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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 仁王像-九品仏浄真寺   

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阿形

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吽形
九品仏浄真寺/世田谷区奥沢
こちらは右に阿形、左は阿形です。
重厚な仁王門は見応え十分ですね。



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紫雲楼(仁王門)楼上の二十五菩薩
当山に参詣される人々は、この楼上に安置してある阿弥陀如来と二十五菩薩に迎えられて、三仏堂へと足を運ぶことになる。すなわち紫雲の門より内は荘厳の浄土(彼岸)であることを示している。この楼門は寛政年間の建立である。当山の伝統相続行事である「二十五菩薩来迎会(らいごうえ)」(お面かぶり)は無形文化財に指定せられ、この楼上の二十五菩薩は、来迎の真髄を示現していることになる。

仁王門
重厚荘重なる仁王門(山門)は別名「紫雲楼(しうんろう)」とも呼ばれ寛政5年(1793)の建立である。一対の仁王像、楼上に阿弥陀如来と二十五菩薩像が安置されているほか風神・雷神の像も立って、寺域全体の安全が意図されている。(浄真寺)

by Twalking | 2017-08-18 13:38 | ○石像&モニュメント

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 品川道(3)筏道02-岡本   

日時 2017.8.13(日)
天気 曇り

世田谷時代、家族そろっての食事というと
二子玉川のレストラン、でしたね。
いろんなお店があるし、駐車も便利でした。

難点は道が混むこと、狭いし信号多いですから。
そんな時、裏道として使ったのが岡本の坂、
眺めもいいし、変化があって好きな道でした。
懐かしいですね~・・・岡本、楽しみです。



・・・岡本

明治22年砧村の大字となる。昭和11年
年より世田谷区岡本町。近代において国分寺崖線沿いには政財界重鎮の別邸が多く建てられたが岡本にも岩崎小弥太、鮎川義介、高橋是清などの別邸が存在した。地名は村内の長円寺の山号からとった、或いは木曽義仲配下の岡本成勝の出身地であることに因むなどと伝えられているが、実際は地形的な命名と考えられる。Wikipedia

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街道の風景① 永安寺からすぐですがハケ下ではなかったようですね~?/水神橋

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せたがや百景-岡本玉川幼稚園と水神橋
岡本幼稚園の建物は2・26事件で暗殺された蔵相高橋是清別邸だったもので、山荘風の構えがよく幼稚園にマッチしている。風光明媚な国分寺崖線には戦前多くの高官や財界人の別荘別邸が立てられ現在の良好な住宅街に引き継がれてきた。水神橋あたりには当時別荘から眺められた田園風景の面影がそこはかとなく残っている。(せたがや百景)

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六郷用水の歴史
六郷用水は徳川家康の家臣小泉次大夫吉次によって慶長2年(1597)から15の歳月をかけて開削された農業用水です。この用水は多摩郡和泉村(現狛江市)で多摩川より取水し、多摩川に並行して掘られ、全長23.2kmありました。堀の幅は世田谷領では平均4.5mありました。主に六郷領(現大田区六郷付近)の35ヶ村を灌漑する目的でしたが、併せて用水が通る世田谷領14ヶ村もその恩恵を蒙りました。六郷用水は小泉次大夫吉次の名にちなみ次大夫堀とも呼ばれています。(世田谷区)

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川の風景① 西谷戸橋からは「丸子川水親公園」になっています/岡本民家園付近

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池の風景 盆休み、お子さん達が伸びやかに遊んでいました/岡本公園

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岡本公園/岡本
1977年(昭和55年)に開園した公園で、メインは江戸時代に建てられた建物を展示した民家園である。園内はかつて世田谷区内で見られた農村生活を身近に見られるように世田谷区の有形文化財第一号に指定された旧長崎家住宅主屋と旧浦野家土蔵、旧横尾家住宅椀木(うでぎ)門を復元し、世田谷周辺で江戸時代後期の典型的な農家の家屋敷を再現している。その他園内には遊具整えられていたり隣接して次大夫堀(丸子川)が流れていたり、また近隣には岡本静嘉堂緑地があったり緑豊かな地域になっている。園内は広く公開されており、民家園では一般の人が参加できる様々な行事が年中執り行われている。Wikipedia

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旧長崎家住宅主屋
区内の瀬田に建っていた旧長崎家住宅主屋は江戸時代後期の建物です。長崎家は村の民政を行っていた村方三役の一つ百姓代を勤めた家でした。主屋の間取りは創建当時広間型形式と推測されています。その後、文政期に当家が百姓代になると室内空間を拡大するため現在復元されている食違い四ツ間取り形式へと増改築されたと考えられます。この改築に伴い、デイに重きが置かれるようになり床と平書院が設けられました。またこの改築により大黒柱や差し鴨居が用いられるなど大幅な構造の変更を行いました。(パンフ)

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旧横尾家住宅腕木門
大正13年、区内桜に建てられたこの門は数寄屋風の形式で造られています。農家の形式とは異なることから、ここでは岡本八幡神社の参道に面した場所に裏門として復元しました。(パンフ)

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岡本隧道
この案内板から右50m、民家園の左奥に石垣囲いの蒲鉾型の扉があり、中は高さ2m、幅2.5mのトンネルになっていて、そこには直径80cmもある送水管が通っていてその長さは120mに及びます。1921年(大正10年)当時の豊多摩郡渋谷町(現在の渋谷区)では多摩川の水を町に引き込もうと大規模な水道工事を始めました。砧下浄水場で取水・浄化された水は駒沢給水所、三軒茶屋を経て渋谷に至り、地下の送水管は南西から北東へ直線的に世田谷を跨いでいます。水は駒沢給水所までは揚水ポンプの力で高く持ち上げられ、給水所から渋谷までは自然の重力で送水されました。砧下浄水場を出てすぐにこの岡専用のトンネルが利用されました。これらは1923年(大正12年)に竣工した近代水道の建造物であり、今でも珍しい施設で極めて貴重な歴史的遺産です。(世田谷区教育委員会)

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せたがや百景-岡本民家園とその一帯
瀬田から移築復元された茅葺きの古民家を中心に農家のありさまが再現されている。鶏の遊ぶ庭先、野菜や草花の植えられた畑など当時そのままの姿を見ることができる。民家園の隣には岡本の鎮守様八幡神社が深い木立の中に鎮まっている。また民家園のある岡本公園の一角ではホタルを養殖しているが、これは崖線から湧き出る清冽な水が利用できるからだ。夏の夕辺にはホタルの飛びかう姿を見に多くの人が岡本公園を訪れる。(せたがや百景)

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八幡神社鳥居/岡本


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八幡神社
神体は30cmばかりの木像である。「新編武蔵風土記稿」には「除地一段、小名河原ニアリ、本社ニ間四方、南向ナリ、神体ハ木像ニテ長サー丈許其作ヲ伝へズ 坂下ニ石ノ鳥居ヲ立、石階60段アリ、例祭ハ927日、(下略)」と記しているが、現在の堂宇は大正11に改築しており、石段も明治128月に再建し50段である。坂下に石の鳥

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居が立ち、高い石段を登ると松やけやきの大木が生い茂り、小島のさえずりがきこえ、いかにも村の鎮守らしい宮居である。鳥居のほとりに天保5年と記した手洗鉢が放置されている。祭礼は10月の第1、土・日の2日間行なわれる。(せたがや社寺と史跡)

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岡本静嘉堂文庫/岡本

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岡本静嘉堂文庫
武蔵野の面影をよく留める丘陵の一隅にこの建物は建っている。鉄筋コンクリート造2階建てスクラッチ・タイル貼りの瀟洒な建物で、イギリスの郊外住宅のスタイルを濃厚に表現している。静嘉堂文庫は元三菱合資会社の第4代社長であった岩崎小彌太がその父彌之助の収集した日本や中国の貴重な古典籍を永久に保存し更に研究者に公開することを目的に建設されたものである。設計者の桜井小太郎はイギリスで建築を学び、英国風の落ち着いた品格あるデザインを得意とした。岩崎小彌太も明治33年イギリスに留学し、ケンブリッジ大学を卒業した英国通でもあり、両者の呼吸が一致した作品でもある。内部は玄関ホール。ラウンジ、閲覧室、2階に応接室等があり19世紀後半のイギリスのアーツ・クラフト運動の雰囲気を持っている。(東京都生活文化局)
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岩崎家廟堂

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岩崎家廟堂案内
この奥にある青緑色のドームを戴く白亜の建物は、静嘉堂文庫を創設した岩崎弥之助の霊廟として建てられ岩崎弥之助、小弥太をはじめ岩崎家代々の墓である。明治433月、わが国西洋建築の始祖というべきジョサイア・コンドルによって建てられた。コンドルは鹿鳴館、ニコライ堂、三菱1号館なども設計している。青銅の扉に刻まれている中国の二十四孝のレリーフ並びに全面の大香炉は岡崎雪聲の作品である。また森の奥には松形正義の文と書による男爵岩崎君墓碑がある。この霊廟は平成11年東京都により歴史的建造物に選定された。(世田谷区教育委員会)

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岡本静嘉堂文庫正門          大蔵通り

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せたがや百景-岡本もみじが丘

綾錦のような紅葉に松の緑を点々と散りばめた秋景は息を呑むようで多摩川八景(行善寺八景)の一つ「岡本紅葉」とうたわれた。今、開発の手から守ろうとする地元の熱意は強い。(せたがや百景)

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岡本静嘉堂緑地

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岡本静嘉堂緑地
岡本静嘉堂緑地は国分寺崖線の一画にあり、もとは岩崎家の所有する庭園であったものです。昭和20年頃までは庭園とともに維持管理されていたものが、その後人の出入りもなくほぼ自然状態のままにあったため貴重な自然が残されています。地域の貴重な財産として末永くこの緑地を残し、人々が身近に自然にふれるあえる場となることを目指しています。(砧公園管理事務所)






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国分寺崖線の自然
国分寺崖線とは武蔵野段丘の南縁に位置する段丘崖線で、立川市の北東に始まり国立市、国分寺市を通って世田谷区の等々力へと続く高さ10m~20mの崖です。崖線の直下には崖線の武蔵野礫層から湧水によって養われている野川が流れています。かつて崖線の南側には水田、北側には雑木林がありました。国分寺崖線はその地形から開発の影響が他に比べて少なく、東京の区部では武蔵野の自然を偲ばせる最後に残された地域となっています(案内板)

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坂の風景①「馬坂」大蔵通りから瀬田に上ります。右手が瀬田4丁目旧小坂緑地、坂上と坂下に入口があります

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旧小坂家住宅/瀬田
旧小坂家住宅は衆議院議員などを歴任した小坂順造1881-1960)が、昭和12年に別宅として建てたものである。昭和124月の空襲で渋谷区金王町にあった本宅が焼失した後はここを本宅としていた。多摩川沿いの国分寺崖線は自然がよく残り明治から昭和初期にかけて政財界人の別邸が多く建てられた。この住宅もその一つで、崖線の中腹にある湧水と緑を巧みに取入れた屋敷構えを持つ。

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主家は大地上に建てられ主家棟、書斎棟、二階建の寝室棟が雁行型に配置され、全ての棟から崖線越しに多摩川の流れを望む。三棟建物は外観を和風に統一しながら内部は、主家棟は和風その他を洋風とし趣を変えている。主家棟や書斎棟に見られる古民家風の意匠は、別邸ならではの個人の趣向のみならず大正から昭和前期にかけて流行した民家風和風住宅の形式を色濃く反映したものとなっている。当時の政財界人の生活・文化意識を良く表しており、建築史、分化史を知る上で貴重遺構である。また、当時この辺りに多くあった別邸のうち現存するものは他になく、地域史を知る上でも重要である。(世田谷区教育委員会)

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瀬田4丁目旧小坂緑地
緑の生命線である国分寺崖線の斜面樹林の一部であり、園内には区指定有形文化財「旧小坂家住宅」と紅葉と竹林が美しい湧水の流れる庭園があります。ここはかつて衆議院議員などを歴任した小坂順造氏の別邸として利用されていました。多摩川が近く国分寺崖線の緑が多いこの地域は、明治から昭和にかけて建てられた別邸が多くありました。都心から玉川電車で往来できるこの辺りは、当時の財界人の週末住宅として絶好の立地でもありました。昭和12年に建てられた「旧小坂家住宅」は別邸として現存する貴重な近代建築です。木造和風平屋建(一部2階建)で、萱葺き風の古民家を思わせる外観を持ち、南向きの斜面を利用した庭園と一体となった美しい景観を形成しています。また、庭園部分はコナラ、トチノキなどの大きな樹林が武蔵野の雑木林の面影をとどめており、崖面からあふれる貴重な湧水は園内に潤いを与えています。散策路や木道を回遊しながら国分寺崖線のみどりとみずを身近に感んじられる空間となっています。(案内板)

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下山稲荷神社鳥居/岡本町

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下山稲荷神社
祭神は倉稲魂命。多摩川岸に近い丘陵の上の欅椿榎等の古木繁茂せる地に鎮座している。社は南向で1間に9尺。欅造りの小祠ながらかえる股、唐獅子等の彫刻を掘施してあり、古い時代よりの神社との土地の古老の説であるが創立の年月は不詳である。当地の芹田氏に古い時代の鰐口が頚けてあり、祭礼の度に向拝にかけて使用している。祭礼は毎年215日と定め、小字下山の20人の旧農家の人々により講社を結成しており、毎年5人ずつを年番役に当てて、五穀豊穣を祈る初午祭を行っている。(せたがや社寺と史跡)

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川の風景② 静嘉堂緑地下で谷戸川が合流します/下山橋

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丸子川親水公園-下山橋
ここから西約900mにある仙川の水神橋際からはじまる丸子川は国分寺崖線に沿って大田区へと流れています。丸子川は江戸時代初期に小泉次大夫と多くの農民の手により開削された六郷用水の一部で、世田谷では俗に「次大夫堀」とも呼ばれてきました。丸子川親水公園は親水橋からここ下山橋までの区間で、水辺の遊歩道に沿って岡本民家園や静嘉堂緑地が続きます。(きしべの路)


・・・玉川


世田谷区の南西部に位置し周囲を鎌田・岡本・瀬田・上野毛の各町に隣接する。多摩川高島屋ショッピングセンター、東急田園都市線・大井町線二子玉川駅、兵庫島公園がある。Wikipedia
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坂の風景②「慈眼寺坂」慈眼寺経由で下ってくる大山道と交差します/次太夫橋

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親柱のイラスト            次太夫橋の標柱と案内板

治大夫橋
大山道とは大山詣りの道のことで大山は神奈川県伊勢原市にあります。世田谷を通る大山道は江戸赤坂御門を起点とし二子玉川で多摩川を経て伊勢原から大山まで続いています。二子玉川にはここ治大夫橋を渡る大山道と、行善寺の東側を通る大山道があります。(世田谷区)


大山街道慈眼寺坂Rの関連記事はこちらへ(
http://teione.exblog.jp/22627917/

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坂の風景③ 246号・東急線の先で善行寺経由の大山道と交差します/調布橋

善行寺坂

急勾配の行善寺坂を登りきったところに行善寺がある。昔、寺の境内からは多摩川の眺望が開け行善寺八景とうたわれた。行善寺坂はもと大山道の一部だった道で、の街道は八十八坂七曲といわれるほど起伏の多い地形を通っていた。(せたがや百景)

大山街道善行寺坂Rの関連記事はこちらへ(
http://teione.exblog.jp/22650910/

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街道の風景②「南大山道道標」の立つ辻、右折が二子の渡しへの道です。この辻で多摩堤通りからの筏道が合流します/調布橋

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調布橋道標/玉川2丁目
ここの道標は安永6(1777)瀬田村の講中により六郷用水脇に建てられたもので『南大山道、左・西、赤坂道、右・東、目黒道』となっている。この用水前の道は筏道、奥多摩へ帰る筏師たちが利用した。調布橋の名は新しい。(みどころマップ・川崎国道)

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二子玉川周辺の案内図
(紺:丸子川 青:多摩川・野川 青点線:筏道 赤点線:大山道)


by Twalking | 2017-08-17 22:17 | 東京散歩(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 多摩川駅   

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東横線多摩川駅/大田区
綺麗になりましたね~
昔の面影は全くありません。


多摩川駅

大田区田園調布一丁目にある東京急行電鉄の駅である。線路名称上で当駅に乗り入れているのは東横線と東急多摩川線の2路線である。ただし東横線には田園調布-日吉駅間の複々線を利用して東横線の列車と目黒線の列車も乗り入れておりそれぞれ別路線として案内されている。そのため当駅は東横線・目黒線・東急多摩川線の3路線の接続駅として案内されている。198811月から19976月にかけて東横線複々線化の一環として田園調布-多摩川(旧多摩川線)間改良工事が行われ当駅についても駅舎の大規模改造工事が行われた。東横線、目黒線ホームは高架に島式ホーム24線、東急多摩川線ホームは地下に島式ホーム12線がそれぞれ設置されている。(Wikipedia

by Twalking | 2017-08-17 20:58 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 夏の宵   

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多磨センター入口/多摩ニュータウン通り
シトシトピッチャンに
リンリンリンリンの虫の声
ちょっと、早いんじゃないかい、鈴虫くん。

by Twalking | 2017-08-16 21:58 | ○たま-2017

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 品川道(3)筏道01-宇奈根   

日時 2017.8.13(日)
天気 曇り


このところ天気はぐづつき気味ですが、
予報が晴れでしたので出掛けてみました。
暑いので街中は避けて木陰のあるハケの道へ。

なんだか予報外れたみたいですね~、
でも歩るくには幸いだったかもしれません。
知行院から品川道別ルートと筏道を行ってみます。



・・・喜多見

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街道の風景① 成城から登戸道を知行院門前の分岐へ向かいます/内田橋(次太夫堀)

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門前から南西へ向かう品川道          東名を潜ると宇名根です


・・・宇奈根(世田谷区)

宇奈根という地名については『武蔵名勝図会』という書物には「上古の世には海比(うない)と号せしにや。万葉の古詠などにもありけり。それより唱えを転じてウナニともいいけるや。上古には溝渠をウナニと唱へける由」云々とあります。この溝渠はどぶではなく用水路だろうとされ、平陸の地で昔から農業(陸稲)がさかんだったと思われることからウナニが多くあり、これが転じてウナネになったとする説、宇奈根神(宇迦売神なら稲の神様)という穀物の神様説、畦目(うなめ)、畝目(うねめ)からつけられたとする説など、さまざまです。(世田谷区)

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街道の風景② 筏道はこの一本左側、寺社は右側にあります/荒玉水道道路

荒玉水道道路(都道428号)
杉並区梅里から東京都世田谷区喜多見に至る特例都道(約9km)である。道路の地下には荒玉水道の水道管が埋設されておりほぼ全線が一直線の道路形状となっている。1934年(昭和9年)竣工、当初は歩行者専用道路で1962年(昭和37年)より自動車通行可能となった。水道管保護のため重量制限が設けられており大型車両は通行できず、幅の広い車両の進入を制限するために他道路との交差部にポールが設けられているのが特徴である。Wikipedia

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観音寺山門/宇奈根


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薬滝山修善院観音寺(天台宗)
永正年間(15041521)川越喜多院・実海僧正の創立で、本尊は十一面観音、伝教大師作と伝え、円正寺といい小田原にあった。後、氷川社のかたわらに移築したが天文の頃兵火に罹り、元亀年間(15701573)此の地に再建した。円正寺という寺号が炎上と同音なのを忌み今の名に改めた。墓域に後北条の家臣荒井対馬守治義およびその子孫で、井伊家世田谷領の大場氏とともに代官をつとめた当地の水田開拓者、荒井以謙善応父子の墓がある。境内の大銀杏は樹齢数百年といわれる。(世田谷区教育委員会)

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宇奈根氷川神社鳥居/宇奈根町

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宇奈根氷川神社
祭神は素盞嗚尊。喜多見町、大蔵町のそれと共に氷川三所明神のーで「新編武蔵盟風土記稿」には「小名中通リニアリ、村内ノ鎮守ナリ、本社四尺五寸四方ノ東向、上屋二間半四方、前ニ木ノ鳥居ヲ立ツ、神体ハ白幣、イツノ頃鎮坐セシト云コトヲ伝ヘズ、村内観音寺持」とある。村の鎮守で明治4年村社となった。昭和25年の戦災にあったが同3710月社殿を建立した。境内に樹令数百年を経たと思われる銀杏の大木があるが、地上10m程のところで切断され、そのかたわらから数本の枝が出てまだ樹勢の衰えを見せていない。(せたがや社寺と史跡)

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世田谷百景-宇奈根氷川神社
農村風景をそこかしこにとどめる宇奈根。氷川神社の境内には子ども達の遊ぶ姿を見かけることも多い。村の鎮守様は健在だ。都市化の波でつぎつぎに失われていった村の鎮守の原像を見る思いがする。秋祭りには地区の人総出で大いに賑わう。(せたがや百景)
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常光寺/宇奈根町
日蓮宗身延山末、本尊は日蓮大菩薩、35cm程の木彫坐像である。越後の人・泉蔵院日礼はこの土地の青山氏に頼ったが青山氏は日礼に帰依して堂宇を創建して日礼を開山としたという。寺は昭和20525日の大空襲によってすべて災厄にあい、日蓮の尊像のみかろうじて助けだしたとの事である。元禄年間、喜多見若狭守断絶の際、種々の什物を然るべき所へ配ったといわれるがこの寺に手水鉢、石灯篭が送られた。空襲の時手水鉢は焼けてしまったが、石灯籠だけは焼け残って境内にある。高さ44cm程の小灯龍である。(せたがや社寺と史跡より)

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野川の手前の畑にひまわりが群生していました/ハンカチ公園

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川の風景① 多摩川の東側、畑もありますが住宅地ですね/野田橋 

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街道の風景② 野田橋を渡り宇奈根経由のルートもここで合流。直進が筏道になります/永安寺門前

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宇奈根周辺地図(赤:筏道 茶:荒玉水道道路 青:多摩川・野川)


・・・鎌田


鎌田村は隣接する大蔵村の村域内に18箇所飛地状に立地する小村であった。砧村成立時に大字鎌田になり、東京市編入で世田谷区鎌田町となるもいずれもそのまま飛地状態で存立していた。大蔵町の区域は内部に鎌田町が点在していたほか、岡本町、祖師谷一丁目、喜多見町、宇奈根町の飛地が混在しこれに1912年に神奈川県から編入した久地町、諏訪町(いずれも多摩川の河川敷)が含まれていた。市郡合併で旧大字をそのまま町に置き換えたために生じた飛地存続による弊害を1955年に解消することとなり、大蔵町を三分割して北部に砧町、南部に(新)鎌田町を設置して、(旧)鎌田町および当該各町の飛地を新設三町に振り分けた。その後1971年に実施した住居表示で再度区割りに変更が生じて現在の町域が確定した。
Wikipedia

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街道の風景③ ハケ下から離れ鎌田橋(野川)へ向かいます/吉祥院入口

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二差路を右折             砧南小の向かいに吉祥院

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吉祥院山門/鎌田町

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大聖山吉祥院
縁起によると当寺は天平12年(740行基の開基と伝え、同人の作による地蔵菩薩立像を安置し、東覚山と称していた。本尊は不動明王坐像で開山良弁僧正の作と伝えられている。建武2年(1335)兵乱により堂宇などが焼失し、その後は世田谷吉良氏が当寺を再興するが、天正18年(1590)主君北条氏の没落と共に滅び、以降は無住となった。近世後期、周辺の村人によって伽藍などが建てられ現在の配置となる。また、当寺は玉川霊場第61番札所である。(世田谷区教育委員会)

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「贔屓」さんかな???        六地蔵

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天神社鳥居/鎌田町

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天神社
吉祥院の前にあり境内を接している。菅原道真公を祀る、御神体は束帯姿の道真公で約35cmの木彫坐像、胸にあたるところに梅鉢紋がえがかれている。堂宇は2間半に3間の小堂である。「新繍武議風土記稿」には「除地一段ニ畝、村内吉祥院ノ門前ニアリ、本社一門ニー間半、拝殿ニ間ニー間半、東向ナリ、神体ハ尋常ノ形ニテ長サ五寸余リ、社前ニ鳥居ヲ立、例祭ハ年々九月廿五日、本村ノ鎮守ニシテ吉祥院持、元ハ西寄りノ田間ニアリシヲ近村此処ヘ移ス、故ニ除地ハ其旧地ニアリ、社地ハ吉祥院境内ナリ、末社稲荷・神明合祀」と記されている。昔は人々その能筆ならんことを祈念して社の扉に筆をさげ、祈ったものだが今はその風習も絶えてしまったという。堂宇の右傍に明治35年村の有志によって建てられた菅公千年祭記念碑がある。(せたがや社寺と史跡)

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街道の風景④ この先筏道は多摩川沿いの多摩堤通りを二子へ向かいます/鎌田橋

野川(仙川合流地)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23104580/

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川の風景② ハケ下の方が面白そうなので仙川を上流へ/鳥居田橋


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坂の風景 懐かしい坂道です、坂上は「関東の富士見百景」に選ばれてます/西谷戸橋(仙川)


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せたがや百景-岡本三丁目の坂道
国分寺崖線には多摩川沿いに下る坂道が何本も通っている。岡本3丁目の坂道はなかでも勾配が強く、急な坂をたどるとき国分寺崖線の斜面を実感する。坂上からは丹沢の山々も眺望できる。(せたがや百景)


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川の風景③ 右が仙川、左の細い流れが丸子川です/西谷戸橋

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丸子川(まるこがわ)
世田谷区及び大田区を流れる一級河川。六郷用水下流部分が整備され名称を変えて残っている川である。世田谷区岡本3-25にある湧水を水源とする(世田谷区岡本の透明高速道路より下流に位置する仙川の新打越橋付近で取水され、地下の浄化装置を通った水が丸子川に流されているとの説があるが誤りである)。湧水の量は豊富であり、東名高速道路沿いに細い側溝を流れるのを見ることができる。仙川にぶつかる手前でほぼ直角に曲がり、仙川護岸沿いに蓋付きの細い側溝を流れる。15mくらいすると仙川護岸沿いにコンクリート蓋の暗渠になり、仙川の西谷戸橋付近からは開渠となって水神橋付近仙川から離れる。岡本公園周辺から仙川の西谷戸橋付近は整備された丸子川親水公園として南東へ流れ、世田谷区岡本で谷戸川を合わせる。さらに南東へ流れ、世田谷区野毛付近で矢沢川と交差し、大田区田園調布付近で多摩川に合流する。Wikipedia

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次大夫堀流路図(大蔵付近)/説明板
(紺:六郷用水 青:野川・仙川・谷戸川 赤:品川道 橙:筏道 紫:登戸道)


by Twalking | 2017-08-16 09:50 | 東京散歩(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 石仏-善養寺   

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善養寺/筏道(世田谷区野毛)
「ふぅ~・・・」
頬杖ついて思案のご様子。


by Twalking | 2017-08-15 11:23 | ○石像&モニュメント

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

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岡本民家園/世田谷区岡本
う~ん、美味そうだな~
なんだかウナちゃんに見えちゃって
夏バテにはいいでしょうね~。


by Twalking | 2017-08-14 18:50 | ○写真上達への道

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囲炉裏
岡本民家園/筏道(世田谷区岡本)
いぶしてないと蚊が寄ってくるので・・・
虫よけですね~、ありがとうございます。
ほっこりしました。


囲炉裏(いろり)

屋内に恒久的に設けられる炉の一種。伝統的な日本の家屋において床を四角く切って開け灰を敷き詰め、薪や炭火などを熾すために設けられた一角のことである。主に暖房・調理目的に用いる。数える際には「基」を用いる。古くは比多岐(ひたき)や地火炉(じかろ)とも言った。部屋中に暖かい空気を充満させることによって、木材中の含水率を下げ、腐食しづらくなる。また薪を燃やすときの煙に含まれるタール(木タール)が、梁や茅葺屋根、藁屋根の建材に浸透し、防虫性や防水性を高める。ただし、家の中に煙が充満することで眼病などの原因にもなる。Wikipedia

by Twalking | 2017-08-14 14:34 | ○写真上達への道

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草草履
岡本民家園/筏道(世田谷区岡本)
涼しいでしょうね~
なんだか懐かしい風景
惹きつけられます。


by Twalking | 2017-08-13 21:45 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 お地蔵さま-滝不動尊   

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お地蔵さま
滝不動尊/不動の滝(世田谷区等々力渓谷)
涼しげな、優しいお顔だこと
合掌。

by Twalking | 2017-08-12 21:36 | ○石像&モニュメント