無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 日光街道(10) 間々田宿~小山宿   

日時 2011.6.18(土)
天気 曇り

梅雨の中休みという感じで、暑くもなく寒くもなく歩き易かったですね。
今回は比較的距離が短めですのでのんびりと間々田の里を歩きました。
のどかな田園風景と鬱蒼と茂る神社の杜が気持ち良かったですねぇ~。

「思川とか乙女なんてすごくロマンチックで素敵な名前ねぇ~」
とおっしゃってましたが、ほんとそうですね。。
なんだか‘古代’を訪ねたような感じで、まだ不思議な余韻が残ってます。


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間々田の蛇祭り(小山市博物館)
5月5日(かつては4月8日・お釈迦様の誕生日)間々田八幡宮では「ジャガマイタ」
と呼ばれる祭りがおこなわれます。
「ジャ~ガマイタ、ジャガマイタ、4月8日のジャガマイタ」と呼びかけながら町内を
ねり歩きます。祭りの起源は諸説あるようですが、その根底には「八大竜王信仰」
があるようです。これは、釈迦誕生の時に八匹の竜(八大竜王)が祝福の甘露を
降らせたという故事にちなむものです。
ほどよい雨による農作物の豊かな実りを祈願する古い信仰です。


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国指定史跡 乙女不動原瓦窯跡(有状式平窯)
この史跡は奈良時代の頃(今から約1250年前)、日本三戒壇のひとつであった
下野薬師寺の建立にあたって瓦を供給した瓦窯跡として注目をされ、昭和53年
に国史跡として指定を受けました。発掘調査の結果、灰原(はいはら 木の燃え
かすの捨てた所)、粘度採掘坑(瓦の材料となる粘度を掘り出した所)、工房跡
など貴重な遺構が見つかってます。
また、下野薬師寺や下野国分寺から出土した瓦と同じハスの花をかたどった
文様の鐙瓦(あぶみかわら)や唐草模様の宇瓦(のきかわら)をはじめ男瓦
(おがわら)女瓦(めがわら)など数多く出土しています。

日本戒壇 : 奈良時代筑紫の観世音院、奈良の東大寺、下野薬師寺に設置さ
         れた僧侶の資格を授ける寺のことを指します。(パンフレット)


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干駄塚古墳群 石棺
頂に富士山信仰の浅間神社を祀り入口には鳥居を構える。(別名浅間山古墳)
思川の段丘上に築かれた東日本最大級の大形円墳で関東有数の大きさを誇る。
墳麓には近くの古墳(桃塚古墳)から出土(1901・明治34)した家形石棺
(高さ90cm、幅1m、長さ2m)が保存されている。藤ノ木古墳(6世紀後半)の
石棺と類似しており注目されている。(小山市観光協会)


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西堀酒造
明治5年創業。銘酒「若盛 門外不出」が3年連続で全国新酒鑑評会の金賞に
輝いているそうです。「蔵みますか?」と声をかけていただいたので見せていた
だきました。分かり易く説明していただきありがとうございました。

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酒林                        煙突(国登録有形文化財)


《花》
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栗の花



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記録
人数 16名
歩数 20300歩
時間 6時間

行程
上野8:00⇒羽生PA9:05⇒佐野藤岡IC9:20⇒間々田駅10:00
間々田・・・小山市立博物館(見学・S)・・・乙女不動原瓦窯跡10:55・・・
逢の榎・・・龍昌寺・・・間々田宿・・・間々田八幡宮(WC)・・・千駄塚古墳・・・
一縷塚・・・たちばな12:30(昼食)13:10・・・西堀酒造(見学・WC)13:45・・・
安房神社・・・一里塚・・・持宝寺・・・須賀神社(見学)15:35・・・道しるべ・・・
小山評定跡由来・・・小山宿・・・小山駅16:05(WC)⇒佐野藤岡16:45⇒
川口SA(WC)17:35⇒上野18:15


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資料ファイル

《持宝寺 梵鐘》
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見つけました。右から3行目にあります。
梵鐘(ぼんしょう)とは寺院で時を知らせ、人々を集めるために用いた鐘のことです。
寛政4年(1794)に佐野天命(てんしょう)鋳物師 三木平左衛門 藤原光長が鋳造
した。銘文中に『当寺者(は)人皇(にんのう)四十六代孝謙天皇弓削道鏡廟塔』と
天皇の名前が刻まれていたため、第二次世界大戦中の金属供出を免れたといわ
れています。(小山市教育委員会)


《須賀神社》
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朱みこし
天慶の乱に際し藤原秀郷公は日夜スサノウの命に戦勝を祈願し、ついに将門の
首級を得ることができたので、天慶3年(940)4月、京都の祇園社(八坂神社)
から御分霊を勧請してまったのが当社の創祀である。小山六十六郷の総鎮守。
徳川家康公は慶長5年7月、当社境内にて小山評定(軍議)を開き、参籠して
関が原の戦勝を祈願した。・・・また、徳川家康公の崇拝神社なる故をもって
万治元年(1658)に日光東照宮を造営した職人によって奉製された同宮
本殿の縮尺になる朱神輿(あかみこし)が当社に奉納された。

祇園祭り(7月14~21日)
例大祭である祇園祭は江戸時代の“下野国誌”に「当国第一の祇園会なり」とあり、
古来著名な例祭である。特に日本一の重量を誇る総欅造りの大神輿(台輪152糎)
をはじめとする三十基の神輿連合渡御祭(第三日曜日)は市内が最も賑わう行事
である。(パンフレット)


《小山評定跡》
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小山評定跡由来
慶長5年(1600)7月24日徳川家康は会津の上杉景勝を討つべく小山に到着した。
このとき、石田三成が家康打倒の兵をあげたことを知り、翌25日この地において
群議がひらからました。軍議は三間四方の仮御殿を急造し、家康と秀忠を中心に
本多忠勝、本多正信、井伊直政や福島正則、山内一豊、黒田長政、浅野幸長、
細川忠興、加藤喜明、蜂須賀重鎮らの諸将が参集しました。福島正則が強力を
誓い、こらをきっかけに軍議は家康の期待通りに決まりました。同年9月15日
関が原の戦いがおこなわれ東軍(徳川方)の勝利に結びついた歴史上重要な
所です。

《小山氏》 
下野押領使藤原秀郷の後裔で藤原姓を称している。
秀郷九世の孫太田行政の子政光が下野大掾となり、下野国芳賀郡小山荘庄に
居住し、小山四郎を称したのが始まりである。
鎌倉時代を通じて下野守護は一貫して小山氏だったが、南北時代になると南朝方と
して宇都宮国綱と戦って敗れる(嫡流としての小山氏は滅亡、同族結城氏が継ぐ)
戦国期は後北条氏の麾下に属することで家の保全を図るが、実質上は小田原開城
(後北条の滅亡)の時点で関東の名族小山氏は滅亡した。


《杉玉》
杉玉(すぎたま)とは、スギの葉(穂先)を集めてボール状にした造形物。酒林(さかば
やし)とも呼ばれる。日本酒の造り酒屋などの軒先に緑の杉玉を吊すことで、新酒が
出来たことを知らせる役割を果たす。「搾りを始めました」という意味である。
吊るされたばかりの杉玉はまだ蒼々としているが、やがて枯れて茶色がかってくる。
この色の変化がまた人々に、新酒の熟成の具合を物語る。
今日では、酒屋の看板のように受け取られがちであるが、元々は酒の神様に感謝を
捧げるものであったとされる。
起源は、酒神大神神社の三輪山のスギにあやかったという。俗に一休の作とされるうた
極楽は何処の里と思ひしに杉葉立てたる又六が門」は、杉玉をうたったものである。
スギの葉は酒の腐敗をなおすからスギの葉をつるすという説もある。(Wikipedia)

by Twalking | 2011-06-20 12:56 | 日光街道(完)

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