫うよう流れています。
鎌倉道はこの丘陵に沿って進み、都橋から右岸の台地に向かいます。
今回も鎌倉道と恩田川を交互に歩いてみました。

だんだんと日差しが強くなりましたので、川辺の木陰は最高です。
高橋橋から都倍まで約2km続く桜並木、これは素晴らしいですね。
この先は横浜市緑区、のどかな田園風景が広がります、楽しみです。



・・・高ヶ坂
(こがさか)

町田市中部に位置する。東は西成瀬、成瀬、南成瀬、西は原町田、南は金森東、北は南大谷と接している。「こうが」は「コゲ」「コウゲ」(芝地のこと)から来ているので、高ヶ坂は芝地の坂を意味する、という説がある
Wikipedia


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恩田川の風景① 右岸はかしの木山自然公園、右岸は芦ケ谷公園になります/坂下橋


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恩田川の風景② 南成瀬の丘が見えてきます/旧高橋橋

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旧高橋橋                       左岸から「鎌倉古道」が下ってきます

旧高瀬橋
成瀬との境界で原町田と成瀬を結ぶ古道があった。横浜港開港後は八王子方面からの絹の運搬路となった。Wikipedia

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高ヶ坂周辺マップ(青:恩田川 橙:鎌倉古道 紫:成瀬街道 赤丸:旧高橋橋)

左岸の「鎌倉古道」(かしの木山緑地)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23214073/



・・・成瀬


町田市南部に位置し、東は横浜市青葉区奈良・あかね台、西は高ヶ坂・西成瀬、南は南成瀬、北は東玉川学園、成瀬台と接している。成瀬村および鶴間村・小川村・金森村・高ケ坂村が合併してできた南村の中心であったが、成瀬駅が設置されてからは中心はそちらに移っている。 主に1960年代以降の宅地開発により成瀬台、南成瀬、西成瀬、成瀬が丘、東玉川学園が誕生し分立した。
Wikipedia

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この辺りから成瀬の中心部になります/成瀬会館前(成瀬街道)


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恩田川の風景③ ここから鹿島橋にかけて左に大きくカーブしていきます/高橋橋 

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川辺に降りれます/高橋橋(成瀬街道)  鹿島橋

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恩田川の風景④ 桜並木に覆われて堂々とした流です/高橋橋・親水護岸


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恩田川の風景⑤ 高橋橋から都橋までの約2km、桜並木が続きます/弁天橋公園

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旧河川の名残です/弁天池        名の由来となる弁財天が祀られています


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恩田川の風景⑥ 上流左手は成瀬城址、奥に左岸の丘陵が望めます/会下山橋 

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「成瀬城址」の石碑/城山公園      会下山橋

会下山橋(えげやまばし)
上流側右岸の高台には城山公園があり、小机城の支城であったと言われる成瀬城の跡地である。会下山橋は高い土地である南成瀬と低い土地である都立成瀬高等学校方面とを結ぶ橋で、サイクリング道路や都営成瀬アパートの商店街をも跨いでいる。上流側左岸オーディオテクニカと恩田川の間にはかつて杉山神社があったが、東雲寺の隣へ移転している。Wikipedia

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恩田川の風景⑦ 下流左に県境の成瀬尾根、右は南成瀬の丘、奥に見える高層ビルは長津田でしょうか/会下山橋


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恩田川の風景⑧ 前方吹上橋を右に上ると町田街道・つきみ野方向です/向橋


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坂を上ると成瀬駅/成瀬中央橋      総合体育館前の向橋 


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恩田川の風景⑨ 谷本川(鶴見川)合流点から7.6kmの表示/都橋

都橋
この橋は古代から最近までの交通の要所であった。横浜市瀬谷区上瀬谷町・上瀬谷小学校入口信号付近(相模国鎌倉郡瀬谷郷)から本道と分離して、グランベリーモールの東側、町田街道・小川信号付近、町田市南つくし野・やなぎ公園付近を通り、小川に沿って北上し、都橋を渡り、成瀬街道の南側を西に進み、東雲寺を経て、恩田川左岸に沿って本町田で本道に再合流する、鎌倉道上道の枝道にあたるWikipedia

鎌倉街道成瀬Rの関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23253995/


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右岸から小川が合流します/都橋先

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桜並木を抜けると緑区です       管理境界の表示板

小川
かつては「柳川」や「柳渓川」と呼ばれていた。現在では「小川川」と呼ぶ場合もあるようだ。小川都市下水路の区間を除き普通河川である。全区間、町田市下水道部下水道管理課が管理する。町田市南つくし野二丁目の東急田園都市線の線路あたりを最上流とし、やなぎ公園を経て暗渠を北へ流れる。この先、小川1丁目・つくし野1丁目・つくし野2丁目の境にある交差点を越えたところで開渠になり、郵便局桜通りの西側を併走し、JR横浜線をくぐる流れがあるが、これは、上記の交差点直下で寸断されていて、本流は町田市南成瀬七丁目の南成瀬の南端まで桜通りの真下にある暗渠を流れ、地上に出たところで、寸断された流れと合流する。ここまでが、普通河川の区間だ。なお、南成瀬中学校の校歌にこの小川のことが歌われている。Wikipedia)


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成瀬付近のマップ
(青:恩田川 橙:鎌倉道・成瀬R 紫:成瀬街道 赤丸:旧高橋橋・成瀬城址・都橋)

鎌倉街道成瀬R(右岸)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23256636/


・・・・・・・・・
資料ファイル

町田市の地形
市域の大部分が多摩丘陵に属し、地形的には同丘陵の北部、相模原台地の北東のであり、ほとんどが丘陵地帯である。最高地点は西端にある草戸山(標高364m)。平地は町田駅付近や西および南を流れる境川・ほぼ中央を流れる鶴見川とその支流恩田川近辺など少ない。ほぼ町田街道分水嶺に北側が多摩川水系および鶴見川水系、南側が境川水系である。周囲は、東京都の他市に接しているのは北側のみで、神奈川県に接している部分のほうが多く、神奈川県側に半島状に付き出した特異な位置にある。また、大地沢あたりを銃口、三輪あたりを引き金と見立てると、市域は拳銃の形をしている。Wikipedia


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町田市の地形/「町田市景観計画」「町田市の景観の特徴-地形がつくる景観」を参照

地形が作る景観
町田市は中心市街地などがある相模原台地を除いて、ほぼ全域が関東山地から南東に向かって三浦半島へと続く多摩丘陵に属しています。さらに細かくみると、西側にある関東山地から段階的に丘陵地、台地、低地となり変化に富んだ地形に恵まれています。
①山地の景観 
町田市の西端付近には市内で最も標高の高い草戸山(364m)があり、関東山地から続く山地の景観が見られます。
②台地の景観 
丘陵地と境川沿いの低地でに挟まれるようにして帯状に台地が広がっています。
③低地の景観 
鶴見川、境川、恩田川など河川に沿って平坦な低地が細長く分布しています。特に丘陵地の中には河川に沿ってひだのように広がっている低地があります。そうした低地には昔ながらの道路(街道や旧道)がつくられ、農地も多くみられます。(「町田市景観計画」(2009年12月策定)より抜粋)


by Twalking | 2016-06-30 23:14 | リバーサイドウオーク(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 フサフジウツギ   

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目パチクリさんだね~、ブットくん、かわい~い。。。
愛宕下通り/多摩市


ブッドレア

フジウツギ(ゴマノハグサ)科、別名はフサフジウツギ。世界の広い範囲に100種が分布する樹木です。落葉・常緑、低木・高木など、種によってその形態や花姿はまちまちです。いくつかの品種が花木として栽培されていますがもっとも広く親しまれているのはダヴィディー種です。ブッドレアの名前はイギリスの植物学者バドル(Buddle)に由来します。ダヴィディー種は中国原産の落葉低木、主な開花期は初夏~秋で、その年伸びた枝の先端に小さな花がまとまって咲き、円錐状の房になります。花色は紅紫、藤、白などがあります。花は甘い香りを漂わせて蝶を誘うのでバタフライ・ブッシュ(ブッシュは「低木」の意)の英名があります。和名はフサフジウツギです。(ヤサシイエンゲイ)

by Twalking | 2016-06-30 19:05 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 丘の風景-東急がゆく02   

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丘の風景02
田園都市線つきみ野駅付近/城山橋(大和市下鶴間)
境川右岸の台地上(城山橋)から見る相模原台地です。右手の森が鶴間公園でしょうか、人家が入りますがいい眺め、気持がいいですね~。。。

by Twalking | 2016-06-29 15:18 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 鎌倉街道上道・成瀬R-03 つくし野   

日時 2016.6.26(日)
天気 晴れ


恩田川を離れて西に向かいます。
矢倉沢往還は台地の上を通ってますが、こちらは
その台地に向かっての登りとなります。

台地の上にでるとさすがに眺めがいいですね。
矢倉沢と交差する大ヶ谷戸で一応ここまで、とし
鶴間公園から境川を渡り歴史資料館を訪ねました。

深見城のジオラマや大和の古道など興味深く拝見しました。
それに横浜水道みち、これも面白い道です。
上道は途中まで歩きましたが、じっくりと歩こうと思います。



・・・つくし野


町田市の南東部に位置する。東は横浜市緑区、南は南つくし野3丁目、西は南つくし野4丁目と小川1丁目、北は南成瀬6丁目と8丁目がある。1960年代後半に小川第一土地区画整理事業によって宅地整備され、東急不動産が分譲販売した戸建の住宅地が広がっている。地名は田園都市線のつくし野駅と同様に公募によって1967年(昭和42年)に採用・命名された。
Wikipedia

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旧道風景① 都橋を渡り右岸の台地へひと登り/南成瀬7丁目

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鉄塔のある角を左折          ここを右折し「桜通り」に出て左折

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旧道風景② 「みどりの道」ていいます、木陰があっていいですね/郵便局桜通り


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横浜線小川ガードを潜ります      先の二又信号を左折


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ガ-ド先の左手につくし野殿山市民の森があります


d0183387_13564482.jpgつくし野殿山特別緑地保全地区

名称の「殿山」は、昔この地区の村を治めていた殿様の屋敷がこの辺りにあったと言伝えに由来しています。区域内は小高い丘となっておりコナラを代表とする雑木林が形成され、住宅地内にあって緑豊かな自然環境を有する緑地となっています。町田市ではこの貴重な自然を将来にわたり保全するため都市緑化法に基づく特別緑地保全地区として指定しました。指定面積:約0.6ha(町田市公園緑地課)


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二又の先、左手に山門が見えてきます/杉山神社山門


d0183387_14561818.jpg杉山神社/つくし野
創建の年代は明らかではない。社宝の棟札には文化4年(180711月に杉山大明神、三嶋大明神、山王大権現三社を現在地に奉斎したとある。天保14年(18436月ごろよりは除地であった。文久3年(18639月には社殿を再建し、昭和5年(19301227日にも改築している。境内地に地頭の大久保勘三郎藤原忠寿の名のある天保116月の石柱がある。現在の社殿は昭和49927日の建立で、鉄筋コンクリート流れ造りである。杉山神社は昔より武蔵国の古社ではあるが、同名の社がおびただしく、どの社が延喜式所載のそれか決定が困難であった。『新編武蔵風土記稿』には都筑郡24社、橘樹郡37社、久良岐郡5社、南多摩郡6社、計72社の多きにおよんでいた。現在の明細帳には横浜市37社、川崎市3社、町田市5社、稲城市1社で計46社である。祭神は日本武尊、事代主命、大山咋命を奉斎している。例祭日は毎年927日である。(町田市史)


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福寿院本堂正面の石段


d0183387_15042387.jpg福寿院/つくし野
宗派は真言宗高野派、都筑郡恩田村徳恩寺末。山寺号は河上山福寿院、開基は山下市右衛門。寛文11年(1671)所有地五畝を時の寺領主・高木伊勢守・守久より検地の際除地の許可を得て小寺を創立した。開山は朝賢(元禄2年(1689610日寂)。除地三石三斗五升七合。ただし、天保14年(18436月の「村差出明細書上帳」にも「高三石三斗五升七合壱勺五才、徳恩寺末、真言宗河上山福寿院、留守居壱人、本堂壱ケ所、但五間半、六間半、但本尊不動明王(『風土記稿』には新義真言宗とあり)」とあって、江戸時代中期なるを明らかにしている。本堂は間口七間、奥行六間半、木造亜鉛葺入母屋造。この本堂は天保14年以後に建てかえたものと推定される。本尊は不動、木立像、長一尺二寸。境内一反八畝。庫裡は昭和33926日夜の台風のため倒壊し再建した。33坪の建坪、平屋瓦葺。(町田市史)


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観音堂側にも石段があります


d0183387_15170720.jpg観音堂

この寺には別に観音堂が付属しており、もとは隣地にあった別寺であったかも知れない。ということは福寿院本堂正面にも36段の石階があり、また観音堂にも44段の石階があり、かつ福寿院および観音両境内敷地の高低も異なっている。あるいは小机領33観音霊場中のこの観音が第24番札所とされているから、本院よりは古く、室町時代より存在したのではないかとも推定されるのだが明確でない。堂は二間四方寄棟造り。本堂は『武蔵風土記稿』に「三間に四間半南向なり」としてあり、また天保146月村明細帳には三間二尺と四間としてあるが、あるいは現在のように後世建て替えられたものであろうか。そして同書に「十一面観音を安ず。木の立像にして二尺。厨子に納む」とあるのが本尊であろう。

d0183387_15182859.jpg鐘楼は二間四方、戦前には宝暦13年(1763)の梵鐘があったが、太平洋戦に供出して現在では新鋳の鐘がさがっている。鐘銘には五大願「衆生無辺誓願度、法門無辺誓願集、福智無辺誓願学、如来無誓願事、菩薩無上誓願証」の五行が彫られ、銈に南無七面観世音菩薩と刻し昭和2841813世矢口竜応代と鋳している。境内に岩舟地蔵堂(享保4年六月建)がある。(町田市史)

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丘の風景① 向かいの丘は南つくし野でしょうか、住宅がびっしり/福寿院



・・・南つくし野


町田市の南部に位置する。東につくし野三丁目、南東は横浜市緑区、南と西は小川、北はつくし野二丁目がある。地名は田園都市線のつくし野駅の南にあったことによる。
Wikipedia

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丘の風景②なだらかですが、更にもう一段登ります/やなぎ公園前

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坂上を左折、ここを右折       町田街道を横断して左折


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丘の風景③ 台地の上です。すずかけ台方向、いい眺めです/田園都市


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園田園都市線を渡ります       246号を横断


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旧道風景③ この先大ヶ谷戸で矢倉沢往還と交差しますが、一応ここまでとします/一里塚跡


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鎌倉街道上道・成瀬Rルート図
(緑:成瀬R 赤:鎌倉街道上道 赤丸:本町田・都橋・大谷原)



・・・鶴間公園


町田市鶴間
にある都市公園(運動公園)。昭和54年(1979開園。町田市最南端、鶴間・南町田地区に位置し、田園都市線南町田駅から徒歩3分と非常に近い。広さは約5.7haと広く市南部としては最大の広さである。公園内は起伏に富んでおり西側とくらべて東側の方が高くなっている。周囲は駅に近いことも有り商業施設・住宅地が広がっており、近隣住民の憩いの場となっている。芝生広場、多目的運動広場、人工芝テニスコート(2面)、鶴間公園パークハウスなどが園内にある。芝生広場・水道みち中心に桜の木がたくさん植えられており春になると花見客で賑わう。雑木林もあり町の喧騒から離れ自然に触れることができる。東京都と神奈川県の境を流れる境川とも近く、境川をサイクリング・ジョギングしている人の休憩スポットとしても利用されている。Wikipedia

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公園の風景① いい公園ですね

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公園の風景② この下を横浜水道が通ります



・・・・・・・・・・・
資料ファイル


d0183387_17460951.jpg横浜水道の歴史
横浜市の水道はわが国最初の近代水道として明治20年(18871017日に給水が開始されました。戸数わずか87戸ほどの一寒村であった横浜の人口は日増しに増加し市街は急激に発展しました。当時住民は水を求めて井戸を掘りましたが、横浜は海を埋め立てて拡張してきたので良質な水に恵まれず、ほとんどの井戸水は塩分を含み、飲み水には適しませんでした。このため神奈川県知事は英国人技師H.S.パーマー氏を顧問として相模川の上流に水源を求め、明治18年(1885)近代水道の建設に着手し明治20年(18879月に完成しました。明治23年(1890)の水道条例制定に伴い水道事業は市町村が経営することとなり、同年4月から横浜市に移管され市営として運営されるようになりました。以来120余年、横浜市水道は発展をつづける市勢の水需要に対応して8次にわたる拡張工事を行ってきました。横浜が発祥の地となった近代水道とは、川などから取り入れた水をろ過して鉄管などを用いて有圧で給水し、いつでも使うことのできる水道のことです。(横浜市水道局)


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横浜水道局境川水管橋/境川
呼び径:1500mm・3条 橋長:56m 竣工:昭和493


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左に行くとつきみ野駅です/つきみ野交差点


d0183387_22241269.jpgさくらの散歩道

明治20年、横浜の水源を道志川に求めた日本初の近代水道(現在の相模原市津久井町から横浜市西区までの約44km)が完成し、水道管の埋設されたルートは「水道みち」と呼ばれ人々に親しまれてきました。その大和市部分約17kmが「さくらの散歩道」と名付けられ緑道として整備されています。様々な種類の桜をはじめ、四季の草花が地域の人々により美しく手入れされています。(大和市HP)

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水道みち「トロッコ」の歴史

この水道道は津久井郡三井村(現相模原市津久井町)から横浜村の野毛山浄水場(横浜市西区)まで44kmを、1887(明治20)わが国最初の近代水道として創設されました。運搬手段のなかった当時、鉄管や資機材の運搬用としてレールを敷きトロッコを使用し水道管を敷設しました。横浜市民への数水の一歩と近代消防の一歩を共に歩んだ道です。(横浜市水道局)



・・・つる舞の里歴史資料館/大和市つきみ野7

大和市つる舞の里歴史資料館は地域の歴史資料を収集、保管し展示活用すると共に、市民の方々の郷土の歴史に対する理解を深めるために建設されました。特に大和市北部地域(旧下鶴間村)の歴史を紐解く資料を収蔵し展示することを大きな柱としています。建物は地域の特色を生かし、外観は幕末から明治初頭の農家をモチーフとしたもので内部の意匠は農家の庭、納屋、土蔵というイメージで構成し、農家の生活空間を再現しています。(大和市HP)

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d0183387_18310449.jpg名称の由来

資料館が建っているつきみ野の地は、かつて下鶴間村と呼ばれていました。この「鶴間」という地名の由来にはいくつかの伝説があります。源頼朝が富士の鷹狩りの帰途この地を通り、鶴が舞うのを見て「鶴舞の里」と名づけたというものや、源義経がこの地を通ったときに鶴が舞うのを見たというものです。義経がこの地を通ったのは、平氏討伐後、兄頼朝の怒りにふれ失意のうちに京都へ帰る途中で、頼朝あてに持参した財宝を鶴間の地に埋めたという伝説も残っています。この「鶴舞い」が転じて「鶴間」という地名になったともいわれており、資料館はこのような伝説にあやかって「つる舞の里歴史資料館」と名づけられました。(大和市HP)


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「城山橋」とありましたので右手の森がそうなんでしょうか?/田園都市線

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古道のような感じ/丘陵下       静かな住宅地です/丘陵上


d0183387_22564837.png下鶴間城山遺跡
下鶴間城山遺跡はつきみ野地区、北大和小学校付近の段丘崖上に位置します。平成8年に発掘調査が行われ、旧石器時代・縄文時代の遺跡のほか中世の土塁や堀、堀立柱建物などの遺構と陶磁器、銅銭、茶臼などが見つかっています。遺跡の周辺は「城山(じょうやま・しろやま)」と呼ばれています。江戸時代の地誌(新編相模風土記稿)では「山中修理助貞信(あるいは貞住)が天正年間(1573-92)に居住した館の跡」と伝えています。橙:溝状遺構・堀状遺構 赤:柵列 グレー:地下式壙 茶:溝状遺構・堀状遺構解説板パネル)


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深見城ジオラマ/つる舞の里歴史資料館


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深見城(橙:矢倉沢往還 青:境川) 深見城周辺(中央・境川 右・東名)


中世の城-深見城址

深見地区(城ヶ岡)境川西岸の舌状台地の上に位置し、東西約150m、南北約100mの規模を持つ中世城址です。境川に接する北東側は高さ約15mの急崖に守られ、南西側の兵站部には屈曲した二重の空堀・土塁と、磺矢かかりの機能を備えた郭を築きます。江戸時代の地誌(新編武蔵風土記稿)では山田伊賀守経光を城主としています。経光は宝徳年間(1449-52)に瀬谷郷に居住した人物ですが、築城に隔たりがあり経光城主説には疑問が残ります。矢倉沢往還と滝山道が交差する鶴間郷を展望しうる深見城は、交通の要衝を押さえる要害拠点として利用されたのかも知れません。(解説パネル)


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大和の古道(中央に矢倉沢往還・緑着色)

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迅速測図にみる明治の大和市域/展示パネル


大山街道(矢倉沢往還)・下鶴間宿の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/22870200/




by Twalking | 2016-06-29 10:22 | 鎌倉街道(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 丘の風景-東急がゆく   

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丘の風景/田園都市線南町田駅手前
掘割になっているので、車窓からよりこちら方がよさそう、台地の様子がよく分かります。


by Twalking | 2016-06-28 14:24 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 鎌倉街道上道・成瀬R-02 成瀬   

日時 2016.6.26(日)
天気 晴れ


雨が続きましたね~・・・、久し振りの梅雨の晴れ間です。
しっかりと暑さ対策をし、早めに出かけました。
日差しは強いですが、いい風が吹いて後押ししてくれました。

成瀬は初めてですが、この成瀬街道付近が元の中心地、
成瀬城址、杉山神社、東雲寺などに面影を残します。
それと恩田川の川辺はいいですね~、癒されました。



・・・高ヶ坂
(こがさか)

町田市中部に位置する。東は西成瀬、成瀬、南成瀬、西は原町田、南は金森東、北は南大谷と接している。「こうが」は「コゲ」「コウゲ」(芝地のこと)から来ているので、高ヶ坂は芝地の坂を意味する、という説があるWikipedia)

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丘の風景①「鞍掛けの松」から続く尾根道、原町田が一望できます


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「金毘羅神社はどこでしょう?」と伺ったら移設したとか、ここが「鎌倉道だよ」と教わりました。


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旧高橋橋/恩田川            川辺近くのお地蔵さん

旧高瀬橋(町田市成瀬との境界)
原町田と成瀬を結ぶ古道があった。横浜港開港後は八王子方面からの絹の運搬路となった。Wikipedia

鎌倉古道・鞍掛け松の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23214073/




・・・成瀬


成瀬村および鶴間村・小川村・金森村・高ケ坂村が合併してできた南村の中心であったが成瀬駅が設置されてから中心はそちらに移っている。主に1960年代以降の宅地開発により、成瀬台、南成瀬、西成瀬、成瀬が丘、東玉川学園が誕生し分立した。地名は横山党の成瀬四郎太郎の居館があったことから。
Wikipedia

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旧道風景① 丘に沿って南へ向かいます


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旧道風景① 成瀬街道/成瀬センター前

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少し旧道らしき道が          成瀬高校へ横断

成瀬駅由来と位置

この地区は明治22年まで存在した成瀬村(鶴間・小川・金森・高ヶ坂の4村と合併し南村となる)の村域であり、周辺地区名もこの村名から取られている。ただし成瀬駅は旧成瀬村の南西端に近く、隣接する旧小川村・旧金森村・旧高ヶ坂村まで歩いて10分ほどの距離であるのに対し、旧成瀬村の北端まで約1時間を要する。元来の成瀬村の中心地は、成瀬街道沿いの成瀬会館・都立成瀬高等学校・東雲寺などの辺りであった。成瀬駅および成瀬駅北側の地名は南成瀬である。これだけ見ると成瀬駅の北側が南成瀬というのはおかしな感じであるが、南成瀬とは旧成瀬村の南部地区という意味合いであり、成瀬駅南側は成瀬が丘という駅開設後につけられた地名である。Wikipedia

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恩田川&成瀬城址の景観/会山下橋(えげやま)

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成瀬城址・城山公園(東側)


d0183387_16234317.jpg成瀬城跡/南成瀬
成瀬城は、恩田川に面し中世の主要道であった鎌倉街道を北東に見下ろす台地の先端に築城されています。宅地開発の影響で往時の面影はありませんが城の東西は谷に面していました。昭和48年(1973)に町田市教育委員会、平成元年年(1989)及び平成2年(1990)には市民が主体となって結成された「成瀬城を調べる会」により発掘調査が行われ、鉄砲玉、銭貨(至道元宝)などが出土しました。現在も公園の南端に残る空堀(A)は幅35m、深さ1m未満で東西に40mほど確認されており、西側は谷に向かって下る空堀(C)へ、東側は空堀(B)へと連なっています。西側から北側には土塁が巡らされていたと推定され、空堀(A)を南限と仮定すると曲輪の面積は約26002となります。なお、空堀(A)の南方約50mにも東西に走る空堀があったと云われており、2つの曲輪をもつ複郭式城郭であった可能性もあります。また、大門(大手門)跡、櫓台跡、井戸跡(復元)も伝承されています。成瀬城に関する沿革は不明ですが、南西約300mの地区には『城山の麓に構築された城主の居館』を意味する「根小屋」という小字名がかつて存在していました。また、南東約1kmにあった経塚からは武運長久、息災延命を祈願した「天文4年(153511月 日 四条彦次郎」の銘が記された経筒が出土しており、成瀬城と関連がある有力武士と推定されています。(説明板)

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井戸跡                大門跡


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西側                 北側(恩田川)

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成瀬城址


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旧道風景③ 成瀬高校に沿って進みます、この先を左折すると杉山神社です 


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d0183387_17143052.jpg成瀬杉山神社
杉山神社のある地域は武蔵国南部、鶴見川流域の一部に限られていて、全国的なもので無く地方民によって崇敬奉納されたものらしい、昭和53年調査(戸倉英太郎書「杉山神社考」)によると鶴見川流域に49存在する。成瀬杉山神社の創建年代は不詳であるが、棟札によると寛文8年(166811月、代官・福井清兵衛と地頭・井戸忠兵衛勝吉により社殿が創建され、その後何度かにわたって修造、再建があり恩田川沿いの水田地帯の中央に位置し、数多くの樹木に囲まれてあって「田中の明神」として長い間村人に親しまれ崇敬されてきた。現在の社殿は昭和57426日竣工、同年923日御遷宮祭が執り行われ、平成4年杉山神社の本社とさる和歌山県伊太祁曾神社から杉苗を譲り受け、ご神木として階段横に植樹された。ご祭神を五十猛命としているが、日本武尊の説もある。
御祭神:天照大神(慈愛の神) 五十猛命(イソタケルンミコト 木の神・交通安全・病気平癒) 熊野大神(水の神・五穀豊穣・商売繁盛)(案内板)


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d0183387_17424479.jpg東雲寺
室町時代後期、小田原北条氏が関東に進攻するに及び大永4年(1524)頃、それまで廃城となっていた小机城を重臣・笠原越後守信為の居城とした。信為は父・能登守信隆追善供養のため曹洞宗臥龍山雲松院を建立、北条氏は更に勢力拡大に伴い小机城の支城を各地に築き、出城として会下山に成瀬城を築城した。雲松院第三世龍谷性孫(1536・天文5527日入寂)は成瀬城外護のため向い地に龍谷山成就院を建立、寺屋敷と稱する地なり。豊臣秀吉の小田原城攻略に際し天正18年(1590)同城落つ。成瀬城は廃城となる。江戸時代になって成瀬村が松平忠直の所領となった頃、元和6年(1620)雲松院第六世明岩宗珠(1631、寛永8115日入寂)現在地に寺を再興龍谷山東雲寺と号し、爾来連綿として法灯を護持し今日に至る。当山三世松山南茂(1660・万治359日入寂)谷戸上谷に観性寺を建立。新編武蔵風土記稿によれば慶安元年(164877日朱印状に寺領六石三斗とあり。(境内石碑)

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釈迦堂                井戸石見守の墓

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丘の風景② 原町田方面、奥に丹沢山系が一望できます/東雲寺


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旧道風景④ 住宅地の中を進み、吹上を右折して都橋へ


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ここで恩田川と別れ、対岸の丘をつきみ野へ向かいます/都橋


都橋/恩田川
この橋は古代から最近までの交通の要所であった。771年以降律令時代の古代東海道の店屋駅(まちやえき、宿駅)が現在の町田市鶴間字町谷にあたるという説が正しいならば(瀬谷や都筑という説もあり)、店屋駅から小高駅(宿駅、川崎市高津区にある新作小高台遺跡にあたるとみられる)を結ぶ道に当たっていた可能性が高いと言われている。
・瀬谷区上瀬谷町・上瀬谷小学校入口信号付近(相模国鎌倉郡瀬谷郷)から本道と分離して、グランベリーモールの東側、町田街道・小川信号付近、町田市南つくし野・やなぎ公園付近を通り、小川に沿って北上し、都橋を渡り成瀬街道の南側を西に進み、東雲寺を経て、恩田川左岸に沿って本町田で本道に再合流する鎌倉道上道の枝道にあたる。
・都橋の南側から長津田(横浜市緑区)方向へ伸びる道も鎌倉道の枝道で、中道への連絡道であり初期の上道であったと見られている。畠山重忠が討たれる直前にここを通っている。
・横浜港開港後は、八王子方面からの絹の運搬路となった。Wikipedia


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成瀬付近マップ
(赤:鎌倉道 紫:成瀬街道 青:恩田川 緑:成瀬尾根 赤丸:右・旧高橋橋 左:都橋)



by Twalking | 2016-06-27 20:01 | 鎌倉街道(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

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木陰
鶴間公園/町田市鶴間
鮮やかなグルリーン、外の方が涼しいくらい、家族連れで賑わってました。いい公園ですね~。。。。

by Twalking | 2016-06-27 14:35 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 梅雨晴   

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寺まえ公園/緑区つくし野(鎌倉街道)
木陰でちょっとひと休み、いい風吹いてます。こりゃ、夏ですね~。。。


by Twalking | 2016-06-27 09:37 | ○雲

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 夕焼け   

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夕焼け
パルテノン大通り/多摩センター(多摩市)
日差しが強かったですが、いい風、吹いてましたね~。。。



by Twalking | 2016-06-26 22:53 | ○sun&moon

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「う、狙われてる・・・」ちょっと怪しげな感じ、ご用心。。。
多摩丘陵/多摩市

by Twalking | 2016-06-25 18:31 | ○雲