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無料のおもしろネタ画像『デコじろう』用アイコン02 多摩よこやまのみち(改定)03  大妻女子大~給水所(終点)   

よこやまの道03
大妻女子大~唐木田給水所(終点)

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大妻学院に沿って進みます


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ここは峠です                    多摩センター側の景観/展望ポイント



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小山田側の地形がよく分かります/展望の辻


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代官坂と奥州古道の辻             峠から 堀之内側の景観が良く見えます



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右に下れば尾根幹線、よこやまのみちの終点です


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長池側の景色を見ながら歩きます      唐木田給水所



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資料ファイル


多摩よこやまのみち(改定)03  大妻女子大~給水所(終点)_d0183387_23285126.jpg《棚原の館跡》
ここから左側(東側)に見える操車場付近にはかつて小高い丘がありました。江戸時代の地誌には戦国時代に八王子城で討死した島崎二郎某の館跡があって鎮守の森や馬場跡もあったと記されています。島崎氏の先祖は鹿島神宮や香取神宮に近い常陸国(茨城県)行方群(なめかた)の島崎城付近から来たとも伝えられていますが詳細は不明です。(案内版)


多摩よこやまのみち(改定)03  大妻女子大~給水所(終点)_d0183387_23282754.jpg《馬頭観音の道標と古道交差点》
遠く武蔵野を望むこの高台にはかつて鎌倉道と奥州古道の十字路がありました。東側崖下の道は昭和9年にできた切通しで、その後の開発の時に東側斜面がなくなり新たな車道も一段下にできました。また明治40年建立の馬頭観音が平成10年頃までここにあり、「□除馬頭観音」「溝 橋本道」や「原町田道」「八王子道」「府中道」と刻まれていましたが、今は近くの民家の庭先に移動し大切にお守りされてます。(案内版)



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《京と東北を結んだ奥州古道と影取池伝説》
多摩よこやまの道に平行して残る山道は、かつて京都と東北地方(奥州)を結んだ奥州古道の痕跡です。(奥州古道常盤ルート、国府街道とも)京都や奈良から関東諸国の国司として赴任してきた有力貴族や都の警護にあたる衛司の往来、また防人の帰郷の道ともなりました。また江戸時代には巡礼の道(武相観音霊場道、東西領国巡礼道)として振る舞いました。(案内版)

《影取池伝説》
その昔、この北側には深い森と影取池がありました。旅人が水面に影を映すと姿を消してしまうので大蛇のしわざではないかとか、また南北朝の時代に落城した小山田城を抜けだした奥方の浄瑠璃姫が13人の侍女と共にここへ来て、昔話に花を咲かせた後入水したことの祟りではないかと噂されました。江戸時代にお坊さんを呼んで供養すると水面に雲がわき立ち、笑みをたたえた姫と侍女たちは昇天し、村には平安が戻ったといわれます。八王子市別所の長池にも同様の言い伝えがあります。(案内版)


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左の尾根が巡礼古道(代官坂)、右手の尾根が奥州古道


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巡礼古道の代官坂と奥州古道の辻
《巡礼古道》
この付近には昔から旅の巡礼者たちにまつわる言い伝えが多くあります。それは江戸時代の宝暦年間(1759)頃から始まった武相観音巡礼道やそれ以前から東日本と西日本の霊場・札所を行き来する旅人が通過した巡礼道(奥州古道・国府街道)があったからと考えられます。この案内版かの西隣りには二つの古道がT字型に交差する辻であり、畑と多摩よこやまの道に沿って東西に続く緩やかな窪地(山道)が奥州古道、南に分かれて下っていく代官坂が武相観音巡礼道です。

《代官坂》
この近くにある地神塔は江戸時代末期の嘉永年間のもので、ここから南方の小山田大泉寺方面に続く武相観音巡礼道は、いつ頃からか「代官坂」と呼ばれていました。名前の由来は不明ですが、道は昔からよく整備されてきた痕跡があり、普通の生活道ではなく計画的な往還道の一つであったことが分かります。途中には行き倒れになった旅人を祀ったという巡礼地蔵や石仏が今でもみられます。(案内版)



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堀之内&遠く七生丘陵を望む/峠より
《鎌倉時際の蓮生寺と鎌倉古道》
この峠から北は現在は崖ですが、近年まで鎌倉時代の伝説に関わる古道がこの先北方約900md先の蓮生寺というお寺の前へ続いていました。鎌倉時代の公式記録である吾妻鏡の寿永元年(1182)4月20日条には「源頼朝の父、義朝の護持僧であった円浄坊という僧侶は、頼朝が母の胎内に居る時から祈祷をしていたが、平治の乱以降京都を出て武蔵国に蓮生寺を創建し、頼朝も土地を寄進してこの寺を保護した」とあります。この僧は天台宗比叡山に属したことから、この近くに山王塚(多摩市の西の境界付近にあった)や日枝神社もそのことと無縁ではなさそうです。寺の前からこの峠に続く道には鎌倉道の伝承があり、多摩ニュータウンに伴う発掘調査では鎌倉時代頃の建物跡や鍛冶場跡、土器や陶器などが出土してます。(案内版)


多摩よこやまのみち(改定)03  大妻女子大~給水所(終点)_d0183387_16104581.jpg《奥州古道と六部塚~民話の塚と石塔》
江戸時代のこと、旅の尼僧が抱く赤子に地元の人が乳を与えましたが、礼を言って立ち去った尼僧は力尽きて倒れ峠に葬られました。後日訪れた身内の信州伊奈郡の片桐勘四朗(旅の六十六部)もここで力尽き葬られ、二つの塚を築いた村人は農作業の合間に通っては手を合わせていたそうです。近年この六部塚(六十六部の略)は案内板から南へ80m下った所で見つかり、小山田の田中谷戸集会所では石塔が発見され民話が本当だったことがわかりました。(案内板)


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鶴見川流域最高度三角点「山王塚」        鶴見川源流の泉
この山上塚跡には鶴見川流域最高度三角点「山王塚」(168m)があります。鶴見川は流域面積235平方万kmで、多摩丘陵から下末吉台地を刻み横浜市鶴見区から東京湾に注ぎます。鶴見川の源流はここから南0.6km下った町田市上小山田の「鶴見川源流の泉」です。(案内板)

鶴見川(1)源流域(源流の和泉)の関連記事はこちらへ(https://teione.exblog.jp/20626978/


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古道推定ルート/案内版

by Twalking | 2013-08-20 11:29 | たまのさんぽ道(新規)

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