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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 石仏/簗田寺   

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石仏
簗田寺/町田市忠生
面白い石仏ですね~・・・、「一処の碑」と銘がありましたので永代供養墓なんでしょうか。。。

by Twalking | 2016-09-30 13:50 | ○石像&モニュメント

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 府中通り大山道(1) 図師&小野路   

日時 2016.9.25(日)
天気 晴れ  


尾根緑道のついでに図師・小野路の大山道を歩いてみました。
この道は家康の遺骨を日光に運んだ御尊櫃街道と呼ばれる道、
小野路まではよく行きますが、図師は初めてです。

芝浦街道を境に両側が山間部、登り下りが続く嶮しい道です。
旧道が残り、古刹や地蔵などの史跡もあって面白い道でした。
浜街道で木曽宿は通りますので、これはちょっと楽しみですね~。



・・・芝溝街道芝

相模原大蔵町線(芝溝街道)
通称名はかつて東京の上溝を結ぶ道路として建設されたため。神奈川県北部の相模原市と東京都南部の町田市を結ぶ幹線道路で、相模原市中央区内の上溝本町交差点(県道相模原茅ヶ崎線)より分岐して東進し、都県境を越えて町田市内の鶴見川に沿って行き、金井入口交差点で鶴川街道(世田谷町田線)に接続する。途中、相模原市内の淵野辺交差点で国道16号と平面交差し、同市内の2つの鉄道であるJR相模原線上溝駅前と、JR横浜線淵野辺駅前付近を通過する。町田市内の一部区間は別名「芝溝街道」とよばれる。Wikipedia

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街道風景① 尾根緑道から下り芝溝街道にでました/図師大橋(鶴見川)


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図師大橋/芝溝街道           鶴見川



・・・
図師町(ずしまち)

町田市にある町名。小野路町に跨る北部の丘陵地帯は「図師小野路歴史環境保全地域」に指定されており、全体として典型的なかつての多摩丘陵の景観を示している。承久年間(12191221)、時の領主の小山田二朗重義が半沢山にある「白山社」を修理しようとして、別当の大蔵院長栄に社にある地形を尋ねたところ、長栄は図を画き、重義がそれを誉め長栄を図師法印半沢坊と称し、領地の一部を社領として寄贈し「図師領」と称したと伝わる(Wikipedia


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乱闘場の碑                 結地蔵


乱闘場

今から500年以上も前、扇ヶ谷上杉氏と山内上杉氏が埼玉県川越市付近で戦いました。その時、図師の農民に対して食料などの運搬を命じました。戦いが終わり扇ヶ谷軍が図師村に板碑を持って立寄り「55人の農民は戦いに巻き込まれて死んでしまった。これで供養して欲しい」と55枚の板碑を置いて行きました。伝承を基に大正時代にある考古学者が発掘調査をしたところ、55枚の板碑が発見されました。年号は全て明応2年(14933月と8月で、サイズは45cm×20cmでした。残念なことに現在所在は不明。場所はこの説明板の後方と推定されます。(図師郷土芸能文化保存会)


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図師熊野神社鳥居


d0183387_22222976.jpg図師熊野神社
創立の年代は不詳。貞享4年(16872月、熊野権現領として畑一反二畝四歩の除地があり、また天神領畑九畝十歩と神明領の畑二畝四歩と除地分があった。文久2年(1862)から明治9年(1876)、10年以上を要して社殿は再建された。明治44年南の稲荷社、東の天満社・若宮八幡社、東北の熊野社、中央の神明社を、また大正5年には白山社を合祀した。大正5年に村社に列せられた。祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大神、素戔嗚尊、宇迦之魂神、応神天皇、菅原道真を奉斎している。(町田史誌)


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左下の記号はイギリス式の高低差記号で、明治新政府が刻みました。非常に珍しいものです。(標柱)

几号(きごう)水準点
明治初期に内務省地理寮(国土地理院の前身の一つ)が高低測量の標識の様式を定め、全国の地図作成の基礎とするため各地に測量標(几号水準点)を設置している。設置された几号水準点の一部はなお各地に現存しているが、これらは現行の水準点としては機能していない。(Wikipedia


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鶴見川の風景① 上流側は未改修、鶴見川は蛇行して流れています/宮川橋


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明治79月造立の地蔵         この下流まで改修済みです/宮川橋



・・・府中通り大山道

現在の春日部市から府中を経て大山へ向かうものである。1616年(元和2年)に死去した徳川家康の遺骸を翌年久能山(静岡市)から日光へ移すことになり、江戸幕府はその一行が通る小野路村(町田市)に道を整備するように命じた。この時、小野路に一里塚が築かれた。大山講が盛んになると、小野路は宿場として栄えるようになった。幕末期には近藤勇、土方歳三、沖田総司ら後の新選組の浪士が調布からこの小野路村の名主・小島家(小島資料館)まで剣術の出稽古に通ってきたという。さいたま東村山線が近似したルートを辿っている。
経路:日光街道粕壁宿(埼玉県春日部市)-岩槻-大宮-中山道浦和宿-荒川・羽根倉の渡し又は秋ヶ瀬の渡し-宗岡村(志木市)-清戸(清瀬市)-東村山(東村山市)-甲州街道府中宿(府中市)-中河原(関戸)の渡し(多摩川)-関戸(多摩市)-乞田瓜生小野路(町田市)-図師木曽境川淵野辺(相模原市)-磯部(猿ヶ島)の渡し(相模川)-猿ヶ島(厚木市)-下川入村-三田村-八王子通り大山道を経て大山へ
Wikipedia


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梁田寺(りょうでんじ)山門/山崎町

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門前                 本堂

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稲荷社
九尺に二間の地主神。中に三尺坊烏天狗の石碑、三尺のものを納めている。そして、この稲荷祠前に東京都指定天然記念物ハリギリの大樹がある。

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梁田隠岐守夫妻の大五輪塔と大宝篋印塔の墓碑

町田の民話と伝承 
地頭旗本・梁田氏(やなだ)の墓
木曾村・山崎村の地頭だった梁田氏の祖は、代々織田氏につかえ、特に桶狭間の戦いの第一功労者として名高い家柄である。織田氏が滅びたあと文禄41595)年に梁田半兵衛正勝は徳川氏の家臣になった。2代将軍秀忠、3代将軍家光につかえ、武蔵国多摩郡木曽村・山崎村に知行地4000石を賜り地頭となった。没年承応元(1652)。家督は長女の婿半兵衛直次が継いだ。直次は幕府の御納戸番の頭、女院付などの要職を歴任し、寛文61666)には従五位下隠岐守に任せられ、梁田隠岐守直次を名乗る。知行地はしばしば加増され1500石、他に侖廩米(りんまい・幕府の蔵に貯えられていた米)200俵余の待遇を得た。没年天和31683)年。以後、直次のあと淡路守直彦、主殿直治と2代つづくが、元禄91696)年に主殿(ともの)の死を最後に梁田氏は断絶した。主殿に継子がいなかったためである。東向山梁田寺は山寺号は梁田家の菩提所という意味と、かつて「東香寺」及び「東岳寺」という寺が地形により、寛永61629)年に名付けられたものである。本堂の裏に開基梁田半兵衛正勝夫婦を供養する大五輪塔と大宝篋印塔があり、旗本家の墓塔といては異例の大きさ、建立した隠岐守の隆盛がしのばれる。

d0183387_23165922.jpg龍王池の伝説
むかし、東向山梁田寺の本堂裏には大きな淵があり梁田池と呼ばれた。池の主大蛇(おろち)で暴風雨や雷鳴が轟くときには姿を現し、柚木村別所(現八王子市)の長池の間を行き来した。ある日、大蛇は片目の両汝に身を変じ「当山にそのうち“大徳”が出現し、きっと衆生を救済するであろう」と里人に告げ、ふらりふらりと東の方へ立ち去った。それから龍王池はしだいに小さくなってしまったという。(「町田の民話と伝承第2集 町田文化財保護審議会編」から 町田市教育委員会)


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街道の風景② 逆コースですが、前方右手の野津田を目指します/鎌田坂上

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街道の風景③ 右が旧道の鎌田坂。途中鎌田家の庭に「図師地名発祥ノ家」碑が建ってるそうです。

新編武蔵風土記稿には『承久の頃、小山田二郎重義がこの地を領せしとき、白山権現の社破壊せしにより、別当大蔵院、修造の事を乞しに、重義、社地の景色を問けるとき、かの僧、ことごとく図してさゝげしかば、重義見て歎て云く、われ図を師として未だ至らざるところの景色を知れりと。これより、かの僧の聡明にめでゝ深く帰依し、常に称して
図師の法印と呼び、白山社領を寄附せしをも図師領と唱へしにより、つひに地名となりしとぞ』と記されています。


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鶴見川の風景② 下流側は直線化、右手が七国山になります/新山並橋

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山並橋                旧流路跡


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街道の風景④ 左に旧道、ここから野津田まで3段の上りです/並木(芝溝街道)

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半沢を右旧道へ            坂上は野津田公園です



・・・野津田

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坂上から野津田公園の北側に沿って下ります/展望広場

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右手が公園です            西入口に小野路一里塚があります

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野津田公園案内図(赤:大山道 橙:町田日野線 黄丸:坂上)



・・・小野路


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一里塚                 説明板

小野路の一里塚
古来、鎌倉みちは幕府のあった鎌倉から武蔵の国府である府中を抜けて上州の高崎方面に続いていた。府中の手前にある小野路の宿は鎌倉時代にできたと考えられる。駿河の久能山に埋葬された徳川家康の遺骨を江戸時代の初期の元和(げんな)3年(16173月に日光東照宮に移したときに街道の整備と共に小野路の一里塚は造られた。伝承によると御尊櫃(ごそんひつ)を乗せた輿が向阪を下ったとき壊れ、一行が難儀し鍛冶屋を呼んで修理した。この時の小野路村の労苦に対して幕府は以後助郷を免除した。この街道は御尊櫃御成道、また矢倉沢往還として利用され、東海道
平塚宿と甲州道府中宿を結ぶ脇往還として賑わった。江戸期に盛んになった大山詣での道として小野路宿は賑わい幕末頃は旅籠が6軒あった。東海道一里塚は五間四方あったというが小野路の一里塚は一回り小さかった。榎の木が植えられておりここで旅人は一服つけたのではなかろうか。町田市では他に木曾の一っているが、多摩市貝塚にあった塚は現在残っていない。(小島政孝稿・説明板)

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幕末の小野路村地図(江戸末期)

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現在の小野路町地図
(赤:大山道 橙:八王子道 緑:布田道 紫:鎌倉古道 黄:旧神奈川道 青:小野路川)


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街道の風景⑤ 向坂を下ると小野路宿です/向坂

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坂の途中にお堂とお地蔵さん

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街道の風景⑥左が交流館、右が小島資料館です/小野路宿通り

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説明板があります/中宿        左は八王子道、大山道は右に登ります/辻

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小野路宿略図(江戸時代後期)

小野路周辺の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/22740847/



by Twalking | 2016-09-29 10:50 | 大山街道(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 金木犀   

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金木犀
ロケット公園/多摩市愛宕
う~ん、いい香り・・・、秋ですね~。。。


キンモクセイ
(金木犀)
モクセイ科モクセイ属の常緑小高木樹で、モクセイ(ギンモクセイ)の変種。秋に小さいオレンジ色の花を無数に咲かせる。雌雄異株であるが、日本では雄株しか入っていないので結実しない。雄しべが2本と不完全な雌しべを持つ。花は芳香を放つ。芳香はギンモクセイよりも強い。中国南部原産で日本には江戸時代に渡来した。Wikipedia

by Twalking | 2016-09-29 09:59 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 「多摩サイ」をママチャリで   

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多摩川サイクリングロード/府中市四谷
愛称は「多摩サイ」、ロードバイクのメッカですね。今年の府中市ウオーキング大会・20km(12/17開催)はこのコースが組み込まれています。久し振りのママチャリ、るんるんで気持ちいいですね。。。

by Twalking | 2016-09-28 20:16 | ○たま-2016

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ハナトラノオ   

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花虎の尾
瑞聖寺/港区白金台
先っぽが見えなかったけど、虎の尾くんなんだね~。華やかに咲いてました。


ハナトラノオ
(花虎の尾)
シソ科の植物の一種、別名カクトラノオ(角虎の尾)。北米東部原産の宿根草。日本では園芸植物としてよく見られる。花期は89月頃。大変性質が強く、一度植えると放置していても地下茎でよく増え、半野生化することもある。Wikipedia

by Twalking | 2016-09-27 19:16 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 尾根緑道を図師へ   

日時 2016.9.25(日)
天気 晴れ


久し振りの晴れ間、こもりがちでしたので出かけました。
浜街道の下調べも兼ねて尾根緑道、図師・小野路の大山道
をぐるりと歩いてみました。

尾根緑道は多摩丘陵の西端の尾根道、相模原台地の景観が
一望できて、街道の様子がよく分かります。
少し色づき始めましたが、紅葉のころが最高でしょうね~。。。



・・・小山ヶ丘
(おやまがおか)

町田市北西部に位置する。東西に細長い地域であり多摩ニュータウンの最西端に位置する。元々は小山町・相原町の一部だったが多摩ニュータウンの開発地区を分割、小山ヶ丘ができた。(Wikipedia

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丘の風景①京王線は大きく右カーブして橋本に向かいます/小山多摩境公園


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札次神社鳥居


d0183387_16275735.jpg札次神社(ふだつぎ)/小山ヶ丘

祭神:武甕雷命(たてみかづちのみこと)創建の年代は不詳ですが常陸国(茨城県)一之宮鹿島神宮を勧請したもので、寛文2年の検知の時札次大明神の朱印社領高二石二斗を受ける。宝暦6年(17568八月に社殿再建、昭和26年拝殿建替、昭和397月片所津島神社と田端の八坂神社を合社する。昭和565月氏子会を設立する。昭和608月神楽殿と社務所を新築する。平成119月本殿覆屋建替、平成12年鳥居、水屋を建替る。子孫繁栄と養蚕信仰の蚕種石がある。白樫、山桜は町田市指定銘木である。(境内掲示)

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境内に蚕種石             参道入口前を浜街道が通ります

蚕種石(こだねいし)

昔、相原で養蚕業が盛んだったことを証明する石です。八十八夜近くになるとこの石の色が緑色に変化します。その色を見て孵化させる準備に入ったそうです。勿論、石の色が変わるのではなく石についた苔の色が変化したようです。日本全国に蚕種石は多く存在しますが、今は子供を授かる意味に変化し、信仰の対象になっているところが少なくありません。(町田市観光コンベンション協会パンフ)

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谷戸に緑地が保存されています/小山高ヶ谷戸緑地

高ヶ谷戸(こうがやと)
川沿いから斜めに入り込む小さな谷戸だったようだが造成で消滅。多摩境駅前に「高ヶ谷戸橋」がかかっているが、そちらの読みは「たかがやと」である。(「谷戸めぐり」さんの解説より)

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丘の風景②小山町方面の景観、多摩丘陵西端になります。右上は米軍の補給廠です/みたけ四季彩の丘緑地



・・・小山内裏公園

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小山内裏公園を南へ

小山内裏公園
東京都町田市および八王子市に所在する都立公園、東京都が管理している。200471日に開園、多摩ニュータウンの西部に位置する、町田市小山ヶ丘・八王子市南大沢および鑓水にある、面積459,211平方メートルの広大な公園であるが大部分は4つのサンクチュアリとなっており立ち入ることはできない。ホシザクラなどといった貴重な自然と大田川の源流で大田切池、尾根緑道(戦車道路)、津久井往還(鮎道)が特徴である。尾根緑道はジョギングコースとして利用されている。
Wikipedia)

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小山内裏公園案内図
(中央が小山内裏公園、右:鑓水小山緑地 左:尾根緑道になります)



・・・尾根緑道

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尾根緑道の風景① 小山内裏公園から緑道が続きます/南多摩斎場

尾根緑道の歴史

この「尾根緑道」は以前は「戦車道路」と呼ばれていました。それはこの道が第二次世界大戦の末期、相模陸軍造兵廠(しょう)で製造された戦車の走行テスト用(全長約8km)として造られたからです。戦後しばらくの間、防衛庁が同様の目的でここを使用していました。その後、富士山や丹沢の山々を望できる景観豊かなこの地に市民のみなさまが楽しむことができるような整備を進めてきました。今では春は桜、秋は紅葉と四季折々に散策やハイキングなどに大いに利用されています。このようにこの地はかつての「戦車道路」という「戦争の遺産」から現在は「市民の憩いの場」へと大きく生まれ変わりました。(町田市)

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尾根緑道の風景② 緑道に沿って多摩境通りが通っています/小山馬場谷戸公園


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尾根緑道の風景③ ケヤキ並木の散歩道、気持いいですね~

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種入交差点              富士見広場 

尾根緑道の由来

この「尾根緑道」は、以前は「戦車道路」と呼ばれていました。それはこの道が第二次世界大戦の末期、ここから南西1.2kmにあった相模陸軍造兵廠で製造された戦車の走行テスト用道路として造られたものだからです。戦後しばらくの間、防衛庁が同様な目的でここを使用していましたが、今は町田市が国から借り受けています。それ以降町田市では、富士山や丹沢の山々を一望できるこの全長8kmにおよぶ景観の地を市民のみなさまが四季折々楽しむことができるよう整備を進めてきました。そして、今では春は桜、秋には紅葉と、市民のみなさまに散策やハイキングなどの大いに利用され、さくら祭りの開場ともなっています。このようにこの地はかつての「戦車道路」という「戦争の遺物」から、現在は市民の憩いの場、すなわち「平和の象徴」へと大きく生まれかわりました。(非核平和宣言都市 町田市)

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尾根緑道の風景④ ベンチもあってひと休みにはお手頃/中央休憩広場

常盤町
(ときわまち)
町田市の地名。永禄の頃には既にこの地名が使われていたが、地名の詳しい由来についてはわかっていない。Wikipedia

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尾根緑道の風景④ 桜美林大学・淵野辺方向の景観です


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尾根緑道の風景⑤ しばらく桜並木がつづきます

幻の桜・カタオカザクラ

この「カタオカザクラ」は、昭和205月に長野県塩尻市片丘の山林で発見されたものです。その後、片丘の自生地が山火事に遭い焼失し、幻の桜となりました。東大理学部付属植物日光分園に移植されていた一本の木から、片丘ザクラ保存会の皆さまの永年におよぶ努力により、百数十本がふる里の地に蘇りました。この貴重な「カタオカザクラ」は、町田市と桜でつなぐ友好のために、塩尻市より寄贈されたものです。(町田市)

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尾根緑道の風景⑥ 振り返る尾根緑道&東西に伸びる多摩のよこやま/桜美林教会


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下りになります            さくら通りが終点です

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尾根緑道案内図
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温水プール先を右折して道なりに下ると芝溝街道にでました/図師寺屋敷緑地


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武蔵境駅周辺マップ
(赤:尾根緑道 紫:浜街道 橙:多摩ニュータウン通り 黄角:武蔵境駅・小山内裏公園))





by Twalking | 2016-09-27 15:44 | たまのさんぽ道(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 シュウカイドウ   

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秋海堂/町田市小山
最近よく見かけるので??と、気になってました。秋海堂くんなんだ~。。。

シュウカイドウ(秋海棠)

シュウカイドウ科シュウカイドウ属(ベコニア属)に分類される多年生草本球根植物である。和名は中国名「秋海棠」の音読み。夏から初秋にかけて草丈70cm前後に生長し、扁心形で左右非対称の葉を互生させる。花期は810月。花期になると茎の頂点から花序を伸ばし23cm程度の淡紅色の花を咲かせる。雌雄異花同株で、雄花は上方に正面に向いて開き、中央に黄色く球状に集まった雄蕊(ゆうずい)が目立ち、4枚の花弁のうち実は左右の小さな2枚が花弁で、上下の大きな花弁のように見える2枚は蕚。雌花には下方に垂れ下がった状態で下方に向いて開き、中央の黄色い雌蕊は3つに分かれ先はらせん状になっている。雌花も雄花と同様の花を咲かせるが、三角錐状の子房を持ち小さな花弁が1枚だけのことが多い。(Wikipedia

by Twalking | 2016-09-26 09:57 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 多摩境駅   

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京王相模原線多摩境駅/町田市小山ヶ丘


多摩境駅

町田市小山ヶ丘3丁目にある京王相模原線の駅である。駅名は多摩ニュータウンの境であること、東京都(多摩)と神奈川県(相模)の境であること、駅の近くに境川が流れていることから「多摩境」となる。駅開設当時の所在地名の「大字小山町」から「京王小山」にすべき等と駅名決定までもめた経緯がある。その後、多摩ニュータウンにおける町田市域の土地区画整理事業地区としての街開きが行われた際当該地の地名が「小山ヶ丘」に改められた。(Wikipedia

by Twalking | 2016-09-25 22:43 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 walk 140   

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お~、軽やかだね~、ぼく。ママとお散歩、いいね!
尾根緑道/町田市小山台


by Twalking | 2016-09-25 19:49 | ○walk

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 石像/瑞聖寺   

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石像
瑞聖寺/港区白金台
道祖神ではなさそうな、抱えているのはなんでしょうか??。お寺さんにも伺ってみましたが、分かりませんでした。ミステリアスな石像ですね~。。。

by Twalking | 2016-09-24 14:24 | ○石像&モニュメント