無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 <   2017年 02月 ( 39 )   > この月の画像一覧   

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

d0183387_18041250.jpg

川の風景
南浅川/八王子市廿里町
南浅川の上流域です
左岸に「多摩御陵・銀杏並木散歩道」があります。
ここものどかないい道ですね。

by Twalking | 2017-02-28 18:09 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 鎌倉街道山之道 元八王子01-廿里町   

日時 2017.2.25(土)
天気 晴れ


町田街道につづき秋川街道を北へ向かいます。
道筋は町田街道~秋川街道で良さそうですが
もう少し山側を通っていたかも知れません。

「いざ、鎌倉」ではありませんが、時代がくだって
滝山城、八王子城は八王子の歴史を物語る要地、
先に進む前にじっくりと散策してみました。



・・・廿里町
(とどりまち)

八王子市の西南部に位置する。森林総合研究所多摩森林学園や武蔵陵墓地の一部が大部分を占めている。町制施行前は下長房村、施行後は横山村に属していた
Wikipedia

d0183387_14320919.jpg
街道の風景① 懐かしいですね~甲州街道、ここからスタートします/高尾駅前

d0183387_14314485.jpg
d0183387_14315093.jpg
高尾街道を北へ向かいます       南浅川を渡ると廿里町/敷島橋

都道
46号八王子あきる野線

八王子市から同市楢原町を経由してあきる野市に至る都道(主要地方道)である。この道路の東京都通称道路名は主として高尾街道で、国道411号との重複区間は滝山街道を通称としている。距離9.435km。Wikipedia

d0183387_14440727.jpg
南浅川の風景① 廿里砦のあったとされる白山神社にむかいます/敷島橋

南浅川
八王子市
裏高尾町から元本郷町を流れる多摩川水系の一級河川。浅川(北浅川)支流である。八王子市の西部に位置する小仏峠付近に源を発し東に流れ、八王子市元本郷町付近で浅川(北浅川)に合流する。
Wikipedia

d0183387_14563957.jpg
南浅川の風景② 左岸は高尾山口への「多摩御陵・銀杏並木散歩」道、歩いてみたいですね


d0183387_15121689.jpg
白山神社鳥居

d0183387_15122058.jpg白山神社高尾駅北口からほどない廿里の山の斜面には、地元では「白山様」と呼び親しまれて神社があります。およそ700年前の鎌倉時代の創立と考えられているようです。白山神社はちょうど桜の実験林で有名な多摩林業科学園の裏にあり、数年前に実験林が拡張された際に麓の白山橋のそばに社殿を移築したようです。それまではこの山の長い階段を登っていかなければならず信者の方には相当の負担だったようですがこれでお参りも楽になったとか。江戸時代、時の幕府から14石の御朱印を賜ったといいますが、高尾のような地方の神社ではかなり高額であり格式が髙かったことを物語っている。(高尾通信)

d0183387_15292603.jpg
d0183387_15301608.jpg
山道を登ります            奥社です

d0183387_15520050.jpg
奥社の上は平場、ここが廿里砦だったんでしょうか

十十里防塁跡

廿里町にある戦国期の砦跡。1569年(永禄12)北条氏照が武田氏の攻撃に備えて築いた防塁の跡で八王子城防衛の前線にあたる(Web八王子辞典

d0183387_15585192.jpg
d0183387_15584633.jpg
南側                 北側


d0183387_16044257.jpg
街道の風景② この一帯が廿里古戦場だったようです。向は初沢城になります/高尾街道

d0183387_16130397.jpg廿
里古戦場
永禄12年(1569)、武田信玄は小田原の北条氏康を責めるために甲州を出発し、碓井峠を越えて北関東の北条氏の諸城を次々に攻撃し、滝山城攻撃のために拝島に陣した、一方、信玄の武将甲州岩殿城主・小山田信繁は甲州から小仏峠を越えて攻め込んだ。滝山城主北条氏照の家臣横地監物・中山勘解由・布施出羽守らは10月1日にこの付近で迎え撃ったが一戦にしてろもくも敗れ去った。この戦いの後、滝山城は三の丸まで攻め込まれ落城の危機に瀕したが、信玄は途中で小田原に向かい落城はまぬがれた。この戦いで氏照は滝山城の弱点と甲州口の重要性を感じ小仏峠に近い八王子城の築城を計画したといわれている。(八王子市教育委員会



d0183387_20040174.jpg
d0183387_20050564.jpg
左は森林科学園、いい森です      高尾街道と別れ左折します/城山大橋(秋川街道)

国指定史跡・滝山城址の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23871197/



・・・元八王子町

八王子市西部に位置する。西部には八王子城がある。城下町が移るまでの八王子の中心であった。地名は華厳菩薩妙行が916年(延喜16年)深沢山(八王子城付近)に八王子権現を祀り、北条氏照が1587年(天正15年)八王子城を築城したことが由来。1590(天正18年)八王子合戦によって八王子城が落城、廃城となる。1593年(文禄2年)城下町が現在の八王子中心部に移る。Wikipedia

d0183387_22484139.jpg
妙観寺山門

d0183387_22484300.jpg妙観寺

1468年(応仁2)といい古くは明観寺とも称せられていた.その後、天文年間(153255)に多聞坊により中興された。1941年(昭和16災により焼失、その年の12月に再建された。旧本尊は大横町極楽寺本尊の歯吹如来といわれている。(Web八王子辞典)

d0183387_22484856.jpg笠地蔵と五重石塔

この阿弥陀・釈迦・地蔵の三体の石仏は俗に「笠地蔵」と呼ばれ、当寺先住法養房実円法印が十万有縁の記者を募り弘化2年(1845)から同5年(1848)にかけて造立し、五重石塔も同じく嘉永5年(185211月に造立したものである。実円法印は武州多磨郡二分方村柳沢の人で、天保14年(184310月には師岡忠助美実作の梵鐘を鋳造し当寺の興隆にはって功があった有徳の住僧である。安政2年(1855910日当寺で没したが、五重石塔の下に入寂していると伝えられている。これらの石造物は大正129月の震災により倒壊破損したのをこの度実円和上116回の忌辰に当り、先徳追善の為修補して旧状に復したものである。(説明板)


d0183387_23175059.jpg
街道の風景③ 中央道の先を左折すると八王子城址になります/城址入口



・・・
八王子城址散策後元八王子から長房周辺を歩いてみました

d0183387_23262306.jpg
八幡神社の赤鳥居

d0183387_23264763.jpg
境内

d0183387_23272269.jpg梶原八幡神社
御祭神:應神天皇 比売命 御神体:甲冑馬上の木像
当社は康平68月(1063)源頼義朝臣、鎌倉由比郷に石清水八幡宮の神を奉祀するに始まる。後治承410月(1180)源頼朝公、大庭景義に命じてこれを小林郷松ヶ岡に遷す。(今此処を鶴ヶ丘八幡宮と称す)。建久24月(1191)宮殿の造営全く竣へ、正遷座の際、古神体を頼朝公家臣・梶原平三景時に賜ふ。此の地は八王子発祥の地、の所領ゆえ同年6月此処に奉祀す。降って寛正・文明の頃傷んだ社殿の造営修復す。元亀3年(1572)北條氏照公、当地に八王子城(日本百名城選)を築き、居住する間社領若干を賜る。越えて天正1911月(1591)将軍徳川家康公より社領10石(朱印)を賜り、後明治6年(1873)郷社に列せられる。尚、景時勧請時の棟札ありしも戦災の折残念ながら焼失す。

d0183387_23550437.jpg梶原杉の由来

当社参道には梶原杉の大樹有あり、景時が八幡宮を勧請した時植えたとされ、樹齢約800年、高さ30m余り、目通り幹周囲が12mあり昭和3年都の天然記念物に指定され、都内随一の大杉といわれた。当社御神木として尊崇保存されてきたが樹盛急に衰え昭和474月愛惜の中伐採された。現在切株があり往時が偲ばれる。(由緒書)


d0183387_00332880.jpg
「市指定史跡 武蔵太郎安國鍛刀之地」の碑がありました/鍛冶屋敷バス停付近

武州下原刀鍛冶
(シタハラトウ)
戦国期永正年間(150421)ころから明治初期にわたり山本但馬周重を祖とする刀工群で、八王子市下恩方町下原横川町下原元八王子町鍛冶屋敷を拠点に活躍した山本姓一族を中心とした総称。その発祥地が下原であるところから下原刀の名称がつけられた。詳細は明らかではないが永正年間、大石氏の招へいにより刀鍛冶山本但馬周重が恩方辺名に住み、鍛冶を始めたとされておりその後2代周重が下原に移り、その分家として横川下原元八王子鍛冶屋敷等に分散し活躍した。2代周重は北条氏康より康の字をつけることを許されて康重と改名その後、康重の弟長門周重が北条氏照から照を許可され照重と称したという。下原鍛冶は康重・照重・廣重と名のる例が複数出て活躍しているが、廣重の系統では江戸期初・中期に武蔵太郎安国、また直系ではないが武蔵太郎安貞がでて下原新刀の隆盛期をつくった。1786年(天明6)奉行所に提出された御用鍛冶職の覚には優秀鍛冶として下原鍛冶14名が記載されている。下原刀の最大の特徴は刀の中央部に下原肌といわれる渦巻状の文様線がでていることで、古刀期にその形状が強く認められたが安国以降の新刀期には小さくなっている。現在89振の刀、脇指、短刀、槍の下原作品が市文化財に指定されている。(Web八王子辞典)


d0183387_14001098.jpg
城山川の風景 橋に「出羽山城(砦)」の名を留めます/出羽山橋

城山川

元八王子町3丁目西端の山間から流れ出し、東北流して横川町北部で北浅川に注ぐ川。(流長7.7km)風土記稿には山城川とも出る。源流部は御殿谷川とも呼び、元八王子町3丁目の宮の前で御霊谷川を合わせてから城山川となり同町2丁目・1丁目をへて横川町で大沢川を合わせる。川ぞいに中央自動車道が走り、南北にJR高尾駅から四ツ谷方面への高尾街道がのびる。源流部左岸に八王子城山が高まる。流域の開発が進み多くの霊園・住宅団地ができた。(Web八王子辞典)


d0183387_14354222.jpg
出羽山から八王子城を望む/出羽山公園(城山手)

d0183387_14361228.jpg出羽山公園
城山手にある出羽山公園は、この地が出羽山と呼ばれていたことからこの名がつきました。出羽山には戦国時代の武将、北条氏照の家臣近藤出羽守屋敷があったといわれています。近藤出羽守は天正18年豊臣秀吉の軍勢が八王子城を攻めた際、八王子城で討死した人物の一人です。(はちバス沿線の見所)


d0183387_14460432.jpg
安下道から登る尾根道、旧道の感じがします/共立女子大裏

d0183387_14504280.jpg
d0183387_14503621.jpg
共立女子大周辺            中央道月夜峰第2橋

月夜峰

元八王子町2丁目の東端、長房町と横川町の境の辺の丘をいう。別称:月宵峰,月見岡,月見ケ丘。蔵図会に「北条氏照居城の砌、この地にて月を賞せしより」名づけるという。いま共立女子大学が建つ。(Web八王子辞典)

d0183387_14542353.jpg
八王子城址方向の景観、「月夜峰」の名は中央道のOVに残ります/月夜峰第2橋

d0183387_22424343.png
左手が八王子城、奥が犬目、右が月夜峰になります/ジオラマ

豊臣軍の八王子城攻めについて「桑都日記」は次のように伝えています。八王子城を攻めようとする前田・上杉などの大軍は平の渡しで多摩川を越えます。元横山から横川村に出て、前田軍月夜峰に陣を張り大手に向かったのです。一方、上杉軍犬目原に陣を張り、川口村に火を放ち、調原(ととのいはら)から滝ノ沢に至り搦め手から攻めこんだのです。(八王子城址ガイダンス施設・展示スペース)


d0183387_14560357.jpg
北側の加住丘陵の景観です/「月夜峰」


d0183387_15253494.jpg
南浅川の風景③ 中央が高尾、右手が八王子城址方向になります/横山橋(長房町)

d0183387_19415587.png
八王子城址周辺マップ
(赤:歩行ルート 橙:鎌倉道 紫:旧甲州街道 茶:高尾街道 青:南浅川・城山川)



by Twalking | 2017-02-27 19:58 | 鎌倉街道(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 紅花ユキヤナギ   

d0183387_11211764.jpg
フジノピンキ-/多摩市愛宕
赤いつぼみ
ひらくとほんのり桃色
不思議ですね~。

by Twalking | 2017-02-27 11:39 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 クリスマスローズ   

d0183387_19371550.jpg

クリスマスローズ
多摩市グリーンライブセンター/多摩中央公園
クリスマスの頃に咲くからでしょうが
春先の方がよくみかけます、人気のある花ですね。


ヘレボルス

キンポウゲ科クリスマスローズ属に分類される植物の総称。「クリスマスローズ」という呼称は、クリスマスのころに開花するヘレボルス・ニゲルだけを指した呼称であるが、日本の園芸市場では「レンテンローズ」と呼ばれるヘレボルス・オリエンタリス (ハルザキクリスマスローズ) なども「クリスマスローズ」の名前で出回る。寒芍薬(カンシャクヤク)の和名も持つ。花に見える部分は植物学上では「花」ではなく「萼片」という部分である。多くの品種はクリスマスのころではなく春に開花する。(Wikipedia


by Twalking | 2017-02-26 19:42 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 獅子/八王子城址   

d0183387_12565459.jpg

d0183387_12564968.jpg

獅子
小宮曲輪/八王子城址(八王子市元八王子)


狛犬

獅子や犬に似た日本の獣で想像上の生物とされる。像として神社や寺院の入口の両脇、あるいは本殿・本堂の正面左右などに一対で向き合う形、または守るべき寺社に背を向け参拝者と正対する形で置かれる事が多く、またその際には無角の獅子と有角の狛犬とが一対とされる。飛鳥時代に日本に伝わった当初は獅子で、左右の姿に差異はなかったが、平安時代になってそれぞれ異なる外見を持つ獅子と狛犬の像が対で置かれるようになり、狭義には後者のみを「狛犬」と称すが現在では両者を併せて狛犬と呼ぶのが一般化しているWikipedia

by Twalking | 2017-02-26 12:59 | ○石造&モニュメント

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 高尾駅   

d0183387_21425523.jpg

JR高尾駅/八王子市高尾町
朝早くからたくさんのハイカー
天気に恵まれてよかったですね
気をつけて、いってらっしゃ~い!


by Twalking | 2017-02-25 22:23 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

d0183387_15290411.jpg

さるすべり
上之根公園/多摩市愛宕
どこかで見かけたようなポーズ
あ~、「とくほ」マークかな
きみの方がすっ~と説得力ある感じだよね。


by Twalking | 2017-02-24 18:37 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 キルサンタス   

d0183387_10155131.jpg

キルサンタス
多摩市グリーンライブセンター/多摩中央公園
はじめてですね~、みるのは
「キルサンタス」と名札が立ってました。
可愛い花ですね~。


キルタンサス
観賞用に栽植されるヒガンバナ科の小型で半耐寒性の球根植物。学名はギリシャ語のkyrtos(曲がった)anthos()で、本属に多い花筒の曲がった花形に由来する。おもに南アフリカに一部が熱帯アフリカに分布し、50種以上の種がありいくつかの種が栽植される。キルタンサス・マッケニイは、葉は水仙の細葉種状で花は白桃色で芳香がある。草丈約30cm春咲き小球性。この種を交配親としていくつかの雑種系統が育成されている。(コトバンク)


by Twalking | 2017-02-24 10:28 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 オステオスペルマム   

d0183387_12163854.jpg

オステオスペルマム
多摩市グリーンライブセンター/多摩中央公園
惹きつけられるような、
いい色合いですね、おはよ~!


オステオスペルマム

キク目キク科キンセンカ連オステオスペルマム属である。別名は「アフリカキンセンカ」「アフリカンデージー」。半耐寒性ではあるが品種によっては-6℃以下でも枯れることは無い。草丈は3050cm程度で、園芸店やホームセンター等で販売されているものは矮小剤で草丈を低く抑えているものが売られていることが多く、庭植えすると翌年は草丈が伸びる。花は35cmの物が多く花色も紫・黄・白・オレンジ・バイカラー等多くの色がある。Wikipedia

by Twalking | 2017-02-23 12:22 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 滝山城址(日野~東秋留)03 高月   

日時 2017.2.15(水)
天気 晴れ


本丸で地元の方と話が弾んでしまい、
時間が押していましたが、秋川をみたかったので
予定通り秋留に向かいました。

秋川は渓谷かと思っていましたが思い違い、
低地に田園が広がり道は秋留台地へと上ります。
ここは小川氏や大石氏の根拠地と後で知りました。
じっくりとみてみたかったですね~。



・・・加住町
(かすみまち)/八王子市

八王子市の東北部に位置する。町の中央部を谷地川が東南流し、その北岸沿いを滝山街道が走る。北半部の1丁目は加住北丘陵にかけて広がり、南半部の2丁目は加住南丘陵地帯で大沢川が東北流する。
Wikipedia

d0183387_11053469.jpg
城下には横山・八日市・八幡の三宿がありました/龍源寺境内

d0183387_11083049.jpg
神明神社鳥居/加住町

d0183387_11083634.jpg神明神社
御祭神:天照大神(他八神)神社創立の年代は詳らかでないが、神明神社は現在地に十二天社は森越に、富士浅間神社は村の南の山上にありと新編武蔵風土記稿(1826)に記されている。神明神社保存の板碑 正知元年(1313) 龍源寺の板碑には文安5年(1448)谷慈郷とされ、この地は古へより藤原氏の荘園として存在した。山野の中に生きて来た祖先は神明、浅間、吉野を信仰し今に至る。神々の御光り神恩に感謝し、ここに碑をしるす三入生一 選文(石碑文)



d0183387_11113020.jpg
源寺山門/加住町

d0183387_11113727.jpg龍源寺

現在より490前に桂巖暁暾大和尚を開山に迎え設立、現在で19世になる。(八王子仏教会)

龍源寺の文安の板碑

板碑は江戸時代に描かれた「武蔵名勝図会」に絵入りで紹介されている板碑で、阿弥陀三尊を梵字で表した月待供養(特定の月齢の日に人々が集まって供養を共にし、月の出を待ち拝む民間信仰)を知る上で全国的にも貴重な板碑である。「谷慈郷代谷村(現在の大谷町と推測される)の住人」の銘があり、当時の地名を示し住人が月待行事をおこなった事実を伝える歴史的にも貴重な資料であるといえる。多摩地区の月待供養碑としては最古のもの。また月待供養の板碑はこのほか市内に4基ほど知られている。(八王子市教育委員会)

d0183387_11172088.jpg
勝手神社
/加住町

丹木御岳神社の末社として創立した。貞和5年(134975日大石信重崇敬し懸仏一面を奉納。天文7年(1538918日社殿再建し、勝手明神社と称し明治初年勝手神社と改称した。現社殿は昭和42年の造営である。(東京都神社名鑑)


・・・高月町

市の北端、加住北丘陵の北面にあり秋川と多摩川にのぞむ。1955年(昭和30)加住村の八王子市への合併により、翌56年同村内の旧大字高月と同滝山の一部が高月町となる。江戸期の高月村で、風土記稿によれば同村の枝郷に滝村があり1971年に西多摩郡秋多町(現あきる野市)に編入された。(Web八王子辞典)

d0183387_11252097.jpg
丘を越えると一面に田畑がひろがります/高月バス停


d0183387_11345752.jpg
円通寺
/高月町


d0183387_11350631.jpg円通寺
恵日山観音院と号し本尊聖観音、開山は讃海(天暦年中 947956 118日寂)と伝えられるが明らかではない。中興開山は尊泰(寛文3年 1663 38日寂)である。現在の寺地に移るまでは西多摩郡戸倉・山田・草花・二ノ宮・熊川などの各地を転々としたと伝えられるが詳細は不明である。現寺地は修験喜見坊の旧跡であるといわれる。天正19年(159111月御朱印10石を賜わったが、延宝(16731680)・天和(16811683)のころ火災にかかり、天保3年(1832)および安政4年(1857)再建の本堂および庫裡は昭和2076日戦災により焼失した。塔中に興善院・大善院および不動院の3ヵ寺があった。(八王子市史)

d0183387_11351805.jpg
d0183387_11352527.jpg
山門                 お地蔵さん


d0183387_12211593.jpg
高月の中心部でしょうか、左手に石仏群が残ります


d0183387_12212008.jpg
d0183387_12213008.jpg
石仏群                八幡神社

高月八幡神社

創建の年代は詳らかでない。高月城主大石源左衛門尉定重が城中の守護神として崇敬した。寛文12年(1672)再建し享保17年尊像を造立し社殿造営し、延享3年(1746)再建し、大正8年社殿改修した。(東京都神社名鑑)


・・・高月城

d0183387_13130846.jpg
「高月ホテル」が目印ですが、この一角も城跡のようです

d0183387_13152723.jpg
d0183387_13153247.jpg
道は切通になっています        下からみると断崖になっています


高月城
(たかつきじょう)
現在の八王子市高月町にあった戦国時代初期の日本の城(山城)である。多摩川と秋川の合流点近くで、加住丘陵を利用した天然の要害である。曲輪、堀切、土塁などの遺構が残る。1458年(長禄2年)山内上杉氏の重臣で武蔵国の守護代大石顕重が築城し、二宮(現在のあきる野市)から移った。田中正光の論によると『廻国雑記』に「前庭に高閣あり、矢倉などを相かねて侍けるにや、遠景すぐれて数千里の江山眼の前に盡ぬとおもおゆ」という記述が高月城を指すものとしているが確証はない。また、大石氏が高月城城主である記述のある大石氏系図については他研究者から信憑性がない事が指摘されており、高月城と大石氏を直接結ぶ根拠は皆無に等しいといえよう。Wikipedia

d0183387_13183320.jpg
d0183387_13204098.jpg
特に案内板等はありません       私有地?になっているようです

d0183387_13233805.jpg
特に遺構らしきものはありませんがここが主郭のようです

d0183387_13261108.jpg
北側は林越しですが秋川方面が望めます



・・・小川(あきる野市)

あきる野市の東部、多摩川と秋川の合流点の北西部に位置し、両河川を境に東は福生市、南は八王子市と接している。Wikipedia

d0183387_13294481.jpg
東秋留橋を渡ります/秋川

d0183387_19255376.jpg
秋留台地に陽が落ちていきます、ちょっと急がないと/東秋留橋

秋留台地(あきるだいち)
あきる野市東部にある台地である。島のような河岸段丘なので地形は特殊。北の端は平井川、東の端は多摩川、南の端は秋川でそれぞれ川へ向かって標高が低くなっている。西は関東山地なので、そこから東へ堆積しその後に上記の3河川が浸食してできたものと推測できる。この台地の一帯は、あきる野市で最も栄えている場所であるといえる。西部に秋川駅や住宅地、郊外型店舗が集まり、東部は学校や公園の他は畑になっている。Wikipedia

d0183387_19394221.jpg
宝清寺

d0183387_19400384.jpg宝清寺 (ほうせいじ)
山号は水谷山(すいこくざん)。西多摩では唯一の日蓮宗久遠寺の末寺で開山は法清院日億上人、開基は青木勘左衛門(武田勝頼の縁者)。甲州武田勝頼の滅亡後、その青木勘左衛門は八王子城落城後、関東に入国した徳川家康に見出されてこのあきる野市小川の地を賜った。勘左衛門は戦国時代に滅んだ武士達の霊を弔うために出家し、元和年間 (1615 - 1624) 故郷甲斐国雨利郷(甘里)にあった東照山教林寺をこの地に移し東照山法清寺と号し創立した。

d0183387_22215097.jpg境内内地は武蔵七党1つである西党の小川氏の居城・小川城の跡とされている。
最初は東照山と号していたが、宝永年間 (1704 - 1711) 九世圓妙院日亮上人の代に東照山とは徳川家に対して畏れ多い山号だとして、領主水谷信濃守より身延山に申し出て、寺禄等を寄進して祈願処としたことにより水谷山寶清寺と改められたといわれる。Wikipedia

d0183387_21035751.jpg
d0183387_21040214.jpg
日蓮上人像              浄行菩薩

d0183387_22133554.jpg
加住丘陵夕景手前が高月城、奥が滝山城になります/宝清寺境内


d0183387_22271013.jpg
熊野神社鳥居 

d0183387_22271566.jpg小川熊野神社

創建年代不詳。宝永5年(17089月修復、寛政6年(17949月再建したことは本社棟札によって知れる。もと熊野三社大権現と称したが、明治2年神仏分離令により熊野神社と改称した。(東京都神社名鑑)



d0183387_17483776.jpg
普門寺山門

d0183387_17483981.jpg普門寺

臨済宗建長寺派文永61269)年北条時宗によって二宮神社の廃社跡地に建てられ、山号もこれに由来して神護山と名づけられたと伝えられている。当初は鎌倉の寿福寺末でしたが明治初年に建長寺末となっている。(あきる野寺院一覧)



d0183387_00203947.jpg
二宮神社鳥居/野辺

d0183387_00204463.jpg
d0183387_00210271.jpg
二宮神社
創建年代不詳。往昔より小川大明神または二宮大明神と称した。小川大明神とはその鎮座地が『和名抄』記載の武蔵国多摩郡小川郷の地区内にあったためで、また二宮大明神とは『神道集』または『私案抄』等にみられる武蔵総社六社宮(現大國魂神社)所祭神座の二次にあるがためその地名も二宮と称した。明治3年二宮神社と改称した。古記録によると藤原秀郷が己の生国近江国山王21社中の二宮を尊崇せる縁故をもって、特に当社を尊敬し天慶の乱にさいし戦勝祈願をこめ、乱平定の奉賽として社殿・玉垣を造営、くだって源頼朝、北条氏政も崇敬篤く、ことに北条氏照滝山城主となり同氏の祈願所とした。爾後社殿・神官宅罹災により記録の大半が焼失。天正19年(1591)徳川家康より御朱印15石を受け以後代々継承されてきた。(東京都神社名鑑)

d0183387_19440891.jpg二宮神社お池

参道の石段を降りて道路を渡った反対側には当社の「お池」があり、豊富な湧出量を誇る清らかな湧き水が満々とたたえられ「千人清水」と名付けられた小川が勢いよく流れ出している。この湧水は同市の八雲神社の湧水ととも、東京都選定「東京の名湧水57選」のひとつに数えられている。お池の中には平成2年菅野遊邦作の「雨乞いの男」という、座って横笛を吹いている男の像がある。これは昔ここで雨乞いをしていたという言い伝えに基づいて制作されたものである。Wikipedia




・・・・・・・
資料ファイル

あきる野市の沿革
武蔵国は代表的な馬の産地で四つの勅使牧の一つ小川牧は小川郷(秋川・平井川流域)を中心にした牧でした。鎌倉時代この地域は秋留郷と呼ばれ、武蔵七党のうち西党に属する小川氏二宮氏小宮氏平山氏などが鎌倉幕府の御家人として活躍していました。また、室町時代になると武蔵総社六所宮随一の大社である二宮神社小川大明神と呼ばれていました。戦国時代の終わりごろからは伊奈と五日市に「市」が開かれ、炭などが盛んに取引されました。江戸時代になると木材は秋川・多摩川を筏で流し江戸に送っていました。江戸時代の集落は秋川・平井川の段丘面や草花丘陵縁辺などに点在し、現在もその多くが市域の字名として残る32か村となって明治時代に至っています。(あきる野市HP抜粋)

d0183387_20174735.png
牧の推定地と関連遺跡/パルテノン多摩歴史ミュージアム


d0183387_19565239.jpg二宮神社並びに城跡(都指定旧跡)

二宮神社の創建は不明ですが、武蔵六所宮である大國魂神社の二之宮に祀られていることから有力な神社であったことがわかります。神社は秋留台地の東端部に立地しており、江戸時代に建てられた本殿は良好な状態を保ち、その中には室町時代宮殿が納められています。
神社境域及びその周辺は、室町時代にこの地域に勢力をもつ豪族であった大石氏城館跡の可能性が考えられています。そのことを裏付けるように昭和58年(1983)の秋川市教育委員会(当時)による発掘調査では、神社東側段丘上の「御屋敷」と呼ばれる地点から14世紀豪族居館跡が発見されました。(東京都教育委員会)


小川氏
小川氏は武蔵国の勅旨牧の1小川牧を基盤としていたと言われる。その後、薩摩国甑島(こしきじま)に領地を得、土着している。この甑島の小川氏に伝わる系図は、原本は平成に入ってから火災で失われたもの、研究家の写真撮影によるコピーが残されており西党研究の貴重な資料となっている。初代は西次郎宗貞の玄孫である小川太郎宗弘Wikipedia

小宮氏
小宮氏は現在のあきる野市秋川上流域を地盤としていた。初代小宮三郎道經は12世紀後半の武蔵野国秋留郷の地頭。三代目又四郎經行の兄弟4人が九州へ地頭として赴任。 戦国時代初期には小宮上野介憲明戸倉城を築城。小宮氏の氏神である小宮神社(あきる野市草花)には寛正4(1463)に小宮上野介憲明が奉納した梵鐘がある。Wikipedia

西党の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23830616/

d0183387_10133194.png
八王子市の城館跡

大石氏
室町時代、戦国時代に関東地方で活躍した氏族。関東管領上杉氏のもと四宿老(長尾氏・大石氏・小幡氏・白倉氏)の一人に数えられ代々武蔵国の守護代を務めた。信濃藤原氏(沼田氏と同族とされる)の後裔といい、信濃国佐久郡大石郷に住んでいたことから大石氏を名乗ったといわれる。室町時代初期、大石為重は初代関東管領の上杉憲顕(のりあき・山内上杉家の始祖)に仕えた。彼には男子がなく1334年(正慶3年)に縁戚関係にある木曽義仲の血筋を引くとされる大石信重(木曽家教の三男、家村の弟)を婿養子として迎え、源姓木曽氏の庶家(分家・家臣)となったという。信重は勧応2年(1351)挙兵した南朝方の新田義宗との笛吹峠の合戦で先陣を勤めた。その戦功として1356(延文元年)武蔵国入間・多摩の両郡に13を得て多摩に移住し、二宮(現・あきる野市)にを構えた。1384年(至徳元年)信重は浄福寺城(現・八王子市下恩方町)を築城した。応永年間には叔父(養叔父)の大石能重(為重の弟)が武蔵・上野・伊豆各国守護上杉能憲に仕えて守護代を務めた。1548年(長禄2年)大石顕重(あきしげ・信重の玄孫)が高月城(現・八王子市高月町)を築城し、二宮から本拠を移した1521年(大永元年)大石定重は高月城の北東1.5km滝山城(現・八王子市丹木町)を築城し本拠を移転した。1546年(天文15年)関東に進出した後北条氏の北条氏康が河越夜戦で大勝する。その結果、扇谷上杉氏は滅亡し、関東管領山内上杉氏は武蔵国から排除され越後国の長尾景虎を頼って没落する。主家上杉氏の没落により大石定久は北条氏康の三男・氏照を娘・比佐の婿に迎えて、自らは戸倉に隠居した。領地支配を守護上杉氏に頼りすぎた大石氏はほかの守護代のように領域支配に失敗し戦国大名への脱却をできなかったといえる。小田原征伐により後北条氏が没落すると、大石定久の実子大石定仲と養子定勝は徳川氏に仕えた。八王子千人同心としてその子孫は明治時代を迎えた。Wikipedia

大石系図

江戸時代に作成され、現在由木の伊藤家に保存されている大石氏の系図。室町時代に武蔵守護代として活躍した大石氏が戦国時代後北条氏に属し、小田原落城後その子孫の一部が由木に土着する由来を記している。(Web八王子辞典)

永林寺(由木城址)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23477568/



by Twalking | 2017-02-23 10:50 | たまのさんぽ道(新規)