日時 2023.5.5(金)
天気 晴れ
府中本町駅で武蔵野線を潜り府中街道に出るが、
この辺りの水路はどうなっているのかよく分からない。
是政に向かう府中街道の旧道、中央道下に水路が現れる。
現在の矢崎都市下水路で昭和39年代に整備された水路で、
クリーン施設先の矢崎排水樋管から多摩川へ流されている。
一応、多摩川に辿り着いたので一区切りとしたい。
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川崎街道 「府中街道」の方が馴染みがありますが・・・
甲州街道方向 府中本町駅
川崎街道 川崎街道という名はこの道が川崎に通じることに由来します。甲州街道の南、鎌倉街道あたりまでは、古く横街道、古街道と呼ばれ、大晦日には市がたち大変なにぎわいだったそうです。(標注)
矢崎熊野神社
本殿 奥は東京競馬場です
府中街道(川崎街道) 右手が旧道です
矢崎都市下水路 武蔵野線を横断、線路左手に流れていきま/中央道高架下
矢崎都市下水路(上流側)
下流側 開渠で流れています
旧道(大丸街道) 左が現在の府中街道、右手が旧道です
旧道風景
大丸街道
大丸街道(おおまるかいどう)という名はこの道が大丸村へ通じる道だったことに由来します。この道は川崎街道の旧道です。是政木橋完成(昭和16年)まで、対岸へは是政渡しを利用したものです。(標柱)
矢崎都市下水路(下流方向) この先左にカーブして矢崎都市下水路クリーン施設へ向かいます
緑道沿いに流れています 矢崎都市下水路クリーン施設
矢崎都市下水路クリーン施設(右手:矢崎都市下水路 中央:三ケ村用水)
極楽橋 ここは新田川(府中用水の一流路)と妙観堀旧水路(現矢崎都市下水路)とが合流する所で、極楽橋という橋がありました。橋の名はこの辺りが寺と田の深い土地であることに由来するようです。(標柱)
その先矢崎都市下水路は暗渠で多摩川へ 多摩川合流点 対岸は対岸は大丸(南多摩駅)です
矢崎排水樋管
多摩川下流・是政橋
多摩川上流・多摩川橋梁 左が南武線 右が貨物線です
南武線 貨物線
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三ケ村遊歩道/矢崎都市下水路クリーン施設先
亀里橋 この橋は三か村用水(旧小田分 下屋三村のかんがい用水)に架かる亀里橋です。橋の名は小字「亀里」に由来します。(標柱)
この用水はもと多摩川の左岸32km付近から取り入れていたが、今はその水路跡が遊歩道として残るだけで、その主流は是政5丁目の矢崎スクリーン施設付近に集まる市川、新田、雑田堀などの落水を引き継いでいる。(写真:三ケ村遊歩道)
その主流は是政5丁目の亀里橋で併流してきた二ヶ村用水と離れ、是政2丁目の是政文化センター付近で中央道を潜り、東郷寺下の南で小田分道と出会う。これが「三ケ村遊歩道」になっている。(多摩川中流域の「府中用水」に関する調査研究)(写真:府中街道~東郷寺下へ)
是政周辺 明治後期・今昔マップ/埼玉大学教育学部・谷謙二氏を参照(薄橙:府中街道 紺:府中用水 赤丸:是政の渡し 赤:現堤防)
是政周辺虚空写真
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資料ファイル
府中付近の多摩川低地 府中付近の多摩川低地は扇状地性平野である。市域内で最上流端にあたる四谷6丁目で標高60m、最下流端にあたる御仕立丁目で34mを示す。扇状地性平野の地形の特徴は砂礫堆と網状流である。低地は河川が何度も流路を移動して形成したくぼ地と島状の中州からなる。図2は航空写真をもとにして描いた多摩川低地の網状流路図である。図から多摩川が乱流を繰り返しながら沖積低地を形成していった様子を読みとることができる。(図:府中市多摩川低地の網状流路図)
多摩川低地の微地形と府中用水
府中用水の取り入れ口は現在、国立市青柳であるが、もともとは本宿の下から取水していたといわれる。この府中用水の形成時期とその機構については菊池山哉の研究がある。これによると「江戸時代の初め、何度かの洪水によって多摩川は今のように流路を変えた」、「この古多摩川の流路が府中用水路とほとんどかさなる」。つまり「府中用水は、江戸時代初期に移動した多摩川の古い河床を、ほとんどそのまま利用し、整備したもの」であったという。(府中市)図5は菊池論文に附せられた古多摩川の流跡を利用した府中用水に該当する水路を、少し太い線で描きだしてみた。(図:多摩川流跡図)
府中市域の多摩川低地は、同時期における同一の多摩川旧流路によって形成されたひとつづきの地形面ではない。JR南武線以西の地形面を形成した頃の多摩川の主流路は、北西から南東方面に流れ現多摩川の流路と交差していた。このため、この古流路を利用した水田の灌漑範囲はJR南武線以西に限定されていた。主として現在の新田川水系、市川水系、雑田堀水系である。一方、JR南武線以東、現在の妙光院下水系に依存する地形面の水田の灌漑は、主として段丘崖線下の湧水を利用していたものと考えられる。(写真:雑田堀系分岐点)
「道・坂・塚・川・堰・橋の名前」(1988)では、市川水系と妙光院下水系をつなぐ「大川・御殿下」水路について次のような解説を行っている。「市川と鎌倉街道が交叉する渡月橋から下くらい(の水路 図4のA地点付近)は、深さ3尺5寸位あったので子供の泳ぎ場に最適であった。(現在の)本町2丁目14番地あたりで水を分け桑田氏の水車があった。とくに本町2丁目20番地あたりは深くなっておりフカンドといっていた」現在のJR南武線府中本町付近は、武蔵野(貨物)線の敷地や駅舎の改良工事などで改変が著しく、新旧の地形面の境界を示す微妙な起伏を読み取ることはできない。しかし、前記の記述から、二つの地形面をまたいで流れる府中用水のこの部分は、二つの水系を繋ぐために建設された人工水路であることがわかる。(写真:府中本町駅)
市川水系
この水系の主流は「府中用水」で、第五小学校のハケ下から東に流れる「第二都市遊歩道」下になっている。この流れは途中で雑田堀水系を分けるが、この他にこれらから分かれて南に向かう5本程度の支流がある。しかしそのいずれもその末端で新田川水系に流入している。「第二都市遊歩道」はその後、武蔵野線の西に沿って中央道下付近まで続くが、水系の主流は片町3丁目にある市立第三小学校前で鎌倉街道から分かれてJR武蔵野線の西側に沿って南下、その途中で妙光院下水系を分け、さらに南下して中央道付近で妙光院下水系及び雑田堀水系の一部を合わせ、武蔵野線の東に出ると府中街道との間を流れる矢崎都市下水路となり、その下流の矢崎スクリーン施設に到達する。市川水系の流域は中央道の北部に限られて、その南部では唯一矢崎都市下水路から矢崎スクリーン施設に到達するもののみである。他は雑田堀、新田川の各水系に落水、または妙光院下水系に継承されて、末端で三ケ村用水に落ちている。(多摩川中流域の「府中用水」に関する調査研究)(図:多摩川低地の灌漑水路図 緑:府中崖線 紺:市川水系 紫:雑田堀水系 薄紫:新田川水系 ピンク:矢崎都市下水路)