無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 鎌倉街道上道(多摩~町田)03-野津田&七国山   

日時 2018.2.18(日)
天気 晴れ


前回は出るのが遅く途中で時間切れにになりましたので、
その続きを小野路から野津田、七国山、本町田を経由して
町田まで歩いてみました。

この道は何度か歩いていますが、野津田の遺構の場所が
よく分かりませんでした。今回、上の原広場先に
綺麗に草刈された掘割遺構を確認することができました。

「華厳坂」と言うそうですが、七国山を見通した坂に
残された見事な古道跡、感激しました。
歩くたびに何かに出会う道、このルートは面白いですね。



・・・野津田/町田市

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街道の風景① 小野路交差点から直進し、この先の旧道へ入ります/新屋敷

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旧道風景                       道は行き止まり、右折して公園内へ


・・・野津田公園

町田市野津田町にある都市公園(総合公園)。1990年(平成2年)に陸上競技場を中心とした公園西側の第1期区域(面積約15.4ha)が開園。その後は公園東側の拡張整備を行い2001年(平成13年)に第2期区域が開園し現在に近い形となる。広さは約39.8haで町田市立の公園としては最大規模である。園内には市立陸上競技場、野津田球場、上の原グランド、野津田公園テニスコートなどのスポーツ施設がある。Wikipedia

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湿性植物園から「こもれびの道」を通り「上の原広場」へ/湿性植物園

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こもれびの道             上の原広場にでます

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尾根側の散策路に遺構らしき跡が残ります/上の原広場

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「華厳院坂」の掘割遺構01(坂下方向)
通ったことはあるんですが、きれいに草刈されていたので気が付きました。鎌倉道の掘割遺構、素晴らしいですね!感激しました。

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「華厳院坂」の掘割遺構02(坂上方向)

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坂上は上の原広場へ           坂下は舗装路へ続ています
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街道の風景② 「鎌倉古道」の標柱が立ちます。街道は鶴見川を渡り前方の七国山・右手ピークへ上ります

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坂下の地神塔             芝溝街道を横断

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華厳院山門/野津田町

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華厳院
宗派:古義真言宗 都筑郡恩田徳恩寺末。山寺号:普光山華厳院明王寺(朱印八石あった)。本尊:不動(智證大師の作と伝える)開山:草創年代を天平と伝えるが今は全く不明である。しかし隣地を鎌倉古道が通っており、奥州への古道にも近いので古寺成立の条件にかなっている。もと福王といったのを室町時代末、僧満興、衰微して廃せんとするに当たり、これを明王寺の廃跡である現地に移して再興したのが華厳院である。僧満興は天正4年(157651日示寂。本堂:間口12間、奥行7間半。三方に五尺の廊があり、寄棟草屋根木造建築。272枚ずつ花丸の格天井と吉祥天女および竜と雲の欄間彫刻は注目して良い。庫裡:昭和465月改築。75坪。墓地:古い五輪塔5、宝篋印塔6がある。(町田市史)

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野津田公園園内マップ
(橙:鎌倉街道 赤:同西ルート 紫:大山街道 黄:神奈川往還 緑:現鎌倉街道)


・・・七国山

七国山(ななくにやま)
町田市山崎町にある標高128.5の山である。鎌倉時代頃に鎌倉と上州方面を結んだ鎌倉上道古道跡が現在も残っており、近隣の本町田小野路は古くから宿場として栄えたとされる。昔は頂上付近から相模、甲斐、伊豆、駿河、信濃、上野、下野の7つの国を見ることができたためそのように呼ばれた。(Wikipedia


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街道の風景③ 鶴見川を渡ります/丸山橋

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野津田公園を望みます         左折はダリア園、これも古道のようです

鶴見川(源流域)の関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/20626978/

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街道の風景④ 七国山南麓を西へ進みます

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鎌倉古道入口             竹林を上ります

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七国山の鎌倉古道01 竹林を抜けると雑木林の緩やかな登りです

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七国山の鎌倉古道02 左から西ルートが合流します

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中腹の二又路             「鎌倉街道上道」の標識が立っています

野津田西ルートの関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/26502491/

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七国山の鎌倉古道03 掘割状の道路跡が見受けられます

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七国山緑地保全地域
昔この山頂から7つの国が見えたことから七国山と呼ばれるようになりました。なだらかな起伏の続く丘陵の中でも一段と小高い地域です。数条の尾根と谷戸が入り組んで変化に富んだ地形を成し、区域内の西部には鎌倉古道が遺構が南北に縦貫し、鎌倉井戸の遺構があります。ほぼ全域にコナラ・クヌギが分布し、中央部及び周辺部の緩斜面の一部二耕作地、果樹園、竹林等が散在する変化の多い植生です。東京都ではこの自然を守り次世代へ伝えていくために「東京における自然の保護と回復に関する条例」に基づき緑地保全地域に指定しました。(東京都)

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七国山の鎌倉古道04 尾根上の道と合流する切通に「七国山鎌倉街道の碑」と「鎌倉井戸」、この先の二又を直進します。

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鎌倉井戸
鎌倉時代に掘られたものといわれ、新田義貞が鎌倉攻めの軍を進める途中ここに井戸を掘りこの水を軍馬に与えたと語りつがれている。井戸の深さは約4mであり表土の部分は永い年月の間に崩れ落ちているが 、地表から約1.5m下のローム層の部分は下方に直径70cm程の円筒形の井戸が原型のまま保存されている。(町田市教育委員会)

・・・

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七国山から南側の景観 左が鶴川、正面がたまプラザ・あざみ野方向になります

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ピークが七国山でしょうか       旧汎蒼庵跡(はんそうあん)

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尾根上から見る今井谷戸です、左へ下ると薬師池になります

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「ぼたん園」からの道です       谷戸の東側の道も旧道のようです

薬師池の関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/23239343/

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ダリア園の上から七国山を望みます。この道も鎌倉道のようです

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多摩丘陵散歩道(野津田町周辺コース)マップ(90°回転)
(赤:鎌倉街道 緑:現鎌倉街道 紫:大山街道 橙:芝溝街道 青:鶴見川)


・・・

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街道の風景⑤ 左カーブしてダリア園前を通ってくだります。

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一帯は住宅地です           現鎌倉街道に合流/今井谷戸入口

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ルート地図(本町田から小野路へ)/旧鎌倉街道散策の旅(1)上道・山ノ道編/芳賀善次郎著(さきたま出版会)を参照
(赤:鎌倉街道 緑:現鎌倉街道 紫:大山道 橙:芝溝街道 青:鶴見川・恩田川)

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野津田・七国山周辺地図
(赤:鎌倉街道 緑:現鎌倉街道 紫:大山道 橙:芝溝街道 青:鶴見川・小野路川)

# by Twalking | 2018-02-22 20:21 | 鎌倉街道(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 紅梅   

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紅梅/宏善寺(町田市本町田)
「この境内の梅と桜はこの辺りでは一番ですよ~」
と、写真を撮っていたら声をかけられました。
5分咲きですが見事な枝垂れの梅、いいですね!

# by Twalking | 2018-02-22 16:23 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ヒナギク   

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多摩市グリーンライブセンター/多摩中央公園
ヒナギクでしょうか??
名前を確認しようと思ったら休館日でした。
ボリューム感のある可愛い花ですね。


ヒナギク
(雛菊)
キク科の多年草(日本では一年草扱い)。別名はデージーチョウメイギク(長命菊)、エンメイギク(延命菊)。園芸植物として栽培される。イタリアの国花。草丈は10 - 20cmくらい。葉は根生葉(ロゼット)で、長さ5cmくらいのへら形で鋸歯があり薄く毛が生えている。花は市販品は11月頃から店頭に出回るが、露地で栽培した場合は3月から5月に咲き、花径は2cmくらいの小輪多花性種から10cm近い大輪種まである。半八重または八重咲きで、舌状花は平弁のものと管弁のものがある。花の色は赤・白・ピンクと絞りがあり、黄色い管状花とのコントラストが美しい。(Wikipedia


# by Twalking | 2018-02-21 15:41 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 仁王像-宏善寺   

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阿形

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吽形

宏善寺/町田市本町田
総門から続く仁王門に朱色の仁王様、
かっと目を見開いて精悍な面持ち、
江戸中期の作だそうです。

# by Twalking | 2018-02-21 15:00 | ○石像&モニュメント

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 黄梅   

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黄梅/多摩市愛宕
漢名は『迎春花』
英名は『ウインタージャスミン』とか。
春の先駆けの花ですね~、いらっしゃ~い!


# by Twalking | 2018-02-20 14:37 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 鎌倉街道上道(多摩~町田)02-小野路   

日時 2018.2.14(水)
天気 晴れ

七国山の古道は途中で二又に分かれていますが、
芳賀善次郎さんの本を読むと、野津田越えのルート
として西回りがあることを知りました。

どちらも野津田公園内を通ったものと思われますが、
ひとまず大山街道の分岐から鎧橋へ下り、七国山へ
の西ルートを歩いてみました。


・・・小野路/町田市


町田市北部に位置する。地域内は多摩丘陵内の緑豊かな地域となっており都内有数の里山地域であるほか、江戸時代には大山街道宿場町として栄え、小野路宿通りは当時の雰囲気を現在に残している。また、地域内には中世前期のものと推定される小野路址があり周辺は図師小野路歴史環境保全地域に指定されている。
Wikipedia

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街道の風景① 小野路宿の風景です、落ち着いた家並みに歴史が詰まります/小野路宿通り

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(歴史)室町時代より小野路(小野地小野池とも)の名が見られかつては武蔵国多摩郡に属していた。世阿弥による古謡曲「横山」にも「小野路庄」の名が見られ当地を指していると考えられる。中世には小山田庄内の郷村であり「役帳」において「50貫文小山田庄内小野地」と記され、戦国期には北条氏照領である小山田庄に属した。また、地域内にある小野神社の梵鐘の銘によると1403年(応永10年)には小野路は宿駅の機能を有していた。「廻国雑記」によると1486年(文明18年)の冬に小野の記載があり当地と考えられる。後北条氏の治下では滝山城城主大石氏の知行分を経て北条氏照の支配となり、1585年(天正13年)721日には清浄院(福田寺)の曼荼羅供大法会への妨害を厳禁とする制札が北条氏照によって出されている。

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中世には滝山城主大石氏の頃に整備されたと考えられている小野路街道(子安、北野、下柚木、越野を経由して当地で鎌倉街道・上道と合流)が整備され、近世には小野路道小野路往還とも呼ばれた。1617(元和3年)には徳川家康遺櫃を駿河国久能山から下野国日光へ移す際の行列が通過したが、この時に大規模な継立が行われ、地域内にあった鎌倉古道は相模国平塚宿や矢倉沢関等から武蔵府中へ至る脇往還となった。1827年(文政10年)には小野路村外三五ヶ村組合村を組織し、江戸時代後期には名主小島家により天然理心流撃剣道場が村内に置かれ、幕末には近藤周助や近藤勇が当時の小野路村の小島為政と親しくしていたことから剣術の稽古のためにこの地を度々訪れていた。Wikipedia

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小島資料館
小野路村の名主小島家や橋本家は自宅を道場として解放、近藤勇や土方歳三、沖田総司などが村人に剣術を教えるために通ったところ。新撰組の書簡や小野路農兵隊などの資料が展示公開されている(フットパスガイド)


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小野路宿里山交流館
多摩丘陵の原風景を残す町田市北部の小野路地域には、江戸時代に宿場としてにぎわった小野路宿があり、そこにあった一軒の旅籠・旧「角屋」を改修し観光交流の拠点として再整備した施設が「小野路宿里山交流館」です(町田市)

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小野神社鳥居


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小野神社
町田市小野路町にある神社である。現在小野篁を祭神とするが、1888年(明治21年)の小野路村誌では天下春命(あめのしたはるのみこと)あるいは小野篁としている。小野路の地は古代から鎌倉街道の重要な中継点の一つとして知られていたが、天禄年間(972年頃)に武蔵国司として赴任した小野孝泰(小野篁の7代後の子孫)がこの地に祖先の小野篁を祀ったのが始まりとされる。かつてこの神社にあったは、文明年間に山内上杉氏と扇谷上杉氏が争った際、山内上杉氏の兵によって陣鐘として持ち去られ、現在は逗子市沼間の海宝院にて梵鐘として使用されている。参道脇には「地神」を祀った石塔も建っている。(Wikipedia

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地神塔                   梵鐘

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萬松寺の縁起
開山様は第52代嵯峨天皇第12皇子源融の後胤にあたる中島蔵人の子息である。幼にして薙髪、鎌倉建長寺にて修行、一旦帰省し父母への報恩のため妙興寺創建に着工、後に再び関東に遊歴して八禅刹を建立、当山はその中の一寺である。父・中島蔵人は尾州中島村(愛知県一ノ宮市萩原町中島)にある中島城の城主を勤めていた。開山滅宗興和尚はよく衆生を済度し民衆のため種々尽力された高僧である。永徳2年(1383711日示寂、73歳。示寂後40余年を経て第101代稱光天皇より(應永331426年)圓光大照禅師号を追贈されている。当山萬松寺は徳川時代慶安元年(1648)将軍家光公依頼代々御朱印七石を賜わる。徳川寛文年間第11世祥翁喜和尚のとき全焼。降って昭和20年(1945525日夜半今次大戦にあたり米國機の東京空襲の際焼夷弾攻撃を受け本堂玄関附属建物および過去帳仏具仏典類すべて焼亡、当時集団疎開していた品川区鈴ヶ森國民学校児童職員ら無事全員隣寺に避難した。(掲示板)

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小野路宿場図(江戸後期)/里山交流館
(赤:鎌倉道 紫:大山道 黄:八王子道 青:小野路川)

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小野路宿周辺航空写真/小野路宿里山交流館
(赤:鎌倉街道 緑:現鎌倉街道 紫:大山道 橙:布田道 黄:八王子道 赤角:一本杉公園・小野路宿・野津田公園)

府中通り大山街道(小野路~図師)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23519619/


・・・野津田

町田市の中北部に位置する。東西に鶴見川が流れ、北東の町境には小野路川が流れる。北部と南東部と南西部は丘陵地帯となっている。主に参道橋以西の鶴見川周辺と薬師池公園の西で七国山の北と野津田公園の東で綾部原トンネルの上辺りには畑が多く残っている。(Wikipedia

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街道の風景②野津田の丘を越えは2ルート、「西ルート」を行ってみます/小野神社

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街道の風景③「西ルート」は向坂を上り西に向かいます/向坂

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途中の切通し             小野路一里塚/野津田公園入口

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小野路の一里塚
古来、鎌倉みちは幕府のあった鎌倉から武蔵の国府である府中を抜けて上州の高崎方面に続いていた。府中の手前にある小野路の宿は鎌倉時代にできたと考えられる。駿河の久能山に埋葬された徳川家康の遺骨を江戸時代の初期の元和(げんな)3年(16173月に日光東照宮に移したときに街道の整備と共に小野路の一里塚は造られた。伝承によると御尊櫃(ごそんひつ)を乗せた輿が向阪を下ったとき壊れ、一行が難儀し鍛冶屋を呼んで修理した。この時の小野路村の労苦に対して幕府は以後助郷を免除した。この街道は御尊櫃御成道、また矢倉沢往還として利用され、東海道平塚宿と甲州道府中宿を結ぶ脇往還として賑わった。江戸期に盛んになった大山詣での道として小野路宿は賑わい幕末頃は旅籠が6軒あった。東海道一里塚は五間四方あったというが小野路の一里塚は一回り小さかった。榎の木が植えられておりここで旅人は一服つけたのではなかろうか。町田市では他に木曾の一っているが、多摩市貝塚にあった塚は現在残っていない。(小島政孝稿・説明板)

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街道の風景④ 大山道と分かれて鶴見川へ下ります

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大山道分岐                 凄い急坂です

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街道の風景⑤ 七国山に向かって直線的な下り・上りの道です/野津田高校分岐 

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登り口の石造群            芝溝街道を横断します


・・・山崎町


町田市の中部に位置する。東には七国山があり東側の町境は薬師池公園に接する。野津田町との町境付近を鶴見川が流れる。地名は鎌倉時代に横山党の一族である山崎兼光等が住んだ地とされているが、地名の詳しい由来についてはわかっていない
Wikipedia

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街道の風景⑥ この辺りで鶴見川を渡ったんでしょうか/新鎧橋

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すぐ上流に鎧堰があります

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鎧堰の歴史
鎧堰は永禄8年(1565年)に八王子城主・北条氏照候の印版状を得て武藤半六郎構築した。北条氏照は天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原城攻略による落城で秀吉から切腹を命ぜられた。しかしこの鎧堰はその後、長い間地域の人々に守られ今日まで400年以上にわたって野津田地区で八町八反歩(約870002)の水田に豊かな農業用水を供給して人々の生活を支え、親しまれてきた。河川整備に伴う鎧堰の撤去に際し、歴史を記す。北条氏照印判状 野蔦(野津田)之郷本堰口、川二崩、当年水不上之間、新堰可鑿歟之旨、得御意候、 以彼堰過分之田地可荒義如可候間、小分之年貢引候義者不苦候、 尤新堰可為鑿旨被仰出状如件、丑(永禄8年)三月廿日 一雲奉 武藤半六郎殿 専正軒/町田市史資料集第四集

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「鎧の名の由来」
元弘3年(133358日、上野国新田庄(群馬県新田郡)の武将新田義貞は後醍醐天皇側からの命を受け、鎌倉幕府を倒すための兵を挙げました。新田軍は上野国から武蔵国に入り鎌倉街道上道に沿って兵を進めます。対する鎌倉幕府軍59日に鎌倉を出発します。両軍は小手指原(入間市)久米河(東村山市)にて衝突し、515日には武蔵国府の有る府中に至ります。1516日の2日間にわたって分倍河原(府中市)では激しい戦いが繰り広げられました。多摩川を越えた関戸付近では敗走する幕府軍を追って激しい掃討戦(関戸合戦)がおこなわれました。(「多摩川市関戸に残る中世の伝承とその背景」より) この関戸合戦の末端で戦い犠牲になった兵の屍が鶴見川を流れ折り重なってをなり、その状況を見て「鎧堰」(当時は鎧ヶ淵)と呼ぶようになったとの伝承があります。また、堰の模様がに見えたことから鎧堰を呼ぶ説もあります。この鎧堰の北側の小高い畑に兵の亡骸を手厚く葬り神聖な場所と言われた「兜塚」がありました。また、並木前の畑にはヤバ(矢場)畑、カ(柄)畑の通称もありこの地が合戦場であったことを思わせます。平成21年の河川整備に伴いこの伝承を記す。(東京都南多摩東部建設事務所)

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山崎稲荷神社/山崎


・・・七国山の鎌倉古道

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街道の風景⑦ 入口が分かりずらいですが、この畑地が古道のようです/山崎

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この先が入口です              その手前に
庚申塔

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街道の風景⑧雑木林の残る凹状の道路跡、この先で丸山橋からの道と合流します。

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野津田公園周・七国山周辺地図/明治39年(今昔マップ/埼玉大学教育学部・谷謙二氏を参照
(赤:鎌倉街道 緑:現鎌倉街道 紫:大山道 橙:芝溝街道 青:鶴見川)



# by Twalking | 2018-02-20 13:44 | 鎌倉街道(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

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多摩市愛宕
柔らかなの陽ざし・・・
少しづつ春の足音が聞こえてきます。

# by Twalking | 2018-02-19 13:59 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 白梅   

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白梅
七国山/町田市今井谷戸
春の陽ざしに、美しいですね!
七国山の南麓の谷戸に咲いてました。
寒の戻りはあるでしょうが、春の香りです。

# by Twalking | 2018-02-19 11:19 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 狛犬-小野神社   

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阿形


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吽形

小野神社/町田市小野路町
歴史のある古い神社ですが、
狛犬は新しそう・・・、
さすがに睨みは効いてますね~。

# by Twalking | 2018-02-18 19:57 | ○石像&モニュメント

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 GSE(7000形)   

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小田急線新百合ヶ丘駅/川崎市麻生区
小田急の新型ロマンスカー(7000形)、愛称は『GSE』(「Graceful Super Express」の略)、ボディーはバラの色を基調とし「ローズバーミリオン」、屋根は「ルージュボルドー」と呼ばれる赤色、鮮やかですね~。3月17日からお目見えするそうですよ~。

# by Twalking | 2018-02-18 19:29 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 鎌倉街道上道(多摩~町田)01-貝取   

日時 2018.2.14(水)
天気 晴れ


貝取とか豊ヶ丘の遊歩道は散歩でよく歩きます。
芳賀善次郎さんの著書には鎌倉道は「小野路から貝取谷戸を下り、
乞田川を直角にわたり古道を経て関戸へ」とあります。

この辺りはニュータウンの造成で全く新らしい道ですが、
谷を通るのは貝取大通り、東側に貝取川が流れていいます。
今回はこの谷道に沿って歩いてみました。


・・・貝取/多摩市


古くより貝取村として村を形成していた。貝取は後に南多摩郡多摩村の大字となり、現在よりも広い領域を示す地名であったが、急激な人口増加により多摩村から多摩町を経て多摩市となり、多摩ニュータウン開発以降の地番整理施行後も名称が継承されている。元は純農村であり、現在は山林が主体の丘陵部に第7住区として造成された新住区域と谷戸部に土地区画整理事業地区として造成された区域とで構成されている。
Wikipedia

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街道の風景① 貝取川が乞田川に合流します、先の橋が旧鎌倉街道の「大橋」になります/釜沼橋

小字-釜沼(かまぬま)
乞田の地名、字名。貝取谷戸の出口付近、乞田川沿いの地名。昔釜沼なる池があったらしい。(「谷戸めぐり」さんの解説より)

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ニュータウン通り愛宕交番前      愛宕の尾根を望みます/貝取大通り

乞田川(落合周辺)の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23395070/


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街道の風景② 谷間であればこの貝取川沿いを上ったのでしょうか/合流点より 

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貝取山への上り口           貝取山の西麓の谷を流れています

小字-貝取山(かいどりやま)
貝取の地名、山名。貝取谷戸と瓜生谷戸の間の尾根の北端部の山の名。現在も残され、貝取山緑地として親しまれている。(「谷戸めぐり」さんの解説より)

貝取山緑地の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23307489/

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大福寺山門/貝取

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大福寺(曹洞宗)/多摩市貝取1丁目
貝取にあるため山号も貝取山といい、本堂よりも古い地蔵堂には等身大の地蔵菩薩がまつられている。境内全体の雰囲気がここちよい。御本尊は華厳釈迦牟尼物。(多摩仏教会)

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地蔵堂                    境内のお地蔵さん

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境内の裏山から乞田川方向の景観、右が貝取山、左が豊ヶ丘の尾根になります

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貝取大通りを挟んだ向かいには貝取神社があります/豊ヶ岡

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貝取神社
弟橘媛命 (おとたちばなひめ)品陀和氣命/誉田別命(ほんだわけ)素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお)
多摩ニュータウンの造成により貝取村で個々に祀られていた神社を合祀した神社で、吾妻神社八幡宮牛頭天王社を集め、三柱の祭神を相殿で祀り社名を貝取神社とした。(神社人)

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貝取神社の石造群              倶利伽羅不動さんです

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貝取神社裏からの景観、豊ヶ丘になります
 

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街道の風景③ 貝取川はこの先で暗渠になります

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街道の風景④ いい街なんですが、古道の面影は全くありません/貝取

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尾根道だとこの辺り?/貝取南公園    尾根幹線を渡ります


・・・南野/多摩市

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街道の風景⑤ この先を左折し道路遺構の残る尾根を小野路へくだります


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南野/一本杉公園
「南野」の町名は多摩市の「」にあり、旧小野路町の「」を採って命名したものです。この区域は町田市から編入した小野路と下小山田町の各一部で、町田市に同じ町名があることなどから語調の良い新しい町名に変更したものです。この付近は村境に近い所でその昔は武蔵国の国府(府中)から多摩川を渡り、関戸の宿から小野路の宿を経て、相模あるいは鎌倉などへの往来で多くの人々が利用していた道がありました。また、この辺りに大きな杉の大木があったと言われ一本杉という地名にもなっています。この一本杉に関する言い伝えや物語に、美しい女性に化けた狐にだまされたり通る人に天狗が悪戯や難問を出して困らせたりする話があります。なお、この彫刻は一本杉公園にちなんで杉をテーマとしたものです。(案内版)

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妙櫻寺/南野

「日本一の智者となし給え」と日蓮大聖人出家、幼少の頃願かけの虚空蔵菩薩。大願成就の大平山三吉坊を安置し、山号を大平山と号す。祈祷本尊鬼子母尊神、開運大黒天喜尊天等。昭和5348日開山。御本尊は日蓮宗尊定の大曼荼羅。(多摩仏教会・多摩寺院ガイド)

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鎌倉古道(鎌倉街道上ノ道本路)跡
わが国初の武家政権である鎌倉幕府が開かれた鎌倉と、各地の武士(御家人)たちの拠点を結んだ道が「鎌倉街道(関東の主要七道)」でした。その中で武蔵国府(府中)近くを通る上ノ道は上野国(群馬県)から続き、武蔵国を南北に走る最重要路でありました。この近くに見える山道は貝取団地の尾根へとつながり、地中や地表に残された道の跡などから、本来の鎌倉古道本路跡ではないかと考えられます。(よこやまの道標柱)


・・・鎌倉古道/町田市

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街道の風景⑥ 標柱先を左折、右手が恵泉女子大、先の森が一本杉公園です

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二差路を左へ             栗林が広がります

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街道の風景⑦ 小野路まで約1km、ほれぼれする道です

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街道の風景⑧ 直線的に下る凹状の道、鎌倉道の特徴がよく残されています

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街道の風景⑧ 竹林の道、変化があって面白いですね

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街道の風景⑨ 尾根の林を抜けて舗装路を小野路へ下ります

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石久保子育て地蔵尊          布田道分岐

布田道の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/23534910/

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街道の風景⑩ 小野路宿の奥、いい谷戸ですね~、前方の尾根が小野路城址になります
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小路宿通りを左折           小野路宿です

小野路城址の関連記事はこちらへ(http://teione.exblog.jp/22740847/

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ルート地図(小野路から乞田へ)/旧鎌倉街道散策の旅(1)上道・山ノ道編/芳賀善次郎著(さきたま出版会)を参照
(赤:鎌倉街道上道 緑:現鎌倉街道 青:乞田川・貝取川)

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貝取周辺地図/明治39年(今昔マップ/埼玉大学教育学部・谷謙二氏を参照
(赤:鎌倉街道上道 緑:現鎌倉街道 青:乞田川・貝取川 赤角:地点ポイント対照)


# by Twalking | 2018-02-17 19:01 | 鎌倉街道(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 倶利伽羅像-貝取神社   

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倶利伽羅像/貝取神社(多摩市豊ヶ丘)
可愛いらしい龍さん、
倶利伽羅不動尊?というそうです。
市内ではここだけとか、ちょっと珍しいですね。


倶利伽羅剣
(くりからけん)

不動明王の立像が右手に持つ剣。三昧耶形では不動明王の象徴そのものであり、貪瞋痴の三毒を破る知恵の利剣である。剣は倶利迦羅竜王が燃え盛る炎となって巻きまとっていることからこの名がある。Wikipedia


# by Twalking | 2018-02-16 19:45 | ○石像&モニュメント

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 モニュメント-切り込まれた形   

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モニュメント
大福寺/多摩市貝取
お寺の庭に現代風の石の彫刻がひとつ、
珍しい風景ですね~・・・、
なかなか味わい深いものでした。

『切り込まれた形 時空』1995 渡辺隆根 とく刻まれてます。

# by Twalking | 2018-02-16 18:00 | ○石像&モニュメント

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02   

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愛宕下通り/多摩市愛宕
春の陽ざしにキラキラと
なんと美しいこと。
いや、お見事、ありがとう~!

# by Twalking | 2018-02-16 15:32 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 庚申塔   

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庚申塔/多摩市乞田
愛宕の切通しの登り口の路地を入った一画に
庚申塔やお地蔵さんなどがまとめられてました。
享保7年の銘、誰かぶら下がっていいますね~・・・。

# by Twalking | 2018-02-15 18:39 | ○石像&モニュメント

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02   

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多摩センター駅南口/多摩市落合
春の陽ざしに
ふわふわと舞って
大らかで、いいね~!

# by Twalking | 2018-02-15 15:02 | ○雲

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 乞田川の風景   

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乞田川/上之根橋(多摩市豊ヶ丘)
「耳をすませば」にでてくる愛宕給水塔、
好きな風景のひとつです。

# by Twalking | 2018-02-15 13:02 | リバーサイドウオーク(新規)

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 鶴川駅   

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小田急線鶴川駅/町田市能ヶ谷
今日も暮れゆく・・・
まぶしい一日でした、ありがとう~!



# by Twalking | 2018-02-15 08:52 | ○station

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

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川の風景-鶴見川
丸山橋/鎌倉街道(町田市野津田)
わぁ~、まぶしい・・・、
強烈な逆光だけど
久し振りだから、やっちゃえ~!

# by Twalking | 2018-02-14 21:35 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 アネモネ   

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大福寺/多摩市貝取
アネモネさんかな~??
花言葉は『君を愛す』とか、
今日はバレンタイン、ありがとう~!


アネモネ

キンポウゲ科イチリンソウ属の多年草。和名はボタンイチゲ(牡丹一華)、ハナイチゲ(花一華)、ベニバナオキナグサ(紅花翁草)。一般に春先に花を開くが、その花は一重のものから八重咲きのもの、花色も桃、青、赤、白等。草丈も切花用の高性のものから矮性種まで、野生種のみではなく現在では様々な園芸品種が栽培されている。種は長い毛を有し、風によって運ばれる。このため「風」が由来となっている名前が各地で見られる。花弁はなく萼片が同じ働きをしている。アルメニアの国花。Wikipedia


# by Twalking | 2018-02-14 21:10 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02   

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多摩丘陵/多摩市
風に乗ってぐ~んと、雪辱のジャンプ、
紗羅ちゃん、おめでとう~!&
感動をありがとう!


ノーマルヒル

スキーのジャンプ競技の種目の一。ジャンプ台の大きさで分類され、着地の限界点(L点)までの距離(ヒルサイズ)が85109mの台を使用する。従来「70m級」とよばれていたものが改称された。(コトバンク)


# by Twalking | 2018-02-13 15:02 | ○雲

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 蕾み   

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乞田川/多摩市豊ヶ丘
大きくな~れ!
待ってるよ~、さくらさん。

# by Twalking | 2018-02-13 14:01 | ○Flower

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 多摩センター駅北口通り   

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多摩センター駅北口通り/多摩市落合
ビルの谷間に西陽が射し込みます、
有難いですね~・・・、ほっとします。

# by Twalking | 2018-02-12 20:59 | ○たま-2018

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

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多摩センター駅西口通路/多摩市落合
まぶしいね~・・・
気をつけて帰ってね~!

# by Twalking | 2018-02-12 18:32 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 夕陽   

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鶴牧西公園/多摩市鶴牧
綺麗な夕日だこと。
今日は温かな日和でしたが、
また、冷え込みが厳しそう・・・
くれぐれもご自愛くださいませ。

# by Twalking | 2018-02-11 21:10 | ○sun&moon

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり入間03-金子氏館跡&入間市博物館   

日時 2018.2.6(火)
天気 晴れ


金子氏の館跡は加地丘陵の瑞泉院一帯とされますが、
館跡の遺構はなく、広大な墓苑の一角にひっそりと
6基の宝篋印塔が佇むのみ・・・、でした。

最後に博物館に寄りましたが、丘から見る景観は
まさに「生きた資料」、古多摩川の足跡がよく分かります。
訪ねた甲斐あり!、ありがとうございました。



・・・木蓮寺


鎌倉武士・
金子十郎家忠の諡(戒名)「木蓮院」あるいは「木蓮寺殿」にちなんで、この地にある曹洞宗瑞泉寺を「木蓮院」「木蓮寺」と呼んだことからそれが村の名前になったという(新編武蔵風土記稿)/入間市HP

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金子氏館跡の最寄駅は八高線の金子駅、北側の丘陵地にあります。

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金子駅
入間市大字南峯にあるJR東日本八高線の駅である。(入間市内で唯一のJRの駅)同市の西部に存在し、駅の周辺は住宅街。日本三大緑茶である狭山茶の最大生産地であり、駅の南側には広大な茶畑が広がる。高麗川方面のホームに渡る橋の上からはきれいに茶畑が見渡せる。また、駅周辺には多くの桜の木がある事で知られ、駅前の桜並木は春になると満開の桜がトンネルのように続き、多くの写真家や絵描きが訪れるスポットでもある。Wikipedia


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桂川神社鳥居/木蓮寺

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桂川神社
当地は水田は少なく陸田が多い干損の地で、村名の由来は地内の曹洞宗瑞泉院をかつて木蓮寺と号していたことによる。この村は北に向かって勾配が増し南は比較的平坦な地形をしている。北側の加治丘陵の麓には草分けの家が点在し、当社もここに鎮座している。創立については、豊かな水を望む村人の発願により上州の赤城神社から勧請したものといわれる。また、別当瑞泉院でその開基が時の地頭金子十郎家忠であることから、家忠の屋敷の鬼門に当社を建立したともいわれている。祭神は豊城入彦命・豊城入姫命・大己貴命・彦狭島命である。

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本殿は一間社流造りであり社記によると造営は享保年中である。明治初めの神仏分離により社名を赤城明神社から赤城神社に改めた。また、明治5年には永く村鎮守であったことによって村社となった。大正4年には大字南峯の雷電社を合祀しさらに社名を村の中央を流れる川にちなんで桂川神社と改めた。ちなみに桂川の名は当地方の古い呼び名が「かつらのさと」であったことによる。雷電社は、通称官林山の辺りから雷雲がわき上がることから雨をもたらす神として、更には雷除けの神として信仰される。旧社地は泉蔵院の上の山にあり神仏分離によって西金子に移転し、更に当社に合祀されたものである。(埼玉の神社)


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瑞泉院山門/木蓮寺 右に「金龍山木蓮寺瑞泉禅院」左に「金子十郎家忠公之墓所」の石標が立ちます。参道を登ると一帯は広大な「墓苑」、仮本堂があるだけのようです

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瑞泉院/木蓮寺
『御朱印十五石曹洞宗、初め臨済なりしが後改めしと云、その改めし年歴は詳ならず、甲斐國山梨郡落合村永昌院の末、金龍山と號す、開山は神嶽通龍禅師は中興せしなるべし、夫をいかにと云に、當寺は金子十郎家忠開基にて、家忠は建保4217日卒す、法謚を瑞泉院雄翁道英と云、これ此院號の起りし故なり、さて建保と永正とは中間290年の星霜をへたり、又寺傳に家忠が妻畠山氏建仁元年323日家忠に先て歿せしとて、その石碑も境内に立り、法謚を木蓮院或は寺とも標室奇榜と云、されば當寺始は木蓮寺と號せしを、後に家忠が法謚をもて寺號をも改て、瑞泉院と號するは、通龍禅師中興の時などにや、又按に「讒語集」に菊隠禅師諱瑞潭、字菊隠、嗣法一華云々、開甲之善應、興武之瑞泉兼帶、住持法化大行、大永412月示寂とあり、是によれば當寺をば菊隠禅師開山し、己が師神嶽通龍をもて勧請開山とせしは論なし、されど神嶽通龍及び菊隠等は、永正・大永の示寂と云は、前にもいへるごとく年代たがへり、又この文によるに、永正・大永の比は、已に院號を改めしことしるべし、又過去帳に金子氏代々の法名卒年もありて、甚明備なれど疑ふべし、金子氏の子孫今松平大膳大夫の家に殘れり、則金子十郎左衛門忠義・同六郎左衛門忠行より當寺へ贈りし書を蔵せり、其内に金子氏の由来及び此地を草創せしことをのせたれども、此人のことは爰のみに非ず、多磨郡金子村の條に辨じたれば、ここにはのせず。鐘楼。文化年中の銘あり、取るべきものなし』(新編武蔵風土記稿)

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千体地藏塔

開運をよぶ千体地藏塔
この千体地藏塔は中国ピラミッド方式で、東西南北の四面からなり天より地より強く開運をよぶものと言い伝えられております。各種の願いをこめて個人法人を問わずご奉納することができます。(案内板)

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案内標識に従い墓所へ         階段上の左手が墓所です

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墓所参道

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どなたの供養塔でしょうか?      金子十郎位牌堂

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金子氏一族の宝篋印塔

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金子氏一族の宝篋印塔 付位牌(市指定史跡)
瑞泉院を開祖した金子十郎家忠は武蔵七党の村山党に属し、保元の乱より壇ノ浦に至る源平合戦に加わり数々の戦功をたてた。瑞泉院には6宝篋印塔と家忠の印号法名の記された位牌が残されている。この宝篋印塔は造立年代、造立者、供養を受けた人など明確ではないが、家忠とその一族を偲んで造立されたと考えられる。位牌は銘文が上下2段に金泥で書かれている。上段中央に金子十郎家忠の印号法名、右に弟親範、三男高範、左に長男家広、嫡男家繁、下段には家忠の妹のほか高範を除く4人の夫人の法名が記されている。またそれぞれの名の右には没年と俗名と続柄が記されている。この位牌の製作年代は不明であるが、形式からみて江戸時代のものと考えられる。(入間市教育委員会 入間市文化財保護審議委員会)

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金子一族の位牌(瑞泉院蔵)/入間市博物館展示パネル


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墓所より狭山丘陵を望む

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元気な入間『ふれあい茶ん歩道』案内図


・・・・
資料ファイル

入間市博物館(2)

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入間市博物館/二本木
入間市にある博物館、愛称は「アリット」(Art-Archives-Library-Information-Tea)。狭山茶の生産地として日本及び世界各地の茶の文化に関する研究活動と情報提供を行っている。館所蔵の「狭山茶の生産用具」は国の登録有形民俗文化財となっている。常設展示は「こども科学室」「入間の自然」「入間の歴史」「茶の世界」の4部からなる。常設展示のほかに特別展を開催しており毎年1月・2月に「むかしのくらしと道具展」を開催している。館内には常設展示室、特別展示室のほか市民ギャラリー、情報センター室、資料閲覧室、体験学習室、講座室などがある。また、館の敷地内にはレストラン「お茶っこサロン一煎」茶室「青丘庵」、市民広場などがある。(Wikipedia)
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中世関連の展示風景

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宮寺氏関連展示物           金子氏関連展示物

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入間市周辺の武蔵武士分布(「新編埼玉県史図録」より作成)

入間川を境に南側村山党北側丹党が分布する。「姓」は一族の本姓で、各党の祖が称した名である。さらに自分の領地の地名を「名字」とする。このように武士の名は「姓」と「名字」があり、板碑には俗名を記す場合は通常「姓」を用いる。(入間市博物館展示パネル)

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板碑の分布
埼玉県では27千基を超える板碑が確認されており全国で最多となっています。その理由の一つは鎌倉に武家政権(鎌倉幕府)が創設されたことです。鎌倉幕府を支えたのは武蔵七党などの東国武士です。丁度その頃阿弥陀仏にすがって極楽往生を願う浄土教が隆盛しており、武士達は極楽往生を願って盛んに塔婆を立てたのでした。その塔婆を作るのに最適な石材である緑泥片岩が武蔵国の秩父山地から産出したのです。需要と供給を満たす条件が揃って存在したため埼玉県は日本一の板碑大国になったのです。入間市内には約400基の板碑が確認されています。(入間市博物館展示パネル)

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宝篋印塔の時代変化
宝篋印塔は中国栄代に現在の福建省辺りから伝わった石塔で、鎌倉時代前半から日本でも造られはじめます。時代ごとの形式変化が知られ、紀年銘がなくても形式からおおよその時代が推定できます。時代が下るにつれ、笠の四隅にある「隅飾突起」が垂直から外側へ開くことや、最上部の「相輪」が大型化して彫刻過剰になっていくことが見分け方のポイントです。(入間市博物館展示パネル)
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鎌倉街道と古戦場

中世、武家の都・鎌倉をめぐる攻防戦では常に鎌倉街道「上道」がその戦いの舞台となりました。このため上道が南北を縦断する武蔵野台地とその周辺には多くの古戦場跡が残されています。

元弘3年(1333)新田義貞の鎌倉攻め、建武2年(1335)中先代の乱、観応3年(1352)武蔵野合戦における主な古戦場/入間市博物館展示パネル

・・・
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入間博物館から見る狭山丘陵

博物館前からの展望

当館がほこる最大の実物資料といえるのが博物館周辺の地形である。足元の地面が武蔵野台地で、最も高い段丘『下末吉面(金子台)』、家並みが広がる一段低い土地が『立川面』で2万年前の氷期にはここを多摩川流れていた。その向こうに見える一段と高い丘が『狭山丘陵』で約85万年前にできた古い台地の名残りである。(入間市博物館展示パネル)


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地形解説(模型:1/25000

正面に見える平らな丘は狭山丘陵です。現在地(博物館・金子台)から狭山丘陵までの間の低い土地は、今から32万年前に大昔の多摩川『古多摩川』が流れていた場所です。現在、東京都を流れる多摩川はかつて青梅から川越方面へ流れていました。秩父・多摩の山々(関東山地)に深い谷を刻んで流れる多摩川は、青梅関東平野に流れ出ると、そこから様々な方向へ流れを変えながら、山から流れ出た大量の石ころや砂を滞積させ広大な扇状地をつくりました。この扇状地が武蔵野台地となったのです。台地の上には富士山や箱根などの火山灰が幾度も積り関東ローム層になりました。武蔵の台地には古多摩川によって削られてできたが各地に残されています。この崖を『段丘崖』『崖線』または『ハケ』といいます。ハケによって武蔵野台地はいくつかの台地面(段丘面)に分けられます。博物館の館庭はハケによって上段の『下末吉面(金子台)下段の『立川面』に分かれています。武蔵野台地の真ん中にある狭山丘陵は古多摩川が削り残した古い台地です。また、加治丘陵の北側には入間川がつくった扇状地があり飯能(入間)台地となっています。(入間市博物館展示模型解説)

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地形区分

山地(関東山地)古生代~中生代の地層からなる固い岩盤がおよそ200万円前ころから隆起してできた山々
丘陵(多摩面)およそ7060万年前よりも前に川の流れによって土砂がつもってできた古い台地面の残り
台地(段丘面)
 下末吉面
13万年ころまでに川の流れによって石ころや砂がつもってできた台地面
 立川面42万年前ころまでに川の流れによってできた台地面
低地(沖積面)1万年前ころから現在までに川の流れによってできた低地河原(立川面より新しい段丘面を含む)
(入間市博物館展示模型解説)

# by Twalking | 2018-02-11 19:27 | たまのさんぽ道(新規)

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多摩市愛宕
太陽が隠れたので一枚、
面白い雲、南風に乗ってどこ行くの~。

# by Twalking | 2018-02-10 17:03 | ○雲

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ○写真上達への道   

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プラタナス
松が谷通り/八王子市松が谷
お肌すべすべ、うらやましい・・・、
天気くずれそうだから気をつけてね~。

# by Twalking | 2018-02-10 12:38 | ○写真上達への道

無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 ぶらり入間02-さいたま緑の森博物館   

日時 2018.2.6(火)
天気 晴れ

狭山丘陵周辺の地図を見ていたら
北麓に「緑の森博物館」が大きく載っています。
ちょっと気になっていたので訪ねてみました。

案内所で大谷戸・西久保・八幡の湿地を紹介されましたが、
いや、いい谷戸ですね~!ありがとうございました。
今回は車でしたがここは歩いて散策するのがいいですね。
尾根上の外周路を絡めてまた訪ねてみたいと思います。


・・・宮寺

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谷戸の風景① 大谷戸湿地入口にある「水鳥の池」凍ってます/大谷戸湿地

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さいたま緑の森博物館
入間市宮寺地区(65ha)所沢市糀谷堀之内地区(20.5ha)にある県立の博物館 (合計面積85.5ha)狭山湖北岸、狭山丘陵の一角に位置し埼玉県立狭山自然公園の中にある。狭山丘陵の自然や雑木林そのものを野外展示物として自然観察の場として活用する場を目的とした博物館である。博物館の大部分を占める樹林地は代償植生としてのコナラ林であり全域にわたって分布している。コナラ林は狭山丘陵の代表的な木本群落であり丘陵の尾根筋から斜面、谷沿いに広がり入間市域および所沢市域まで見られる。また代表的な谷戸には休耕田に起因する湿地が広がっている。

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入間市域には大谷戸湿地西久保湿地、小ケ谷戸湿地、所沢市域には八幡湿地がある。大谷戸湿地と西久保湿地では谷戸地形の谷戸頭から谷戸尻までの距離が長く、特に湿性植物群落が分布している。湿地の植生ではミゾソバ群落、ヨシ群落、ミヤマシラスゲ群落が分布している。湿地のうち水田して活用しているのは西久保湿地と八幡湿地の谷戸尻部分である。(Wikipedia


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谷戸の風景② 谷戸の奥、ヨシが群落しています/大谷戸湿原

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トンボの湿地             散策路

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谷戸の風景③ 雪の残る展望広場から宮寺方向(北)の景観です/大谷戸湿原


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出雲祝神社鳥居/宮寺


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出雲祝神社(いずもいわいじんじゃ)
当社は狭山丘陵の北麓、不老川の流域にある。氏子区域宮寺は古くから人々の居住した所で、縄文中期の石塚遺跡、古墳後期の元狭山久保地坑遺跡がある。当社創建を語る社伝も古く景行天皇の代、日本武尊が東夷征伐のとき、当地小手指ヶ原に至り天穂日命、天夷鳥命を祭祀して出雲伊波比神社としたという。所蔵の棟札(62.8cm)に「伊都毛伊波比再造 牟射志入間臣宇助 大寶二年壬寅九月廿九日」がある。当社は式内社、出雲伊波比神社の論社とされているが、他に毛呂の出雲伊波比神社、北野物部天神社、川越の氷川神社などの論社がある。

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風土記稿』に寄木明神社とあるのが当社で「御朱印社領十石を賜はる神明帳に載たる国渭地祇神社是なりと、口碑に伝へたれど、よせる証跡はなし、祭神は素盞鳴尊を祀ると云、本社幣殿拝殿等備りて前に木の鳥居を建、矢寺・荻原・小谷戸・大森・中野・坊・二本木等七村の鎮守なり、此辺を宮寺郷と号することも、当社に権与せしならんと云」とあり、また『武蔵野話』に「寄木宮とて素盞鳴尊を祀る、恐らくは出雲伊波比神祠ならんか、此に依て此地を宮寺といえるなるべし」とある。これによって江戸期当社を寄木宮、祭神を素盞鳴尊としていたと思われるが、社蔵文書の北条氏康朱印状には「出雲祝神社中、棟別之事、指置之畢横合之儀不可有候、依如件、弘治3年丁已1127日、狩野大膳亮、庄式部少輔奉之」とあり、天正19年徳川家康朱印状は「大明神」名であり様々な名称で呼ばれたことがわかる。

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地名にも残る「寄木」については、社記に「この辺の氏族は出雲系で、出雲の国杵築湾に漂う木を取りあげ造られたのが出雲大社であり、天穂日命が東国に下ったとき杵築湾に漂い寄った樹種を携えてきて播種したのが当寄木の森」と伝えている。現在、祭神は天穂日命・天夷鳥命・兄多毛比命の三柱を主神に菅原道真公を始め11柱を相殿に奉斎している。道真公については三男道武が全国行脚の途次、当社に参詣、持参の菅原像を再拝して社の牛寅の方向に祀り松・梅・桜を植えたという古記録があり「松ノ木ヶ谷」「梅ノ木ヶ谷」「三本桜」の地名が現存している。当社には石棒があり、社記に「当社の神体は(以前)一個の石であった。長さ七寸(23cm)ほどの石棒の断片で、上半分は出雲大社に下半分は当社に天穂日命が持参されたもの」とある。大宝2年の棟札のほかに「正安三歳辛丑三月再開 武蔵入間郡宮寺郷入間重太度利宮寺中」とある鳥居棟札(70cm)も保存され古社であることを物語っている。明治2出雲祝神社と社名を一定し、同5年に村社となる。(埼玉の神社)

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拝殿の扁額              神楽殿


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重闢茶場碑(かさねてひらくちゃじょうひ)
この碑は天保31832)の撰文銘をもつ碑で狭山茶の由来が記されている。題額は鳥取県若櫻藩主前縫殿頭松平定常、碑文は後の大学頭林韑があたり、当時の一流書家であった巻大任(菱湖)が筆をとったものである。鎌倉時代栄西によってもたらされた茶は各地に広まり、この地方にも川越茶がつくられた。その後戦国の乱をへて衰微したが、江戸時代の後期に狭山茶復興の機運が起り、地元の吉川温恭村野盛政の努力で再興され、文化・文政時代に至って茶の復興全くなり、茶戸50有余におよび江戸との取引も盛んに行われた。そこで天保元年に建碑の議がまとまり同7年に建立された(入間市教育委員会・入間市文化財保護審議委員会)

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「重闢茶場碑」碑文の訓読分
『州の北、河越の野に狭山あり、多磨入間二郡に預かり、古銘茶を出す(中略)然り而して歳月の久しく茶戸(ちゃこ)衰替して佳種灌茶深前の間に蕪没する。其他 各他各場培養の法の失い、矩また精からず。惟(たに)宇治は其の名を壇にして諸州の冠たるのみ。文政中に逮(およ)んで郷の著姓、村野氏盛政、吉川温恭、江戸山本氏徳潤と胥(あい)議り、重ねて場を狭山の麓に開き、以って数百年の廃を興さんと欲す。製益に精絶、而して狭山の産 後再び今に彰れるという。(中略)今より以後、郷の子孫継承して堕さず、益々共産を殖(ふや)さば則ち狭山の種、将に宇治に譲らず。(中略)吾未だ今日の挙、果して永伝たるかは知らざるや。若しそれ必ずや永伝なることを欲せば、則ち蓋けだしその子孫たる者の人力を以って、これを保つに在るや。しば姑(しばら)才月を識して以って竣つ』(入間市博物館展示パネル)

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狭山茶
始まりは鎌倉時代で武蔵国の狭山丘陵一帯、特に現在の埼玉県入間市を中心に栽培された。江戸時代には狭山丘陵一帯の村々が川越藩領であったことから「河越茶」と呼ばれていた。江戸中期に行われた武蔵野の新田開発により地域の特産物として栽培が普及し産地も拡大したが、現在その多くは入間市で生産されている。(製法)丹念に選りすぐられた新茶葉と「狭山火入」という伝統の火入れが江戸時代から変わらぬ美味しさの秘訣である。この火入れにより狭山茶特有の濃厚な甘味を得ることが出来る。手揉み茶の製法は「茶葉を蒸して焙烙に和紙を敷き、揉み乾かす」というものである。これは、享和21802)に吉川温恭村野盛政指田半右衛門らが編み出したもので、現在では主に手もみ狭山茶保存会によって保存活動が展開されている(Wikipedia抜粋)

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谷戸の風景④ 神社境内から狭山丘陵を望みます

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西久保観音堂境内/宮寺

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西久保観音堂
この観音堂は『清水山観音堂』とも呼ばれ安産祈願で有名である。腹帯授与によって無垢な子供が生まれるといわれ、清泰寺が管理している。本尊の正観音は神亀5年(728壬春行基が清水観音の霊夢によって、神木三の木を以って四十四糎(センチ)の像を作ったものである。宝亀年間(770780)に沙彌延鎮行基が正観音を向う山に安置したことを聞いて清水山観音寺と名づけられた。西久保観音はもと狭山丘陵の中腹飛入という所にあったものを明暦年間に現在の地移転したもので、出雲祝神社と隣りあっている(入間市博物館資料)

西久保観音堂とカヤの木
陽射しをいっぱいに浴びた西久保観音堂。神亀5年(728)春、行基が全国行脚の途中、堂を開いたのが始まりといわれています。また、樹齢1000年を越すといわれるカヤの木は市内第一の古木で、自然界の持つ悠久の時の流れを感じさせてくれます(入間市教育委員会)

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西久保観音の鉦(かね)はり
鉦はりは毎年117日、817日に見子久保観音堂で行われる。期限は定かではないが江戸時代に始まったと考えられる。鉦はりは太鼓1名、鉦4名を持って構成され、念仏に節をつけて歌のことく唱えこれに太鼓、鉦を打ち込むものである。打ち鳴らす双盤鉦と太鼓の音がリズミカルに調和し、念仏の唱和と相まって独特の境地に誘い込むものである。鉦はりは一般に双盤念仏と呼ばれ、双盤鉦を打ち込みながら特殊な節をつけて唱える引声念仏(いんぜい)のことである。念仏は比叡山真如堂、鎌倉光明寺で行われるようになり、その後民間に広まり双盤念仏として定着したものと考えられている。(入間市教育委員会)


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谷戸の風景 春霞かと思ったたら焚火の煙でした/西久保湿地

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谷戸の風 出雲祝神社の奥には田畑と湿地が広がります/西久保湿地

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たんぽも凍ってます          散策にはいい所ですね~

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さいたま緑の森博物館マップ

# by Twalking | 2018-02-10 09:50 | たまのさんぽ道(新規)

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多摩センター駅北口/多摩市落合
北風ですね~・・・
天気は下り坂、君達が来るのかな。

# by Twalking | 2018-02-09 19:14 | ○雲