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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

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駅のエスカレーター
小田急線狛江駅/狛江市
らくちんだけど
まだ強い陽射しだこと・・・
ふぅ~う、と。

by Twalking | 2017-07-24 19:41 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ムクゲ   

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ムクゲ
愛宕下通り/多摩市愛宕
風に揺れて
涼しげ・・・
頬ずりした~い。


ムクゲ(木槿)

アオイ科フヨウ属の落葉樹。別名ハチス、もくげ。和名は「むくげ」。「槿」一字でも「むくげ」と読むが、中国語の木槿(ムーチン)と書いて「むくげ」と読むことが多い。また、『類聚名義抄(るいじゅみょうぎしょう)』には「木波知須(きはちす)」と記載されており木波知須や単に波知須(はちす)とも呼ばれる。庭木として広く植栽されるほか、夏の茶花としても欠かせない花である。樹高34mくらいのものが多く庭木や街路樹、公園などに広く植えられている。夏から秋にかけて白、紫、赤などの美しい花をつける。花の大きさは径510cm、花芽はその年の春から秋にかけて伸長した枝に次々と形成される。(Wikipedia



by Twalking | 2017-07-24 12:28 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 品川道(1)府中~狛江01-府中   

日時 2017.7.21(金)
天気 晴れ


暑いので近場で~と、品川道に出かけました。
ここは甲州街道で「初期の甲州」として案内しましたし、
府中Wの予定ルートなのでちょっと下見も兼ねました。

調布から狛江は何度も車では通っていますが、
徒歩で行くのは初めてです。
陽ざしが強いので木陰を選んで歩きたいと思います。



・・・宮町(府中市)

品川道

かつては甲州街道常久一里塚の脇を通り府中の六所宮(大國魂神社)まで続く道であったが、後に北の街道が甲州街道(旧甲州街道)となり、甲州街道が品川道と呼ばれるようになったものである。府中の大國魂神社から国分寺崖線多摩川沿いに品川・六郷付近まで続いた古道で「品川道」「品川街道」「いききの道」「いかだみち」と呼ばれた。大國魂神社くらやみ祭りの神事で使用されたり、多摩川上流で伐った木材をいかだにして流れて行き、その後人だけ上流へ向かってこのいかだ道を歩いて帰った。Wikipedia

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大国魂神社随神門

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大国魂神社本殿 
律令時代国司が国内の大社六社を国府に勧請祭祀し武蔵総社または六所社と称したのがこの大国魂神社である。本殿のうち中殿は大国魂神、御霊大神、国内諸神、東殿は小野大神、小河大神、氷川大神、西殿は秩父大神、金佐奈大神、杉山大神を祀る。この本殿は四代将軍家綱の命によって寛文7(1667)3月完成したもので、その後数回修理を行っているが部分的に室町時代末期の様式をとどめ江戸時代初期の神社建築として保存の価値がある。また特異な構造形式は遺例少なく珍しい。構造は九間社流造、向拝五間、銅板葺、三間社流造の社殿三棟を横に連絡した相殿造。東京都指定有形文化財(東京都教育委員会)

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街道の風景① 今日はここからスタート、京所道を東へ向かいます/東門

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京所道(きょうづみち)
京所道の名はこの道が京所の中心を通ることに由来します。その道は甲州街道が開設(慶安頃・164852)されるまで初期の甲州への道として重要な役割を果たした道です。(標柱)


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京所
京所(きょうづ)は現在の宮町二丁目の一部・三丁目(京所道沿い)に集落の中心があった村落です。この集落は六所宮(大国魂神社)の社領で八幡宿に属しており『新編武蔵風土記稿』(幕末の地誌)には「六所社領」の小名としてその名が見えます。地名の起こりは経所(きょうじょ)が転訛したものといわれており、ここに国府の写経所のような施設があった名残だと伝えられています。延宝6年(1678)の六所明神領の地検帳には「きょう女」の字があてられています。京所のように「京」のつく地名は国府の所在地には多くあります。この地域からは数多くの掘立柱建物跡が検出されており武蔵国国府(国衙)跡として有力なところです。(説明板)

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府中崖線の坂①地獄坂/宮町
この坂の由来は明らかではありませんが昔、この坂道を繁茂した竹や草木がおおいかぶさり、また周囲の木立などがうっそうとして薄暗くそれはあたかも通行する人の心に地獄への未知のようなイメージを与えていたことによるのかもしれません。別名を「暗闇坂」ともいいますがこの名前は坂道の薄暗い状態から由来していると思われます。坂の西側の叢林は55日の暗闇祭で有名な武蔵総社大国魂神社の杜です。(府中市)

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府中崖線の坂②天神坂/宮町
この坂の名は大国魂神社の末社天神社」がまつられている天神山に由来します。この山は「国造山」とも呼ばれています。天神社は普通「てんじんしゃ」と呼ばれ菅原道真を祭神とする天満宮と混同されていますが本来は「あまつかみのやしろ」と呼ぶのが正しいようです。そのためこの神社の祭神は菅原道真ではなく少彦名命です。天神社は古くから人々の信仰をあつめ道の名や地名として今に伝えられています。(府中市)

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府中崖線の坂③普門寺坂/宮町
この坂名は坂の西側にある真言普門寺の寺名に由来します。別名を「薬師の坂」「古墳の坂」といいます。これは普門寺にまつられている薬師如来からついた名のようです。この薬師様は「目の薬師様」として有名で、毎年912日の供養の縁日には大勢の人が「お目玉」をうけにやってきます。「古墳(ふるはか)」の名は寺の北側にあった古い墓にちなんだものといわれます。ここには昔、西蓮寺という寺があったそうです。坂の西側地域は国庁跡の有力地です。(府中市)

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崖線の下は東京競馬場、馬霊塔や石仏が集められています/競馬場通り


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馬霊塔/宮町
馬霊塔は競走馬の供養のために建てられたもので、左右に10数基の墓石が並んでいます。墓石には昭和26年に皐月賞と日本ダービーを制したトキノミノルをはじめオールド競馬ファンには懐かしい歴代の名馬の名前を見つけることができます。(府中観光協会)

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日吉神社鳥居/宮町

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本殿                 参道

天神社
大國魂神社東方約500m宮町3丁目京所の東端・競馬場に面して小高い所にあり、そこを天神山といい欅の巨木数本がある。また別名丸山ともいいその西北隅・日吉神社の北側に鎮座し一間半四方の覆屋をもつ小社が北面する。北面の末社としては本社と共に数少ない社である。天神山は競馬場が移転する以前もっと東方に延び現在の倍以上の岡であった。一説に国造の墳墓跡ともいわれている。新編武蔵風土記稿に「除地二段、小社、祭神少名彦命」とある。この神は大國主命と義兄弟となって国土経営に当たった神として国府に多く祀られている。天神山の東方から南方にかけて天地(天神の転訛)または天神下などという広い範囲に亙る地名がありもとは相当の信仰があった。ここで近藤勇の天然理心流4代目襲名の野試合が行われた。(嘉慶二2の私案抄文中に「総社の摂社と並べ載たる中に天神の宮とある是れなり」と記されている。)(大國魂神社HP)

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普門寺境内/宮町

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普門寺
正しくは大悲山清涼院。本町にある妙光院の末寺です。真言宗豊山派。本堂は以前この地にあった西蓮寺の薬師堂とのことです。1537年権大僧都恵伝法印が室町末期の戦乱で荒廃した寺を再建し、薬師如来を安置し衆生の病患を救い災難を除くよう祈ったとされています。以来普門寺の薬師様は「目の薬師様」として知られ912日の縁日には多くの人が「お目玉」をお供えしてそのお下りをいただき目の病の快復を祈ります。(府中観光協会)

大国魂神社・武蔵国衙跡などの関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23803641/


・・・八幡町

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街道の風景②この先崖線を右手方向に下ります/府中競馬場正門前駅

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八幡宿(はちまんしゅく)
八幡宿は現在の八幡町12丁目の一部(旧甲州街道沿い)に集落の中心があった村落です。この村落は六所宮(大国魂神社)の社領に属しており、『新編相模風土記稿』(幕末の地誌)には「六所社領」の小名としてその名が見えます。もともと八幡宿は国府八幡宮の周囲に発達した村落ですが、甲州街道が開設(慶安頃=164852)されたのに伴って街道筋に移動したものです。宿場町のような村名ですが八幡宿は農業を中心とした村落です。地名の起こりはこの地に国府八幡宮が鎮座していることによります。国府八幡宮は由緒深いお宮で聖武天応(在位724749)が一国一社の八幡宮として創立したものと伝えられています。(案内板)

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府中崖線の坂③天地の坂/八幡町
この坂名は昔、坂の下に「天地」の屋号の家水車があったことに由来しているといわれます。このあたりはひところは湧水が多く古地図などにもその名が記されています。そのためハケ下にはワサビ田が広がりその風景は一幅の絵画を見るようだったといわれます。ハケ下には滝も流れ落ちていたといわれ「たきの下」「たきの前」の地名が歴史的に確認されています。昭和の初期ごろまではこれらの湧水を利用した水車が数多くあったそうです。(府中市)

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府中崖線の坂④馬坂/八幡町
この坂の由来は明らかではありませんがすでに明治のころには使われていたといわれています。江戸時代、新宿に「おん馬屋(現八幡町)と呼ばれていた旧家の下氏(しもし)がおりあるいはその坂の名は下氏の俗称「おん馬屋」から由来しているのかも知れません。府中は古くから馬との関わりが深い町で、近世には馬市が盛んに行われています。府中の馬市からは将軍家御用馬や関ヶ原・大阪の役に使用された軍馬が供給されています。(府中市)

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武蔵国府八幡宮二の鳥居/八幡町

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武蔵国府八幡宮
府中市八幡町に位置する神社であり一国一社の八幡宮、武蔵国の国府八幡宮である。祭神は応神天応(誉田別命)、八幡神。総社は当社より西側にある大國魂神社。神社の入口は旧甲州街道に北面しており「武蔵国府八幡宮」と記された石碑と石灯篭、一の鳥居がある。長い参道を南へ進むと半ばに京王競馬場線が横切っている。踏切を渡ると京王電鉄が奉納した二の鳥居と立派な門がある。さらに進んで左(東方)へ折れるとすぐ三の鳥居と手水舎がある。その先右手に社務所、正面に灯篭、狛犬、拝殿がある。本殿は西向きになっている。六所宮に至る京所道が西側、南側を東西に東京競馬場から品川道へ至る「八幡道(やわたみち)」という道がある。Wikipedia

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国府八幡宮(こくぶはちまんぐう)
令制国の国府(府中)の近くに創建された八幡宮である。「府中八幡宮」と称されたり「国分八幡宮」と表記されることもある。国府八幡宮には神社によって国衙の鎮守であると伝えるものと、国分寺の鎮守と伝えるものとがある。一般に国府と国分寺は近くにあることが多く両者が混同されたものもあると見られている。総国分寺である奈良の東大寺の鎮守社が手向山八幡宮であることから各地の国府・国分寺でも八幡宮を鎮守としたとも考えられる。これらの国府八幡宮は国府の近くにあることから後に総社の機能を持つようになったものもある。「一国一社の八幡宮」「一道一社の八幡宮」と称する八幡宮も国府八幡宮に由来するものとされる。Wikipedia

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総社
特定地域内の神社の祭神を集めて祀った(合祀)神社のことである。日本の律令制において国司着任後の最初の仕事は赴任した令制国内の定められた神社を順に巡って参拝することであったが、平安時代になって国府の近くに総社を設け、そこを詣でることで巡回を省くことが制度化された。総社の多くは中世にいったん廃れたが、後に再興されたものも多い。ただし今に至るまで再興されずにいるものや、どの神社が総社だったのかわからなくなってしまった国もある。Wikipedia

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江戸名所図会 府中八はた八幡宮 (わたしの彩(いろ)『江戸名所図会』から引用

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八幡道/八幡宮             八幡道/鳩林角

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八幡道
八幡道(やはたみち)の名はこの道が国府八幡宮のそばを通る事に由来します。江戸時代の古図にもこの名が記されており道筋は北東に向かい品川道と通じていたようです(標柱)
(橙:八幡道 赤:品川道・京所道 紫:旧甲州街道 茶:20号 緑:競馬場通り)



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競馬場通りを横断/清水ヶ丘1      京王線踏切を横断/東府中駅

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府中駅周辺地図
(赤:品川道 橙:旧甲州街道 紫:国道20号・府中街道・競馬場通り)


・・・清水ヶ丘

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街道の風景③ 踏切を渡ると品川街道の標識があります/東府中駅先

2017
年現在「品川道」・「品川街道」と標識で確認が取れるのは府中市内の東府中駅前地点からで、旧甲州街道との分岐点から東である。京王線とほぼ平行しており一里塚脇、白糸台文化センター西交差点、西武多摩川線の白糸台駅南踏切を渡り、所々の道標識を見ながら東へ進み調布市との市境付近まで所々に古い面影が見られる。一里塚は甲州街道であった時代の跡でありかつては六所宮まで続いていた。Wikipedia

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甲州街道常久一里塚跡/清水が丘
一里塚は旅人に里程を知らせるため街道の両側に一里(約4km)毎に築かれた塚で、我が国では江戸時代になり制度として確立した。すなわち慶長9年(1604)徳川家康は江戸日本橋を起点として東海・東山・北陸の三道に一里塚を築かせそれを全国に普及させた。塚上には塚を固めるため榎をはじめ松や欅などが植えられ、これが旅人にとっては日ざしをさける木かげの休所となった。この常久(つねひさ)一里塚跡は、江戸初期に整備された甲州街道の日本橋から七里のところに設けられた一里塚の跡と伝えられているものである。府中市内ではこのほか日新町1丁目の日本電気株式会社府中事業所内にある一里塚跡が「市史跡 甲州街道本宿一里塚跡」として府中市指定文化財となっている。(府中市教育委員会)

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左側が『武蔵名勝図絵』に描かれた「本宿一里塚(日本電気工場内)、右側は『府中東方面村落古図写し』(享保・元文年間)の常久一里塚/案内板
(赤:品川道 橙:八幡道 紫:旧甲州街道 赤丸:一里塚)


・・・白糸台


現在の白糸台地域は江戸時代には上染谷村、下染谷村、車返村と称されており、車返村古名白糸村といいます。染屋・白糸という地名はその名のとおり製糸布染めに由来するようです。この地域は昔から蚕を飼い絹糸を作っておりそれを世田谷の砧に送り、糸をさらし、それを上染屋、下染屋にまわし糸を染め上げて八王子の織屋に送りこれを国府に納めたものであるという言い伝えがあります。近隣の「調布」「布田」といった地名と由来がよく似ています。(府中市)


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街道の風景④ 右折が多摩霊園駅、子の次の信号を右方向に進みます/九中通り

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上染屋(かみぞめや)
上染屋の集落はもともと多摩川のほとり小字でいえば龍ヶ島・亀沢・鶴代の辺りにありましたが、度重なる洪水を避けて現在の甲州街道沿いの白糸台1丁目の一部に移ったものといわれています。地名の起こりは俗説として調布(てづくりぬの)を染めた所とか、鎌倉時代に染殿のあった所とかいわれ、染屋の名は南北朝時代の資料にも見えています。古くは染屋という一つの村落であったものが時期は不明ですが上染屋下染屋に分かれたものです。寛永12年(1635)の検地帳には上染屋の名が記録されています。幕末の地誌『新編武蔵風土記稿』に「甲州街道の村にて、民戸五十三軒、往還の左右に並居」とあります。(説明板)

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上染谷不動尊境内/白糸台(旧甲州街道)

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上染谷不動尊
国指定重要文化財の「銅像阿弥陀如来立像」が安置されています。像高48.8cm、台座12cmの小さな仏像で、円満・優美な相貌を持っています。背中の銘から弘長元(1261)年に上州八幡庄(群馬県)の友澄入道によって鋳造されたことがわかります。毎年、東京文化財ウィーク期間中の113日(祝)に一般公開が行われています。(府中市)

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右手から西武線を越えます          左角に庚申塔/府中四小角

品川道/府中4小角

品川道の名はこの道が品川宿へ通じるだったことに由来します。この道は「品川街道」「筏道」などとも呼ばれます。この道筋には一里塚(市史跡)があります。(標柱)

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街道の風景⑤ 住宅地を武蔵台駅に向かいます/白糸台中央公園

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品川道ルート地図(府中~飛田給)
『東京古道散歩』/萩窪圭氏著のルートを参照しました。
(赤:品川道 紫:旧甲州街道)

by Twalking | 2017-07-23 21:55 | 東京散歩(新規)

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多摩丘陵/多摩市
雲さん、笑ってる~・・・
少し涼しくなったかな。

by Twalking | 2017-07-22 21:35 | ○雲

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 黄金の馬-アハルテケ像   

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アハルテケ像
府中競馬正門前駅/府中市


砂漠を懸け抜ける黄金の馬
3000年前の昔、抜群の持久力と暑さに対する抵抗力を備えた馬がイラン北部の砂漠地帯で飼われ始めました。大胆で忍耐強く流麗な走りを見せるこの馬はアハルテケと呼ばれ現在も馬術競技で活躍しています。金色に輝く毛並みを風になびかせて走るアハルテケは、世界で最もめずらしくかつ美しい馬と言えるでしょう。(説明板)

by Twalking | 2017-07-22 18:33 | ○石像&モニュメント

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 アザミ   

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アザミ
あたご散歩道/多摩市愛宕
おはよ~
元気に咲いてるね、いいぞ~!


アザミ
(薊)
キク科アザミ属及びそれに類する植物の総称。標準和名を単にアザミとする種はない。葉は深い切れ込みがあるものが多い。また葉や総苞にトゲが多く触れれば痛い草の代表である。頭状花序は管状花のみで作られていて、多くのキクのように周囲に花びら状の舌状花がならばない。花からは雄蘂や雌蘂が棒状に突き出し、これも針山のような景色となる。花色は赤柴色や紫色をしている。種子には長い冠毛がある。スコットランドではそのトゲによって外敵から国土を守ったとされ国花となっている。花言葉は「独立、報復、厳格、触れないで」。(Wikipedia

by Twalking | 2017-07-22 10:04 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 京王競馬場線   

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京王競馬場線/府中市八幡町
右手が武蔵国府八幡宮、いい森です。
品川道が東府中に向かって通っています。


京王競馬場線

東府中駅と府中競馬正門前駅を結ぶ京王電鉄の鉄道路線。通常運行が行われている複線の鉄道の中では路線距離が0.9 kmと非常に短い。路線名のとおり東京競馬場へのアクセスを目的として敷設された路線で、東府中駅付近をのぞく路線のほとんどが府中市八幡町内にあり、途中で武蔵国府八幡宮の参道を横切っている。(Wikipedia


by Twalking | 2017-07-21 23:04 | ○station

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木陰
多摩川土手/西河原公園(狛江市元和泉)
うだるような暑さ
ここならいいかな~
いい風、吹いてま~す。

by Twalking | 2017-07-21 21:35 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

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松が谷散歩道/八王子市松が谷
カラットして清々しいですね
吸い込まれそう~。


by Twalking | 2017-07-20 21:38 | ○写真上達への道

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梅雨明け
山王下緑地/多摩市山王下
う~ん、涼やか~!
なによりですね、
ありがとう~。

by Twalking | 2017-07-20 11:16 | ○写真上達への道