日時 2022.7.30(土)
天気 晴れ
暑い日が続いていますが出かけてきました。
港北NTは新しく開かれた街ですが、
ここは古代遺跡や貝塚など多くの遺跡があります。
遺跡を見る前に歴史博物館を訪ねておきたいと
思い、中川と茅ヶ崎中央公園の散策ルートを
辿ってみました。木陰が多かったので良かったです。
・・・中川/都筑区
ブルーライン中川駅は高台にあります/中川歩道橋
中川歩道橋よりセンター北駅方向を見ます。右手がガーデンヒルズです
烏山(からすやま)
大棚の地名、山名、旧字名。村域の北にある字で迫り出す尾根があった。この山の名が字名になったものと思われる。カラスの多い山だったのだろうか。(「谷戸めぐり」さんの解説より)(写真:烏山公園)
E5遺跡
都筑区中川。1986年(昭和59年)~1988年(昭和63年)調査。縄文・弥生・古墳時代の集落。弥生時代の方形周溝墓。(Wikipedia)(写真:ガーデンヒルズ)
遥か相州大山を望みます。向かいの丘は鎌倉街道中道の道筋です
花と緑の散歩道
花と緑が美しい近隣の魅力スポットをつなぎ「歩く、眺める、ショッピングする」楽しさのまちづくりを地域住民が企画・提案し遊歩道整備をおこなった。商業地区に多数の花壇を設置し「みどり香るまちづくり企画コンテスト」で環境大臣賞を受賞した。(水と緑の散策マップ)
・・・山崎公園
公園入口からせせらぎに沿って下ると山崎の大池にでます
橋を潜ると「くさぶえのみち」に接続します/山崎の大池
釣りができる池です 緑が眩いですね・・・
くさぶえのみち「山崎公園」「牛久保西公園」から「牛久保公園」へと続く緑道。広がりがあり緑道というよりせせらぎのある谷や池のある広場という感じ。途中にあずまやがある。(水と緑の散策マップ)
公園入口のプールに戻り早渕川へ下ります。下り道は尾根道と尾根沿いの2つもルートがあります
山沿いに下る遊歩道です
こちらは尾根を行く小径です
山崎公園
港北ニュータウンの中では大規模な公園でプール、池、せせらぎ、運動場、雑木林、竹林、桜などがあり、四季折々の花と野鳥の宝庫となっている。柿の木坂には秋になると禅寺丸柿がかたわらに実る古木がある。(水と緑の散策マップ)(写真:下った合流点の竹林です)
山崎公園入口(しらさぎのみち)道路に面する山崎公園入口部分にはサクラやツツギが植えられており、住宅が立ち並ぶ道路沿いにあって春先は花のゲートのような景観を創出しています。山崎公園から都筑中央公園までを結ぶ散策ルート「しらさぎのみち」の起点となる場所です。(つづきの景観50/港北NT記念協会)
・・・中川八幡山公園
中央広場 朝早くから地元のになさんが盆踊り大会の準備を進めていました
中川八幡山公園
早渕川沿いの半島が突き出たような小高い丘の上にある公園。縄文早期・中期、弥生時代などの遺跡が昭和52年の調査で発見された。遺跡は発掘せず本来の考古学に関わる人への遺産としてそのまま保存されている。ここはまたタウンセンター地区や遠くは丹沢の山並みが見渡せるビューポイントで、春はサクラの花が咲き夏はスグリの実がなります(水と緑の散策マップ)(写真:中央広場のモニュメント)
いい眺めです。左の谷は柚木谷、尾根の先端が荏田宿、中央奥はあざみ野、早渕川は大曲して流れてきます

山崎公園を振り返ります 右手平坦部にプール、奥がガーデンヒルズです
ニュータウン北駅方向です 中央左の森が中川杉山神社、右が慈眼寺です
東善寺 浄土真宗本願寺派のお寺、奥の裏山が中川八幡山公園になります
参道 本堂
(大棚村)東善寺『見捨地、一段、字中村にあり、浄土眞宗、京西本願寺末、大棚山得蔵院と號す、開山浄念天正4年9月21日寂す、本尊は彌陀の立像長一尺四寸許、客殿六間に四間半坤向なり、此寺は古へ禅宗にて橘樹郡小机村雲松院の末なりしが、天正の頃改宗して今の宗門になれり、又古き半鐘を持傳へしが、其銘文の内には大永4年9月大棚山得蔵院改東善寺と刻せり、夫も文化3年鋳改めしと云。稲荷辨天合社。境内にあり』(新編武蔵風土記稿)
・・・
この先信号を左に上ると中川杉山神社です/横浜生田線
慈眼寺山門
大棚村慈眼寺
『見捨地、一段五畝ばかり、字堂谷戸にあり、新義真言宗、王禅寺村王禅寺末、福聚院青蓮山と號す、元亀2年8月の起立にして開山僧浄海寂年を傳へず、本尊聖観音立像にして長三尺五寸許、客殿六間に五間西南の向なり、この寺は元大徳寺とて其頃は後の方谷戸にあり、昔は庵室にてもありしにや、永禄年中火災にかかり、其後今のところへ移せりと云。浄海塚。境内の丘上にあり一坪ばかりの處なり、供養の爲に當寺の開山経文を埋めし跡なりと云』(新編武蔵風土記稿)
境内より茅ヶ崎中央公園を望みます
大棚杉山神社鳥居
大棚杉山神社社殿
大棚杉山神社横浜市都筑区のセンター北駅近くに鎮座している神社。旧大棚村(おおだなむら)の郷社で、横浜市内唯一かつ旧武蔵国の式内社である「杉山神社」の有力論社の一つとされている。旧大棚村に鎮座していたことから大棚杉山神社とも呼称される。当社は現在までに3度ほど遷座(転社)している。元々は大棚477番地の杉の森(龍福寺付近)に鎮座しており1914年(大正3年)まで旧跡があった。
1912年(明治45年)1月には中川町1084番地(大塚・歴博付近)に遷座したが、横浜市の六大事業の一つである「横浜国際港都建設事業・横浜北部新都市(港北ニュータウン)土地区画整理事業」による再開発のためその後も度々遷座している。1983年(昭和58年には同町757番地の吾妻山山頂(元吾妻社跡地)に仮社殿を設け遷座した。さらに、1992年(平成4年)4月に新たな社地として同町1194番地(現:中川6-1-1)が仮換地指定され社殿が1994年(平成6年)9月に竣工、同年10月に祭神勧請および配神遷座式が執り行われ、翌1995年(平成7年)10月には鳥居や社務所などその他の建造物や植栽整備も完了し遷宮式典および落慶祝賀が執り行われている。なお、この遷座の際に当社に最も関わりがあるとされる和歌山県の伊太祁󠄀曽神社(いたきそじんじゃ)に赴いて五十猛命の霊璽を拝受しており、以来旧来の祭神である日本武尊と共に祀られている。(Wikipedia)(写真:杉山神社移築記念碑/平成7年)
杉山祠碑銘(嘉永5年) 境内社第六天社
センター南方向を望みます 右手は慈眼寺です/大棚杉山神社門前
堂谷(どうやと)大棚の地名、旧字名。字大塚合併後、現在は中川7丁目となっている。慈眼寺のある辺り。慈眼寺の立つ場所はそもそも谷戸の奥で有り、その谷戸を言ったものと思われる。堂は慈眼寺の堂を言うか。(「谷戸めぐり」さんの解説より)
中川駅周辺(明治初期~中期)今昔マップ/埼玉大学教育学部・谷謙二氏を参照)(青:早渕川 橙:大山街道 紫:鎌倉街道中道)
中川駅周辺案内図
中川駅周辺(航空写真)