日光街道(13) 石橋宿~雀宮宿
天気 曇り
ゴールの雀宮宿付近に“99”のキロ程が建っています。
“100は見れるのかしら・・・・?”“区切りがいいよね・・・”と、
俄然、みなさんの注目が“100”に集まりましたが、
すみません、今日は“99.9”までなんです・・・・。
でも、代わりに児山城跡へ向かう道から日光連山が見えました。
霞がかってますが、みなさん目的地を目に焼き付けられたことでしょう。
いや、近づいてきましたね・・・・、目標が確認できて嬉しいいです。
次回は宇都宮城下、そして大きくカーブしながら日光に向かいます。
だんだんとエンディングロードが近づいて、なんだか胸が高鳴ります。
楽しみですね!東照宮。
グリムの時計台(JR石橋駅前)
石橋町はグリム童話をモチーフにした施設がたくさんある“グリムの里”です。
ドイツのヘッセン州デーツンヘルツタール・シュタイン(石)ブリュックケン(橋)と
姉妹都市提携をしていますが、グリムの生まれはこのヘッセン州だそうです。
開雲寺
天応元(781)年下野薬師寺戒壇院代五世恵雲律師により瑠璃光院東光寺
として開山されました。江戸時代には徳川将軍家の日光参拝道中の休憩所で、
明治期は真岡県・日光県などが統合され栃木県となるまでの約4年間、仮庁舎
が置かれました。(下野市・歴史と史跡)
下古山星宮神社
祭神は磐裂命、根裂命。本社の創立は定かではないようですが、この辺りの
鞘堂新田の総鎮守だそうです。
孝謙天皇神社
下野薬師寺に配流された道鏡を追って、孝謙天皇がこの地までやってきましたが、
病にかかり亡くなったため、現在の神社付近に葬ったという伝説が伝えられています。
(下野市・歴史と史跡)
華蔵寺
弘安6(1283)年児山城初代城主である児山三郎左衛門尉朝定が、宇都宮
一向寺の一道上人を招き、児山城二の丸に堂宇を建立し、児永山光明院
大通寺と称しました。その後、建武元(1334)年永尊上人に児栄山実勝院
華蔵寺(けぞう)として再建されました。(下野市・歴史と史跡)
児山(こやま)城跡
今から約700年前の鎌倉時代の終わり頃に宇都宮市の一族である児山朝定が
築城したと伝えられます。現在も本丸の堀と土塁がよくの残っていて、栃木県
指定史跡となっています。
(下野市・歴史と史跡)
日光連山(孝謙天皇神社先)
目指す日光の山並みがだいぶ近づいてきましたね・・・、頑張りましょう!
夕焼けの隅田川(首都高・車中)
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記録
人数 16名
歩数 17300歩
時間 5時間
行程
上野8:00⇒羽生SA(WC・S)9:10⇒北関東・壬生IC9:40⇒石橋駅9:55
石橋駅10:10・・・開雲寺・・・下古山一里塚・・・鞘堂地蔵尊(休憩)11:20・・・
星宮神社・・・日光東往還追分・・・茂原観音道・・・自衛隊正門前12:05⇒
勝一(昼食)13:00⇒正門前13:10・・・雀宮宿・・・雀宮駅13:50⇒
孝謙天皇神社・・・・児山城跡・華蔵寺(WC・S)15:25⇒壬生IC15:40⇒
羽生SA(WC)16:20⇒上野17:25
by Twalking | 2011-10-19 22:17 | 日光街道(完)